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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第7章 サーリア
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124:エミリア

 照りついていた太陽が高度を下げ、力尽きるように地平へと沈む中、中原から遠く離れた荒野に、世界に取り残されたように2張のテントが佇み、長い影を描いていた。2張のテントは、3日間風に煽られ、表面には乾いた砂が薄く降り積もっていた。


 浴室のテントの扉が開き、一人の男が外へと出てくる。男は上下ともに甚平を羽織っただけの軽装で仁王立ちすると、1本しかない腕を横に伸ばし、大きく深呼吸をする。男は、先ほどまで体に貼り付いていた汚れや疲れを綺麗さっぱり洗い流し、外の空気を吸って肺の中も綺麗に入れ替えると、紺と橙色のコントラストを描く夕陽に感謝するように笑みを浮かべた。


 外の空気を満喫した男は、浴室から聞こえてくる女性達の声を聞きながらテントへと入り、乱れている布団を手際良く片付けていく。テントの通気窓を開けて、中に充満するむせ返るほどの匂いと湿気を追い出すと、ちゃぶ台を広げ、鼻唄を歌いながら機嫌良さそうに濡れた布巾で拭いていく。男はここ3日間続いた生活で疲れ切っており、体の芯には未だ気怠さが残っていたが、心の中は1年半鬱積していた色々な感情が一掃されて晴れ上がり、清々しい気分になっていた。彼はそれに感謝し、せめて心の中を掃除してくれた彼女達の大好物を振る舞おうと、頭の中でメニューをピックアップしていた。


 テントの扉が開いて、シモンとセレーネが入ってきた。シモンはラフなシャツとショートパンツに身を包んでいたが、シモンに横抱きにされたセレーネは未だバスタオル1枚を体に巻いただけの姿だった。シモンはテントの中で両膝をつくと、壊れ物を扱うかのように、セレーネをゆっくりと座椅子に座らせる。座椅子に身を預けたまま目を閉じ、のぼせた体に繰り返し空気を取り込むセレーネに、柊也が料理を並べながら声をかけた。


「随分疲れているな。大丈夫か?セレーネ」

「…だ、誰のせいですか!誰の!トウヤさんもシモンさんも酷いです!二人がかりで私ばっかり!少しは休ませて下さい!」


 抗議の声を荒げ、再び息が上がったセレーネを見た柊也は、意地の悪い笑みを浮かべると、シモンに顔を向け、缶ビールを掲げる。


「シモンも飲むか?」

「ああ、私はワインをいただこう」

「まだ飲むんですかぁ?二人とも…」


 呆れたような顔を向けるセレーネに、柊也は頭を下げる。


「今日までは大目に見てくれ、セレーネ。明日からは元に戻るから」

「ほどほどにして下さいね、もぉ…」


 諦めた様に溜息をついたセレーネは、一転して、ちゃぶ台に並べられた料理に目を輝かせる。シモンの前には、断面が真っ赤な分厚いレアステーキと、肉汁で膨れ上がった様な丸いハンバーグ。セレーネの前には、伊勢海老を一尾丸ごと使い縦に割って盛り付けられたグラタン、オマール海老の蒸し焼き、小海老とマッシュルームのアヒージョ、バケットが並んでいた。自らの前にもシモンと同じ大きなハンバーグとライスを並べた柊也は、二人の顔を交互に見やりながら、缶ビールを掲げる。


「とりあえず、爛れた生活に乾杯」

「乾杯」

「今日までですからね!もぉ!」


 3人は、3日間に渡る退廃的な生活の、最後の余韻を存分に味わっていた。




 欲望の赴くままに好物を平らげた柊也は、座椅子に身を預けて両足を投げ出し、感無量の面持ちでビールを口に運んでいる。その左腕にはシモンがしがみ付き、チョコレートパフェの最後の一口を堪能していた。シモンの尻尾は千切れんばかりに左右に揺れ、テントのシートを擦る音が絶え間なく聞こえている。


 この3日間で、柊也だけでなく、シモンも大きく変わった。それまでの彼女は、3人の中で盾の役目を果たすべく常に意識を張り詰め、その容姿と合わせて最も年長らしい振舞いを見せていた。それが、この3日間に相手の想いを存分に味わった結果、彼女は「年上」の立場をかなぐり捨て、まるで子供の様に甘えるようになっていた。それは、柊也のみならずセレーネにも向けられ、周囲を気にする必要がない時は、シモンは二人に甘えまくった。


