フラれてその後
五月末の、梅雨に入る直前の暑さに身を晒し、さらに学校へ行く道がなかなか急な坂道ということもあって、杉原貫太の背中はじっとりと汗ばんでいた。そこに追い打ちをかけるかのような寝不足からくる頭痛もあり、貫太のテンションは地の底まで落ちる勢いであった。
「よう貫太、とうとう目の下のクマもデスノートのLみたいになってきたな!」
「おはよう輝人。俺がこんなにもブルーな気分だってのにお前はどうしてそんなに元気でいられるんだよ。」
お前のブルーに付き合ってられるか、と輝人は笑った。
貫太が高校三年生になってそろそろ二ヶ月が経つが、この菅原輝人とは一年生からクラスがずっと一緒で、出席番号がクラス替えをまたいでもなお前後になることから、なんだかんだの腐れ縁である。
「しかし貫太も一途だな。寝不足は柏木が学校に来なくなってからだろ?」
「お前のような勘のいいガキは嫌いだよ。」
「わかりやすいお前には勘を働かせるまでもねーよ。」
輝人は大きなため息をついて、呆れたように言う。
「貫太さー、そりゃ確かに柏木も心配だけどさ、フラれて三週間くらいだろ?そろそろ切り替えないと大変だぞ。」
「口で言うのは簡単なんだよ…。彼女とらぶらぶなお前にはわかるまい。」
「俺は心配していってんだよ。未だにお前の息子も元気がないんだろ?」
「EDのことは言うなよな。」
「しかし未だに信じられねーよ。あんなに仲のいいカップルだったってのに…。」
貫太だって未だに現実を受け入れているわけではない。貫太は同じクラスの柏木美波と付き合っていたのだが、三週間ほど前、突然美波から別れ話を告げられた。そのショックから貫太は未だに立ち直れず、EDにまでなってしまったのだ。
そしてさらに悪いことにその美波が一週間前から学科を休んでおり、美波への心配も上乗せされて貫太はここ数日眠れぬ夜を過ごしていた。
そうな会話をしながら教室に二人で入る。貫太は輝人にバレないようにチラッと美波の机に目をやるが、やはり登校したような様子はない。
(俺は柏木にフラれてたんだぞ?なのにあいつの事が心配で眠れないとか、ホント最近自分が嫌になるな…)
そう思って貫太がため息をつき席に座ったのと、担任の教師が教室のドアを開けたのはほぼ同時だった。
「よし、お前ら、朝のホームルームを始めるぞー」
その言葉を合図に、学級委員の号令で礼をして、再び席に着く。
この担任の中野秀樹は年齢がおそらく五十歳前後で、気のいいおじさんといった印象を受ける。しかし怒ると超怖いので、注意が必要だというのがクラスの共通認識である。
しかし、今日の中野はいつものように明るい調子ではなく、眉間にしわを深く刻んでいて、声もなんだか深刻な様子だ。
(これは久しぶりに、先生激おこのパターンか?)
「まずはお前らに話がある。学校を休んでいた柏木についてだ。実は柏木は一週間前に交通事故に巻き込まれて、昨日まで入院をしていたんだ」
その言葉にクラスのからどよめきが生まれる。そんな中、クラスの女子から不満の声が上がる。
「センセー、なんでその事、今まで言ってくれなかったんですか?ウチら心配してたんですよ。」
「それについてはこれから話す。その前に…。
柏木、入ってきてくれ。」
ドアが控えめにカラカラと開かれる。そしておずおずといった感じで柏木美波が教室に入ってきた。
「美少女転校生みたいな登場しやがって。調子乗るなよ…」
「またまたー。貫太くんったらーそうやってチャカしちゃってー。本当は姿見れて安心してるくせに。」
こいつはいちいちカンに触るやつだ、と輝人にジト目を送っていると、中野が口を開いて小声で美波に喋りかけていた。
「…どうだ?なにか思い出せそうか?」
「…いいえ。すみません、先生。」
「謝る事じゃないさ。」
( あの二人顔近すぎじゃね?あんにゃろう…)
っと今度は中野にジト目を送っていると、中野はクラスの方に向き直り、口を開いた。
「みんな、落ち着いて聞いてくれ。じつは柏木は事故の影響で記憶喪失になってしまった。みんなのことも覚えていないそうだ…。」
(…………へっ?)
エェーーッというクラス中の声を皮切りに、一気に教室が喧騒に満ちる。
美波はそんな様子に驚いたようで、今までずっと俯いていた顔をパッと上げた。
「ウソでしょ!?美波〜!」
「記憶喪失って本当にあるんだ!!」
「本当になにも覚えてないの!?」
そんな声に美波は怯えたように身を縮こまらせて、クラスの様子をみつめていた。
「おいおいマジかよ!……貫太?」
振り返った輝人は美波を見る貫太が小さく震えていることに気がついた。
「貫太?おい貫太!大丈夫か?」
「あぁ、ごめん。少し驚いた。」
「………。」
輝人の心配した様子に、貫太は少し笑って見せて、平静を取り戻そうとする。しかしなかなか胸の動機は収まらず、頭は真っ白なままただ呆然と美波を見ているしかなかった。
すると、おびえて、少し涙が光る美波の目とふとあってしまった。貫太は反射的に目をそらして下を向いたが、次の瞬間、
「カンちゃん!!」
という涙声が教室に響き、一気にそれまでの喧騒は消えていった。
静まりかえる中、美波は大粒の涙をポロポロとこぼして、
「カンちゃあぁぁん!!!」
と声を上げながら貫太の胸に飛び込んできた。




