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臆病鶯とストーンハンター

作者: えりんだむ

「羽なし!」

「根性なし!」

「弱虫!」

 聞き飽きた単語と同時に、受け慣れた暴力。毎日のようにこうして囲まれていると、いい加減なんとも思わなくなってくる。

 空はいつものように高く深くて、とても青い。森と草原の境のこの広場は、いつでも涼やかなそよ風が吹いている。僕のお気に入りの場所だ。

「腰抜け!」

「あんぽんたん!」

「オタンコナス!」

 早くも罵声の弾を切らした取り巻き二人と違って、スギナはまだまだ元気そうだ。瞳には歪んだ光が湛えられている。

「キィッ!」

「よせ、ヒタキ」

 鋭い声をあげてスギナに飛びつこうとするヒタキを止める。ガスガスと蹴られ続ける僕を見て、ヒタキは不満そうに羽をバサバサと動かした。

「いい加減にしろよ、スギナ。みっともないぜ、『大の大人』が寄ってたかって。そんなことがしたいんなら、その羽、毟り取っちまいなよ。『捧げられた』お前のハタオリがかわいそうだぜ」

「なにぃ!」

 顔を真っ赤にするスギナ。四角い顔も相まってマトルの実みたいだ。さっきまでは適当に入れていた蹴りを、思わず強める。その隙を見逃す僕ではない、くるりと寝そべったまま横に転がり足を避けると、そのまま立ち上がって、スギナたちに背を向けて歩き出す。もう付き合っていられない。これから少し昼寝をしようと思っていたところだ。

「いくぞ、ヒタキ」

 キィ! と元気よく鳴いて、ヒタキは僕の肩に飛び乗った。

「逃げるのか! ハル!」

 悔しそうなスギナの声が追ってくる。僕は構わず歩みを進める。しばらくはバカ! アホ! などと叫んでいたスギナだったが、それでも僕が振り返らないと分かると、ついに自爆作戦に出た。

「へっ! お前なんてアキロと同じように『卵返り』しちまえばいいんだ!」

 僕は歩みを止めた。肩の上ではヒタキが怒りにブルブルと震えている。

「ス、スギナさん……アキロさんの話は……」

「やめといたほうが……」

 取り巻きのカシルとラモミが控えめに制止しようとするが、スギナはむしろ一層調子づいたようだ。

「さん付けする必要なんてないぜ、カシル。アキロもハルバレも腰抜けだ、へなちょこ兄弟だ。二人とも『卵返り』したら、俺がそいつで卵焼きを作ってお前らにごちそうしてやあぶぅッ!」

 セリフの途中で吹っ飛ぶスギナ。僕のこぶしが左頬を打ち抜いた証拠だ。

「ス、スギナさん……」

「だからやめといた方がいいって言ったのに……」

 しばらく芝生の上で悶えていたスギナだが、なんとか上半身だけを起こすと怯えと怒りのこもった表情でこちらを睨みあげてきた。

「い、今までで一番痛かったぞ! そこまで本気で殴ることねーだろー!」

「うるさい。兄さんの悪口だけは許せないぜ」

 スギナが起き上がって掴み掛ってきた。その勢いで散ったスギナの茶色っぽい羽が、汚れた雪のように舞った。

「腰抜けは腰抜けだ! 俺は間違ったことなんて言ってねえぞ!」

「兄さんは腰抜けなんかじゃない! お前らみたいな心のない奴らとは違う!」

「なんだとう! このトンチンカン!」

「だまれ! このボケナス!」

 そこからはもういつも通りだった。僕とスギナは地面を転げて暴れまわった。僕は程よくボコボコにされ、スギナは必要以上に(僕とヒタキに)ボコボコにされた。二人とも動けなくなって地面で仰向けになっていると、カシルとラモミが恐る恐る近寄ってきて、スギナの両脇を支えたまま飛び上がった。

「俺はまだやれるぞ…………おえぇ」

「もう無理ですって、スギナさん。ただでさえ今日は一発目が大きかったんですから……」

「じゃ、じゃあハルさん、今日はこの辺で……!」

 フラフラと危なっかしい飛行で村までもどっていく三人。

「離せぇ、俺はあいつをォ……」

「いつまでもそんなこといってないで少しはスギナさんも羽ばたいて下さいよお!」

「おいらたち、まだあんまり上手く飛べないんだよう」

 そんなセリフが遠ざかっていく。

 僕は大の字に寝っ転がったまま空を見上げた。高い。僕は海を見たことがないけど、でも多分見下ろすか見上げるかの違いで、空も海も同じようなものなのだろう。海はいい。翼なんかがなくっても潜れる。

「キィ! キキィッ!」

 意気揚々と胸を張るヒタキ。僕のお腹の上で小躍りしている。薄い茶色と緑が混ざったまん丸なフォルムは、まるで茶請けの団子みたいだ。

「ああ、今日も返り討ちにしてやったな!」

 首を起こして笑ってやった。ヒタキも嬉しそうだ。こいつを守るためなら、腰抜けと呼ばれたって、羽なしと呼ばれたって構わない。たとえ、いずれ兄さんのように……

 兄さんのように……

 むっとして、僕は首を戻した。嫌なことを考えたくない、そんなときは寝るに限る。青い空が夕焼けに染まれば、兄さんを思い出すこともない。

 視線がヒタキを外れて空へ向かおうとしたとき、僕の視界に突然逆さまの顔が映り込んだ。

「うわ!?」

 思わず上体を跳ね起こす。心拍が急上昇して、胸が痛い。体をひねって振り返ると、知らない女の人が立っていた。わきに女の人と同じくらい大きいリュックサックが置いてある。

 森から出てきたのだろうか。後ろで束ねた髪に小枝が絡まっている。

 黒いブーツ、太ももの半分まで伸びる長いソックス。日に焼けた絶対領域を経て、履き込まれたホットパンツ。腰には大きなポーチが巻き付いている。そして同じく日に焼けたお腹、そしてタンクトップ。

