戦士たちの鎮魂歌
彼の部屋を一言で言うなら、美少女に囲まれた部屋、その表現が相応しいだろう。壁には余すところなく等身大パネルやタペストリーが飾られ、天井さえも画鋲止めされたポスターやチラシなどで埋め尽くされされている。
棚にはところ狭しとライトノベルが並び、同人誌は床に平積みだ。棚の上も、百体以上のフィギュアに彩られていた。コンセント周りには各種ゲーム機のプラグが散乱し、近くにはゲームソフトのパッケージやブルーレイのケースが乱雑に積まれている。
唯一足の踏み場となりえるベッドには、等身大の抱き枕。もちろんカバーは美少女。少々使い方が雑なようで、黄ばみが目立つ。ちょうど腰の位置にあたる部分には、かぴかぴとなった染みも着いていた。
そしてそれらのグッズなどに描かれた美少女は全て、アニメやマンガやゲームのキャラクターである。
典型的な、オタク部屋。いや、少し違うか。マスコミやメディアなどがオタクと呼ばれる存在に負の印象を与えるため、過度に取り立てるやり過ぎなオタク部屋。それを実現させたのが、その男の部屋だった。
「こふっ、こふっ、ぶふ、ぷはっ」
彼はベッドの上でパソコンを弄りながら、笑みを漏らす。端から見れば別の不気味な何かに聞こえようと、彼にとっては楽しげな笑い声だ。アニメを流しながら掲示板を読み、煽り文句を書き込んで憤る人を観察する。彼の至福の時間だった。
「ふほ、ふほぼ、炎上乙」
掲示板を荒らし終え、次の炎上先を探す。そんな彼の元へ、一通の電話がかかる。ただの電話ではない。着信音と共に、彼のパソコンは停止した。代わりに、通話のボタンしかない画面が、でかでかと表示される。
「ちっ」
良いところだったのにと悪態をつきつつ、彼は通話ボタンをクリックした。電話の相手は、中年の男性だ。今日のオペレーターが男性だったことに、彼は少し安心した。女性オペレーター相手には、うまく話せないから。
『出勤要請です』
「……場所と、タイプは?」
『連絡用の端末に送っています。出勤、お願いします』
それだけを告げ、通話は切れた。よほど焦っているのだろう。オペレーターの声の奥では、他の職員の走り回る音も聞こえた。
「……面倒くせ」
彼は大きく溜め息をつき、その辺に転がっていたペットボトルのコーラを飲む。残りは僅かだった。一息で飲み干し、ゴミとなったペットボトルを適当に放り投げ、立ち上がる。そのままゴミとオタクグッズを掻き分けながら扉へ向かい、部屋から出た。
服装は適当だ。黄ばんだチェックのシャツに、傷んだジーパン。穴の開いた靴下と、踵を踏み潰したスニーカー。
「ぶふ、ぶほ」
彼は見事に育った腹の脂肪を揺らしながら、歩き出す。連絡用の端末に表示される勤務地は、あまり遠くなかった。歩いて行ける範囲だ。
彼が現場についた時、そこでは既に戦闘が始まっていた。いや、戦闘と呼べるようなものではない。戦いにすらなっていない。あまりに一方的で、あまりに圧倒的だった。
「ちょっと、やめてくれませんか?」
高校生くらいの青年が、困り顔で周りを囲む者たちへ言う。色素が薄くやわらかな髪をした、穏和な印象の青年だ。女受けが良さそうな服に身を包んでおり、顔立ちも良い。明らかに、モテるオーラというものをしていた。
「撃てぇ! 撃ち続けろ! 戦士が来るまで足止めするんだ!」
そんな青年を取り囲むのは、完全武装した機動隊。彼らは青年を完全に包囲し、あらゆる方向から銃を打ち続けていた。
どうみても、虐殺の光景。けれど青年は銃弾を受けつつも、困り顔を崩さない。腕を撃たれようが、足を撃たれようが、胴を撃たれようが、頭を撃たれようが、顔を撃たれようが、全く動じない。
銃弾は青年の体を一切傷つけることができず、ぱらぱらと地面に落ちていった。
「あ、もう。服が破れちゃうじゃないですか。酷いなぁ」
青年は自分の服の心配こそすれど、平然と銃弾の雨の中に立ち続けている。端から見れば異常な光景だ。しかしこれは、至って正常なことである。
その青年こそが、今回の悪魔なのだから。
「うひっ、ぷっ、き、来たぞぅ」
その男が機動隊に声をかけると、焦った表情を一転、彼らは安堵の顔を浮かべる。何名かは鈴木の姿を見て顔をしかめたが、おそらく彼らは新人なのだろう。指示を出していた者や、機動隊に長く配属する者は、鈴木の背に後光が見える心地だった。
「戦士の到着だ!」
「コードネーム『キモオタ』だ! 勝てるぞ!」
歓喜の雄叫びに包まれながら、彼は一人、悪魔の前に歩み出る。悪魔の青年は不思議そうな顔で、彼のことを見ていた。こんなデブに何ができるのかとでも、問いたげな姿だ。
「ぶほっ、聖器解放」
彼は己の股間に右手を当て、力を解放する。彼のジーパンのジッパーが独りでに開き、中から一本の槍が現れた。さくらんぼのような赤に染まった、一本の槍。細長く、けれど堅牢な、赤い槍だ。
「う、うわぁ」
青年は顔を歪め、一歩後ずさる。そんな悪魔のことは気にせず、彼は槍を引き抜いた。機動隊から再び歓声が上がる。
「ふひ、ふひっ、『無貫槍』」
彼は槍を構え、自慢げな顔でその名を呼ぶ。彼の言葉に呼応するように、赤い槍は怪しく輝いた。
無貫槍と呼ばれたその槍は、長さ二メートルを超える。どう考えても、ジーパンの中に収まるサイズではない。物理的に不可能だ。ゆえにこれは、物理ではない。既存の法則に捕らわれない、全く新しい技術。魔法とも呼ばれる、人類最後の希望。
童貞にしか使えない聖なる武器、通称『聖器』である。
「ふひゅ、かひゅ、イケメン、死ねやぁぁ!」
彼は、見た目からは想像もつかない速さで無貫槍を突き出す。今まで平気な顔で銃弾を受けていた青年は、咄嗟にこれを避けようとした。けれど回避が追い付かず、槍は青年の腕をかすめる。青年の腕から、黒い血が流れ落ちた。
「……油断しちゃったかな。まさか僕の体が傷つけられるなんて」
青年は自分の血を見ながら、眉を寄せて見せる。まだ余力がありそうだった。事実、まだ悪魔は本気ではないのだろう。まだ人間の姿を維持したままで、真の姿を見せていないのだから。
「ぷくっ、ぼほ、油断とか、言い訳乙」
彼は連続で突きを放つ。銃弾を越える速度の突きだ。人間技ではない。それを間一髪で避け続ける悪魔も、人が届く域にいない。
それを唖然と見つめるのは、機動隊の新人、石崎。彼は呆気にとられたまま、隣に立つ先輩へ声をかけた。
「……何なんですか、あれ。人間離れしすぎでしょう」
「なんだ、戦士を見るのは初めてか。聖器を解放した戦士は、人間離れした身体能力を得るんだ。そして、あれは歴戦の戦士。今日は相手との相性が悪いようだが、彼の全力はもっと凄いぞ」
「歴戦の戦士……? あんなデブが――」
「コードネーム『キモオタ』だ。デブだなんて、失礼だろう」
先輩の声音からは、怒りが感じられた。なぜなら悪魔と戦う彼は、人類最後の希望を使う、孤独な戦士。悪魔と戦う者たちからは、尊敬を集める存在だ。
「し、失礼しました」
石崎は慌てて謝り、キモオタの戦いへ意識を戻す。振るわれる赤い槍は、まるで生きているかのごとく縦横無尽に動き回り、悪魔を狙う。常人の目からは、何が起きてるのか分からない。微かな残像しか見えない。そういうレベルの戦いだ。
これが、人類最後の希望と、悪魔の戦い。それをまざまざと実感し、石崎は息を飲み込んだ。
「自分も、あんな風になれますかね」
「……お前、童貞だったのか?」
「え? あ、はい」
「そう、か。だったら、一度試験を受けてみると良い。このご時世、二十代の童貞は貴重だ。もしかしたら、お前も戦士になれるかも知れないぞ」