「さぁて、この3日間、やりたい放題やったからな。そろそろ元の生活に戻らないと、戻れなくなりそうだ」

「トウヤさぁん、もう少し言葉を選びましょうよ…」


 ビールを飲み干しながら呟いた柊也の言葉に、この3日間の事を思い出したセレーネが顔を赤くする。柊也は声を立てずに笑い、言葉を続ける。


「とりあえず、脱出優先でサーリアの検証を後回ししていたからな。まずは、それから確認するか…。シルフ、いるか?」

『はい、マスター。此処に』


 柊也の呼びかけに応じ、シルフが空中に姿を現わす。


「シルフ、管理者就任によって何の権限が付与されたのか、教えてくれ」

『畏まりました、マスター』


 柊也の求めに、シルフは一礼し、説明を開始する。


『まず、メインシステムのモード変更権限が付与されました。これにより、エマージェンシー・モード、スリープ・モードの解除が可能となります。ただし、スリープ・モードの解除については、周辺環境への影響が甚大となりますので、推奨いたしません』

「エマージェンシー・モードは、解除しても問題ないのか?」

『はい。エマージェンシー・モードは、外部からの攻撃を防ぐために通信を遮断した稼働モードです。エマージェンシー・モードの解除によるエネルギーの消費は軽微のため、影響はございません。ただし、現在、他のシステムも同じくエマージェンシー・モードとなっておりますので、そちらも解除しないと意味を成しません』


 シルフの回答に、柊也が眉を顰める。


「他のシステムとは、つまり…『エミリア』や『ロザリア』という事か?」

『左様でございます』




「え!?トウヤ、まさか!?」

「トウヤさん!?」


 日本での知識があり、ある程度想定していた柊也とは異なり、全く思い至らなかったシモンとセレーネが驚きの声を上げる。そんな二人に、柊也は顔を向けて頷く。


「ああ。神話に登場する三姉妹。彼女達は全て、俺と同じ血の種族が作り出した、何らかのシステムという事だ」




 絶句した二人をそのままに、柊也は再びシルフへと顔を向ける。


「エミリアとロザリアについては、後で聞こう。他の権限も教えてくれ」

『はい。次に、各ユーザへの認可権限が付与されました。これにより任意の生物に対し、各サービスの利用を認可する事ができます』

「それは、例えばエルフに素質を与える事ができる、という事か?」

『左様でございます。ただし、現在はスリープ・モードによりサービスのほとんどが停止しているため、事実上無効となっております』

「トウヤさん…!」


 シルフの回答を聞いたセレーネが柊也に縋りつく。未だスリープ・モードにより阻害されているが、エルフがサーリアから、あるいは柊也から素質を授かる日が来る。それが現実となった事に、セレーネは喜びより驚きが先行していた。セレーネの目を見て頷く柊也に、シルフの説明が続く。


『さらに、ナノシステムの全操作権限が付与され、またナノシステム使用時の代償支払義務が免除されております。そのためスリープ・モード解除後は、当管轄のナノシステムの全てを自由に操作する事ができます』

「ナノシステムとは、何だ?」

『恐れ入りますが、ヘルプ機能がロックされており、お答えする事ができません』


 シルフの回答を聞いた柊也は、大きな溜息をついた。


「管理者になっても突破できないとは、どんだけガードが堅いんだよ…」

『誠に申し訳ございません』


 シルフが腰を曲げ、柊也に謝る。


「まあ、いいや。何となくイメージはついたし。あんたのせいじゃないしな、シルフ」

『恐れ入ります。以上が、管理者によって追加された権限となります』

「わかった、ありがとう」


 シルフの説明を聞いた柊也は、姿勢を正して座椅子に胡坐をかくと、質問を続ける。


「エミリアとロザリアのメインシステムの所在地を教えてくれ」

『はい。システム・エミリアの所在地は、ここから南西に直線距離で約5,600km、システム・ロザリアの所在地は、ここから東南東に直線距離で約6,300kmとなります』