 いろいろな要因で静まることのない僕の心臓をよそに、僕をさっきまで覗き込んでいたらしいその女の人はホットパンツの尻ポケットから煙草の箱を取り出すと、慣れた手つきでそれを一本弾き出し、口にくわえた。大きなゴーグルを、目にかけている。

「中々骨があるじゃない少年。お姉さん、関心しちゃった」

 ちっともそう思っていなさそうな、意地の悪い口調で、その『お姉さん』は言った。どこからか取り出したライターで、煙草に火をつける。

「山に入ったときは森ばっかりで、人なんて住んでるか心配だったけど、どうやら平気そうね」

 そういって白い煙を吐き出す。

「だ、だれ……?」

 ようやく落ち着いてきて、僕はそう尋ねた。お姉さんはちょっと考えて、

「コレクターよ、トレジャーハンターとも言うかしら。集めているものは一つだけだけど」

 と言った。

 煙草の先を赤く灯して、お姉さんはまた笑う。

「坊や、名前は?」

「え、えっと、ハルバレ、です」

「そう、ハルバレね」

 お姉さんは指ぬきグローブのはまった右手でゴーグルをグイッと引き上げると、自信ありげににやけたまま、名乗った。

「私はニッケルハウンド。ニケと呼びなさい」

 空よりも、そしてきっと海よりも深い、蒼色の瞳だった。



「集落まで案内してほしいの」

 というニケ(さん付けしたらなぜか怒られた)の提案を無下にするわけにもいかない。なぜなら僕らの村は鬱蒼と木々の生い茂る山の、その頂上にあるのだから。今からまた山を下りるとなると、日が暮れてとても危険だ。

「その荷物、持とうか?」

「いい心がけよ、少年」

 僕の真横を歩きながら、ニケは煙を吐き出した。

「でも少年には重すぎる。ちゃんと出来ることと出来ないことは自分で判断することが肝心よ」

「はあ」

 とてつもなく大きい荷物も、ニケは物ともしていていない。ただ前を見て歩いている。

「そういえばずっと気になっていたけど。あの塔は何? 登って来る時もアレを目印にしたのよね」

「ああ、あれは」

 ニケの指さすそれは、天を貫く純白の尖塔。村の中心に聳える塔は、三千年前、村ができた時から僕らを見下ろしている。

「『御羽の塔』です。村の象徴といったところでしょうか」

「象徴?」

 ニケは僕を振り返らずに言葉を反復した。

「象徴、象徴ねえ。それだけであんな馬鹿デカいものを建てるのかしら」

「……」

 うつむいて黙り込んだ僕を横で、今度は見下ろして、ニケは意地悪くにやけた。煙草のトゲトゲした匂いがまとわりつく。

 村が近い。

 樫の木で組んだ入口が見えてきた。

「ハル!」

 聞きなれた声が前方から響く。顔を上げると、ナツネがこちらに駆け寄ってくるところだった。生真面目に編み込まれたおさげが揺れている。新雪のように白い肌が、日の光を浴びて眩しい。

「さっきスギナたちがボロボロで帰ってきたらきっとハルも……って」

 僕のそばまで来て、ニケの存在にも気が付いたらしい。怪訝な顔になる。

「誰、この人」

 警戒心を隠そうともしないナツネに、頭二つ分も背が高いニケはただにやにや嗤うばかりだ。

「ニケ。トレジャーハンターなんだって。こっちは幼馴染のナツネ」

 と、僕が紹介をする間にも、二人はにらみ合ったまま(ニケは面白そうにナツネを見つめているだけのようだったけど)で僕には見向きもしない。

「えっと……」

「トレジャーハンターが私たちの村に何の用ですか」

「トレジャーハンターがすることは一つしかないでしょう?」

 よせばいいのに、ニケは「お嬢ちゃん」と付け加えた。

 案の定殺気と共に翼を勢いよく広げるナツネ。翡翠色の細い羽が辺りに舞い散る。その迫力に一瞬彼女の周囲の芝生が枯れ果ててこの先千年不毛地帯になる幻覚を見た。ヒタキが肩でフルフルと震えている。

「ハル!」

「はいぃ?」「キキィ?」

 ぐんっ! とキスをするような勢いで顔を近づけて、ナツネはまくしたてた。金木犀のいい香りがする。

「知らない人を村に連れ込んじゃだめでしょ! しかもトレジャーハンターだなんて!」

「でももう昼過ぎだし……今から山を下るのは危ないよ」

「この女の味方なの!?」

「……」

 僕は思わず顔を背けた。

 『女』って……

「いやそういうわけじゃ……」

「もういい!」

 ナツネはそう吐き捨てて村に戻っていってしまった。中空には振り向いた勢いで舞い散った羽が残っている。ナツネの後ろ姿を口角を上げて見送っていたニケだったが、ふわふわと舞っている羽の一枚をつまむと、出会ってから初めて、少し驚いたような雰囲気を出した。

「本物みたいね。これ」

 しげしげとナツネの羽を見つめるニケに、僕はなぜだかどぎまぎした。

「少年には生えてないのね。他の連中とは違う種族なのかしら?」

「いや……」

 ニケは『基標族(ニュートラ)』だ。もしかしたら僕の知らない珍しい種族なのかもしれないけど、今のところ特別な身体的な特徴はない。世界の半分以上は基標族(ニュートラ)なので、多分間違いないだろう。