自分にも、悪魔と戦うことができるかも知れない。そんな希望に、石崎は拳を握りしめた。どんなに厳しい道だろうが、その可能性があるのなら、賭けてみたかった。彼は力なき人々を守るため、機動隊に入ったのだから。
そんな会話をしてる間に、悪魔とキモオタの戦いは佳境を迎えていた。
キモオタの放った一撃を、悪魔が避け損ねる。悪魔の腕には大きな穴が開き、彼は整った顔を僅かに歪めた。
「痛いなぁ。ちょっとマズいかも。ここは一旦、逃げようかな」
悪魔は溜め息を吐き、地面を蹴って高く跳ぶ。とんでもない跳躍だ。人の背丈などではない。近くの家の屋根へ着地するほどの、信じられない跳躍である。
逃げに回った悪魔は強い。キモオタは追いかけるのを諦め、槍を己の股間に当てた。
「聖器収束」
再び独りでにジッパーが開き、槍はその中へ吸い込まれていく。二メートルを超える槍を全て収納すると、ジッパーは音を立てて閉まった。
これが、人類と悪魔の戦いだ。ただし戦いの様子を一般人が知ることはない。悪魔は一般人に紛れ、人間のように生活しているからだ。よって、聖器や戦士には厳しい情報規制がなされている。ニュースや新聞にも、載ることはないのである。
「こほっ、くひゅ、おつかれっす」
キモオタが歩くと、機動隊が道を開く。それはさながら、海を割るモーゼ。戦士への尊敬と、ああはなりたくはないという哀れみを背に受けながら、キモオタは帰っていった。
後日。戦士となる試験を受けた石崎は、見事に合格した。それもそうだろう。戦士に相応しき条件は、悪魔と戦う意思があることと、童貞であること、十八歳以上であること。それ以外には存在しない。
戦士になるむねを上司に伝えたら、機動隊は休職扱いでも構わないと送り出してもらった。何度も言うが、戦士は人類の希望なのである。そのことを知る機動隊に、石崎を送り出さない理由はなかった。
さっそく、戦士としての講習が始まった。場所は国会議事堂の地下だ。まさか国民は議事堂の地下に世界最新鋭の基地があるなど、考えもしないだろう。
基地のミーティングルームへ通された石崎は、椅子に座っているよう言われた。すぐに先輩戦士と講習官が来るから、少し待っていてくれと。
「お待たせしました」
数分も待たない内に扉が開き、二人の男が入室してくる。一人は、小綺麗な中年の男性。胸にネームプレートを付けている。そこには松山と書かれていた。もう一人は、爽やかな印象の細い男性。彼は私服で、ネームプレートも付けていない。
石崎は慌てて立ち上がり、二人へ向けて頭を下げる。
「本日よりお世話になる石崎です。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。どうぞ、着席ください」
松山はにこやかに言い、石崎の正面の椅子に座る。私服の男性は、松山の隣に座った。
「講習を担当する松山です。こちらは戦士の、コードネーム『ケモナー』さんです」
松山に紹介された私服の男性は、爽やかに笑う。歯がきらりと光りそうな笑顔だ。
「よろしくね。戦士はコードネームで呼び合うことになっているんだ。僕のことは、気軽にケモナーと呼んでくれ」
自己紹介も終わったところで、さっそく講習が始まる。
講習内容は、主に三つだ。まず悪魔について。そして戦士について。最後に聖器の譲与と実演。それだけである。
「それでは、悪魔についての説明から始めましょう。手元の資料の三ページ目を開いてください」
悪魔についてを要約すると、以下のようになる。
姿形は人間や動物と全く変わらず、普段は一般人に紛れて生活している。しかし真の姿は異形の化物であり、擬態に騙されてはいけない。
悪魔は大きく分けて三つのタイプに分類されている。男性型悪魔、通称『イケメン』。女性型悪魔、通称『アイドル』。動物型悪魔、通称『ペット』だ。
擬態している時の悪魔は容姿端麗で頭も良く、性格も良い。そしてモテるオーラを発している。異性にモテる要素を凝縮させたような存在。それが悪魔だ。
そして悪魔の目的は、人類の滅亡。ただし、直接殺したりなどは滅多にしない。悪魔は人間に対して、心優しき姿勢を崩さないのだ。
ではどうやって人間を滅ぼすのかと言うと、恋に落として殺す。重要だからもう一度言うが、悪魔はとんでもなく異性にモテるのである。
悪魔と人間では体の作りが違うため、子供が生まれない。けれど悪魔と恋に落ち、結婚する人間は後を立たない。子供が生まれないとはどういうことか。つまり子孫を残せず、ゆっくりと時間をかけて人間は数を減らしていき、やがて滅びるのである。
悪魔と恋した人間は、正直にいってしまえば幸せになれる。悪魔は一筋に一人を愛するし、それでいて見た目も性格も良いのだ。幸せになれないはずがない。
だからこそ、危険なのだ。幸福だからこそ、恋に落ちた当事者たちは危機感を理解できない。それが悪魔の恐ろしさなのだ。
「ここまでで質問はありませんか」
「大丈夫です」
「では、戦士についての説明を行います。資料の二十七ページを開いてください」
戦士は聖器を使う童貞のことを指し、悪魔を殺せる唯一の存在である。生活は国からの補助でまかなわれるため、ある程度自由に過ごして構わない。ルールは一つ。悪魔が現れたら戦うこと。それだけだ。
そして、悪魔のせいで少子化が加速しているこのご時世。人間同士の結婚や子作りは国が全力をあげて推奨している。戦士たちも、例外ではない。
つまり何が言いたいのかと言うと、別に童貞を捨ててしまっても国からおとがめはないのである。仕方ないの一言で済まされる。ただし国が圧力をかけているため、戦士は風俗店を利用できない。そんなもので童貞を捨てられては、堪ったものじゃないからだ。
ちゃんとした相手とちゃんと童貞を捨てるのなら、国からは許される。戦士仲間からは白い目で見られるだろうが、寿退役である。
そして注意点が一つ。それは、女性型悪魔アイドルだ。昨今のアイドルには、『ビッチ系』と呼ばれる特殊な個体も見られている。『ビッチ系アイドル』の魔の手により、戦士が力を失うことも少なくない。
なんたって、悪魔は見た目も性格も良いのだから。ビッチ系アイドルの誘惑は、童貞にとって刺激が強いのである。
余談だが、女性型悪魔で最強の個体として、『清楚系ビッチアイドル』という存在も確認されている。戦士たちの中でも特殊な部隊が総出で出勤し、何とか打ち倒したアイドルだ。
「ここまでで質問はありませんか」
「大丈夫です」
「では、聖器の譲渡と実演に移ります。ここからはケモナーさん、よろしくお願いします」
「はい。さぁ、立ってくれ。聖器を渡すよ」
ケモナーに促され、石崎は立ち上がる。やる気に満ちた顔だ。戦士に相応しい表情だろう。ケモナーも立ち上がり、石崎の側まで近寄る。
「足を肩幅に開き、手を頭の後ろで組んでくれ。あぁ、目も閉じておいた方が良い」
「え? はい」
石崎は言われるがままの体勢をとり、目を閉じる。いったいどうやって聖器が渡されるのだろうかと考えた、その時――
「せい!」
「はうぉうぁ!?」
――ケモナーの勢いよく振られた手の平が、石崎の股間を強打した。
「ぐ、ぐおぉぉぉ……」
思わず股間を抑えて踞る石崎。彼の股間からは、黄金の光が放たれていた。聖器の譲与は無事に終わったのである。
「ははは、痛いだろうね。僕も痛かった。戦士は皆が味わう痛みだよ」
ケモナーは笑い、石崎の痛みが引くのを待つ。たっぷり五分間は踞った後、ようやく石崎は体を起こした。
「な、何するんですか」
「聖器の譲与だよ。さぁ、さっそく聖器を出してみよう。聖器の形や力は人それぞれだが、出し方は同じだ。僕の真似をしてくれ」
ケモナーは己の股間に右手を当て、力を解放するための言葉を口に出す。
「聖器解放」
