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4話:太陽熱人気終焉と太陽光発電の夜明け

 そして1987年に「私をスキーに連れてって」原田知世・主演の映画の大ヒットでスーキーが大ブームとなりスキー場の近くに多くのリゾート・マンションが首都圏から近いとこから順に急増した。そこでの暖房費の節減のために加藤工業の実績が多かったソーラ暖房が選ばれ、マンションブームに乗って1990年には売上が倍増し、売上の最大の功労者として山倉光男が社長に就任した。実際には、佐藤工務店と加藤機械の内部抗争と社長が90歳で、その長男が70歳近く、実務、営業経験もなく、ただ経理をみているだけの無能上役で社員からの信頼も薄く、お互いの悪口を言って主導権争いをしていたため、株式会社にした後、大株主から信頼が薄く、部長どまりだった。


 その点で業績に貢献した山倉光男の業績が評価され株主総会で、すんなりと山倉光男40歳が社長になったという裏事情があった。山倉も自分が大病したので決して無理せず、自分の仕事を代行できる優秀な部下を4人作り、よほどの大きな商談以外は顔を出さずにいた。日本では1993年から系統連系技術ガイドライン策定され、太陽光発電装置を屋根などに設置している家庭は太陽光のある昼間の電力を全て太陽光発電でまかえる様にする計画が始まった。しかも、ほとんどの家庭において昼間の太陽光発電量は需要を上回っており余剰電力が発生する。電力は石油などの燃料と違って貯蔵しておくことが出来ない。できてもバッテリーなどの蓄電池を利用する方法はあるが大変なコストを伴う。


 余剰電力は利用されずに捨ててしまう事になります。一方、太陽光発電は太陽光のない夜間は発電できないため夜間の電力需要は電力会社からの電力供給に頼る。昼間は余った電力を捨てている一方で、夜間は電力を購入するというのは一見しただけでも不経済。太陽光発電導入のメリットとして電気料金の節約を期待している人が多い以上、これではメリットの大部分が失われてしまう。そこで考案されたのが系統連系です。系統連系とは昼間に太陽光で発電された余剰電力を電力会社が買い取ることを指す。つまり自宅が太陽光発電所となり電力が余っている時は電力会社に供給する側に回り反対に電力が足りない場合は供給を受けるという双方向の供給システム。


 これにより昼間の余剰電力を売電し夜間に使用した電気料金に充当することが出来る。つまり太陽光発電の設置コストをより早く回収できた。その後1994年からの新エネルギー導入大綱サンシャイン計画、そしてニューサンシャイン計画は当時の通産省が策定して推進してきた。通産省という一省庁の取り組みではなく国全体としてエネルギー問題に対してどう取り組むかという指針づくりが必要であるという意見が多く出され1994年12月に「新エネルギー導入大綱」として総合エネルギー対策推進閣僚会議で決定された。


 各省庁がそれぞれの管轄範囲で新エネルギー対策を進めるのは、いわゆる各論です。国レベルで何を目的としてどの方向に進むのかという総論は、この新エネルギー導入大綱が初めてのものだった。この大綱により日本は太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギー、廃棄物発電などのリサイクル型エネルギー、そしてクリーンエネルギー自動車や天然ガスコージェネレーションといった、従来型エネルギーの新利用形態を積極的に導入するべきであるという国の方向性が示された。この大綱により「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法」の制定や規制緩和、利用促進のための金融的支援などが具体的に開始された。しかしスキーブームとリゾートマンション建設も1995年から潮が引くように急激に去り、それに伴い加藤工業の新規の仕事が減った。その時に山倉光男は、この仕事は新規開拓でなく既存設備のメンテナンス事業を重点にする事を提案し、他社が施工した太陽熱温水器、ソーラー設備のメンテナンスも引き受け、他社製品から切り替えていく作戦をとった。そのために修繕費用を安くして、その後のメンテナンスの料金で儲けようと考えた。


 これがあたりスキーブーム、リゾートマンションブーム崩壊後、鉄くずになり老朽化してきた設備のメンテナンスを次々と加藤工業が請け負って市場占有率を上げた。太陽熱の終焉と太陽光発電の夜明けしかし、太陽熱温水器は1979年に日本で44万台売り上げ、翌年1980年に過去最高の80万台をピークに1981年、51万台、1982年、43万台、1983年41万台、1984年37万台を最後に、減少し続け、1998年には7万台と完全に熱は冷めたと言わざるを得なくなった。その頃、太陽光発電という新技術が脚光を浴びても膨大な費用がかかり、とても採算が合う状態になかった。しかし新しもの好きの都会の富裕層にこの技術の評判が良く太陽光発電装置をつける人が増え始めた。その肝は個人のお宅訪問の時には自然を愛している良い人、先進技術を導入してるという優越心、この地区で最初という虚栄心、この3つでセールスするように繰り返し商談、説明会の練習をさせた。実力のあるセールスには大都市圏の大企業に環境に配慮している未来指向の企業だとアピールできる点を強調して、飛び込みセールスをさせ、加藤機械としては新聞広告に個人、企業向けに頻繁に宣伝を繰り返した。


 個人向けは首都圏、大阪、神戸、京都、福岡、札幌、仙台、新潟、広島と富裕層の集まる地域を重点的に絞り込んで営業を展開した。まず旧財閥系の商社、自動車会社、系列の会社に太陽光発電システムを導入させライバルの企業を攻める作戦で、次々と企業の大きなビルに太陽光発電システムを採用させ、次にデパート、大型スーパーに太陽光発電システムを導入させた。この結果、大企業の太陽光発電の方が勢いよく増えていき徐々に個人のお客さんが増えてきた。1995年に太陽光発電1kwh当たりの装置のコストが1998年には60パーセントまで下がり1kwh当たり74円に発電装置の価格も約半分になり1kwh当たり100円となった。


 そう言う訳で1998年から太陽光発電が徐々に増えてきて2000年頃から太陽光発電の補助金制度が始まった。2000年から急速に補助金の影響で設置に弾みがついてきた。そして、一時、下がっていて売上、利益が2000年には過去最高となった。京都議定書とは第3回の気候変動枠組条約締結国会議「COP3」が京都で開催された時に会議が開かれて採択されたため、京都議定書と呼ばれる。この会議はその後も開催が継続されているが京都会議において重要な決定がなされたため1997年に採択された議定書が現在でもニュースに使われる。その決定事項とは、地球温暖化の大きな原因とされている温室効果ガスの排出を削減する具体的な数値目標を設定し、実現に向けて条約締結国が努力する事。温室効果ガスはいくつかあるが、その中でも最も問題視されているのが二酸化炭素です。

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