「僕もみんなと同じ、『心翼族(スフィロー)』です。翼は生やしてないだけです」

「ふーん。めずらしい種族なのね」

 どうやら興味は失せたらしい。

「かわいい幼馴染じゃない。好きなんでしょ」

「ぶふぉ!」

 せき込んで前のめりになる。ヒタキが慌てて飛び上がった。

「何をいきなり……そんなのあいつに失礼だよ」

 ふと見るとニケが僕を喰いそうな笑顔でこちらを見下ろしていた。

「少年、中々見込みがあるわよ」

「へ?」

 どこからそんな話が出てきたのだろう。僕の疑問に満ちた表情を気にすることなく、ニケは村の方に向き直った。リュックを背負いなおす。

「さ、案内してもらうわよ。『心翼族(スフィロー)』の村とやらを」



 案の定、ニケが村に歓迎されることはなかった。

「赤く光る石を探しているのですが」

 と言って回るニケだったが、ほとんど生まれて初めて見る基標族(ニュートラ)相手に村の皆は警戒するばかりで、その非難の眼差しはニケを連れ込んだ僕にも向けられた。

 村に旅館はないので、僕は父さんに相談して、ニケを僕の家に泊まってもらおうと考えた。

「ただいま」「キキキィ!」

 広い玄関で、僕は家の奥に声をかけた。返事はない。

「上がって、ニケ」

 ニケは小さく「お邪魔します」とつぶやくと、ブーツの紐をほどいて、僕の後に続いた。

「広い家ね」

 廊下を歩きながら、ニケはそう言った。

「村で一番大きいんじゃない?」

「一番大きいのは村長の家さ」

「あのいけ好かないジジイのねえ」

 露骨に嫌そうな表情を見せるニケ。先ほど門前払いを食らったばかりだ。

「いい人だよ、クウロンさんは。ただ村の平和を維持するのに一生懸命なんだ。それに」

 胸の詰まるような感覚。肩の上でヒタキが細く鳴いた。

「クウロンさんが冷たいのは、僕のせいだから」

「……」

 ニケはだまって、僕の後ろをついてくる。笑っているのだろうか。

 廊下を進んでいくと、兄さんの部屋の扉が開いていた。

「あれ。なんで開いてるんだろう」

 僕や父さんが、兄さんの部屋を自分で開けることはない。だとすれば……

「ここが少年の部屋?」

 何も知らないニケは、遠慮もなしに(どうかと思う)僕を押しのけて部屋の中に上がり込んだ。

「?? なによこれ」

 部屋の中で見つけたものに驚き、ニケはその場に立ちすくんだ。それもそのはず、部屋の奥には、大きな、それこそ大人が丸ごと入れるような『卵』が鎮座しているのだから。

「インテリアにしては悪趣味ね。なに? 少年、家族にいじめられてんの?」

「違う違う」

 ニケの中で僕がどういう印象に定着したのか少し気になったけど、この部屋にはなるべく誰も入れたくはない。それがたとえニケだとしても。

「ここは僕の部屋じゃないんだ。早く行こう」

 僕が部屋の外からそう話しかけても、見たこともない大きな卵にニケは興味津々で、さらに近づいて手で触れようとした。いけない。

 僕は声を上げてニケを止めようとした。

「ニケ、さわっちゃ……」

「さわらないで!」

突如僕の背後で大きな声がして、その声の主はそのまま僕の横をすり抜けて部屋の中に飛び込んでいった。大きな純白の羽が闇に吸い込まれ、声の主はそのままニケの腕をつかんだ。部屋の中は暗くてよくわからなかったけど、どうやら二人は顔を見合わせて、そして声の主が先に手を離したらしかった。

「あ。貴女が村の皆さんが噂していた基標族(ニュートラ)の……」

「ええ。そうよ」

 少し驚いた風のニケ。

「逆に、あなたはそこの少年の姉かしら?」

「い、いえ、私は」

「フユサメ。ナツネのお姉さんです」

 ようやく僕が声を発すると、場の緊張した空気がようやく少し和らいだ。こちらを振り向いた二人だったが、またゆっくりと向かい合った。

「初対面の方に突然取り乱してしまい、申し訳ございません」

 フユサメ姉さんの透き通った声が響く。少し震えているようだ。

「でも、その卵には触れないでいただきたいのです。大切なものですから……」

「……」

 うつむいた姉さんをニケはしばらく見下ろしていたが、やがて、

「……勝手なことをして悪かったわ。ごめんなさい」

 と素直に謝り、そうして部屋を出てきた。無表情だ。

「行きましょう、少年」

「あ、う、うん」

 頷いて、僕はフユサメ姉さんの方を見やった。卵のそばで、少しうつむいて立っている。僕の視線に気が付くと、儚げに微笑んだ。

「じゃあ、ゆっくりしていってよ、姉さん」

「うん。ごめんね、ハル」

 ごめんなさい。

 もう一回そういうと、姉さんは卵の方を向いて、黙り込んだ。

 僕とニケは、再び歩き始めた。

「はァしんどい」

 心底うんざりしたような調子で、ニケがそう言った。



 結局、外から帰ってきた父さんは黙って首を横に振るばかりで、ニケは村の近くの高台にテントを張って寝泊まりすることになった。

 びっくりするほど広いテントの中には、すべてが揃っていた。大きめのストーブには赤い炎が炯々と輝き、トイレやシャワーっぽいもの、簡易的な料理器具まで、設備だけを見たら僕の家よりも高等なものばかりだ。科学力に優れる基標族(ニュートラ)だからこそだろう。

 ニケはそのシャワー室で、今まさに体を流している。不規則な水音と、布一枚を隔てたその先に生まれたままの姿のニケがいるという状況に、僕は当然ドギマギした。テントの中は見たこともない珍しいものばかりだというのに、結局は女体に一番惹かれる自分が情けない。ヒタキも僕の肩から降りてテントの中を落ち着きなく動き回っている。

 ふとテントの中央に据えられたベッドに目を向けた。ニケが腰につけていたポーチやゴーグル、果てには下着まで乱雑に広げられている。

「!」

 いてもたってもいられなくなって、僕が腰を起こしテントから出ようすると、丁度そのタイミングでシャワー室からニケが出てきた。

 腕も足も出したままのラフな格好、垂らした長い髪は濡れていて、ひたりと肌に張り付いている。あのフユサメ姉さんよりもオトナな体から漂う湯気とシャンプーの香りに、僕は否応なくクラクラした。

「どこに行く気よ少年。話があるって言ったでしょ?」

 首にかけたタオルで黒い髪を拭きながら、ニケはベッドの端に座った。ベッドの空いている場所を左手で叩く。

「えっと……?」

「ここに座りなさい」

「え」

「早く」

 辛うじて均衡を保っていた心の天秤が、ニケのせかす声によって無理やり傾かされた。僕はおとなしくニケの隣に収まった。漂う湯気とシャンプーの香りがさっきよりも強くて、僕はクラクラした。