すると、彼のズボンのチャックが独りでに開きだした。キモオタの時と同じように。ズボンの中から現れたのは、一本の鞭。ケモナーはふんと鞭を引き抜き、にこりと笑った。
「これが僕の聖器、『正教育』さ。君もやってみてごらん」
「は、はい」
石崎もケモナーと同じように、股間へ右手を当てる。そのまま深呼吸を一つ。全身の神経を股間に集中させ、気合いを入れて口を開いた。
「聖器、解放!」
瞬間、股間が熱に包まれる。自分の体が作り変わり、一つの形を造りだしていくのを、石崎は本能で感じた。そして、造り出された聖器の名や使い方が、自然と頭に浮かぶ。
それもそうだろう。形は違えど、聖器とは長年連れ添った相棒なのだ。その名や使い方は、自分が誰よりも心得ている。
ズボンのチャックが開き、堅い何かが姿を見せた。石崎はそれを掴み、引き抜く。それは、拳銃の形をしていた。
「おお、君の聖器は拳銃型だね。名前や使い方は分かるかい?」
「……はい。不思議な気分です」
自分の一部が切り離されたような感覚だ。石崎はなんとなく己の股間を触り、納得した。生まれて二十年以上連れ添った相棒の姿が、そこにはなかったからだ。相棒は今、石崎の右手の中で黒々と光っている。
「うんうん。それじゃあトレーニングルームに移動して練習を――」
ケモナーの声を遮るように、警報が鳴り響く。驚く石崎だったが、ケモナーと松山は冷静だ。
「松山さん、詳細は?」
ケモナーが問うと、松山は手元の端末を確認する。
「悪魔が出たみたいです。タイプは『柔和系イケメン』。場所は、この近くのようですね」
「なるほど。残念だが、講習は中断だね。ちょっと出勤してくるよ」
ケモナーは石崎に笑いかけ、ミーティングルームから出ようとする。その後ろ姿に、石崎は声をかけた。
「あの! 自分も行って良いですか!」
「……君はまだ聖器を得たばかりだ。実戦は厳しいと思うよ」
「自分は悪魔と戦うために、聖器をもらいました。一緒に、戦わせてください」
どこまでもまっすぐな石崎の目を見て、ケモナーはふっと笑みを漏らす。青臭いが、それがいい。悪魔との戦いに必要なのは、戦うという意思だ。
「よし、分かった。ついておいで。ただし、無茶はしないと約束してもらう。いいね?」
「はい!」
石崎は大きく頷き、ケモナーの背を追いかける。部屋を出る直前、彼の耳に松山の声が届いた。
「君のコードネームは『マジメ』です。お気を付けて」
こうして、石崎ことマジメは、初陣に繰り出していく。
現場では既に、悪魔と戦士の戦いが繰り広げられていた。悪魔の方にも戦士の方にも見覚えがある。石崎が戦士を目指すきっかけとなった、あの穏和な印象の青年とキモオタだ。
「はぁ。何でこんなに襲われないといけないんですかねぇ。僕、この後用事があるんですけど」
「ふぶ、こほぉ、知るか」
キモオタは縦横無尽に槍を振り、青年はひたすらそれを避ける。今回も前回と全く同じ戦いだった。悪魔には戦う気がないのではないかとさえ、思えてしまう。
「マジメ君。彼らの動きが見えるかい? 聖器を持った今なら、戦士と悪魔の動きも分かるはずだよ」
「はい、見えます」
石崎には、彼らの動きが見える。前回は全く理解でなかなかった動きが、きちんと認識できる。とても高度な動きだ。ついていけるかと言われれば、首を横に振るしかない。キモオタが歴戦の戦士という言葉の意味が、ようやく理解できた。
「さて、キモオタ君! 助太刀はいるかい?」
ケモナーが問うと、キモオタは不気味に笑って返す。
「こひゅ、ぷは、要らねぇ」
そうかいと頷き、ケモナーは傍観の構えをとった。しかし聖器は出したままだ。何かあったとき、すぐにフォローへ入れるように。石崎もそれに倣い、観戦に徹することにした。
そんな彼らに、背後から声がかかる。野太い男の声だった。
「あら、先をこされちゃったわぁ。っもう、せっかく可愛いイケメンが相手だって聞いてたのに。キモオタちゃんったら、いけずなんだからぁ」
振り返り、石崎は絶句した。そこにいたのは、ぱつぱつな女物のワンピースを着た、筋骨粒々の巨漢。彼は頬に両手を当て、くねくねと体を動かしていた。そんな奇抜な男に、ケモナーはにこやかな笑みを向ける。
「やぁ、ガチホモ君。君もキモオタ君に先をこされたんだね。助けはいらないようだから、僕たちと一緒に観戦しよう」
「はぁい、ケモナーちゃん。今日も笑顔がステキね。そうするわ。それで、そちらの可愛い彼は?」
どうやらこの巨漢も戦士らしい。石崎は慌てて姿勢を正し、頭を下げた。先輩への挨拶は大切である。
「今日から戦士になりました、マジメです。よろしくお願いします」
「マジメちゃんね。そんなにかしこまらなくていいわぁ。もっと肩の力抜いて抜いて。リラックス。わたしはコードネーム『ガチホモ』。よろしくねぇ」
ガチホモは握手を求めて手を差し出す。もちろん石崎は握手した。大きく、分厚く、ごつごつとしており、力強い手の平だった。見た目や喋り方はアレだが、実に頼もしく感じる。
戦いの様子が変わったのは、それから数分後のことだった。
「そろそろ帰っていいですか? 待ち合わせに遅れそうなんですよ」
「ひふっ、かぽ、今回は逃がさねぇ。ん?」
キモオタは何かの気配を感じ取ったようで、後方に飛ぶ。なぜ彼が突然距離をとったのか、石崎には分からなかった。けれどすぐに、その意味を知ることになる。
上空から落下してくる、一つの人影。それは青年とキモオタの間に着地し、コンクリートの地面にヒビを入れた。唐突なできごとに、石崎は目を見開く。ケモナーやガチホモも、驚いているようだった。
「おいタクト。いつまで遊んでるんだ。アユミが待ってるぞ」
戦いの場に突如割り込んだ人影は、青年へ向けそんなことを言う。ワックスで固められた髪に、着崩した服装。目付きが鋭く、クールな印象を受ける。登場の仕方を見るに、彼も悪魔なのだろう。タクトと呼ばれた悪魔は、そんな青年に苦笑いを返した。
「ごめんごめん。助かったよ、ソウマ。この人がしつこくてね」
ソウマと呼ばれた乱入者はちらりとキモオタを見て、すぐに視線を外す。警戒するまでもないと、言わんばかりに。
「ほら、行くぞ」
そんな悪魔の態度に、キモオタは舌打ちをする。馬鹿にされた気分になったのだろう。目の色が変わり、呼吸荒く二人の悪魔を睨み付ける。けれど彼が槍を振るより早く、その場に駆ける者がいた。ガチホモである。
「んほぉう! 『クール系イケメン』んんん! 大好物よぉ!」
ガチホモは走りながら、下からワンピースの中に手を突っ込む。もっこりと膨らんだ女物のパンツが見え、石崎は戦慄する。
「聖器解放ぅ! 『巨棍棒』!」
女物のパンツを膨らませていたモノが消え、代わりに現れるのは、巨大な棍棒。浅黒く、まるで浮き出る血管のように表面がでこぼことした、二メートル半はある特大の聖器だ。
「……なんだこいつ」
ソウマと呼ばれた悪魔も目を見開き、僅かに冷や汗を垂らしながらガチホモを見る。端から見ても恐ろしい姿なのだ。襲いかかられる彼にとって、恐怖しかないだろう。
「ふんぬっ」
ガチホモが振り降ろす棍棒を、ソウマは両腕で受ける。だが、あまりの衝撃に足が数ミリ地面にめり込んだ。コンクリートの地面にだ。
「……人間にも、厄介なやつがいるんだな。タクトが言っていたのは、こいつらのことか」
そんな一撃を受けてなお、ソウマはクールさを崩さない。けれどダメージはあったようで、顔をしかめている。
「大丈夫かい? ソウマ」
「問題ない。逃げるぞ。あまりアユミを待たせるわけにはいかないからな」
