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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第8章 引き裂かれた翼
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136:オストラの戦い(2)

「敵は、数は多いですが、士気の面で問題を抱えています。1箇所で構いません。1箇所、突き崩す事ができれば、敵は瓦解します」


 クリストフは麾下の兵に対し、そう告げていた。


 リヒャルト軍は指導部の層が厚く、兵も精鋭で能力が高い。しかし、何と言っても大草原での大敗が尾を引いている。士気は高いとは言えず、上層部が兵を引き留めるために甘やかした事が響き、規律も良くない。特にカラディナ軍はヴェルツブルグに侵攻する理由がなく意思が薄弱で、エーデルシュタイン王国の明確な敵対表明に動揺しているはずだ。カラディナ軍に一撃入れる事ができればカラディナ軍は敗走し、リヒャルト軍は瓦解する。クリストフはリヒャルト軍の弱点を看破し、その弱点を狙って軍を動かす。


 リヒャルト軍は雁行と呼ばれる、斜めの陣を敷き、クリストフ軍へと接近して来る。クリストフから見て左翼側が突出しており、右翼後方にいるカラディナ軍を庇いながら行動しているようだ。輜重は中央後方にいて、突出する左翼側はエーデルシュタインの軍旗が地上を埋めつく様に並び、容易ならざる圧力をかけてくる。


 グレゴールはクリストフの意を酌んで、全軍へと指示する。


「全軍に指令!敵の弱点は、右翼後方のカラディナ軍である!彼らの士気は低く、一度崩れればそのまま瓦解する!左翼は、突出する敵右翼を抑え、時間を稼げ!右翼、中央はその間に反時計回りに急進し、敵左翼を突破、カラディナ軍を壊走させろ!」

「「「おおおおおおおおおおっ!」」」


 グレゴールの指令にクリストフ軍の兵士達は剣を掲げて応じ、クリストフ軍はグレゴールの指示通りに行動を開始する。左翼は早くも敵右翼と剣を合わせ、辺り一面に血なまぐさい臭いが漂った。


「うおおおおおおおおおおおっ!」

「リヒャルト殿下、万歳!」

「クリストフ殿下、万歳!」


 戦場のそこかしこで怒号と悲鳴が飛び交い、阿鼻叫喚の様相を呈してくる。クリストフにとって幸いな事に、敵右翼の圧力は想定よりも弱く、味方はよく戦線を持ちこたえ、膠着状態に陥ろうとしていた。


「…これは、同士討ちを避ける心理が働いているのかも知れませんね」


 左翼の状況を見たクリストフは、唇に指を当てて、薄く笑みを浮かべる。敵味方に分かれてしまったが、何と言ってもどちらも同じ国民である。特にリヒャルト軍の兵士達は、国のために西誅へと赴いたのに、いつの間にか国に反旗を翻す事になっている。心情的に整理できているとは思えず、同胞に刃を向けるのを躊躇ってしまうのも、止むを得ない事であろう。クリストフにとっても、この戦いが終わった後の国防も考えなければならず、敵対した彼らを誅滅するわけにもいかない。敵味方ともに流す血が少ない方が望ましかった。


 クリストフは一つ頷き、グレゴールを通じて、全軍に指令した。


「敵右翼の侵攻は、食い止めた!後はカラディナと弱兵からなる敵左翼だけだ!一気に敵左翼を食い破り、敵を壊乱させろ!」

「「「おおおおおおおおおおっ!」」」


 グレゴールの指令を受け、クリストフ軍の右翼は勢いを増し、敵左翼へと襲いかかる。敵左翼は動きが鈍く、クリストフ軍右翼の突入から逃げるように、前列の兵士達が横へ流れた。右翼の兵士達は、逃げ惑う敵左翼の喉元に喰らいつこうと、雄叫びをあげて突貫し、




