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失われた右腕と希望の先に  作者: 瑪瑙 鼎
第6章 束の間の平穏
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109:感謝祭

「ミカ、準備はどう?もう二人とも来ているわよ」


 入口から顔を覗かせたレティシアに対し、美香は後ろを振り向きながら返事をする。


「もうちょっと待って。今腰紐を結わえているところだから」


 美香は再び下を向き、腹部で幾重にも交差している紐の結わえを再開する。部屋に入っていたレティシアが櫛を持ち、美香の髪を取って梳き始めた。


「あ、ありがとう」

「礼はいいから、早く準備なさい」

「あ、うん」


 そうしている間にも、レティシアはリボンを取り、美香の髪に巧みに編み込んで結わえていく。外は青空が広がり、涼しい風に乗って、陽気な歌声と楽器の音が流れてくる。


 美香にとって二度目の感謝祭は、2日目を迎えていた。




「お待たせしました!遅くなってごめんなさい」

「ちょっと待ってよ、ミカ」


 民族衣装に身を包んだ美香とレティシアが、淑女らしからぬ勢いで館から駆け出して行く。それを大柄な男女二人が出迎えた。


「急がなくていいよ、ミカ。怪我するだけだからね」


 オズワルドとゲルダは、軽装とは言え革鎧に身を包み、二人を迎え入れた。名目上は、二人の護衛という立場のためである。もっともゲルダの場合は、獣人という事もあって、感謝祭で特別な衣装を着るという風習がない。


「オズワルドさん、ゲルダさん、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

「おめでとう、ミカ」

「ああ、おめでとう」


 美香は二人の前に立つと、深々と頭を下げ、新年の挨拶をする。それに対し、二人も親し気に挨拶を返した。実のところ、三人は前日にも挨拶を交わしていたが、フリッツへの挨拶という公的な場だったので、儀礼的な雰囲気の中で行われたのだ。それを嫌った美香が、仕切り直ししたわけである。ちなみにレティシアは主君の娘という立場が何処までも付いて来るので、美香の様にはならない。


 頭を上げた美香の衣装を見て、ゲルダが感嘆の声を上げる。


「ミカ、似合っているじゃないか。ちょっとそこで回ってくれる?」

「あ、はい」


 ゲルダの求めに応じ、美香が一回転する。スカートと前掛けが浮き上がり、綺麗な円を描いた。


 目の前で鮮やかに花開いた姿を見て、ゲルダは目を細め、舌なめずりをしながら賞賛する。


「思った通りだ、とても素敵だよ。これを見たら、男どもが放っておかないだろうよ」


 ゲルダに賞賛された美香は、しかし、口を窄めながら文句を言う。


「そう評されるのは嬉しいんですけど、その舌なめずり、どうにかなりません?」

「仕方ないだろ、虎なんだから」

「え!?そういう理由だったの!?」


 二人の会話を聞きながら、レティシアがオズワルドに顔を寄せ、小声で話しかけた。


「オズワルド、あなたも何か言ってあげなさいよ。ゲルダの方が、よっぽど男前じゃない。ゲルダに取られても知らないわよ?」

「…」


 レティシアに窘められたオズワルドは、仏頂面で黙り込む。オズワルドも賞賛したいのはやまやまなのだが、ゲルダに機先を制され、台詞を全部持って行かれてしまっていた。


 やがてゲルダの許から離れた美香がオズワルドの前に立ち、下から見上げる様にして声をかける。


「…オズワルドさんは、何も言ってくれないんですか?」


 美香にまじまじと見つめられたオズワルドは、慌てて言い繕う。


「い、いや、そういうわけではなくて。似合っているよ、ミカ。とても素敵だ」

「全部ゲルダさんと同じなんですけど…」


 美香に駄目出しされ、オズワルドはあわや万事休すとなるところだったが…、


「…付けてきてくれたんだな。思った通りだ。とても君に似合っているよ」

「あ…」


 深い切れ込みのある襟元で輝く、赤いルビーのネックレスに気づくと、手を伸ばし、ネックレスを掬いあげながら微笑んだ。


 一瞬オズワルドの手を胸元に感じ、美香の顔が赤くなるが、オズワルドは気づかず、彼にしては珍しい柔和な笑みを浮かべる。それを見た美香は、オズワルドの顔を見上げたまま、さらに顔を赤くした。