タクトに返事をしながら、ソウマは強烈な蹴りを放つ。コンクリートを砕くほどの蹴りだ。それをがら空きだった腹部に受け、ガチホモは吹き飛んだ。巨大な棍棒を持った巨体が飛ぶ様は、常識離れして見える。
しばし呆然とする石崎だったが、すぐに我へ帰り、ガチホモの元へ駆け寄った。あれだけの蹴りを食らったのだ。無事ではないかも知れない。
「大丈夫ですか!」
「んふふぅ、若い男の子のキック。良いわぁ」
ガチホモは恍惚の表情を浮かべていた。心配して損をしたかも知れないと、石崎は内心で肩を落とす。ともあれ、戦士が無事だったのは幸いだ。悪魔が二人に増えても、こちらは石崎を含めて四人。数の利は、まだこちらにある。
しかし視線を戻した石崎が見たのは、ビルの壁を駆けて登る悪魔たちの姿だった。キモオタもケモナーも、追跡を諦めている。いくら戦士が人間離れした身体能力を持っていても、悪魔の身体能力には勝てないようだ。
「ふぶ、ごふ、おつかれっす」
「いやぁ、また逃げられてしまったね。しかし悪魔が悪魔を助けるなんて、初めてのことじゃないかな。気に負うことはないよ、キモオタ君。お疲れさま」
戦士たちは聖器を股間に戻し、それぞれ歩き出す。ガチホモもよいしょと起き上がり、聖器を納めた。石崎も彼らに倣い、聖器を消した。
えらくあっさりとした最後にも思えるが、これが戦士たちの日常なのだ。そして戦士たちは、互いに深く干渉しようとはしない。それが暗黙の了解というものだった。
「……」
石崎は彼らとやっていけるのか、少しだけ不安になる。だが、戦士は石崎自身が選んだ道だ。例え仲間が奇人変人ばかりでも、それが戦士を辞める理由にはならない。
気合いを一つ入れ直して、石崎はケモナーと共に基地へ帰った。
それから二ヶ月ほど、石崎はトレーニングを積んだ。聖器を解放すると、身体能力が大きく上がる。その速度に慣れるための訓練や、聖器を上手く扱う方々、悪魔との戦いを想定した模擬戦など、やることは目白押しだった。
この二ヶ月で、石崎の能力は大きく上がったと言っていいだろう。元々機動隊に属し、体を鍛えていたのも良かった。しかしそれでも新人は新人。まだまだ、キモオタやケモナーやガチホモといった歴戦の戦士には遠く及ばない。
なんせ彼らは、三十代になっても童貞を守り続けた勇士。どうやら聖器の力は年齢にも比例するようで、まだ二十代の石崎では、彼ら三十代童貞の動きは真似できなかった。
そしてもう一つ。どうやら聖器の力は性欲とも比例するようだった。性欲が強ければ強いほど、聖器も力を増していくのだ。この点、石崎は弱かった。彼は人並みの性欲しか持っていなかったのだ。
そんな石崎が引くくらいに、キモオタたちの性欲は強い。ガチホモは見た目の通りだが、一見爽やかな体育教師に見えるケモナーもかなりの性欲だ。つまり彼ら歴戦の戦士は、強い性欲を持ちながらに三十代まで童貞を守るという偉業を成し遂げているのである。
それが本当に凄いことなのかどうかは、石崎には分からないが。戦士という部分だけを見れば、尊敬に価する。
そんなある日のこと。石崎は緊急の呼び出しを受け、基地のミーティングルームへ向かった。そこにはすでに他の面々、つまりキモオタとケモナーとガチホモの姿があった。他の戦士の姿はない。
「お疲れさまです。今日は何の集まりですか?」
「ぶふ、こひゅ、知らねぇ」
「やぁマジメ君。僕たちも教えられていないんだ。もうすぐ松山さんが来るだろうから、君も一緒に座って待とうじゃないか」
「はぁい、マジメちゃん。わたしの膝に座ってもいいのよぅ?」
ガチホモの申し出を丁重に断り、石崎は空いていた席に着く。しばらくも待たない内に、松山が入室してきた。その額には汗が浮かび、よほど焦っているのが分かった。
「お待たせしました。さっそくですが、時間がありません。本題を始めさせていただきます」
松山がリモコンを押すと、スクリーンに三人の人物の顔が浮かぶ。その内二人には見覚えがあった。タクトと呼ばれた悪魔と、ソウマと呼ばれた悪魔だ。もう一人は知らない顔だが、はっとするような美少女である。
「『柔和系イケメン』、個体名タクト。『クール系イケメン』、個体名ソウマ。この悪魔は皆さんもご存じと思います」
松山の言葉に、それぞれ頷きを返す。キモオタにとっては二回も取り逃がした相手だ。彼の舌打ちの音が小さく響いた。
「そしてこのもう一人の少女は、『幼馴染み系アイドル』、個体名アユミ。タクト、ソウマ、アユミ。その三名の悪魔が徒党を組んでいるという情報を得ました」
悪魔が徒党を組む。それは、初めての事態だ。けれど、納得もできる。二ヶ月前のあの日、ソウマはタクトを助けに来たのだから。その時の彼らの会話に、アユミという名前も出ていた。
「ただでさえ強力な悪魔が、徒党を組む。国はこの事態を重く見ています。何かを起こされる前に、この三人を討伐しなければなりません」
戦士たちは、なぜ自分たちが呼ばれたのかを理解した。石崎以外の顔が、笑みの形を作る。石崎だけは真剣な顔で、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「キモオタさん、ケモナーさん、ガチホモさん、マジメさん。貴方がた四人に、国からの依頼です。即時この三名を討伐してください。居場所はようやく特定できました。すぐにでも出勤をお願いします」
歴戦の戦士たちは乗り気になっていたが、石崎には少し疑問があった。挙手し、質問の許可をとってから発言する。
「なぜ四人なんでしょうか? 数を用意した方が万全だと思いますが」
「それは、戦士たちが共闘を不得手としているからです。聖器の力は、一対一の状況が最も使いやすい。聖器は広範囲に攻撃しますから、共闘しては味方を巻き込む可能性もあるのです」
キモオタの槍も、ケモナーの鞭も、ガチホモの棍棒も、広い範囲に攻撃できる武器だ。そして悪魔は素手でしか戦わない。一人の悪魔に二人の戦士がついても、互いに足を引き合う可能性の方が高いのである。
「では、なぜ自分がメンバーに? キモオタさんたちは歴戦の戦士ですが、自分はまだ新人です。それに、自分がいると敵との数も違ってしまう」
「それは、マジメさんの聖器が銃だからです。貴方の聖器だけが、遠距離から攻撃できる。マジメさんは後方に構え、三人を援護してください」
言われて初めて、石崎は気づいた。遠距離型の聖器を持っているのは、自分だけだと。だから新人なのに、大事な決戦へ参加することができたのだ。そのことを、少し嬉しく思う。
「分かりました。ありがとうございます。皆さん、力不足とは思いますが、よろしくお願いします」
三人の戦士はにこやかに頷いた。若い戦士が育つのは、彼らにとっても良いことだ。
三人の悪魔は、都内から離れたキャンプ場の近くにある、廃工場の中にいた。駆けつけた戦士たちを見て、三人は眉を寄せる。まるで、仲良しグループでキャンプへ行き近くの廃工場で肝試しをしていたところを邪魔された学生たちのような表情だ。
「あの、僕たち今キャンプを楽しんでるんですけど。今日はお引き取り願えませんか?」
タクトが頬を掻きながら、申し訳なさそうに言う。彼にはあまり、戦う意思というものがないらしい。態度まで完全に、穏やかな印象の青年だ。けれど戦士たちは知っている。その本性は悪魔だということを。
戦士たちに引く様子がないのを見て、ソウマはわざとらしく溜め息をはいた。
「ったく、人間ってやつはどこまでも身勝手だな。タクト、アユミ、戦うぞ」
「仕方ないかな。うん、人間と戦うのは久しぶりだけど、頑張るよ。せっかくのキャンプを、邪魔されたくないしね」
ソウマの声に賛同を返すのは、アユミと呼ばれる『アイドル』。彼女はサイドテールをぴょこぴょこと揺らし、拳を握って見せる。
