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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第8章 引き裂かれた翼
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135:オストラの戦い(1)

 リヒャルトとクリストフの二人の王子は、お互い、相手の行動に舌打ちする事になった。




「まさか、此処まで軍を進めているとはな…」


 陣中で斥候から報告を聞いたリヒャルトは、大きく舌打ちをする。傍らに控えるバルトルトが、追加報告をした。


「クリストフ軍は、オストラの南東10キルドの地点に布陣しているそうです。数は、35,000から40,000の間と推定されています。おそらく、指揮はグレゴールでしょうな」

「しかし、早すぎる…何処から漏れた?」


 リヒャルトが顎に手を当てて考え込む。ドミニク・ミュレーを排除する際、リヒャルトの解放を意図的に秘匿したため、ロザリアの第6月20日まで、リヒャルトの解放は露見していない。サンタ・デ・ロマハとヴェルツブルグの距離を考えると、その情報がいち早くヴェルツブルグに送られたとしても、ガリエルの第3月より前には届かないはずである。それにも関わらず、クリストフは、ガリエルの第3月10日の時点でオストラへの軍の展開を済ませている。予めリヒャルトの解放を知っていたとしか、思えなかった。


「エルフ達が、本国に通知していたのかも知れませんね」

「コネロの族長を見る限り、その様子はなかったんだがな…。ティグリの族長辺りが、気を利かせたのかも知れんな」

「彼らの一本気な性格が、裏目に出ましたな」


 リヒャルトの言葉を聞き、ギュンターが嘆息する。エルフ達には、中原の王家における権力争いは、理解できないであろう。彼らの性格からすれば、誠意を見せるために王太子解放の報を送っていたとしても、不思議ではなかった。リヒャルトは気持ちを切り替え、目前に横たわる問題に意識を向けた。


「しかし、あいつは容赦がないな。此処に40,000持ってきたという事は、国内は空っぽじゃないか」

「ハーデンブルグとラディナ湖西部の防衛線を除き、ごっそり招集したんでしょうな。あの方らしいと言えます」


 ギュンターの感想を聞いたリヒャルトは頷き、内心で溜息をつく。私はそこまで徹底できない。リヒャルトは、弟の持つ資質を素直に認める。


 リヒャルトとクリストフは共に優れた才能を持つ王子だったが、その性格は異なっていた。リヒャルトは良く言って情熱的、悪く言えば感情的であり、クリストフは良く言って冷静、悪く言えば冷酷だった。もしリヒャルトが逆の立場であれば、国防を揺るがしてまで兵を招集するとは思えなかった。


 だからこそ、リヒャルトは敗れるわけにはいかない。クリストフが王となれば、エーデルシュタインには冷酷な風が吹き荒れ、多くの臣民が寒さに震え、凍え死ぬであろう。この国にそんな未来を齎すわけにはいかない。


 自らの進退と故国の将来を賭け、リヒャルトは瞳に灼熱の炎を灯し、前を向いていた。




 ***


「まさか、本当に全軍連れて来るとは…」


 陣中で斥候から報告を聞いたクリストフは、静かに舌打ちをする。傍らに控えるグレゴールが、追加報告をした。


「リヒャルト軍は、オストラの北西20キルド付近を進軍中。その数、おおよそ40,000。カラディナの軍旗も確認されており、4割がカラディナ軍と推測されます。…殿下の読みが、当たりましたな」

「当たったのは、タイミングだけです。数は正直、想定していませんでした」


 クリストフは、リヒャルトの求心力と統制力に舌を巻く。全軍の半数を失い、自身は抑留されたのにも関わらず、カラディナ軍まで連れて戻って来たのだ。普通であれば求心力を失い、軍が瓦解してもおかしくない。


 これなら、兄上の罪をあげつらうべきでした。クリストフは自身の失策を認める。サンタ・デ・ロマハに閉じ籠って蠢動されても困るので、あからさまな非難を控えエーデルシュタインへ誘き出すつもりだったが、これなら敗戦の罪を世の中に明らかにして支持基盤を破壊するべきであった。


「兄上の人誑しぶりには、参りました。カラディナもとんだ迷惑でしょうに」

「あれほどの惨敗となると、司令部の面々は軒並み首が飛びますからな。一蓮托生とはいえ、それを糾合するとは、あの方らしいと言えます」


 グレゴールの感想を聞いたクリストフは頷き、内心で溜息をつく。私では纏められない。もしクリストフが逆の立場であれば、カラディナ軍はおろか、自軍でさえ多数の脱落者を出しているであろう。


