120:ナイトストーカー
「セレーネ!」
慌てて頭を起こす柊也の目の前で、気を失ったままのセレーネが建物の中へと消える。周囲を見渡しながら、シモンが警戒の声を上げた。
「トウヤ!ハヌマーンが来る!」
「畜生!」
辺りを見渡すと、周囲の森の草木がざわめき、四方から何かが向かって来ているのがわかる。歯ぎしりをする柊也に、シルフの声が聞こえた。
『シュウヤ様、先ほどの個体は、通称“ナイトストーカー”。サーリアの管轄地で唯一素質が使える変異体です。素質名は“幻影”。光学迷彩の展開能力です』
「そんな事はどうでもいい!」
シルフの説明に柊也は怒鳴り返し、シルフを睨み付ける。
「シルフ!命令だ!セレーネの居場所を特定し、俺とシモンを誘導しろ!いいか!?俺だけではなく、シモンにも展開するんだ!これは命令だ!」
『畏まりました、シュウヤ様。個体名セレーネの居場所を特定し、シュウヤ様と個体名シモン・ルクレールを誘導します』
シルフは復唱すると、その身を2つに分け、建物の前に佇む。柊也はシモンへと向き、口を開く。
「シモン、俺が殿になる。先に行き、セレーネを救い出すんだ」
「そんな!?トウヤ!君も私が一緒に連れて行く!」
柊也の突然の宣告に、シモンは泣きそうな顔で抗った。しかし柊也は首を振り、シモンを説得する。
「俺の足では間に合わない。お前に抱きかかえられていたら、待ち伏せに対応できない。お前しか、間に合わないんだ。急げ、シモン。お前の姉を救い出すんだ」
「…わかった、トウヤ。セレーネは、私が必ず助ける。だから、君も無事に来てくれ」
シモンは唇を噛みながら柊也に答えると、顔を寄せて一瞬だけ唇を重ねる。そして、カービンを掴むと、脇目も振らず入口へと飛び込んで行く。
柊也も続けて入口へと飛び込むと、後ろを向き、カービンを撃ち放して追い縋るハヌマーンを鏖殺する。
「糞がぁ!てめぇらは、一人も通さん!」
***
シモンはシルフの先導に従い、無機質な通路を駆け抜けた。シモンは焦燥に駆られながらも、狼に恥じないほど俊敏に、静かに直線を走り抜ける。途中、枝道からハヌマーンが現れてもシモンは速度を落とさず、カービンを構えて蜂の巣にすると、崩れ落ちるのを待ち切れずに蹴り倒し、先へと急いだ。
突然、曲がり角からハヌマーンが飛び出し、シモンめがけて棍棒を振り下ろしてくる。シモンは速度を上げて棍棒の下を紙一重で潜り抜けると、すれ違いざまに逆手に持ったカービンでハヌマーンを殴り倒し、その喉元を踏み抜いた。カービンがひしゃげ、やがて時間切れにより消失する。しかし、シモンは止まらない。
「お姉ちゃん…!」
彼女は無手のまま、ただひたすらシルフの先導に従い、走り続けた。
***
彼は広間に辿り着くと「幻影」を解除し、肩に担いでいたエルフの娘を床に下ろす。そこは、直径30m程の円形の広間で、周りにいくつかの段差があるものの、中央には何も存在せず、ただ空間が広がっていた。上を見上げると、壁に沿って円筒状の塔が伸び、その先には空が広がっている。空は鮮やかな蒼色に晴れ上がり、穏やかな風が吹いていた。
彼は、栄えある日をこの様な快晴の下で迎えられた事に満足し、足元を見る。未だ目を覚まさないエルフを見て一つ頷くと、壁際に歩み寄って、手製の刃物を掴んで戻ってきた。
そして、エルフを仰向けにして正面の壁に頭を向けさせると、エルフの襟元に刃物を添え、一気に手前へと引き下ろす。布が断末魔を上げ、エルフの身を包んでいた衣服が、股下まで引き裂かれた。彼はそのまま衣服を掴み、両側に引き裂いて、エルフの身を剥いていく。
やがて、皮を剥かれたカエルの様に衣服を周囲に広げたエルフを、彼は静かに眺める。エルフの控えめな双丘や、染み一つない白く細い腰、全てが露になった姿をじっと眺める。その姿は、太く長い、豊かな毛皮が美しいとされる彼らにとっては、ナメクジの様に気持ち悪いだけだった。
彼はエルフから5歩ほど後ろに下がると、正面の壁に向かい、奉納の舞を踊り始める。彼は先祖からの教えに従い太く逞しい手足を大きく動かし、ガリエル様とサーリア様への感謝と二人の幸せを願い、優雅に舞を踊る。