「……アユミまで。はぁ、僕は争いなんて嫌いなんだけどなぁ」
タクトはやれやれと言った様子で肩を竦める。しかし棒立ちのまま、攻めてくる気配はない。また回避に徹するつもりなのだろうか。
そんな彼らの姿を、石崎は廃工場の二階から見つめる。六人からは死角になる位置だ。彼の役目は援護と不意討ち。正直、出番もないかも知れない。けれどどこまでも真剣に、石崎は状況を見つめ続けた。
「聖器解放」
三人の戦士たちの声が、唱和する。キモオタ、ケモナー、ガチホモ。三人の股間から、それぞれの聖器が出現した。
「こひゅ、無貫槍」
キモオタが構えるは、さくらんぼのように赤く、細長くも硬い槍。
「ふんっ、正教育」
ケモナーが構えるは、柔軟にしなる艶やかな鞭。
「そぉれ、巨棍棒」
ガチホモが構えるは、表面がでこぼこした巨大な棍棒。
聖器を構えた三人と悪魔の三人は、無言で見つめ合う。戦いの合図は、タクトの溜め息の音だった。
「ぶほ、でゅふっ、可愛いおぉ!」
キモオタは迷うことなくアユミへ接近し、これまで見たことのない速度で槍を突きだす。アユミはタクトたちから戦士の話を聞いていたのだろう。咄嗟に身を屈め、赤い槍をかわした。
「うわぁ、ちょっと気持ち悪いかも……」
鼻息を荒くするキモオタに、アユミは冷や汗を流す。命とは別の意味での恐怖だった。
「でゅふこぽ、どぁぼほぁ、お、おじさんの槍で、貫いてあげようね」
「……訂正、かなり気持ち悪いかも」
これには、アユミの言葉に石崎も全面的に賛成だった。思わずキモオタの方へ銃口を向けるところだ。戦士でなければ、完全に変質者である。
「はぁい。また会ったわね、ソウマちゃん!」
ガチホモも迷いなく、ソウマの方へ駆け寄る。ソウマはやはり来たかと、顔を大きく歪めた。しかし予見はしていたのだろう。ガチホモが振り回した棍棒を正面から受けようとせず、受け流しながら対応した。
「……ちっ、馬鹿力なオカマめ」
「ノンノン。オカマじゃなくて、ガチホモよぉ」
ソウマは二ヶ月前と同様、がら空きの胴体に蹴りを放った。しかしガチホモはにやりと笑い、彼の足を手で掴む。万力のような力だった。ソウマはぎょっとした顔を浮かべる。
「ソウマちゃんの蹴りはステキだけど、わたしは責められるより責めたい派なのよね。ひぃひぃ言わせたらぁ!」
そのまま力任せに、ソウマの体を投げ飛ばすガチホモ。ソウマは踏ん張ることもできず、頭から廃材の中へ突っ込んでいった。
「じゃあ、僕は君とだね。正々堂々戦おう!」
残ったケモナーはその場を動かず、鞭を生き物のように操ってタクトを攻撃する。キモオタの槍よりも速い。しかし、槍ほどの威力はない。
「……中距離から一方的にっていうのは、正々堂々なんですかね?」
タクトは苦笑いを浮かべたまま、鞭を避け続けた。しかし避けきれず、たまに服が裂ける。服の下に覗いた肌も僅かに裂け、黒い血が滲んでいた。
「痛いなぁ。鞭で打つなんて、酷いじゃないですか」
「はっはっは。悪いね。これが僕の戦い方なんだ」
彼らの戦いは、危ぶまれるところもない。タクトは自分から攻撃をしようとしないからだ。何を考えているのか分からないが、とりあえずは放置しても良さそうである。
戦士と悪魔の戦いは、拮抗していた。キモオタとアユミは互いに攻撃と回避の繰り返し。ガチホモとソウマは力による殴り合い。ケモナーとタクトは一方的な展開。どれもがハイレベルな戦いで、石崎には手が出せない。
けれど冷静に観察していたことで、分かった事もある。このままではじり貧で負けるかも知れないという事実だ。
キモオタとガチホモとケモナーの戦い方は、三者三様。
ヒットアンドアウェイで戦うキモオタは、速さと攻撃力を程よく兼ね揃えたバランスタイプ。
力でごり押すガチホモは、速さこそないが攻撃力に特化したパワータイプ。
手数の多さで勝負するケモナーは、速さに特化したスピードタイプ。
対する悪魔も、それぞれ特質がある。
回避と攻撃を繰り返すアユミは、おそらく防御力が低い。そのため、キモオタと同じようなヒットアンドアウェイの戦法をとっているのだろう。
ガチホモと殴り合うソウマは、攻撃力と防御力が高い。その代わり、他二人の悪魔のような速さはない。彼も力でごり押すタイプだ。
ひたすら回避しかしないタクトは、速さと防御力が高いようだ。鞭を受けても然程ダメージを負った様子がない。
つまり、それぞれの相手と相性が悪いのだと、石崎は考える。
アユミには、彼女の速度を上回るケモナーを。ソウマには、彼の攻撃を回避できるキモオタを。タクトには、回避も防御もできない広範囲攻撃ができるガチホモを。
そういう陣形が理想だが、それを戦士たちに伝えることはできない。今の石崎は、あくまで援護と不意討ち係だ。悪魔たちに気づかれるわけにはいかないし、何よりあの変人たちが石崎の言葉に従うとも思えない。
石崎が不安げに見守る中、残念なことに、彼の予感は的中した。
最初に拮抗が崩れたのは、予想外なことにケモナーとタクトの戦いだった。
「タクト! 遊んでないで戦え!」
口元から黒い血を垂らしたソウマが叫ぶ。タクトはやれやれと頭を振り、申し訳なさそうに、ケモナーの鞭を掴んだ。
「む! これはいけない!」
そのまま鞭が強く引かれ、ケモナーは体勢を崩す。大きな隙だった。タクトはその隙にケモナーへ肉薄し、ごめんなさいと呟きながら、彼の胸に張り手を放つ。
「ぬおっ!」
まるで車に轢かれたかのように、物凄い勢いで飛ばされるケモナー。彼は廃工場の鉄柱に激突し、かはっと息を吐いて地面に落ちた。
「ケモナーちゃん!」
彼の安否を心配するガチホモの声。けれどそれは、失策と言う他ない。
「余所見してんじゃねぇよ、変態」
ソウマの拳が、ガチホモの頬に炸裂した。さすがのガチホモも、これは効いたようだ。数歩後退り、その場に膝をつく。脳が揺れたのか、しばらく動けそうにない。
ケモナーとガチホモは傷を負った。数秒は動けない。それが何を意味するか。
「アユミ。援護するよ」
タクトがアユミの元へ近づき、キモオタの腹を蹴り飛ばした。絶妙なタイミングだ。二対一を余儀なくされたキモオタには、かわすこともできない。豚のような鳴き声を上げ、地を転がるキモオタ。しかしダメージは低そうだ。腹の脂肪のおかげだろう。
拮抗した状態から、一瞬で窮地に落ちる。これが戦いかと、石崎は銃を持つ手に力を込めた。冷や汗で手が滑りそうな思いだった。
「ソウマ。この人たち、どうするの?」
息を乱したアユミが、肩で息をするソウマへ問いかける。この場において疲れを見せていないのは、タクトただ一人だった。
「……殺す。人間を殺したくはないが、こいつらを野放しにはできない。俺たちの同類が殺されるかも知れない。だからここで、殺しておく」
殺す。その言葉を聞いて、アユミとタクトの顔が曇る。決定をくだすソウマもつらそうだ。悪魔は人間との戦いを望まないというのは、どうやら本当のことらしい。
「一気に片をつけるぞ。なるべく……苦しませたくない」
ソウマの呟きに合わせて、悪魔たちはそれぞれの敵へ向き直る。追撃をかけるような真似はしなかった。悪魔たちは戦士が起きるまで、黙ってその姿を見つめている。今から殺す相手とその罪を、脳裏に刻み付けるように。
「は、はは、はっはっ、あまり舐めてもらっちゃ困るね。僕たちには人類を守るという使命があるんだ。簡単に負けないさ」
まず立ち上がったのは、ケモナー。彼は流れる血を手で拭い、爽やかに笑って見せる。虚勢だということは、誰の目からも明らかだった。
けれどここは、男の維持。ケモナーは鞭を構え、タクトへ向けて振るい続ける。
「……さっきより速いですね」