「レティシア様、アンタ、忘れられてないかい?」

「…まぁ、良いんだけどね。私も、ミカの方が大事だしぃ」


 そう言って、腰に手を当て息巻くレティシアの胸元には、サファイアのネックレスが輝いていた。




 ***


 街には多くの人が溢れ、歌と踊りと喧騒に包まれていた。


 感謝祭は、足掛け5日間続く。3日目を過ぎると流石に騒ぎ疲れて落ち着きを取り戻すのだが、まだ2日目の今日は、夜通し騒いで酔い潰れた一部を除けば、盛況のさなかにあった。


 酒場ではひっきりなしに酒が振る舞われ、中央市場にはこの日のための屋台が軒を連ね、食べ物や飲み物、祝い物を売っている。少し開けた所があれば、そこでは奏者が座って楽器をかき鳴らし、その楽曲に乗って人々がワルツを踊っていた。


「凄い人出…うわっぷ!」

「ミカ、大丈夫?」


 きょろきょろと辺りを見渡していた美香が、人混みにもまれる。去年、感謝祭に繰り出した時は3日目だった事もあって、人混みはそれほどでもなかったのだが、どうやら感謝祭を甘く見ていたようだ。


 人々の流れに引っ張られ、危うく皆からはぐれそうになる美香だったが、オズワルドが手を伸ばし、美香の手を掴んで引き寄せる。


「ミカ、大丈夫か?はぐれるとまずいから、こっちに来い」

「あ、うん」


 オズワルドが美香を庇うように、腰に手を回して自分の体に引き寄せる。美香はオズワルドにされるがまま身を摺り寄せると、腕を上げてオズワルドの服を摘まみ、引き寄せた。


「何か、凄い人ですね。いつもこんな感じなんですか?」


 美香がオズワルドを見上げ、問いかける。オズワルドは周囲を見ながら、言葉を返した。


「まあ、初日と2日目はこんな感じだな。元の世界では、こういう事はなかったのか?」

「似たような事はありましたね。神社…こちらで言えば、ロザリア様の神殿には、長い行列ができていましたから」

「そうか。ヴェルツブルグの本殿であれば、似たような事になっているだろうな」


 そう答えたオズワルドは、周囲を見渡し、独り言ちる。


「しかし、そうとは言え、混み過ぎだな…、ゲルダ!街壁に向かう!ついて来てくれ!」

「あいよ!…レティシア様、しっかり摑まってくれよ」




 途中、様々な飲食物を買い込んだ四人は、喧騒を離れ、街の北西側の街壁を登っていた。


「あ…、オズワルド隊長とゲルダ隊長?」


 見張りをしていた兵士が、階段を上ってくる四人を見て驚く。それに対し、オズワルドは甘味を差し出しながら、声をかけた。


「見張りご苦労。感謝祭まで頑張ってもらって、すまんな。差し入れだ。皆で分けてくれ」

「あ、ありがとうございます」

「少し場所を借りるぞ。何だったら皆で喰ってこい。その間、代わりに見ているから」

「え、いいんですか?」

「こっちが邪魔しているからな。気にするな」

「それじゃ、お言葉に甘えて。行ってきます」

「ああ」


 兵士はオズワルドと言葉を交わすと、階段を降りていく。途中、美香とレティシアと視線が交差するが、末端の兵士である彼は、相手が何者か気づかなかった。お忍びなので、レティシアも何も言わない。


 兵士が見えなくなると、ゲルダは美香とレティシアを張り出した石棚に座るよう促し、石畳に胡坐をかいて買い込んだ飲食物を並べ始める。牛や豚の焼串、肉や野菜を詰めて油で揚げたパン、薄焼きパンで包んだ腸詰、塩茹したジャガイモとバター、チーズと木の実と果物、紅茶と幾ばくかのお酒。感謝祭等で定番の、屋台の食べ物を並べると、ゲルダは各人に飲み物を配り、早速焼串にかぶりつく。オズワルドはそれを傍らで見ながら、街壁にもたれかけ、美香に声をかける。


