表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第7章 サーリア
121/299

119:満たされぬ想い

 暗い、月明かりだけが僅かに差し込むテントの中で、彼女は静かに身を起こし、周囲を見渡した。


 テントの中には彼女の他に二人の男女が横たわり、すでに深い眠りについている。彼女の右隣では男が背を向けて寝息を立てており、時折散発的にいびきをかき、男の真向かいに眠るエルフの娘が眉を顰めていた。


「…」


 彼女は男の背中を見つめたまま、しなやかな指を口に運び、口の中から顔を覗かせている舌に恐る恐る触れてみた。その舌は艶めかしいほどに水に塗れて月明かりの下で輝いており、自らの指が触れただけでも過敏に反応し、悦びを露わにする。1年以上に渡って繰り返された儀式によって、今や第二の心臓に作り替えられてしまった舌は大きく拍動し、2つの心臓によって押し流された血が、彼女の体を灼いていた。彼女は高鳴る鼓動を抑えきれず、熱に誘われるままに切なげな視線を向けるが、男は彼女の想いを無視するかのように背を向けたまま沈黙し、熟睡している。


「…いつになったら、あなたは、私を…」


 いつまでも脈を打つ舌を艶やかな唇に感じながら、彼女は悔しさと悲しみに顔を歪め、小さく呟く。彼女の声は「父」に届かず、彼女は淡い光の下で膝を抱えたまま、暫くの間、「父」の背中を見つめていた。




 ***


「どうだ?シモン」


 上部ハッチから顔を覗かせ周囲を見渡すシモンに対し、柊也が声をかける。


「…攻撃してくる様子は見られないが、周囲にいるな。50頭は、いそうだ」


 シモンはハッチから顔を出したまま形良い鼻を動かし、眉間に皴を寄せながら柊也に答える。獣人の発達した視覚をもってしてもハヌマーンの姿を捉える事はできなかったが、彼女の鋭敏な嗅覚は、森に隠れるハヌマーンの体臭をしっかりと捉えていた。




 この日、ついに柊也達は、サーリアのメインシステムのある建物に到着した。


 建物は、大草原の合議場の社とは比べ物にならないほど大きく、緩やかな傾斜を持つその外観と合わせて、まるで東京ドームの様な雰囲気を漂わせていた。建物は鬱蒼とした森に囲まれており、建物の入り口に向けて1本の道の様に草原が伸び、柊也達が乗るボクサーは、その草原で佇み様子を窺っている。


「シルフ、周囲の状況を教えてくれ」

『はい、シュウヤ様。現在地から半径500mの範囲に、概算65頭±4頭のハヌマーンを確認しています』

「どうする?トウヤ」

「…」


 シモンの目の前で、柊也は顎に手を当てて考え込む。敵陣の真ん中でボクサーから降りるのは得策ではないが、視界の利かない森に進入して全て斃すのも非現実的だ。しかもハヌマーンは、今のところ襲ってくる様子が見られない。気づいていないとは思えないが、これでは睨み合いで時間だけが過ぎてしまう。


 やがて、気持ちの整理をつけた柊也が顔を上げ、操縦席に座るセレーネへと顔を向ける。


「セレーネ、反転してバックで入口につけてくれ」

「わかりました、トウヤさん」


 セレーネが操縦するボクサーは旋回し、建物の入り口に後部ハッチを向ける。柊也は車内でカービンを取り出し、シモンとセレーネに手渡した。


「一旦、入口の様子を見よう。入口にロック機能があれば、中から封鎖してハヌマーンの侵入を食い止められるからな」

「わかった、トウヤ」

「わかりました」


 やがて、ボクサーの後部ハッチが開き、柊也がカービンを構える中、最初にシモンが地面に降り立つ。シモンは左右を注意深く見渡し、ハヌマーンの姿が見えない事を確認すると、車内に向かって合図を送った。シモンの合図を見たセレーネが降り、最後に柊也がボクサーから降りる。


