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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第8章 引き裂かれた翼
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137:オストラの戦い(3)

「クリストフめ!よりにもよって、ラディナ湖西部をがら空きにしたな!」


 後背から届いた凶報を耳にするや否や、リヒャルトは怒鳴り声を上げた。


 リヒャルト達は、エーデルシュタイン国内を進軍するにあたり、挟撃を恐れて警戒を強めていた。しかし、ラディナ湖西部に帯状に広がる防御線とその守備隊10,000については、注意を払っていなかった。彼らはエーデルシュタイン西部における、ガリエルに対する守りの要であり、中原他国との物流網を守る生命線である。この生命線を放棄してリヒャルトとの決戦に投入するとは、リヒャルト達は思い至らなかったのだ。


 リヒャルト軍の後背に出現したエーデルシュタイン西部軍は、左翼後方に下がり、息を整えていた魔術師達に襲いかかった。魔術師達は、自分の役割に忠実に従って限界まで魔法を詠唱した後で、未だ戦場に復帰できる状態ではなかった。そして兵力の余裕もなく、前方に展開するクリストフ軍の追撃に集中するあまり、後背を守る兵を用意できなかったリヒャルト軍に対し、西部軍は「カラディナ軍旗」めがけて容赦なく襲いかかった。


「ぎゃあああああああ!」

「ぐわあああああああ!」


 後方の至る所で断末魔が上がり、魔術師達が次々に斃れていく。西部軍はカラディナ軍旗を掲げる兵に次々に襲いかかり、片っ端から斬り伏せていく。西部軍は、予めクリストフから指令された通り、忠実に「カラディナ軍」を打ち倒して行った。リヒャルト軍の左翼は、背後からの猛攻に対処する事ができず、前方でクリストフ軍と斬り結びながら、後方を瞬く間に削り取られていく。


「畜生!クリストフめ!この国を滅ぼす気か!?」

「殿下!今はまず、自身の安全をお考えになって下さい!とにかく右翼へ!」


 血走った目を見開き、歯を食いしばるリヒャルトをギュンターが叱咤し、退避を求める。しかし、リヒャルトは首を振る。


「駄目だ!中央にカラディナ軍が割って入っている!横断はできん!このまま左翼左を抜け、クリストフを迂回する形で右翼と合流する!」

「はっ!全軍、敵右翼の左側に回り、敵の攻撃をいなせ!」


 リヒャルトの指摘を受けたギュンターは即座に頷き、軍を率いる。しかし、いくらこちらが優勢とは言え前方には頑強な敵が居座り、後方からは容赦なく死が迫っている。急変する戦況について行けず、置いてきぼりにされた兵達が次々に打ち倒されていく。


 リヒャルト軍左翼は、有刺鉄線に引っ掛かった衣服を無理矢理引き剥がすかのように、その身を削りながらクリストフ軍を迂回して行った。




 ***


「何という事ですか!兄上があんな小細工を弄するから!」


 クリストフは日頃の冷静さをかなぐり捨て、両拳を握りしめたまま、わなわなと身を震わせた。


 クリストフは戦いへと臨むにあたり、西部軍の指揮官に対し、リヒャルト軍の後背から襲いかかるよう、王太子として命令を発していた。その際クリストフは、西部軍に対し、自国民の損害を最低限に抑えるため、カラディナ軍を攻撃するようにと指示していたのである。


 それが、リヒャルトの計略によって裏目に出てしまった。西部軍は柔弱なカラディナ軍を襲ったつもりだったが、それは精強なエーデルシュタイン軍であり、虎の子の魔術師達であった。エーデルシュタインは、自らの手で、自らの剣を折ってしまったのである。


 クリストフは、彼にしては珍しく唾を地面に吐き捨てると、グレゴールへと指示ずる。


「グレゴール!とにかく、まずはこの戦いを制し、兄上を捕らえましょう!大きな問題を抱えてしまいましたが、それもこの戦いに勝たなければ、意味を成しません!」

「はっ!」


 クリストフの指示に従い、グレゴールが軍を動かして、リヒャルト軍にとどめを刺そうとする。しかしリヒャルトの計略に引っ掛かり矛をへし折られたクリストフ軍は流れを変える事ができず、リヒャルト軍左翼、及び雪崩を打って押し寄せる本当のカラディナ軍に滝の様に打たれ、迂回するリヒャルト達を捕まえる事ができない。


 戦況全体で言えば有利になったのにも関わらず、クリストフ軍はそのまま滝に身を削られ、被害を拡大させていった。




 ***


「殿下…!」


 左翼で起こった惨状を耳にしたバルトルトは、唇を噛み締め、懊悩していた。


 自身が率いる右翼は、左翼が主戦場に変わった事で置き去りにされ、結果として弱兵を率いていながらも戦線を維持していた。しかし、優勢だったはずの左翼が急転直下崩壊の憂き目に晒された事を知ると、バルトルトは急速に頭を回転させ、自分が為すべき事を考える。