ゆっくりと時間をかけて舞を終えた彼は、幾分激しくなった息をつきながら脇に置いた刃物を手に取り、エルフに馬乗りになる。そして、あまりの感動に震えながらも、刃物を持った手を振り上げ、―――
――― 手の甲を投げナイフによって貫かれ、刃物を取り落とした。
「ガアアアアアアアアアアアア!」
痛みに顔を顰めながらも、彼は後ろを振り向き、両腕を交差して身を守る。直後、両の腕に衝撃が走り、彼はエルフの上から吹き飛ばされた。痛みに構わず急いで身を起こす彼に向かって、獣人が襲いかかってくる。
獣人は、恐るべき敵だった。獣人は、彼より頭一つ小さいにも関わらず、その小柄な体から繰り出す一撃は重く鋭く、彼はたたらを踏んだ。彼は一族の中でも一番の戦巧者であったが、それでも獣人の繰り出す攻撃から、急所を守るのが精いっぱいだった。
次第に防戦一方となり、彼は焦る一方だったが、運が彼に味方する。獣人の背後から部屋に入ってきた二人の仲間に気づいた彼は、挟撃を指示ずる。
「&%□□#! ++〇□□& $**△#!」
「%%〇 #$!」
「%%〇 #$!」
背後からの声に気づいた獣人は、彼を蹴り飛ばすと後ろを振り向き、二人の仲間に立ち向かう。恐るべき事に、獣人は突然現れた援軍にも怯む事無く、仲間の一人が躍りかかったのを紙一重で躱すと、足を引っかけ転倒させ、その足を振り回して後続の仲間を蹴り倒す。そして床に倒れ込んだ二人に駆け寄ると、次々に首元を踏み抜き、絶命させていった。
しかし、彼はその貴重な時間を無駄にしなかった。体勢を立て直した彼は「幻影」を発動させると、獣人の背後へと回る。そして、彼の姿を見失って焦りの顔を浮かべる獣人に向けて、自慢の巨腕を振り回した。
「ああ!」
彼の巨腕は獣人を捉え、獣人は壁際まで吹き飛ばされる。彼は間髪入れずに獣人へと駆け寄り、未だ横たわったままの獣人に馬乗りになった。獣人は脳震盪でも起こしたのか、先ほどと比べ物にならないほど動きが鈍い。この千載一遇を逃さず、彼は獣人に止めを刺そうと巨腕を振り上げ、
***
仰向けになり、霞がかったシモンの視野に、無数の赤い雨が映り込む。赤い雨は横殴りでシモンの目の前を右から左へと通り抜け、目の前に広がる「青空」がまるで壊れたテレビの様にちらつき、やがて「青空」に代わって現れた黒い巨像が風に吹かれて左右に揺れる。風に削られた巨像は瞬く間に風化し、頭部が崩れながら左側へと倒れ込んでいった。
赤い雨が何を意味するのか、シモンは判断がつかないまま、それでも重しのなくなった体を起こす。ぐらつく頭を抱え、ぼんやりとした視界の中に、泣きそうな顔をした「父」の顔が迫っていた。
「パパ…」
「大丈夫か?シモン…」
「父」はシモンに顔を寄せると、シモンの返事を待たずにその唇を塞ぐ。
「ぁん…」
シモンは赤い雨に顔を打たれたまま甘い声を上げ、舌を伸ばして「父」を求める。「父」はそれに一度だけ応えると顔を上げ、シモンの顔を軽く叩いた。
「シモン、しっかりしてくれ。まだハヌマーンが来る」
「%%□〇# 〇〇□$+△!」
「%%□〇# 〇〇□$+△!」
「あ…」
名残惜しそうな顔をしたシモンを置いて柊也は立ち上がると、広間の入口へと駆け寄り、カービンを撃ち放す。ハヌマーンの断末魔に混ざるように、柊也の怒鳴り声が聞こえて来る。
「シモン!セレーネの様子を見てくれ!……糞が!この糞野郎どもが!」
「う…」
柊也の罵声に体の芯を疼かせつつシモンは立ち上がり、ふらつきながらセレーネの許へと歩み寄る。そして、セレーネの脇に膝をつくと、セレーネの肩を抱き、頬を叩いた。
「セレーネ、セレーネ、大丈夫か?」
「…」
「…お姉ちゃん、しっかりして」
「…ん」
シモンの腕の中でセレーネが僅かに反応し、慎ましい双丘が穏やかに上下する。シモンは安堵の息をつき、セレーネを抱きしめた。
「…トウヤ、大丈夫だ。セレーネは無事だ」
「糞野郎がああああああああああああああああああああああああああ!」
「んああっ!」
柊也の罵りにシモンが身悶え、建物が振動する。柊也が放ったパンツァーファウスト3は、通路を駆けるハヌマーンを撒き込んだまま、突き当りの壁に突き刺さり、轟音と粉塵を撒き上げる。やがて粉塵が治まると、そこには瓦礫の山が通路を塞いでいた。