「あれが僕の本気と思ってもらっちゃ困るな。もう掴ませないよ」
タクトは再び回避に徹するが、先程よりも苦戦しているようだった。石崎の目からは、もう鞭の先端が視認もできない。凄まじい速度だ。だが、それも長くは続かない。
――殺すという覚悟を決めた悪魔は、本来の姿を現した。
「むっ、しまった!」
ケモナーは苦々しく思う。悪魔が本来の姿を現すとはつまり、真の力を解放するということ。ただでさえ強力な悪魔が、さらに強大となるのだ。現状を考えるに、絶望的な展開である。
「ふぅ。この姿を見られると、何か変な気分ですね」
そこにいたのは、美しい男だった。元の姿より少し身長が高く、元の茶髪はさらに色素を落として金髪に近くなっている。そして背中には、淡い光の翼のようなもの。服装もどこかの民族衣装のようだ。悪魔と言うよりは、天使。それがタクトの真の姿だった。
「くっ、届け正教育!」
ケモナーは全力で鞭を振るが、そのことごとくをタクトは手で弾く。まさに大人と子供。圧倒的な実力差だった。
「んぐぅ、待っててくれるなんて、優しいじゃないの」
一方。ようやく立ち上がったガチホモは首の骨を鳴らし、ソウマへ歩み寄る。笑顔だが、鬼のような笑顔だった。そこに和やかさはなく、鬼気しか感じられない。
「そぉら、まだまだ楽しみましょ!」
振り降ろされる棍棒。そこに込められた力は、悪魔をも吹き飛ばす程。しかしソウマは棒立ちのまま、片手で棍棒を受け止めた。とてつもなく硬いものを殴った感触に、ガチホモの眉がぴくりと動く。
「いや、もう終わりだ」
そしてソウマも、真の姿を現した。
背が低くなり、黒髪が腰まで伸びる。顔立ちも中性的に変わったが、身長や華奢な体躯のせいで少女にも見えた。頭には、二本の角。服装は和服に近い形だ。
彼の姿を見たガチホモの頭に、鬼の二文字が過る。
「……女っぽくなるから、この姿は好きじゃないんだが」
ソウマの声は、高くなっている。少女のような声だ。いや、変声期前の少年の声とも呼べるだろうか。顔立ちや体躯も合わせて、少女のような少年。それがソウマの真の姿だった。
「んふっ、それもそれで可愛いわ。わたしの好みじゃないけどねぇ」
「そりゃ良かった。俺はノンケだ」
ソウマはその場で体を回転させ、遠心力を乗せた回し蹴りを放つ。華奢な体つきになったということは、それだけインパクトの面積が狭くなったということ。ガチホモの脇腹に足がめり込み、彼は胃液を撒き散らせながら廃材へ突っ込んでいった。
「くふっ、こぷ、脂肪がなければ即死だった」
キモオタは起き上がらず、ごろごろと地面を転がってアユミへ近寄る。不気味な動きだ。訳が分からない。けれど何らかの企みがある踏み、アユミは軽く跳躍。キモオタの上へ着地し、踏みつけることで、彼の奇行を止めた。
それが彼の思惑通りだとも気づかずに。
「びふ、どぅぷこぽぅ、パンチラいただきますたぁ」
「っ!?」
人間をこよなく愛するはずの悪魔でさえ、背筋が凍るほどの嫌悪感。アユミはぶるりと体を震わせ、両手でスカートを抑えるという隙を作る。そう、その隙こそがキモオタの思惑。パンチラは副産物でしかない。
「でゅふゅ、バック責めだお」
彼は寝転がった状態で踏まれたまま巧みに槍を操り、アユミの死角となる背後から攻撃をしかける。必中の一撃。彼女の両手は塞がっており、足の下には分厚い脂肪があるため、避けるための踏み込みも利かない。
けれどその一撃は、途中で受け止められた。彼女の、尻尾によって。
「ふぁっ?」
アユミは涙目でキモオタを見下ろしながら、真の姿を解放していた。頭には獣の耳。手足も肘と膝の先からが毛に覆われ、爪も獣のように鋭くなっている。そして、槍を難なく受け止めた尻尾。服装は全体的に、獣の毛皮で作ったようなデザインになっている。まさに獣人と呼べる姿だ。
「……この、変態!」
アユミは軽く跳躍し、そのままバク宙。その勢いを利用して、キモオタの体を蹴飛ばした。
それら全ての様子を観察していた石崎は、絶望感に苛まれる。まさか悪魔がこれほど圧倒的とは思わなかったのだ。彼は日々のトレーニングを通し、歴戦の戦士たちの強さを知っている。だから今のこの状況が、信じられなかった。
「くそっ、自分が……」
石崎の役目は援護と不意討ち。けれど、彼の銃弾一つで場は変わらない。彼の銃より力強いガチホモも、彼の銃弾より速いケモナーも、彼の照準より的確なキモオタも、皆が負けたのだ。
今さらここで悪魔たちを撃ったところで、何も変わらない。そのことがどうしようもなく、悔しかった。
――けれど、石崎はまだ知らない。戦士たちの、本当の力を。彼らがなぜ、歴戦の戦士となったのかを。そして人間という生き物の、業の深さを。
「ぶひゅ、かはっ、い、痛いん…………ん?」
悶えるキモオタが動きを止め、じっと一点を見つめる。彼の視線の先には、真の姿を現したソウマがいた。
「ごらぁ! やってくれやがっ……た……」
廃材から這い出したガチホモが言葉を途切れさせ、じっと一点を見つめる。彼の視線の先には、真の姿を現したタクトがいた。
「う、くっ。まだ、負けるわけには! む?」
鞭を振り続けるケモナーが腕から力を抜き、じっと一点を見つめる。彼の視線の先には、真の姿を現したアユミがいた。
この場において、奇妙な静寂が広がる。まるで嵐の前の静けさのような、そんな静寂が。
戦士たちが作り出した静寂。それを壊すのもやはり、戦士たち。
そこに、嵐が吹き荒れた。
「どぅるぷはがぁぷこぽぉ! 男の娘! 男の娘おおぉぉ!」
「んんんっはああぁぁ! 好みドンピシャああぁぁ!」
「イエス! 獣っ娘! イエェェスッ!」
まるで今までの悪戦苦闘は何だったのかと問いたくなるような速度で、三人は標的を変える。キモオタがソウマへ、ガチホモがタクトへ、ケモナーがアユミへ。それは奇しくも、石崎が考えた理想的な布陣だった。
しかし、悪魔たちは真の姿を現しているのだ。今のままでは、例え相性が良くても力で押し切られる。そう考える石崎だったが、次の光景を見て彼は目を見開いた。
「ぶるほほぅばぷぁ! お、男の娘、男の娘ぉ」
キモオタの聖器が赤く光り、形を変える。先端で三股に別れた、トライデントの形へ。
「んほほぅ! 聖器にびんびん来るわぁ!」
ガチホモの聖器が黒い光りを携え、肥大化する。まるで血管が脈打つように、びくびくと震えているようにも見えた。
「ちょ、調教、首輪、躾……はぁっはっはっは!」
ケモナーの聖器が白い光に包まれ、根本から枝分かれする。今までのはカウボーイが使うような鞭だったが、今のこれは拷問用の鞭にも思える。
しかし武器の形が変わっただけだ。そんな石崎の不安は、腕を刺されて血を流すソウマと、地面へ叩き付けられるタクトと、痛みに鳴き声を上げるアユミの姿に掻き消された。
三人とも、別人のような動きをしている。どちらが悪魔か分からない形相で、涎を垂らして目を充血させながら、悪魔たちを翻弄している。
「さぁ、第二ラウンドだ」
戦士の誰かが告げたその言葉が、不思議と廃工場の中を反響した。
石崎は呆然と、戦士たちの戦いを眺める。それはあまりに圧倒的だった。なぜ戦士たちはこんなにも急に強くなったのだろうか。そう考え、一つの結論に行き着いた。
聖器の強さは、年齢と性欲に比例する。ならば戦闘中に性欲が高まったらどうなるだろうか。おそらくだが、それに反応して聖器も力を増すのである。
つまり今の戦士たちは、最高に昂った状態。ゆえに真の悪魔を圧倒できるほどの力を発揮しているのだ。
「…………」
なぜ歴戦の戦士たちがこの歳まで童貞なのか、まざまざと見せつけられている気分だった。けれどそれで人類が守られているのだから、まだ救いはある。