 ニケは何食わぬ顔でベットの上に置いてあった煙草の箱を掴むと、素早く煙草を弾き出して口にくわえた。出会った時と同じように火をつけて、美味しそうに吸い始める。テントの中に煙草の匂いが加わった。

「は、話ってなに?」

 どうにか状況を打破しなくてならない。僕はさっさと話を切り出した。

「少年に石探しを手伝ってほしいのよ」

 煙をゆっくりと吐き出して、ニケはそう答えた。

 頬杖をついてどこか遠くを投げやりに見やっている。蒼い宝石のような瞳がストーブの光を反射してきらきらと光っている。

「はっきり言ってあの調子じゃ私が村の中を捜索するのは無理ね。少年にも分かるでしょ?」

「で、でも。石って言われたって……赤い石だっけ? そんなのいくらでもありそうだし、広い村の中じゃ見つかりっこないよ」

「少年、手伝ってくれそうな友達いなさそうだしねえ」

「……」

 特に反論はできなかった。

「でも心配は無用よ」

 ニケが口に煙草を咥えた。

 ベッドの上のゴーグルを取り上げ、僕に放る。僕はそれを慌ててキャッチした。

「つけなさい」

 言われた通りに僕がそれを頭にかけると、視界が緑色に染まった。

その間にもニケは足元に置いてあった、テントやらストーブやらを放出して随分と小さくなったリュックを引き寄せると、何かをごそごそと取り出した。

 見慣れない形のカプセルだ。虫の繭のような縦長で、不透明で中は見れない。

 ニケはそれの上端と下端を握ると、グイッと思いっきり捻った。するとカプセルが透明になり、中に入っていたものが視認できるようになった。

 きれいなガラス質の、それはこぶし大の石だった。捻じれて花の蕾のようにも見える。カプセルの中で発光しており、ニケは思いきり体からカプセルを離し、顔を背けている。

 五秒ほど経って、ニケはカプセルの端、おそらくはスイッチになっているだろう部分を捻っていた手を元に戻した。カプセルは再び不透明になる。

「もういいわよ。ゴーグル、外しなさい」

 カプセルをリュックに放り込み、ニケは咥えていた煙草を人差し指と中指でつまむと、辛そうに眉間を抑えた。言われた通りにゴーグルを外した僕は周囲の光景に思わず「うわ!」と声を上げた。

 深い緑色だったテントの中は、そのすべてが赤く染まっていた。ストーブも、その中の炎も、ベッドも、そしてニケの着ている服も。赤い大きな電球が突如としてテントの中に現れたようで、激しく目眩がした。赤い煙がゆらゆらと赤いたばこの先から立ち上る。

 唯一赤く染まっていないのは未だに眉間を抑えている『ニケの体』だけだ。いや、違う、僕の腕も赤く染まっていない。ヒタキが驚いて僕の膝の上に飛び乗ってきた。

 ベッドの上で腰を抜かしていると、みるみるうちに周囲の赤が引いてきて、テントの中の物たちは、元の色を取り戻し始めた。じわじわと赤は引いていき、ベッドの色も戻り、最後にニケのタンクトップの赤が消えた。

「これは……」

「『抽念石(エクスポーザー)』の侵色反応よ」

「エクス……?」

 眉間から指を離し、気だるそうにニケはそう言った。

「少年がさっきゴーグル越しに見たもの、それが私の集めているものよ」

「あの光る石が?」

「そう、『抽念石(エクスポーザー)』」

「え、え、え、だって赤くなって、いや今はもう赤くないけど、えぇ?」

「落ち着きなさい」

 可笑しそうなニケの声に少し我に返り、僕は恥ずかしくなった。

「『抽念石(エクスポーザー)』はこの世界のあちこちでたまに見つかる石。その来歴は一切わかっていないわ。隕石のかけらかもしれないし、この星の特別な作用でできた、在来のものかもしれない。ただ一つわかっているのは、『抽念石(エクスポーザー)』はその光を命無き者に『移す』、侵色反応があること、そして、生きとして生けるものの『思念』を吸収することよ」

「思念を吸収?」

 侵色反応については今さっき身をもって体験したので、そこまで興味を惹かれることはなかったけど、思念? 最先端にカガクテキなものに囲まれているせいか、急に飛び出したその抽象的な単語に、僕の中で何かが急に萎んでいくような、興ざめしたような感じがした。

「難しいことは少年にはわからないだろうけど、この石の中には絶大なエネルギーが蓄えられていて、それを特殊な周波数で外部に『赤色波』として放出してるの。ちょうどその波のリズムが私たちの脳波とマッチングして、意識を吸われるような感覚に襲われるのよ」

「?」

 ちんぷんかんぷんだった。

 ニケは面白そうに笑って、指に挟んでいた煙草を口に咥えなおした。

「まあだから、さっき少年が着けてたゴーグルとか、石を入れてたカプセルみたいな特殊な遮光素材で対策をするわけよ」

「ふうん」

 ともかく、例にもれず『抽念石(エクスポーザー)』も非常にカガクテキなものだったらしい。萎んでいた何かが再び膨らみだした。

「でも、そんな危ないものを集めてどうするつもりなの?」

 元気になったヒタキの頭をつつきながら、僕は隣に座っているニケに聞いた。

「石に蓄えられてる絶大なエネルギー、それが必要なのよ」

「何に使うの?」

 チラリと横を見上げて訪ねてみると、ニケがニンマリと嗤って見下ろしてきた。

「ヒ・ミ・ツ・よ」

 ドキッとして、僕は再びヒタキに視線を戻した。

「な、なんでこの村に石があるってわかったの?」

 沈黙するのが嫌で、僕はそんな風に言葉を続けた。

「大雑把な位置は『赤色波』感知レーダーでわかるのよ。でも正確な場所は、近くまで行かないと分からない。今回レーダーが示した場所がここだったというだけよ」

 レーダーというものが何なのかはわからなかったけど、まあ石を探す術はあるのだろう。でも僕が気になったのはそこじゃなかった。

「あれ? でもあんなに光る石なら、簡単に見つかりそうなものだけど」

 石の光が届くところなら真っ赤に染まっているはずだ。遠目からでもその異常な光景はすぐ目につくだろう。

「石が何かに覆われていたら光も漏れないし、厄介な特徴がもう一つあるのよ」

 短くなってしまった煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、ニケは新しい煙草を箱から取り出して吸い始めた。