「ロザリアの所在地は、ヴェルツブルグと呼ばれる所か?」


 柊也の問いに、シルフは首を横に振る。


『恐れ入りますが、エマージェンシー・モードによる通信断絶の影響で、ロザリア管轄地の現在の地名は不明です』

「そうか。それとエミリアとロザリアは、現在どういう稼働状況になっている?」

『エマージェンシー・モード発動による通信断絶前の情報しか残されておりませんが、その当時の稼働状況でよろしいでしょうか?』

「ああ、それでいい」


 柊也の回答にシルフは頷き、報告する。


『通信断絶前のシステム・ロザリアは通常モード、システム・エミリアはセーフ・モードとなっておりました。現在はこれに、エマージェンシー・モードが発動していると推測されます』

「セーフ・モードとは何だ?」

『セーフ・モードは、スリープ・モードよりも更に機能を制限した稼働モードになります。セーフ・モードでは、ユーザ認証、管理者権限付与、ナノシステム維持を除く全ての機能が停止し、全てのサービスが利用できません』

「なるほど…わかった」


 柊也は了承し、顎に手を当てて考え込む。柊也の左肩に手を添え、枝垂れかかったシモンが問いかけた。


「何を考えているんだい?トウヤ」

「ああ…」


 シモンの問いかけに、柊也は生返事をしたまま暫く黙っていたが、やがて顎から手を離し、左右に座る二人の顔を交互に見やる。


「今後の方針を決めた。まずは、エミリアに接触しよう。そしてロザリアに接触し、三姉妹が何者か、ロザリアから聞こう」




 柊也の方針決定に、シモンとセレーネは息を呑んだ。永い間言い伝えられてきた神話に、自分達が直接関わり、三姉妹を助ける事ができるのだ。すでに柊也はサーリアの管理者となり、いつでも目覚めさせる事ができるようになった。その上、エミリアの管理者にもなる事ができれば、病臥の床にあるエミリアを完治させる事ができるかも知れない。その事に気づいたシモンとセレーネは、得も言われぬ高揚感に身を焦がす。


「トウヤぁ!」

「え?うわあ!」


 突然、柊也は体を引っ張られ、シモンの豊かな胸の谷間に引き摺りこまれた。


「トウヤ!君と(つがい)になれて、本当に嬉しい!君と一緒に、サーリア様はおろか、あのエミリア様までお助けできるかも知れないだなんて!トウヤ!愛してる!」


 そう一気に言い募ると、シモンは柊也の頭を両手で抱えて顔を上げさせ、唇で唇を塞ぐ。


「ぁむ…ん…」

「ト、トウヤさん!私も!」


 一拍遅れたセレーネが慌てて柊也に擦り寄り、胸元に手を伸ばしながら声を上げる。


「私も、あなたを愛してます!あなたの、神との対話に私もお供させて下さい!あなたに私の一生を捧げる事を誓います、マイ・マスター!」


 テントの中で始まった騒動に、隅に追いやられたちゃぶ台が振動し、繰り返しガタついた音を立てていた。




 ***


『マスター。私は一旦、失礼した方がよろしいでしょうか?』

「…あ?…あ、いや、ちょっと待ってくれ、シルフ」


 暫くしてシルフの問いかけを受けた柊也は、慌ててシルフを呼び止める。柊也は座椅子に胡坐をかいたまま、シモンと膝を突き合わせていた。シモンは、バスタオルを剥ぎ取られたセレーネの両の膝裏に腕を通し、柊也に向けて抱え上げている。


「だ、だから、トウヤさんもシモンさんも、何で私ばっかり…!」

『念のため、今までの行動を録画しておきましたが、如何しましょうか?マスター』

「え!?ちょっと待って!」

「破棄してくれ、シルフ」

『畏まりました』


 柊也の言葉を聞いたセレーネが、安堵のあまり腰砕けになる。上空を舞うシルフに、柊也が声をかけた。


「俺はエミリアの許に向かう事にした。シルフ、エミリアまで誘導する事はできるか?」

『はい、マスター。可能です。管理者が管轄地の外から命令できるよう、ガイド・コンソールは管轄地の外でも活動できます』

「そうか。それじゃあシルフ、誘導を頼む」

『畏まりました、マスター』


 シルフは一礼すると、柊也に一言付け加えた。


『なお、システム・エミリアに赴くにあたり、マスターに一つ注意喚起がございます』

「何だ?」




『システム・エミリアは現在、セーフ・モードとなっており、エミリアの管轄地では全てのサービスが利用できません。そのため、異言語間の自動翻訳機能も停止しております』

「…え?」

『エミリアの管轄地では、異言語との会話が成立いたしません。その旨、ご注意下さい』

第7章、完結です。此処までお読みいただき、ありがとうございました。

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