 今、自分が為すべき事。それは麾下の兵力を温存し、リヒャルトに再起のチャンスを与える事。そう結論付けたバルトルトは、声を張り上げる。


「皆の者!これから我が軍は敵左翼の脇を抜け、一旦戦場から離脱する!君達はロザリア様のご威光を担った英雄である!本国に留まり、惰眠を貪った弱兵どもに負けるはずはない!敵左翼を押し込め!そして一気に離脱するぞ!」

「「「おおおおおおおおっ!」」」


 ハンターと輜重兵からなるバルトルトの一隊は、1,000の正規兵を中核として、弱兵とは思えないほどの圧力をもってクリストフ軍を押し込み、直後に後退する。そのままバルトルト隊は迂回しながらクリストフ軍と距離を保ち、後背から回り込んで来るであろうリヒャルト本隊との合流を目論んだまま戦場に残り、様子を窺っていた。




 ***


「…」


 急速に変化する戦況を前にして、カラディナ軍司令のダニエルは、呆然とするしかなかった。


 つい先ほどまでは、リヒャルトの描いた計略が見事に当たり、自分達は勝利の端緒を掴んでいたはずだった。それが今では、左翼を守るはずの精強なリヒャルト軍は刻一刻とその身を削り取られ、右翼を守るバルトルト隊も単独での離脱を試みている。左翼後背を襲った西部軍はカラディナ軍旗を目指しているのか、未だダニエル率いる本当のカラディナ軍には襲いかかっていないが、何時までこの幸運が続くか、わからない。ダニエルは急速に疲労が蓄積した頭を動かし、麾下の軍に指令する。


「これより全軍、撤退する。兵をまとめ、右翼のバルトルト隊の動きに合わせ、ゆっくりと後退せよ」


 ダニエルの指令は、しかし思うように軍を動かす事ができない。すでにカラディナ軍の先鋒は、流れ落ちる滝に吸い込まれるようにクリストフ軍右翼へと襲いかかっており、容易に後退する事ができない。ダニエルは先鋒の救出を諦め、首を切るようにして残余の兵の撤退に取り掛かる。


 そんなダニエルの許に、後方から新たな報告が齎された。




「後方より、新たな軍12,000が出現!あれは、――― カラディナ軍です!」


 新たに後背に出現したカラディナ軍は、剣を抜くと、エーデルシュタイン西部軍と、「エーデルシュタイン軍旗」を掲げたダニエル軍へと、次々に襲いかかって行った。




 ***


 時は、1ヶ月程前に遡る。


 その日、ダニエルの許に遣わした使者の報告を聞いたジェローム・バスチェは、「六柱」の各当主を見やり、口を開いた。


「こうなったら、せめてエーデルシュタインを削っておくしかあるまい」


 ジェロームの発言に、「六柱」の各当主は重々しい態度で首肯する。ジェロームは頷き、自らの見解を復習するかのように、説明を続けた。


「ダニエルが我々の命令を聞かない以上、エーデルシュタインとの確執は確定した。このままダニエルはリヒャルトとともにエーデルシュタインとの戦闘に突入し、おそらく敗北する。その結果齎されるのは、エーデルシュタインからの詰問の使者だけだ。我々は、ダニエルのとばっちりとも言える、エーデルシュタインからの理不尽な要求を呑むわけにはいかない。であれば、いっそこの機会に乗じ、エーデルシュタインの兵を削ぎ、国力を衰退させる方が良かろう」

「致し方ありませんな」


 ジェロームの説明に、各当主は次々に同意を表明する。一人の当主が手を挙げ、ジェロームに質問した。


「その場合の我々の主張は、どの様にお考えで?」

「お誂え向きに、ダニエルが用意してくれているではないか」


 ジェロームは薄笑いを浮かべ、質問者へと答える。


「ダニエル率いるカラディナ西誅軍は、盟主であるリヒャルト殿下を護衛するためだけに、エーデルシュタインへと入国するのだ。その正当な任務に対し、エーデルシュタイン本国は理不尽にも刃を向けた。我々は同胞の命を守るため、止むを得ず自衛のために剣を抜き、脅威を追い払っただけだ。エーデルシュタインが剣を抜かなければ、この様な惨劇は起こらなかったのだと、強弁すれば良い」

「すでにその頃には、その強弁を覆せるほどの兵力はありませんでしょうからな」


 別の当主からの発言にジェロームは満足そうに頷き、発言を締めくくる。


「指揮官には、『我が軍を攻撃している軍だけを殲滅』するように伝えておこう。でなければ、強弁するにもクリストフ一派に余計な隙を与えるからな」


 こうして、カラディナ国内を通過するリヒャルト軍の後を追う様にして、南部からかき集めた12,000のカラディナ軍が首都サン=ブレイユを進発し、エーデルシュタインへと侵入する。




 リヒャルトの計略に端を発した軍旗の入れ替えは、こうして醜悪で悲惨な同士討ちへと発展していったのであった。

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