石崎は悪魔たちを少々憐れに思いながら、聖器を収納した。もう自分の出番は絶対にないだろうと思ったのだ。
「ぶほびゅ、がぼほぉ!」
「くそ、なんだこいつ! いきなり強くなりやがって!」
キモオタは汗と涎を振り撒きながら、ソウマを突き続ける。
「んっふぅ! すぐに逝かせてやるわぁ!」
「うわっ、強いなぁ。けっこうマズいや」
ガチホモは血走った目で、タクトを殴打し続ける。
「はっはっ、悪い子にはお仕置きだよぉ!」
「この人、速すぎ……きゃん!」
ケモナーはにやけながら、アユミを鞭で打ち続ける。
本当に、どちらが悪か分からない光景だ。これが人類のためと言うのだから、本当に笑えない。
悪魔たちが満身創痍になるまで、然程の時間はかからなかった。このままでは殺されると思ったのか、ソウマが叫ぶ。
「タクト! 任せた! アユミも、良いな!」
彼の声を聞き、その意味を悟ったのか、タクトが悲しげな顔を浮かべた。しかし、彼は何も言わない。何も言わないまま、ソウマの提案に従う。
三人の悪魔は戦士たちから一斉に距離をとり、一ヶ所に集まる。それを囲むのは、悪逆非道な表情の戦士たち。彼らはそれぞれの得物を手に、じりじりと距離を詰めていった。
そんな戦士たちには目もくれず、三人は顔を向き合わせる。悲しむタクトと、何かを決意した様子の他二人。悪魔たちが何をするつもりなのか、戦士たちには分からなかった。
「……良いのかい? ソウマ、アユミ」
「あぁ。やってくれ。あんな人間を生かしておいたら、人間の社会にも被害が出る」
「あたしも、このままだと人間が苦手になりそうだから。まだ人間を好きだって言える内に、お願い」
タクトは大きく息を吐き、頷いた。そして、二人の胸へ手を伸ばす。
「なっ!?」
その様子を見ていた石崎は、思わず声を漏らした。タクトの両手は、それぞれソウマとアユミの胸を貫通している。彼の手に握られているのは、黒い結晶のようなもの。資料で読んだ、悪魔の心臓だ。
タクトの突然の凶行に、戦士たちも言葉を失う。タクトが手を引き抜くと、二人の悪魔は最後に微笑みを浮かべ、砂になって散っていった。死んだ悪魔は砂となって消えるのだ。
「……確かに、受け取ったよ」
タクトは両手に持つ黒い結晶を見つめ、おもむろに、それを飲み込んだ。彼の喉が、二回鳴る。
何が起こったのか、そして何が起きるのか。それは、悪魔以外誰も分からない。分かることは一つ。ソウマとアユミの心臓を取り込み、タクトはより強大な悪魔へと進化したこと。それだけである。
背中から伸びる、三対六枚の翼。頭上に浮かぶ、日輪のような金色の輪。髪や服は白く染まり、どこからともなく吹き荒れる風になびく。今の彼を見て、誰が悪魔だと思うだろうか。天使。その言葉こそが相応しい、神々しい姿だ。
けれど、彼は悪魔である。人間が勝手にそう呼び出しただけだとしても、悪魔に違いはない。例え本質が別の何かであっても、悪魔は悪魔なのだ。人類を滅ぼさんとする、この世の悪なのだ。
「さて、第三ラウンド……ですかね」
悪魔は戦士たちを見渡す。戦士たちはまだ、動かないでいた。正確には、蛇に睨まれた蛙のように、動けないでいた。
「君たち人間に少し聞きたいことがあるんですが、いいですか?」
悪魔の口調はタクトのものだが、その声はタクトのものではない。複数人の声を同時に発しているかのような、不思議な声だ。よく見れば、顔立ちや骨格も僅かに変わっている。
「僕たちもバカじゃありません。だから、君たちのような人間のことも調べました。戦士、と呼ばれているそうですね。嘘か本当か知りませんが、童貞しかなれない職業だと」
戦士たちは、聖器を構え直した。
「僕たちは、生殖し子孫を残すことこそが、生物の本懐だと考えてます。だからこそそれを防ぐことで、人間に緩やかかつ幸福な死を与えようとしてるんです。けれどあえて生殖行為をしない事で、君たちは力を得ている」
悪魔は、軽く腕を振る。
「君たちのような人間は、生物として歪なカタチだと思いませんか?」
まるで見えない何かが叩き付けられたように、戦士たちは吹き飛ばされた。まるで悪魔が、魔法でも使ったかのように。
「まさか童貞であることに誇りを持っている、なんて言いませんよね。童貞であることは。生物としての役割を果たしていないという事だ。それをあたかも気高い事のように扱うなんて、歪んでいます」
悪魔は本心から、戦士たちを憐れんでいるようだった。
「君たちは、なぜ童貞なんですか?」
戦士たちが血を吐く。石崎からは何も分からないが、何らかの目に見えない攻撃を受けているらしい。先程の現象と、同じように。
「容姿や趣向、性癖は関係ありません。生殖行為をする機会なんて、その気になれば誰でも見つけられるはずです。君たちはただ、他人とコミュニケーションを取ることが怖いだけじゃないんですか? 異性や、同性でも他種族でも良い。君たちはただ、他者と接することを恐れているんじゃないですか? だから逃避として、そんな歪なカタチで僕たちと戦っているんじゃないですか?」
戦士たちは、震える足で立ち上がる。その目に映っているのは、恐怖だった。
「僕たちは人間にとって都合の良い存在です。人間が好む容姿に、人間が好む性格、そして人間への愛を持っていますから。人間からすれば、子孫ができないことを除けば、僕たちは理想的な存在でしょう。あぁ、自慢ではありませんよ。事実です。僕たちはそういう風に創られていますから」
悪魔は両手を広げ、訴えかけるように言葉を紡ぎ続ける。
「けれど、都合の良い僕たちとではなく、人間同士で恋に落ちて子供を作る者もいる。僕たちは君たちのように歪な人間よりも、そういう人間の方が脅威に感じます。だって、そういう人間は人間の不完全さを認めているのですから。だからこそ尊く、美しい。人間とは素晴らしい存在なのだと、再確認させてくれます」
悪魔は一瞬で、キモオタの前へ移動する。失礼しますと呟き、彼の額に触れる。攻撃ではない。もっと労るような手つきだ。
「……なるほど。君は人間の醜さを知ってしまったんですね。だから現実に絶望し、アニメやマンガやゲームの世界に傾倒した。創作物のキャラクターは美しく、綺麗ですから。誰も君をいじめませんから。その気持ちも、分かりますよ。僕たちもある意味、創作物のキャラクターのようなものですから」
「ひっ」
次に悪魔は、ガチホモの額に触れた。
「……なるほど。君のルーツは学生時代なんですね。人間の性癖の多くは、学生時代の環境によって変化するらしい。同性愛に傾倒した君は、社会から爪弾きになった。でも、大丈夫ですよ。人間が人間を愛するのに。性別など関係がない。生殖を行うことも大切ですが、それ以上に尊いものもありますから」
「うっ」
最後に悪魔は、ケモナーの額に触れた。
「……なるほど。君は人間が信じられないんですね。人間は裏切る生き物であり、嘘をつく生き物だから。その点動物は良い。動物は嘘をつかないし、裏切らない。それもまた、一つの愛です。例え他人に理解はされずとも、僕たちは君を認めますよ。僕たちの中には、動物の姿をした者もいますから」
「むぅ」
悪魔は元の位置へ戻り、戦士たちへ微笑んで見せた。どこまでも慈愛に満ちた、天使のような顔で、
「僕たちは、全ての人間が幸せであるべきだと考えています。その手助けをすることも、自分たちの存在意義だと考えています。だから、僕たちは君たちにも幸せになって貰いたい。童貞を貫いてまで戦いに身を置く君たちも、もっと幸せになるべきだ。もっと満たされて、もっと気持ちよく生きるべきだ。そのために、僕たちはいるのだから」
