128:手紙(2)
「王が誰であろうとも、ですか…」
クリストフは手紙を見つつ、薄っすらと笑みを浮かべる。クリストフは、この手紙の真意を、正確に理解していた。
柊也がリヒャルト達を抑留した理由。それは、リヒャルト達にエルフ~人族間の相互理解を託したのではない。リヒャルトをエーデルシュタイン中枢から切り離す事が、目的だった。
柊也はヴェルツブルグ滞在中に、リヒャルトとクリストフの間に横たわる潜在的な確執に気づいていた。そして西誅の結果を踏まえ、再び人族が大草原に侵攻しないよう、その確執を利用して対策を講じたのだった。
仮にリヒャルトを抑留せず、そのまま帰還させた場合、エルフはエーデルシュタインに対し、何の貸しも作らない事になる。リヒャルトが帰還し、その後の政争を勝ち抜いて国王になれば、次代のエーデルシュタインにエルフへの悪感情が残り、次の西誅へと繋がってしまう。かと言って、リヒャルトを殺してしまえば、エーデルシュタインとの落としどころがなくなり、再侵攻の口実を与えてしまう。
そのため柊也はリヒャルト達を抑留し、エーデルシュタイン中枢から切り離した。そしてリヒャルト達には、両種族間の相互理解による融和を託す事で、懐柔を図る。もしかしたら、リヒャルト達はその真意に気づくかも知れないが、それは問題ではない。今やエルフはリヒャルト達に対する絶対的な強者である以上、弱者の憶測に耳を貸す必要はない。ましてや、対外的には、誰も文句のつけようのない理由である。
そして、同じ対外理由で、エーデルシュタイン王国と教会を牽制する。柊也はエルフ八氏族の同意を得て、モノ壊滅に対する賠償を、一切求めなかった。これはエルフに強制したわけではなく、エルフ特有の、草原の民らしい富に固執しない素朴な心情をそのまま表明したわけだが、柊也はそれを利用して人族との間に落としどころを設けた。その上でリヒャルト達に相互理解を託す事で、両種族間の融和ムードを作り出した。またエーデルシュタインに対しては、王太子の身の安全を約束するとともに、暗に王太子が人質になっている事を示し、再侵攻の意図を挫いた。
そこまで予防線を張った上で、クリストフに対し、リヒャルトの転覆を唆したのである。ロザリアの第6月とされたリヒャルトの解放の時期は、クリストフにしか知らされていなかった。そのため、クリストフを除いた全ての人族はリヒャルトの解放時期を知らず、この先が見通せなくなった。その中でクリストフだけが先を見据え、暗躍する事ができるようになったのである。
リヒャルトは西誅の失敗によって、玉座のレースで大きく落伍した。これだけでも致命的と言えたが、柊也はクリストフに恩を売るためにリヒャルトを抑留し、更に陥れたのである。これでクリストフが王となれば、エルフは新王に恩を売った事になり、大草原は安全になる。
エルフは草原の民であり、その裏表のない一本気の性格は、人族にも広く知られていた。だからこそ、その裏に隠れた柊也の策略は、クリストフ以外には誰にも気づかれなかった。
「あと7ヶ月ですか…」
手紙を執務机に投げ出したクリストフは、静かに呟く。今はロザリアの第2月。4ヶ月後にはリヒャルトが解放されるが、エーデルシュタインに到着するには、さらに3ヶ月を要する。この7ヶ月の間にクリストフは国内を掌握し、玉座を抑える必要があった。
***
「…」
カラディナ共和国の首都、サン=ブレイユ。その中央にある官庁群の一室で、「六柱」の当主達が一堂に集まっていた。彼らの目の前には1通の手紙の写しが置かれ、彼らは一様にその文面に目を向けたまま、口を閉ざしていた。
―――
エルフ ティグリ族 族長から、カラディナ共和国政府へ、書を奉る。
貴国、並びにエーデルシュタイン王国が遣わした軍により、我らがエルフ八氏族は、未曽有の国難を迎えた。だが、幸いにしてサーリア様の御加護により、我らは貴軍の暴虐を打ち破り、祖国たる大草原に安寧を取り戻す事ができた。
