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その一

 目指す街が視界に現れたのは、故郷を出て海沿いの道を四日ほど歩いた夕方だった。とは言っても実際に見えたのは教会の尖塔など比にならない、天を支える柱じみた大煙突の頭だけで、村の外縁をぐるりと取り囲み守るようにそびえた高い石壁が風景を遮っていた。壁面にはあまり見かけないモチーフの絵が描かれている。半人半魚の巨大な生き物のようだが、何なのかは見当もつかない。

 まだ若く頼りなさげな男は、擦り切れかけた地図を外套のポケットから取り出して、両手でもってしわを伸ばした。街へはもう一日かかるが、この村を通過してしまうとろくな宿がないらしい。道の脇に立ち並ぶ木々を照らす光がやや黄色味を帯びてきたとはいえ、まだ十分に移動可能な時間帯であり、体力も残っている。悩ましいところであったが、すぐに村での滞在を決めた。少しくらい早く休んでも、罰は当たらぬだろう。

 彼は堅牢そうな木製の門を叩く。脇のほうにある小窓が開き、内側から覗いた幼い顔のほうを見、青年が用件を伝えた。

 「南の村から来た者だが、宿をお借りしたい。一晩滞在させてはもらえませんか」

 利口そうな少女は笑みを浮かべて頷き、奥へ引っ込んだ。ほどなくして門が開く。そこには先ほどの少年のほかに村人が数名立っており、物珍しげな顔でこちらを窺っている。きっと来訪者というものにそれほど慣れていないのだ。まあ友好的ではないが、べつだん敵意などは感じられなかった。

 「感謝します」

 男は短く礼を言うと、自分の名は「ニロ」だと告げた。村人たちはそこでようやく警戒を解き、めいめいに歓迎の言葉を述べて握手を求めた。

 ひとしきり挨拶が済むと、ニロと名乗った青年は、

 「早速ですが、ここ数日歩きどおしで疲れてしまって。宿への道を教えていただきたいのです」

 それを聞いた人達は、海へ掛けた桟橋のほうへまっすぐ歩くと右手に一際立派な建物が見えてくる、それが宿屋だ、と教えた。初めてだとわかりづらいので案内する、と申し出る親切な子どももいた。ニロは了承し、改めて皆に礼を言うと、やんちゃそうな顔立ちの、十くらいの少年に先導されてその場を立ち去った。

 道すがら、土地や歴史について色々な話を聞かされる。この村はイドノーという名前らしかった。規模こそ小さいが、昔は漁で栄えたという。しかし何か問題があったために、もう魚を獲るための船はほとんど出さないそうだ。

 「問題、ってなんだい」

 と問いかけたところ、少年は黙って首を振るばかりである。ニロもそれ以上聞かなかった。どこであろうと、人が集まって住む所には何かしらの秘密や禁忌があることを、彼は知っている。

 おしゃべりを続けながら、あちこち見回した。村人たちは空いた土地を耕して、精力的に農作業に打ち込んでいる。今では漁業に代わり、農業が主な産業なのだ。しかし彼は奇妙な違和感を覚えた。何故だろう。働いている人たちの中に男性の姿があまりないからかもしれず、また老人や幼い子供までもがやけに大勢混じっているせいかもしれなかった。

 歩き始めてから十五分とかからずに、赤い煉瓦造りでそこそこ大きな建物に辿り着いた。これが酒場兼宿屋だという。念入りに礼を言って少年に駄賃を握らせると、そんなつもりじゃないし母ちゃんに叱られるから受け取れない、と渋っている。ニロは微笑ましく思い、彼の頭を撫でてこう言った。

 「なら、明日の朝迎えに来て、門のところまで送り届けておくれ。迷わず行けるかどうか、まだちょっと不安なんだ。それなら受け取ってくれるだろう」

 少年は目を無垢な輝きで満たして何度も頷き、手を振りながらどこかへ駆けていった。

 見届けてから、玄関の戸を潜り宿に入る。真正面に受付があって、さばさばした感じの中年女性がこちらを顧みた。ニロに気づくとちょっと驚いたような素振りを見せて、「旅の方かい」と尋ねた。ええまあ、と答え、彼は名前と宿泊する日数を告げた。好みの部屋の場所なんてのはあるかい、と愛想よく訊かれ、

 「いえ、特には。日当たりがいいと嬉しいですが」

 と返す。女性は台帳にあれこれ書き込むと背にした壁に向き直って、掛けてあった部屋の鍵のうちひとつを渡す。鍵には丸い貝が紐でぶら下げてあり、部屋の番号らしき数字が刻まれている。

 「5番室。階段を上って左、一番奥だよ。夕飯を食べたくなったら降りてきてちょうだい」

 「ありがとう」

 受け取って二階へ上がり、廊下の突き当たりの部屋に入った。なかなかよさげなところだ。日が傾いてしまっているのでいまいちだが、朝日がよく入りそうではある。背負っていた荷物を放り外套を脱ぎ捨てて、窓際の柔らかそうなベッドに倒れこみ、シーツに潜り込んだ。腹も減ってはいるが、すぐに胃袋を一杯にしたいというほどではない。少し寝るとしよう。瞼を閉じると、彼はあっという間に眠りに落ちた。


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