「なぜか『抽念石(エクスポーザー)』の光は、生き物の『目』に吸収されるの」

「目?」

「そう、目」

 目、ニケの蒼い眼。

「誰かが『抽念石(エクスポーザー)』を肉眼で視認している限り、『赤色波』は拡散しない。まあ、長時間石を直視できる人間なんてあんまりいないけどね」

 さっきテント内で侵色反応が起きたのは、僕もニケも肉眼で『抽念石(エクスポーザー)』を見ていなかったからか。

「直視できる人がいるの?」

「相当強い『思念』を抱えている人間は、むしろ石を魅入ってしまう。そうなるとかなり面倒よ」

「どうなるの?」

「脳波と『赤色波』が共鳴しすぎて、石の中のエネルギーが暴走するのよ」

「暴走……」

 想像がつかない。でも、あの小さくて平和な村に、そんなに強い思念を抱えた人間なんていなさそうだけど……

「つまり、『抽念石(エクスポーザー)』がすぐに見つからないってことは、何かに石が囲まれていたり、誰かが見ているってことだから、ニケは人や人工物の集まる村に『抽念石(エクスポーザー)』があるって予想したんだね。それで、ニケは村にあまり歓迎されていないから、僕に代わりにそれを探してきてほしいってわけだ」

「賢いじゃない」

 ニケはニヤニヤしながら僕の頭を撫でてきた。

「や、やめてよ……」

「なに? 少年、照れてるの?」

「違う!」

 ニケの笑い声。心臓をたくさんの羽で撫でられているような気分になる。

「手伝ってくれる?」

 手を僕の頭の上に置いたまま、じいっと目を見てそう聞いてくるニケ。ストーブの炎がニケの瞳に反射して、蠱惑的な光に変わる。

「いいよ」

 僕は迷いながらも、即答した。

 それはニケの不思議な瞳に酔わされていたからかもしれないし、突如現れた非日常にワクワクしていたからかもしれない。でも、きっと一番の理由は、居場所のないあの村に、僕がうんざりしていたからだ。

 テントを出ると、すっかり日は暮れていて、眼下に広がる村はすでに明るい光に包まれていた。



 次の日から、僕はニケに借りたゴーグルを額にかけたまま村を探索するようになった。昼間は村中を歩き回り、広場で遊んでいるチビたちに赤く光る石を拾っていないかを聞いてまわった。スギナたちは僕を気持ち悪がって、喧嘩を吹っかけてくることがなくなった。昼下がりには村を出て高台に登り、ニケのテントに潜り込んで、村の外を探すニケと成果を報告しあった。それが終わると、僕たちは日が暮れるまでいろいろなことを話した。山の下の出来事、いろいろな種族のこと、ニケのこと、カガクのこと、そして、『抽念石(エクスポーザー)』を探すニケの武勇伝。ニケの話はどれもとても興味深くて面白い。心躍る冒険小説そのものだ。僕はニケに夢中だった。

「ねえ。少年の話を聞かせなさいよ」

 ある日、いつものようにテントで話していると、ニケがそう切り出してきた。ニケが淹れてくれた『ココア』というほんのりと甘い飲み物が入ったカップを、僕は両手で持っている。テントの床に、僕は胡坐をかいていた。

「僕の話?」

 ニケはベッドの上に座っていて、同じようなカップを片手で持っている。中に入っているのは僕の『ココア』よりも色が濃い飲み物で、『コーヒー』というらしい。僕もそれが飲みたかったけど、「少年には早い」とあしらわれてしまった。

「そうよ。なぜ他の村人と違って翼がないの? もっと小さい子供たちも羽がないようだけど」

「これは……」

 正直、あまり触れられたくない話だ。これまでも、ニケとの会話でそれとなく避けてきた。でもここまで直接的に聞かれると、僕もごまかすわけにはいかない。

「そこのウグイスみたいなのと関係があるのかしら」

「ウグイス? ヒタキのこと?」

 僕の足の間で首をかしげているヒタキを僕は見下ろす。ウグイスという鳥に似ているらしい。つぶらな瞳が怪訝そうに僕を見上げている。

 …………

 ……

 …

 僕は意を決した。ニケなら、僕のことも受け入れてくれるはずだ。

「僕に翼がないのは、まだヒタキを『捧げて』いないからだ」

 声が掠れるのは防げなかったけど、うん、大丈夫、言える。

「『捧げる』?」

 頭の上から声が降ってくる。流石にニケの眼を見て話すことはできない。

「僕ら『心翼族(スフィロー)』は、母親から生まれてくるときに卵を抱えて出てくるんだ。物心がつく頃に卵は孵って、中から『ココロドリ』が生まれる。僕の場合はそれがヒタキ」

 ニケは無言だ。僕はココアから立ち上る湯気を見つめるようにした。

「『ココロドリ』は僕たちの心の一部。僕らが嬉しければ彼らも喜ぶし、僕らが悲しめば彼らも落ち込む、悲しくても喜んでいるフリをしたって、『ココロドリ』は落ち込んでいるまま。彼らは僕らの本心を映し出す鏡でもあるんだ」