貴国は此度の北伐のさなか、ガリエルの悪辣な策謀に唆されたセント=ヌーヴェルの攻撃を受け、多大な損害を被った。我々はセント=ヌーヴェルの軽挙に懸念を表し、軍中において何度も諫めたが聞き入れられず、結果大きな不幸を招くことになった。我々はそれを潔しとせず、セント=ヌーヴェルから離反し、貴国に一切の損害を与える事なく、貴国から退去した。しかし我々の誠意を理解いただけず、貴国が軍を興し大草原へと侵攻した事は、誠に遺憾である。
だが、我々は敢えて貴国に対し、非難を表明しない。此度の侵攻により我ら八氏族の一つモノは壊滅し一族ことごとく大草原の露と消えたが、それを踏まえた上で貴国とのこれまでの友誼を優先し、この不幸な行き違いに対し、貴国に責を求めない。貴国の、エーデルシュタイン及び教会とセント=ヌーヴェルに挟まれた難しい立場に、理解を示そう。
我々は、中原の問題に関わるつもりは、ない。貴国においては、先のセント=ヌーヴェルの軽挙に対する蟠りもあろう。貴国らが遣わした兵35,000が大草原の露と化した事により、これから中原において様々な問題も起きよう。これらに対し、我々は自らの責も認めないが、我々の意を通す事もない。中原の問題は、中原に住む者の意思だけで解決すべき事なのだ。
貴国は中原の中央にあり、両者の立場を理解し、調整できる唯一の国である。我々は、貴国が一連の問題に対して見事な采配を振るい、中原に再び平穏を齎してくれると信じている。その采配の結果、中原の勢力図が如何様に変わろうとも、我々は一貫して支持する所存である。
中原暦6625年 ガリエルの第5月
ティグリ族 族長 グラシアノ
―――
「…さて、方々。我々にとって非常に不本意な結果となったわけだが、我々は如何すべきだろうか」
やがて、このまま沈黙を続けても埒が明かないと判断したのだろう、「六柱」筆頭のジェロームが、厳かに宣言する。その宣言をかわぎりに、各当主がぽつぽつと口を開いた。
「…エルフどもは、セント=ヌーヴェルを切り捨てましたな」
「元々奴らは、中原の問題に踏み込む事はありませんでしたからな。しかし、大草原に攻め込んでもその態度を崩そうとしないのは、いっそ、あっぱれと言うべきでしょうな」
当主の一人が、エルフを半ば自棄気味に賞賛する。自軍の半数を大草原で失ったのにも関わらず、その責を求める方法がない事に対する、やっかみである。ジェロームが、その件に対し言及する。
「大草原で被った損害については、諦めざるを得ないだろう。再侵攻はエーデルシュタインも同調しないだろうし、成算も立たない。しかも勝てたとしても何も得るものがない以上、両者痛み分け、喧嘩両成敗の今、手を引くのが賢明だ。奴らも深入りしないと、宣言しているからな」
「それにしても、半数を失うとは…どこで元を取ればいいのやら…」
「国民をどの様に納得させるかも、問題ですな」
当主の何人かが渋面を作り、頭をかき回す。ジェロームが溜息をついて、音頭を取った。
「全てセント=ヌーヴェルから撒き上げるしかあるまい。それと敗戦の責は、軍司令部に取らせよう」
「しかし、軍の扱いも難しいですな。奴らが軍を掌握している限り、責任の追及もできません」
それが目下、最大の問題であった。大草原において半数の兵を失ったと聞いているが、それでもカラディナ軍は2万近い軍を擁している。国民を納得させるためには、ダニエルとドミニクに責任を取らせる他にないが、両者とも2万の軍を背景にセント=ヌーヴェルから出てこないだろう。カラディナもエーデルシュタイン同様、西誅によって予備兵力まで駆り出しており、更なる派兵はできなかった。
結局、「六柱」の間でも名案は浮かばず、カラディナ政府は西誅軍に対し、中途半端な帰還命令を出すに留まる。サンタ・デ・ロマハのドミニクはそれを無視し、それが繰り返された結果、悪戯に時だけが費やされていった。