処女と童貞はどうでもいい
婚前性交は駄目だという人はどうかしています。
SEXは夫婦間で大切な事です。
SEXレスは離婚理由として認められています。
結婚前に体の相性や、価値感を確かめる事はとても大切な事です。
では何故、結婚前にやったら駄目という考えになるのか?
それは、自惚れです。
自己中心です。
理想の自分を崩したくない。
ただこの一点のみ、です。
子供を作ったあと、もう、用無し。
そうでしょう?
つまり、道具ですか?
子供を作る為の道具ですか?
ひどいですね。
最低です。
利用して最低です。
お互いの望みを聞いておくべきです。
それを聞いたら、別れる事になるかもって?
遅かれ早かれです。
結局、最期は、悲劇か、事件か、離婚かです。
早めに欲を。
欲望を確認し合ってください。
目的は同じか確認してください。
では?
ふしだらと、何処が違うのか?
この言葉が聞こえました。
全然違います。
幸せというモノは一人一人違うと、良く言われます。
が。
私はそうは思いません。
幸せの形というモノはある程度は決まっています。
それは、経済力があって、孫や、ひ孫の幸せになる確率を上げてあげた上で、老衰で死ぬ事です。
確かに、これ意外にも沢山あるでしょう。
仕事や、趣味に没頭しながら、死ぬのが幸せな人もいるでしょう。
が。
世間一般の大勢の人達は、このような幸せの形を思っていると。
そう、あなたも分かっているでしょう?
ふしだらというのは、利用する事です。
しかも、何となく、分かっていながらです。
目的が違うと。
分かっていながら、利用する事をふしだらといいます。
しかし過去の恋が全て本気だったら?
その人は素晴らしい人です。
本気の相手に、何回も振られてきた人です。
心が傷だらけで、それでも、強く生きている人です。
そういう人は、真に学習出来ていれば、優しい人です。
処女や、童貞に価値はありません。
価値があるのは、生き様です。
人の魂です。
処女だから素晴らしいんですか?
童貞だから素晴らしいんですか?
断じて違います。
つまり。
本気の恋で、性病にも気をつけ、浮気もせず、その人と一緒に目的の所まで行こうと。
必死に頑張った。
けれど、駄目だった。
これならば何も恥じる事はありません。
けれど。
そんな人と、まだ出会えない。
目的を一緒に果たしてくれる人と出会えない。
これも恥じる事はありません。
恥じる事は、怖がる事です。
踏み出せない事です。
鳥の巣からいつまでも飛び立てず、渡っていけない渡り鳥です。
出会った。
そう思ったら。
検査をし、好きか確認し、信頼していいか、葛藤し、確信できたら、その人となら、失敗できるのなら、チャレンジする事です。
一緒に巣からは飛び立ってくれる人はいません。
一人で飛び降りるのです。
自己責任です。
運もあるでしょう。
しかし、利用してはいけません。
その結果、失敗だったとしても。
小鳥はもう死ぬしかありませんが、人間は違うでしょう?
何度でも、また木に登り、また飛び降りれます。
処女や、童貞の人達は、まだ巡り合っていないと、確信出来るのならば、それで良いのです。
しかし。
巡りあったのかも?と、思えるのなら。
注意深く、慎重に、飛び降りましょう。
この人となら、失敗しても・・。
そういう相手に出会ったのなら。
飛び降りましょう。
そして、その結果が良くなかったとしても。
恥じる事などないのです。
童貞や、処女にも、2種類いるという事です。
相手に出会ったにも関わらず、勇気が出なかった人。
勇気があっても、まだ、その時期ではないと確信出来る人です。
婚約までしている人がいるにも関わらず、SEXしない?
はああああ!????
お金、その他が関わっていないのに。
ただ、単に、自分の理想や、目的の為にそんな事を言っているのだとすれば。
それは、ただの、利用です。
以上。