勇者ちゃん、母になる。戦士くん、憤る。
活気で溢れている。と表現すればいいのだろうか。
最寄りの町へ狩った獲物の毛皮を売りに下りる事はあるが、辺境の町なのでそこまでの規模ではなく、レストの村に毛が生えたようなものだった。
そうした寂れたものと比較して、ノウスという都はまず人が多い。そして店も多い。似たような店舗が隣り合い、客を食い合うなど日常茶飯事。市場は人でごった返しており、広場に設置されたベンチは常に満員状態。
慣れない人混みに四苦八苦しながらアリサとライネにどうにか付いていき、一つの酒場へ辿り着く頃には消耗しきっていた。
「人が多くて頭痛くなってきた」
「慣れてください、これからは日常になるのですから」
ぐったりするレストを脇から支え、アリサはそう慰める。
そんな二人を尻目に、ライネは酒場の戸を開ける。
「マスター、いつものぉ」
「おう、ようやく戻ったか嬢ちゃん等。てっきり土へ還ったのかと思ったぞ」
慣れた様子で注文を承った禿頭の店主はにこやかに笑いかける。
昼間でもそれなりに客が居り、ちらほらと勇者パーティーを観察する者が幾人か。その中には明らかな怒気が込められた視線があった。
革鎧を着込み、壁には重量だけで人を潰せそうな大剣を立て掛けている。真っ黒な前髪から覗く赤い瞳は鋭く、視線だけで人を殺せそうな程だ。
――恐らく、あの人物が戦士くん。
レストはそう判断した。ので、挑発してみる事にした。
暫定戦士くんの視線は依然としてアリサへ向けられている。そこへ、軽い殺意を込めた視線を送ると見事に反応してきた。
ガッチリと合う視線。
挑発に付き合うように暫定戦士くんはニヤリと笑い、少しずつ殺意を高めてくる。
見た目通りの、相手を押し潰すような殺気。
そこへ、二人の視線を断ち切るようにアリサが剣を振った。途端、レストは汗を滝のように滲ませて膝を付き、暫定戦士くんはテーブルへ突っ伏した。
アリサは呆れたように声をかける。
「出会ってすぐ何をしているんですか、全く」
「きつい、重圧が半端ない」
「こっちのセリフだくそ野郎。なんだその心臓をひと突きしてくる殺気。暗殺者かこの野郎」
「残念がれ、狩人だ」
「暗殺者みてぇなもんじゃねぇか」
確かに、獲物を待ち伏せ、時には罠を使い、的確に追い詰めて狩りをする狩人はアサシンのようである。
「なら黒い服と覆面を用意せねば」
「レストさんも変に乗らない。デュース、貴方も煽らないでください」
めっ、と二人を叱りつけるアリサを見て何を思ったのか、ライネはおもむろに彼女へ抱き付いた。
「ねぇねぇお母さん、わたしお腹へったぁ」
「……ライネ、貴女もどういうおつもりで?」
「いや、なんかアリサちゃんが夫とやんちゃな息子を叱る母親に見えてしまいましてぇ。ここは乗るしかない! と」
「ほーう?」
アリサの拳がライネのこめかみに添えられた。
「何か言い残す事は?」
「もっと包容力が欲しいです!」
酒場に年若い少女の悲鳴が木霊した。
「おい、おいお前」
カウンターへ着き、出されたステーキを貪るレストの横へ暫定戦士くんがやって来る。
「あの勇者に何があったよ。あいつ、言っちゃなんだが感情を表に出すような人間じゃなかったぞ」
「……恋は、人を変える、という事なのかね」
無駄にしんみりと告げると、暫定戦士くんは胡乱な眼差しを向けてきた。
「恋ぃ? あの使命しか頭にないような人形姫がぁ? はっ! そりゃ傑作だな」
バカにするように笑い飛ばす暫定戦士くんに、レストは気になる単語を見つけ片眉をあげた。
「人形姫?」
「有名だぜ? 何事にも感情を揺り動かさない、鉄の仮面を被った人形のような勇者。顔だけはいいからよぉ。一部では人形姫なんて呼ばれてるんだぜ?」
グラスに注がれた赤い液体は酒なのか、暫定戦士くんはそれをぐいっと煽りながら饒舌に語って聞かせてくる。適当に相槌を打ちながら、レストはちらりとアリサを見つめた。そして、愉快だとでも言うように頬を弛める。
「成る程。そいつぁ、勿体無い事をしてるなぁ。くくくっ」
ああも彼女は可愛らしいのに、その事に気付けない野郎連中が気の毒で笑いが込み上げてくる。初で、純粋で、健気で、独占したくなる程に魅力的な彼女に気付けないとは、可笑しくて可笑しくて堪らない。
「まぁ勇者の話はいいんだよ。んで? お前狩人つってたよなぁ? 弓はどうした? 加護で形成すんのか?」
馴染みのない言葉に頭を傾げながら、魔力で剣を作る魔法の加護版だろうと解釈し、レストは首を振った。
「いんや、俺に加護はない。弓は限りがあるから、村に置いてきた。しばらくは素手だな」
瞬間、尋常ではない殺意を感じ取り、レストはステーキを切り分けていたナイフを片手に椅子から飛び退き、暫定戦士くんから距離を取った。先程まで彼の居た場所へ、大剣を振り下ろした構えのままレストを睨み付ける暫定戦士くんが居る。
店に気を使ったのか、大剣は寸止めされており、床も椅子も無事である。ただし、距離を取らなければレストの体は真っ二つになっていただろう。
「はっ! 鋭い殺気にそれだけの危機感知能力が有りながら加護のない雑魚かよ」
「デュースッ!」
二人の間へ割り込むようにしてアリサが鬼の形相でやって来る。突如豹変した彼女に驚いたのか、戦士くんは目を見開いた。しかし、それも一瞬。大剣を抜き身のまま背中へ吊るすと、彼は店の出口へと歩いていく。
「俺は実力ない雑魚は認めねぇ。パーティーへの加入は仕方ねぇから受け入れてやる。だが、戦いの場で俺の前に出たら容赦なく叩っ切ってやるッ」
そう吐き捨て、戦士くんは戸を壊さんばかりの勢いで開け放ち、酒場を辞していった。
ようやく戦士くんと合流、かと思いきや一悶着のようです。