「なるほどね」

「でも、十八歳の誕生日を迎えるまで『ココロドリ』を『捧げ』ないでいると、僕らは『卵返り』してしまうんだ」

「『卵返り』? なにそれ」

「そのままだよ。僕たち自身が大きな卵になってしまうんだ」

 ニケがはっと息を呑むのが分かった。ココアとコーヒーの香りがテントの中で交り合う。

「少年の家にあったあの卵……」

「あれは僕の兄さん、アキロが『卵返り』した姿。兄さんは自分の『ココロドリ』を『捧げ』られずにああなったんだ」

「卵になったら、もう戻れないのかしら?」

「戻った例はないよ」

 兄さんが卵になって三年、いまだに卵に変化はない。

「なら、さっさとその鳥を『捧げ』ればいいじゃない。なぜ少年の兄はそうしなかったの? どうせ卵になっていいことなんてないんでしょ?」

 僕は少し黙った。なんで、兄さんはハヤブサを『捧げ』なかったんだろう。

「『ココロドリを捧げる』という行為は、はたから見れば『鳥を殺す』のと同じことなんだ。『ココロドリ』が消えると、引き換えに僕らは翼を得る」

「……」

 今度はニケが黙った。どういうことなのか分かりかねているようだ。

「『ココロドリ』は僕らの心が分離したもの、正確には生き物ではないんだ。だから彼らを刃物や弓矢で傷つけることはできない、触れられるのは、自分だけ」

 ココアの入ったカップでヒタキに触れようとすると、空を切る感覚と共に、カップはヒタキをすり抜けた。ヒタキがココアの表面から顔を出しているような風になる。

「だから彼らを『捧げる』ために、僕は彼らの首を、この手で絞めなくちゃならないんだ」

 ヒタキの眼を見つめたまま、想像する。僕がこの手で、ヒタキの細い首を絞めて、ヒタキがゆっくりと息絶えていくのを、自分の手のひらで感じる。瞬間、ぞっと鳥肌が立った。

「うげぇ。一緒に育ってきた鳥を自分で絞めなきゃ、逆にこっちが卵になるってワケ? 難儀な種族ねえ」

 『基標族(ニュートラ)』でよかったわホント。とニケは心底気持ち悪そうに言った。

「ということは、この前少年とじゃれ合ってた三人組も、少年の幼馴染のあの娘も、その『ココロドリ』とやらを絞め殺しているわけね」

「その言い方はちょっと……」

 でも、確かにスギナたちもナツネも、『ココロドリ』を『捧げ』ていることは確かだ。彼らを見るたびに、僕は否応なしに彼らの『ココロドリ』たちが死んでいく姿を想像してしまう。

「少年の村でのあの扱いにも納得ねえ」

 と、なんでもないような感じで、ニケはコーヒーを啜った。なんだか、それで僕は救われた気分になった。

「少年。今幾つなの?」

「明後日で、十五」

「ふうん。卵になるのは、もう少し先ってわけね」

「……」

 僕は黙ってココアに口を付けた。甘いだけじゃなくて、少し苦かった。



 次の日も、僕は村の探索をしていた。どうもニケはやる気がないようで、僕がテントに行くと、必ず先にいてダラダラしている。もうどこにあるかは分かっているような素振りさえ見せる。だったら教えてくれたっていいのに。

 そんなことを考えながらぶらぶらと路地裏を歩いていると、背後から聞きなれた声が投げかけられた。

「ハル!」

 振り向くと、影の中にナツネがたたずんでいた。なんとも言えない表情をしている。

「ああ。おはよう」

 そう返した僕だったが、ナツネは近づいてくるなり露骨に嫌そうな顔をした。

「それ、何?」

 視線は僕の頭の上のゴーグルに向いている。

「ニケに貸して貰ったんだ」

 ぐっと眉間に皺が寄る。

「まだあのよそ者と遊んでるの? そんな場合じゃないでしょ! 明日には十五歳なのよ!」

「遊んでなんかない。大事なものを探してるんだ」

「ハルとあいつは関係ないでしょ!」

 切羽詰まったような大声を出すナツネ。兄さんが『卵返り』する前はこんな風じゃなかったのに、今やナツネの笑顔を見ることはほとんどなくなっていた。僕はなんだかそれが煩わしくて、ナツネに背を向けた。

「……僕とニケの間のことだ。ナツネにも関係ないだろ」

「なっ……」

 息を呑むナツネ。ひきつった顔でぶるぶると震えている。その姿に僕だって傷ついたけれど、口からにじみ出る棘のある言葉は、もう止められなかった。

「……僕のことなんかより、フユサメ姉さんのことを気にかけてあげたら? それとも肉親でも恋仇が落ち込んでるのを見てせいせいしてるとか?」

「何を言ってるの……? 姉さん?」

 なにとぼけてんだよ。ナツネだってフユサメ姉さんと同じで、兄さんのことが好きなんだろ。

 嗚咽の混じったナツネの声に、僕はもう耐えられない。

 僕は知らず知らずのうちに拳を強く握っていた。キィ! とヒタキが必死で僕を止めようとするのも、もはや僕には伝わらなかった。


「……兄さんがいなくなったからって、僕に当たるな」


「……っ!」

 瞬間、路地が真っ赤に染まった。

 !

 驚いて振り向くと、ナツネは変わらずそこに立っていた。でも違う!

 大きく見開いた目は深紅に発光し、翼を大きく広げて羽を散らしている。服の中に隠していたらしいペンダントが浮いて首下で漂っている。あれは!

「『抽念石(エクスポーザー)』!?」

 そうしているうちにも赤い光が路地を染めていく。同時に脳みそを引きずり出されるかのような頭痛がして、僕はその場にしゃがみ込んだ。

 なんでナツネが『抽念石(エクスポーザー)』を持っている……?

 激痛の中、僕はニケの言葉を思い出した。

(相当強い『思念』を抱えている人間は、むしろ石を魅入ってしまう。そうなるとかなり面倒よ)

(脳波と『赤色波』が共鳴しすぎて、石の中のエネルギーが暴走するのよ)

 ま、まずい!

 今のナツネがその暴走した状態なのは明らかだ。僕の言葉が引き金に?

 ああ! なんたってこんな……!