「汝に命ずる。炎を纏いし球となり、巴を成せ。我に従って三条の弧を描き、彼の者を打ち据えよ」

「汝に命ずる。礫を束ねて岩となり、巴を成せ。我に従って三条の弧を描き、彼の者を打ち据えよ」

「汝に命ずる。氷を纏いし蒼白の槍となり、我に従え。空を割く線条となり、彼の者を貫け」

「汝に命ずる。風を纏いし茨の槍となり、我に従え。螺旋を描く線条となり、彼の者を割き、抉り、その身を貫け」


 地水火風あらゆる属性魔法の一斉掃射を浴び、大混乱に陥った。




 ***


「よし。まずは一手、引っかかってくれたな」


 左翼の戦況を耳にしたリヒャルトが、胸を撫で下ろす。ギュンターがリヒャルトに対し、注意喚起した。


「殿下、楽観視めされるな。魔術師は継戦能力がなく、接近されると役に立ちません。相手の鼻面を引っぱたけたのは僥倖ですが、張り倒せなければ負けです」

「わかっているよ、ギュンター。ここでどれだけ相手を削れるかに、かかっているな」


 ギュンターの諫言を聞いたリヒャルトは素直に頷き、些か緩んだ頬を引き締めて前を向いた。


 実はリヒャルト軍には、クリストフ側に気づかれていない大きな問題があった。兵種のバランスの悪さである。


 西誅軍は大草原に侵攻するにあたり、素質に依存するハンターや魔術師を残置し、正規兵を中心に侵攻して、大敗を喫した。そのためリヒャルト軍は、通常では考えられないほど正規兵が少なく、組織的な軍事行動に影響をきたしていた。正規兵は突出した素質や魔法を使う者が少なく、個々のポテンシャルはハンターや魔術師に比べると低い。だが、集団生活と度重なる訓練によって培われた秩序は、集団戦において大きな力を発揮する。正規兵の少ないリヒャルト軍は、正面決戦に脆いという弱点を抱えていたのである。


 だが、リヒャルトはこの欠点を利点と捉えて活用する事に決める。確かに大草原での大敗により正規兵に甚大な損害を被ったわけだが、逆に魔術師を温存できたと考えたのだ。特に、西誅には優秀な魔術師が軒並み参加しており、本国を守っていたクリストフ側には一段劣った魔術師しか残されていない。そしてクリストフ側は、西誅軍が半減した事は知っていたが、魔術師を温存できた事は知らなかった。


 リヒャルトは、それを活用する。クリストフがカラディナ軍を弱点として捉え、押し寄せてくると予想し、カラディナ軍を餌に使ったのだ。そして、麾下の魔術師を全て左翼へ配備し、前面に並べる。その集中度は徹底しており、輜重に割り当てられた運搬用の地水の魔術師まで駆り出すほどである。その分、輜重に割り当てられた兵士は、それまでの2倍以上に膨れ上がった。


 こうして、エーデルシュタインの魔術師数千が横並びになる左翼に対し、クリストフ軍の右翼は突入する事になる。そして、その属性魔法の一斉掃射を浴びたクリストフ軍は、正面衝突した車のように急停止し、大損害を被る事になった。




 ***


「…してやられましたね」


 クリストフが唇を曲げ、親指の爪を噛みながら静かに呟く。背後に佇むグレゴールは、気持ちの整理をつけるために、大きな鼻息を吐いた。


「残念ながら我々がカラディナ軍を狙うと、読まれていたようですな。しかし逆に言えば、カラディナ軍が急所である事が明白になりました。その証拠に、我が右翼があれだけ混乱しているのにも関わらず、彼らは突入してきません」

「ええ。此処が辛抱のしどころです」


 クリストフは頷き、前を見る。西誅軍の出立にあたり、国内の優秀な魔術師を持って行かれたクリストフは、魔術師を揃える事ができなかった。そのため、リヒャルト軍に対し魔法で応戦する事ができず、撃たれるに任さざるを得なかった。当初、左翼側で魔法合戦が起きなかったためにクリストフ達は安堵していたのだが、右翼側に集中配備していた事は読めなかった。