悪魔が戦士たちへ手をかざすと、彼の背の翼が光を放つ。優しい、見ているだけで安心できる光だった。
上から見ていた石崎は、我が目を疑った。悪魔の三対六枚の翼が散り、それぞれ三人の戦士たちの前で、別の形を作る。
キモオタの前には、セーラー服を着た素朴な顔の少女を。ガチホモの前には、スーツを着たクールな眼鏡の男性を。ケモナーの前には、純白の毛をしな一匹の猫を。それは、彼らの『アイドル』、彼らの『イケメン』、彼らの『ペット』。彼らのための、悪魔だった。
「君たちの深層心理から、君たちが最も魅力的だと思う姿を呼び出しました。僕たちは人間を深く愛している。君たちの欲望も、幸福感も、全てを満たすことができる。まずは僕たちで、他人を愛するということを思い出して欲しい。僕たちに欲望をぶつけても構わない。僕たちにどんな扱いをしても構わない。僕たちで、幸せの中に沈んでください」
悪魔はキモオタの方を向く。
「それは君の初恋の相手ですね。彼女は君を拒絶しない。君がどんな趣味を持っていても、どれだけ自分の容姿や性格に自信がなかろうと、彼女は決して君を見捨てることはない。君が頼めば、どんな要求にも応えます。異性と肌を重ね、人間の暖かさというものを思い出してください。僕たちは、君の味方です」
悪魔はガチホモの方を向く。
「それは君が憧れた相手ですね。彼は君を受け入れる。君の愛に、君の要望に、必ず応えてくれる。世間体なんてものを気にする必要も、無理に自分を偽る必要もありません。彼は全てを包み、君を守ります。人の温もりを知り、自分の殻に閉じこもるの事の無意味さを思い出してください。僕たちは、君の味方です」
悪魔はケモナーの方を向く。
「それは君が飼っていた相手ですね。その子は君に忠実だ。いかなる時も君を癒し、君に悲しみを与えない。その子の寿命は長いから、もう別れを嘆くこともない。僕たちの体は普通の生き物よりも丈夫だから、体を重ねることもできるでしょう。何か一つのものへ愛を向けるということを、思い出してください。僕たちは、君の味方です」
悪魔のささやきはどこまでも優しく、甘美で、魅力的だった。
全てを俯瞰していた石崎は、戦意を失う。もう駄目だとさえ思った。
戦士たちの性欲が強いことは周知の事実だ。そんな彼らの前に、理想的な姿で従順な悪魔が現れたら、どうなるのか。そんなこと、言うまでもない。彼らは聖器を失い、戦士ではなくなるだろう。
それが確信できるほど、悪魔のささやきは人の心を包み込むのだ。人並みの性欲や完成しか持っていない石崎も、同じことをされれば抗えられるか分からない。
悪魔の優しさに、悪魔の幸福に、沈んでしまいたくなる。
「…………」
これが悪魔なのだ。甘く優しく、徐々に人間を腐らせていく。そして、ゆっくりと人類を滅ぼす。石崎は悪魔と戦っていく自信がなくなった。
なぜなら、悪魔は人間と敵対するつもりなどないのだから。悪魔は人間を愛しているだけなのだから。
光を失った石崎の目には、三人の戦士たちが映る。三人の戦士たちは、呆然とした顔を一転させ、笑っていた。心の底から安心したように、優しい世界を笑うように。
「ぶふ、こふっ」
「んふ、んふふ」
「はっはっはっ」
戦士たちは笑い、笑い――聖器を振るった。
「…………なに?」
キモオタの槍が、彼だけの『アイドル』を貫く。ガチホモの棍棒が、彼だけの『イケメン』を潰す。ケモナーの鞭が、彼だけの『ペット』を引き裂く。
悪魔は愕然としていた。悪魔だけではない。それを見ていた石崎も、目の前の光景が信じられなかった。なぜ自分の幸せを壊してまで戦うのか、理解できなかった。
「なぜ、僕たちの手を取らないんですか? 君たちの理想でしょう? 僕たちは、君たちの常人離れした性欲にも応えるというのに。そして、君たちを幸せにできると言うのに」
戦士たちはそれぞれ武器を構え、さも当然の事のように答える。
「貞操一つ守れない奴が、人類なんて守れるかよ」
その言葉は、石崎の頭と胸を強く叩いた。戦士とはどんな存在なのか、見せつけられた気分だった。
「……は、ははは」
石崎は瞳に光を取り戻し、己の股間に右手を当てる。彼らが戦うと言うのだ。自分も戦わない理由はなかった。
「聖器、解放」
股間が熱くなる。ズボンのチャックが独りでに開き、堅いものが現れる。石崎はそれを掴み、すっと引き抜いた。それは、黒光りする拳銃。石崎の聖器。
「『玉無し』」
石崎は両手で拳銃を構え、銃口を悪魔に向けた。悪魔はまだ動揺している。戦士たちに気を取られ、信じられないとばかりに、大きな隙を晒している。
「っ!」
石崎の指が、引き金を引いた。弾丸は吸い込まれるように、悪魔の頭へ向かっていく。咄嗟に気配を察し、悪魔は避けようとする。けれど、圧倒的に遅かった。
銃弾は悪魔の頭上の輪を壊し、それでも勢いを衰えさせず、悪魔の肩に撃ち込まれる。
それを合図に、戦士たちは一斉に攻撃を仕掛けた。
悪魔はなぜか、全ての攻撃を受け入れた。腕が飛ぼうが、腹に穴が空こうが、半身を潰されようが、悪魔は抵抗しなかった。もしかしたら、翼と頭上の輪を失ったことで、力の大半も失っていたのかも知れない。真相は、誰にも分からないが。
「……負けちゃいましたね」
悪魔は地に伏し、まるで他人事のように言う。表情は穏やかで、何を考えているのか分からない。けれど、少しだけ、悲しそうだった。
「あの、最期に一ついいですか?」
悪魔は戦士たちを眺める。キモオタ、ガチホモ、ケモナー、そして石崎。全員を見てから、僅かに表情を緩めて見せた。彼の体は、すでに半分以上が砂になっている。
「僕たちは、人間が大好きです。だから君たちも、もう少しだけ人間のことを好きになって欲しい。人間の素晴らしさを、少しでもいい、思い出してください」
悪魔はそれだけ言い残し、完全に消えた。後には、風に舞う砂しか残らなかった。
彼の部屋を一言で言うなら、美少女に囲まれた部屋、その表現が相応しいだろう。壁には余すところなく等身大パネルやタペストリーが飾られ、天井さえも画鋲止めされたポスターやチラシなどで埋め尽くされされている。
棚にはところ狭しとライトノベルが並び、同人誌は床に平積みだ。棚の上も、百体以上のフィギュアに彩られていた。コンセント周りには各種ゲーム機のプラグが散乱し、近くにはゲームソフトのパッケージやブルーレイのケースが乱雑に積まれている。
唯一足の踏み場となりえるベッドには、等身大の抱き枕。もちろんカバーは美少女。少々使い方が雑なようで、黄ばみが目立つ。ちょうど腰の位置にあたる部分には、かぴかぴとなった染みも着いていた。
そしてそれらのグッズなどに描かれた美少女は全て、アニメやマンガやゲームのキャラクターである。
典型的な、オタク部屋。いや、少し違うか。マスコミやメディアなどがオタクと呼ばれる存在に負の印象を与えるため、過度に取り立てるやり過ぎなオタク部屋。それを実現させたのが、その男の部屋だった。
「こふっ、こふっ、ぶふ、ぷはっ」
彼はベッドの上でパソコンを弄りながら、笑みを漏らす。端から見れば別の不気味な何かに聞こえようと、彼にとっては楽しげな笑い声だ。アニメを流しながら掲示板を読み、煽り文句を書き込んで憤る人を観察する。彼の至福の時間だった。
「ふほ、ふほぼ、炎上乙」
掲示板を荒らし終え、次の炎上先を探す。そんな彼の元へ、一通の電話がかかる。ただの電話だ。出勤の要請ではない。
「ちっ」
良いところだったのにと悪態をつきつつ、彼は通話拒否ボタンをクリックしようとして、少し止まった。そのまま三コールほど待ってから、通話ボタンをクリックした。
「……はい。え? オフ会? ……行きます」