「うううううううう」

 朦朧とする意識の中、深紅の瞳をを見開いたままのナツネが羽ばたいたのが聞こえて、そのまま僕は気絶した。



目が覚めると、にやけた顔が僕を見下ろしていた。

「うわ!」

 慌てて起き上がる。

「お寝坊さんね。少年」

「ニケ!」

 安堵もつかの間、僕は今さっき起きた惨事に、思考が焼ききれそうなほどに飛び上がった。

「まずいんだニケ! ナツネが……!」

「はいはい。焦らないの」

 立ち上がった僕をなんでもないようになだめると、ニケは村の方を指さした。どうやら僕はテントの外、高台の上にいるらしい。

「村はもうめちゃくちゃよ」

 ニケの指の先、村のあった場所は爆心地のように赤い光で満ちていた。光は未だに広がり続けている。

「そんな……」

「で、少年の幼馴染はおそらくあれね」

 今度は上空へ指を動かすニケ。そこには『御羽の塔』がある。

 塔の先端、そこにひと際明るい光を放つ人型の影があった。

「どうしよう。ナツネ……」

 腰が抜けて、僕は地面に膝をついた。心配そうにヒタキがこちらを見上げている。

「これも少年がオンナゴゴロを読み取れなかった代償ねえ」

 ニケが可笑しそうに嗤った。

「あの幼馴染も相当心配だったでしょうね。姉の恋人が卵になってあんなに落ち込んじゃって、次は自分の思い人……なんて、想像もしたくないでしょ」

「思い人……?」

「そうよ。誕生日になるたびに心の重荷は増えるでしょうよ。ねえ。明日で少年、十五だってね? このまま、十六、十七、あら、もう次は十八じゃなくて、卵ね」

「そんな……じゃあナツネが好きなのは兄さんじゃなくって……」

 ついに地面に手をついて、僕は冷や汗を垂れ流した。なんて、なんてバカなことを……!

「で? どうするの? 村人は暴走した石のせいで全員卵にされてるわよ。これに関しては多分暴走が収まれば卵も孵るでしょうけど」

 余裕そうなニケ。

「でも、あんな高いところにいられちゃあ、私だって石を奪うのは無理ね。残念だけど、翼なんてないもの」

 僕は飛び上がり、ニケに詰め寄った。

「でも! でもカガクギジュツがあるだろ! なんとか、なんとかしてよ!」

 ニケは何も言わず、ただニタニタと嗤っている。僕は再びしゃがみ込んだ。

 わかっている。ナツネを止められるのは、現状で僕だけだ。でも、そのためには翼が必要で……

「む、無理だよこんなの……兄さんにもできなかったことが僕にできるわけがない……」

 目の前でこちらを見上げるヒタキに手を伸ばす。包み込む手の平には確かに生々しい生の感覚がある。この暖かさを今から僕は失う?

「ヒタキを『捧げる』なんて……」

 手の中で、ヒタキはブルブルと震えている。

 兄さんは僕たちの憧れだった。

 しっかり者で、物知りで、かっこよくて、僕たちの行動の中心には、必ず兄さんがいる。兄さんは僕やスギナたち、そして村の子供たちの、まぎれもないヒーローだった。

 そんな兄さんが唯一できなかったこと、それがハヤブサを『捧げる』ことだった。何か考えがあるんだろう。僕はそう思っていたけれど、兄さんはそのまま十八の誕生日を迎え、そしてあっけなく『卵返り』した。

 何で?

 今ならわかる。

 『ココロドリを捧げる』ということは『己の心の弱さと向き合うこと』だ。それができなければ、僕たちは羽ばたくことを許されない。兄さんはそれができなかった。

 周囲からの期待、羨望、自らの臆病さ、それが混じり合って、最終的に自分の心と向き合うことが出来なかった。

 だから、兄さんは心の殻に閉じこもった。

 眼下に見える巨大な赤い光の円は、いまだに拡大を続けている。

「……」

 気が付けば、『僕』の震えは止まっていた。

 いまだに、手の中のヒタキは震えている。

 兄さんがいなくなって、僕は独りになったのだと思っていた。みんなが好きなのは僕ではなくて、兄さんだから。僕が好きな『僕』も、『兄さんに似た僕』だったから。兄さんがいなくなったことで、心にぽっかりと大きな穴が空いていたんだ。

「ごめんなさい」

 僕はそうつぶやいて、手に力を込めた。

 ゆっくりと、ヒタキの首を絞めていく。

「ごめんなさい、兄さん」

 ヒタキが苦しそうに身もだえた。僕の心臓が締め付けられるように痛む。思わず苦悶の声が漏れるけど、僕は力を緩めなかった。

「ごめんなさい、父さん」

 バタバタと羽を散らすヒタキを、僕は地面に押さえつける。冷や汗と脂汗が滝のように流れて止まらない。

「ごめんなさい、ナツネ」

 いつの間にか泣いていたようだ、みっともなく鼻水を垂らしながら、僕はヒタキを押さえつけていた。

「ごめん、なさい、ヒタ、キ」

 ヒタキの動きが鈍くなる、バクバクと収まらない鼓動が、遅くなる。


「ごめんなさい! ごめんなさい! 僕!」


 ヒタキがぐったりと動かなくなり、次の瞬間まばゆい閃光となって高台を一瞬間、明るく照らした。

「ぁぁぁああああああ!!!」

 背中が裂けるような痛みの後、バサァ! と風を大きく切る音と共に、僕は自分の背中に、新たな感覚が生まれたことを自覚した。

 ゆっくりと立ち上がる。

「立派な翼じゃない」

 ニケが見たことのない表情でそこに立っていた。慈しみにも似た笑顔だ。

 僕は首をひねって背後を確認した。

 小さめの羽が六枚、左右に三対ずつ生えている。ヒタキのものと同じ色だ。

「僕にできると思う?」

「言ったでしょ? 少年には見込みがあるって」

 ニケはそういって、天高くそびえる塔に向き直った。

「ほら、あんまり女の子を待たせちゃいけない。さっさと行きなさい」

 うん。

 僕は頷いて、思い切って地面を蹴った。



 村はひどい有様だった。

 そこらじゅうに卵が転がっていて、どうやら無事な村人はいないようだ。

 僕は眼下にそれを見下ろしながら、一直線に塔を目指した。ニケのゴーグルをかけているから、光は平気だ。

 近づくと塔はやっぱり高すぎて、本当に頂上までたどり着けるか不安になるけれど、僕は一つ頷いて、思いきり飛び上がった。

 ヒタキの翼は、早い。

 ぐんぐんと塔を登っていき、その頂上。ひと際眩しい光の中、ナツネはあいかわらずそこで村を見下ろしていた。

「ナツネーーーー!」

 思いきりナツネに飛び込む。が、僕を上回るスピードで、ナツネは僕の突進を避けた。

 目が合う。

 僕を見下ろすナツネの瞳は、焦点が合っていない。

 僕は構わずナツネを追って、ナツネは僕から逃げる。

 登ってきた塔を螺旋状に下ったり、また登ったりしながら、僕たちは鬼ごっこを続けた。

 突然、ナツネの首に下げられている『抽念石(エクスポーザー)』から強い光線が放たれて、僕の翼の一枚を貫いて、さらに塔の壁面を大きく傷つけた。轟音を立てて、壁の一部が崩れ落ちた。