 だが、それも少しの辛抱だ。クリストフは犠牲を甘受し、その先を見据える。魔術師は継戦能力が低く、接近戦にも弱い。あれだけ魔術師を集中配備している以上、接近さえできれば敵を食い破れる。そしてその奥には、士気の低いカラディナ軍。此処を耐え切れば、敵の策は尽きる。


 やがてクリストフの読み通り、右翼を襲う魔法は、四射目を超えた辺りから急速に衰え、散発的になる。それに気づいた右翼の前線指揮官は声を張り上げ、部下を叱咤した。


「敵の魔法は尽きた!目の前に並ぶのは強力な魔術師ではなく、疲れ切った平民だ!今こそロザリア様の許に召された仲間の仇を討ち、カラディナの侵入者と逆賊リヒャルトの首を討て!」

「「「おおおおおおおおおおっ!」」」


 前線指揮官の声を聞いた兵士達は雄叫びを上げ、自らを奮い立たせる。此処で立ち止まるのは死を意味する以上、仲間の屍を踏み越えてでも前に進むしかなかった。血と恐怖と興奮に洗脳された兵士達は我先へと前に駆け出し、無手の魔術師へと向かって行く。その魔術師達は荒い息を上げながら、慌てて後ろへと駆け出し、後方に控えるカラディナ軍の中へと逃げ込んで行く。


「「「おおおおおおおおおおっ!」」」


 疲労をものともせず突入してくるクリストフ軍右翼の兵士に対し、並び立つカラディナ軍の旗が大きく揺れ動き、はためく。そして、クリストフ軍がカラディナ軍に食いつこうとした刹那。




「「「リヒャルト殿下、万歳!」」」


 カラディナ軍旗を掲げた「エーデルシュタイン正規兵」が、一斉にクリストフ軍右翼へと突入し、食い破って行った。




 ***


「此処だ!此処で一気に仕留めろ!」


 ギュンターが声を張り上げ、全軍を叱咤する。敵の矛を破壊し、食い千切った。後はこの矛を持つ腕を手繰り寄せ、喉元に食らいつければ、勝利が確定する。


 左翼後方に配置した軍。それはカラディナ軍ではなく、虎の子のエーデルシュタイン正規兵だった。リヒャルトは麾下の軍旗を入れ替え、麾下の一番頑強な所へクリストフ軍をおびき寄せたのであった。


 リヒャルトは左翼に虎の子の魔術師及び正規兵を並べ、カラディナ軍旗を掲げさせた。そして、中央から右翼には、ハンター及びエーデルシュタイン輜重兵を並べ、正規兵1,000を率いたバルトルトに右翼を任せる。そして、空になった輜重は全てカラディナ軍に引き受けさせ、中央後方及び右翼後方に並ぶカラディナ軍にエーデルシュタイン軍旗を掲げさせたのだった。緒戦、クリストフ左翼が持ちこたえられたのは、同士討ちの懸念ではなく、集団戦が不得手なハンターや質の劣る輜重兵と戦っていたからである。


「ダニエルに伝令!輜重は全て投棄しても構わん!カラディナ軍を突入させろ!」


 リヒャルトが声を張り上げる。流れを捉えれば、張りぼての軍も立派な戦力になる。この機を逃さずクリストフ軍を追撃し、瓦解させなければならない。これが唯一の勝機だ。後方基地のないリヒャルト達には、再戦の余裕はない。


 戦場に描かれた時計盤は、逆に回転し始める。反時計回りに動いていた兵の流れは2時を指し示した辺りで停止し、やがて時計回りに動き始めた。時計盤の中央付近にいたカラディナ軍も、時計回りに4時方向に雪崩を打つ。


 こうして6時に居るクリストフめがけ、リヒャルト軍が殺到しようとする頃、リヒャルトの許に新たな報告が飛び込んで来た。




「後背より敵襲!エーデルシュタイン正規兵10,000が、左翼後方へと襲いかかっています!」

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