「…」


 入口の前まで来た柊也は、目の前にそびえ立つ建物を見上げ、しばし呆然とする。建物は長い間そこに建っていた事を窺わせ、汚れ、一面に蔦が張り付き腐食が進んでいたが、明らかに中原世界とは異なる、遥かに進んだ様式で造られていた。この世界で一般的な木造や石造りではなく、コンクリートの様な材質で覆われ、一部は金属も使われている。入口は開け放たれているが、扉は開き戸や引き戸ではなく、シャッターを連想する落とし戸の様だった。


「シャッターか…。セレーネ、その辺に扉を開閉できるようなボタンはないか?」

「え?あ、はい、探してみますね」


 柊也は開け放たれた入口の奥の様子を窺いながら、先行するセレーネに扉を探ってもらう。シモンが周囲を警戒する中、セレーネが扉へと進んでいった。




 ***


 その日、彼は、生まれて初めて見る異様な生き物の動きを注意深く観察していた。その生き物は、自分達の何倍も大きく、ずんぐりとした形状をしており、その表面は硬い殻で覆われていた。そしてその生き物は、その大きさで手足がないのにも関わらず、高速で彼らの縄張りをまるで蛇のように這い進んでいた。彼は、未だ自分では目にした事のない、一族に伝わるロックドラゴンの話を思い出す。


 ここは彼らにとって聖地であり、何人たりとも侵入させるつもりはなかったが、相手がロックドラゴンであれば、手を出すのは得策ではない。彼はそう判断し、一族の者に手出ししないよう厳命し、ロックドラゴンがこの地を通り過ぎるのを待つ事にした。


 やがて、ロックドラゴンは彼らの聖なる建物の前に辿り着くと、そこで方向転換をした後、動きを止める。よりにもよって、そこで昼寝か!礼拝の時間が差し迫っている中で起きたアクシデントに、彼は音を立てずに歯ぎしりをするが、そんな彼の前で驚くべき事が起きる。


 突然、ロックドラゴンのお尻から、彼らとは異なる種族の者が出てきたのだ。その者達は、彼らと同じように2本足で歩き回る。その者達は彼らとは異なり、全身が毛で覆われておらず、カエルのような肌を曝け出していた。彼らと異なる種族の者は、全員で3人。そのうちの一人を見た彼は、体の中に雷が落ちるほどの衝撃を受ける。


 ――― エルフだ!


 あの、卑屈で狡猾な、嫉妬深いエルフだ!ガリエル様とサーリア様が仲睦まじく暮らしていたのを妬み、仲を引き裂こうとしてサーリア様を害したエルフだ!そして、自分が仕出かした事を恥もせず、エミリアに嘘をついてサーリア様の姉妹を引き裂いたエルフだ!ガリエル様とサーリア様の許で幸せに暮らす我々を絶望へと突き落とし、永遠の戦いに引き摺りこんだ張本人だ!


 そして、――― 奴の心臓さえ手に入れば、再びあの幸せが戻ってくる!


 ついに自分の代で永遠の戦いに終止符が打てる事を知った彼は、歓喜に打ち震える。そして、湧き立つ衝動を必死に抑えながら、静かに行動を開始した。




 ***


『シュウヤ様、9時方向より敵勢力接近。接敵まで5秒』

「何ぃ!?」


 突然の警報に、柊也は慌てて左方向を向く。しかし、そこには何もいない。ただ、「森」が迫ってきている。


「トウヤ!」


 右方向にいたシモンが柊也の前に躍り出て、腕を交差して身を守る。そのシモンに対し、「森」は強烈な一撃を見舞わせ、シモンは柊也もろとも、後ろへと吹き飛ばされた。


「ぐぅぅぅ!」

「うわぁ!」

「トウヤさん!?」


 騒ぎを聞きつけたセレーネが後ろを振り向くと、そこには折り重なるようにして仰向けに倒れる二人。そして、自分に向かって「ボクサー」が迫り来る。


「あぐぅ!?」

「セレーネ!」


 突然、セレーネは腹部に衝撃を受け、そのまま気を失う。「森」は、倒れ込むセレーネを肩に担ぎ上げると、慌てて起き上がるシモンを尻目に、雄叫びを上げた。


「□##△$$\ +&$□□〇 \□&&!!」

「%%〇 #$!」

「%%〇 #$!」


 周囲の森から湧き上がる、多数の雄叫び。その中で、「森」はセレーネを担いだまま、建物の中へと駆け込んで行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