 これもナツネの僕を阻む心の表れだろう。

 大丈夫、まだ飛べる。

 連続して放たれる光線を避けながら、僕はさらにナツネを追いかける。しかし、飛行速度や経験は、明確にナツネの方が上だ。このままだと埒が明かない。そのうち僕が撃墜されるだろう。

 流石に焦りが出てきたところで、僕は気が付く。

 !

 度重なる衝撃で、塔の一部に巨大な亀裂が走っている! 全速力で突っ込めば、塔そのものを、僕が貫くことができそうだ!

 息を呑み込んで、僕は加速した。

 チャンスは一度きり。

 思いきり、僕は塔に突っ込んだ。

 石作りの塔が僕を傷つける感覚。僕はそれを無視してさらに加速する。

 塔を突き抜けると、真正面に丁度ナツネが飛んできたところだった。

「!!!!!」

 速度を緩めずに突進する。ナツネの石から光線が発射され、正面から僕の脇腹を掠めていった。焼け付くような激痛! しかし、

「!!」

「!?」

 僕はナツネに抱きつき、その唇に接吻した。

 瞬間、ナツネが大きく翼を広げ、大量の羽を散らした。

 驚きに見開いた瞳は、もう赤くなかった。

「遅くなって、ごめん」

 唇を離して、僕はそう言った。

「ほんとよ。すごく待ったんだから」

 うっすらと涙を浮かべて、そのままナツネは目を閉じた。



 僕たちはそのまま重力に沿って、真っ逆さまに落ちていった。

 深く青い空が遠のいていく。

 錐揉み状に回転しながら墜落していく僕たち、翡翠色の羽と薄緑色の羽が空中で渦を作った。

 赤い光は散っていき、村には元の色彩が戻りつつある。村人たちも、すぐに卵から孵るだろう。

 僕が貫いた塔が、ぽっきりと折れて落下している、このままでは村に直撃してしまう。しかし僕はもう飛べない。全身に力が全く残っていない。

 あーあ。と、朦朧とする意識の中、半ば他人事のように視界の隅に落下する塔の先端をとらえながら、僕らは落ちていった。

 突然の浮遊感。

「ナツネ! ハル!」

 誰かに抱きすくめられるような感覚がして、僕たちの落下が止まった。

「……フユサメ姉さん?」

 純白の大翼を羽ばたかせ、フユサメ姉さんが僕たちを抱きかかえていた。

「よかった……二人とも無事で……っ ハルのその傷……!」

 僕の脇腹からは大量の血が流れている。

「大丈夫、このくらい、なんともない」

 僕は視線を動かした。

「それよりも塔が!」

「それなら平気よ」

 優しい声で、フユサメ姉さんはそう言った。

「みんながいるわ」

 落下する塔が村に激突する寸前、急に重力が失われたかのように落下が止まった。よく見ると塔の下にたくさんの何かが取り付いている。

「あれは……」

 村人たちだ。父さんや村長、スギナたちの姿も見える。

「がんばったね、ハル」

 フユサメ姉さんが泣き笑いで僕を見下ろしてくる。

「うん」

 僕はそういって、また意識を失った。

 視界が暗転する間際、村の外の高台に、巨大なリュックを背負った人影が見えた。

 こちらに向かって少し手を上げてから、そのまま振り向いて高台を下って行った。

「ありがとう、ニケ」



 大騒動から一週間後、僕は玄関で靴を脱いで直接兄さんの部屋へ向かった。

 暗い部屋の中、あいかわらずフユサメ姉さんが兄さんの卵のそばでうつむいていた。

 村人全員が卵から孵っても、兄さんの卵は未だに変化しない。

「おはよう、フユサメ姉さん。ナツネはどう?」

「あ、ハル」

 お邪魔してます。と言って姉さんは儚く微笑んだ。本当に優しい人なんだと思った。

「もう目は覚めたけど、外を出歩けるようになるのはまだ少し先ね」

 たまには会いにきてね。あの娘、ハルハルってうるさいんだもの。

「うん、今から会いに行くよ」

 僕は姉さんのそばまで行って、ポケットに入っていたものを手渡した。

「これは?」

 淡い光を放つ、赤い石だ。

「『抽念石(エクスポーザー)』って言うんだ」

 そう、これはナツネの拾った『抽念石(エクスポーザー)』の搾りかす。

 今朝高台に登ってみると、やはりニケはもういなかった。その代り、テントのあった場所に、小さなメモが重しといっしょに置かれていた。

(『抽念石(エクスポーザー)』自体は危険なものだけど、そのエネルギーの可変性は驚くべきものよ。強大なエネルギーを消費したあとの搾りかすなら、人間の『思念』でそのエネルギーを変換することも可能。その石とゴーグルは少年への誕生日プレゼントよ。大事にしなさい)

 やっぱり難しいことはわからなかったけど、この石には、少なくとも臆病者一人を卵の中から引きずり出すことは可能だろう。

 フユサメ姉さんは何度も泣きながら「ありがとう、ありがとう」と言いながら、『抽念石(エクスポーザー)』をその胸に抱いた。

 僕はそっと部屋を出ると、また玄関で靴を履いた。

 外に出ると、今日もまた雲一つない晴天だった。

 ナツネとどんな話をしよう。

 ちょっと短くなった『御羽の塔』を見上げて、僕は考えた。

 一緒に海を見に行こうかな。


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