「ミカ、こっちに来てごらん」

「あ、はい」


 美香は腰を上げると、飲み物と食べ物を盛った皿を持ち、オズワルドの脇へと並ぶ。そして、オズワルドに促されるまま、前を向いた美香は、感嘆の声を上げた。


「うわぁ…」


 眼下に、ガリエルとの緩衝地帯にあたる、雄大な草原が広がっていた。視線を先に向けると、地平に鬱蒼とした森が生い茂り、遠くには雄大な山々が鮮やかな稜線を描いている。少し左右に目を向けると、ハーデンブルグの代表的な景観でもある高い岩柱が、まるで天空を支える柱のようにそびえ立ち、その麓に苔の様に木々が群がっている。それはまるで、天空のパルテノンから神々が地上を睥睨するかのような錯覚を覚えさせた。


 後ろを見れば、ハーデンブルグの家々が整然と並び、点在する広場では多くの人々が踊り回っている。街壁の上から見るそれは人形の様にコミカルで、流れてくる楽曲と相まって、まるで機械仕掛けのオルゴールを思い出させた。オズワルドが、美香の持ってきた焼串に手を伸ばし、口に入れる。


「実際に見張りをやった者にしかわからない、絶景だよ。特に感謝祭の時は、後背の喧騒と両方を楽しめる」

「本当ですね…、オズワルドさんも見張りやった事あるの?」

「勿論。10年以上前の、入団したばかりの頃だがな」


 美香は、薄焼きパンで包んだ腸詰を頬張りながら、目の前に広がる緑を眺める。腸詰は未だ熱を保ち、口の中に塩気を含んだ肉汁が広がる。


「…ん」


 一陣の風が吹き、美香が肩を窄める。それを見たオズワルドは、自らの外套を被せる様に美香の肩に手を伸ばすと、そのまま自分の体に引き寄せた。美香はオズワルドの行動に身を任せ、オズワルドの外套に包まれた。




 街壁にもたれ掛かったまま外を見る二人の背中を、レティシアは石棚に座って眺めていた。ジャガイモを口に放り込みながら、ゲルダが小声で話しかける。


「いいのかい?レティシア様。あの二人がくっついても」

「…ええ、それは構わないわよ」


 ゲルダに顔を向けたレティシアは、穏やかな笑みを浮かべていた。


「私は、ミカに幸せになってほしいの。ミカの幸せが、特定の男性と添い遂げる事にあるのならば、私はそれを阻むつもりはないわ。私は、彼女の傍らで、彼女と世界を共有できれば十分。私もオズワルドは嫌いじゃないしね」


 そう言葉を紡いだレティシアは、美香へと視線を戻す。後に続く言葉は声にはならず、ゲルダの耳には届かない。




 ――― ただ、願わくば、オズワルドと同じくらい、私も見て欲しい。




 そう思うレティシアの前で美香が振り返り、レティシアに声をかけた。


「レティシア、おいでよ。凄い綺麗な風景だよ」

「…うん、うん!」


 レティシアが立ち上がり、美香の許へと駆け寄る。美香は自らの肩にかかるオズワルドの腕を持ち上げると、レティシアを招き入れ、腕を絡めた。


「あったかぁい」

「うん、暖かいね。それに凄く綺麗でしょ」

「本当だ…、凄ぉい…」


 オズワルドの外套の下で二人は身を寄せ合い、雄大な緑を眺める。一陣の風に流される様にレティシアが目を閉じ、美香に頬ずりをする。美香もレティシアに頬ずりを返し、二人はコタツの中の子猫の様にじゃれ合った。そんな二人を見たオズワルドは、穏やかな笑みを浮かべ、外套で二人を暖かく包み込む。


 この世界で最も心を許す二人に挟まれ、無邪気に笑いながら、美香はふと思った。先輩、元気かな。先輩も私と同じように、好きになった誰かと一緒に、感謝祭を楽しんでいるかな。すでに1年半も連絡の取れない柊也を思いながら、美香は二人に笑顔を振り撒く。


 ゲルダが三人の背中を楽しそうに見やりながら屋台の食事を独占する中、三人は街壁にもたれ掛かったまま、いつまでも肩を寄せ合っていた。

第6章、完結です。此処までお読みいただき、ありがとうございました。

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