 だからこそ、クリストフは敗れるわけにはいかない。リヒャルトが王となれば、感情に流されるままに臣民を振り回し、結果選択を誤って、多くの民が屍を晒す事になりかねない。この国にそんな未来を齎すわけにはいかない。


 自らの進退と故国の将来を賭け、クリストフは瞳に冷たい氷の輝きを放ち、前を向いていた。




 ***


「こうも脆い軍を率いる羽目に陥るとは、ルイスを笑えなくなってしまったな」


 カラディナ軍司令のダニエル・ラチエールは、自嘲気味に呟いた。


 ダニエルが率いるカラディナ軍は、今や士気がどん底まで落ち、動揺を隠せないでいた。カラディナを通過するまでは、盟主であるリヒャルトの護衛と言う任務と西誅の凱旋と言う名目があり、士気は最高ではないにしてもそこそこを維持し、むしろヴェルツブルグでの恩賞を狙った火事場泥棒の参加により兵力が微増したくらいだった。


 しかし、エーデルシュタインに入国した後に知らされた、リヒャルト達の罪状と討伐の表明が、カラディナ軍の士気を根こそぎ取り払ってしまう。元々、大草原における大敗と、その後のサンタ・デ・ロマハにおける懐柔の名目で与えられた酒池肉林によって、軍の規律は相当に低下しており、ヴェルツブルグでの恩賞と言う餌に釣られて此処まで来たカラディナ軍であったため、此処に来て自らの命を賭けなければならない事態に狼狽し、カラディナで最も人気のある将軍であるダニエルをもってしても、崩壊を押し留めるのがやっとの状態であった。ダニエルはそんな自分を振り返り、かつて自分の手で討伐したセント=ヌーヴェル北伐軍司令ルイス・サムエル・デ・メンドーサの哀れな姿と自分を、重ね合わせていた。


 ダニエルは自軍の惨状をリヒャルトへと報告し、まともな戦力にならない事を率直に申告する。カラディナ軍の惨状をある程度予期していたリヒャルトはそれを了承し、カラディナ軍を後背に配備した。元々兵力を水増しし、本国への圧力として連れてきたカラディナ軍であるが、ここで彼らが離反すると軍の崩壊に繋がってしまう。緒戦は自軍だけでクリストフ軍を圧倒し、勝ち馬心理でカラディナ軍を参戦させるしかなかった。


 リヒャルトは、麾下のエーデルシュタイン西誅軍に対し、演説する。


「諸君らはロザリア様の御旗の下で西誅へと赴き、セント=ヌーヴェルとエルフをガリエルの魔の手から救い出した、英雄である!にもかかわらず、その間本国で惰眠を貪った為政者達は、我々の栄光を妬み、盟主たる私に謂れのない罪を被せ、王太子を廃し、獄へと繋ごうとしている!これは、諸君らの活躍に泥を塗る、恥ずべき行為である!諸君らの功績は、理不尽な命令や謂われない罪ではなく、輝かしい栄誉や報奨をもって、報いるべきだ!諸君らの功績が報われるか否かが、この一戦にかかっている!自らの栄誉を、自らの剣をもって勝ち取ろうではないか!」

「「「おおおおおおおっ!」」」


 リヒャルトの演説に応じ、ギュンターやバルトルト麾下の兵士達が雄叫びを上げ、エーデルシュタイン西誅軍を奮い立たせる。


 エーデルシュタイン24,000、カラディナ16,000からなるリヒャルト軍は、クリストフ軍へとゆっくりと進軍していった。




 ***


 リヒャルト軍を地平の彼方に認めたクリストフは、麾下の軍勢に対し、演説する。


「諸君!彼らはロザリア様のご威光を掲げながら、ガリエルの奸計に嵌り、盟友たるエルフとの溝を広げて大草原で大敗を喫した、不忠者です!その上、彼らはその醜態に恥じるどころか開き直り、哀れな被害者であるセント=ヌーヴェルを貪った挙句、我々に対し、厚かましくも自己の正当性と恩賞を求めて押し寄せて来ています!彼らの恫喝に屈するわけにはいきません!我々は、ロザリア様の御旗に泥を塗った彼らの不忠を正し、この国をあるべき姿に導かなければなりません!この国の正義を守れるか否かが、この一戦にかかっています!この国の正義を、我々の剣をもって守り切ろうではありませんか!」

「「「おおおおおおおっ!」」」


 クリストフの演説に応じ、グレゴールやクリストフ一派の領主の兵士達が雄叫びを上げ、クリストフ軍を奮い立たせる。


 こうして、中原暦6625年ガリエルの第3月12日、エーデルシュタインの総力を挙げた血なまぐさい兄弟喧嘩の火蓋が、切られたのである。

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