半妖精と曖昧男 〔2〕
〔2〕
その呆然と突っ立つだけの、灰色の髪持つ男に。
ようやく気づいたのか、周囲にたむろする連中――人攫いの一行の内から、山賊めいた格好の男が声をあげる。
「おい、なんだこいつ。どっから潜りこみやがった」
遅まきながら発せられた警戒の呼びかけに。周り中からいかつい男たちが集まってくる。
また別の男が詰問めいて声をなげる。
「誰だぁ? 知らんぞ、こんなヤツ。おいテメェ、どこのモンだ。おれらのことを知っての上か!」
「う? うー……」
だが問いかけられた灰色の髪の男は、不明瞭にうめくのみだった。
そんな応じ方をされたならば、山賊めいた連中が激昂しないはずもない。
「てめぇ! ふざけてんのかっ」
灰色髪の男に対し、山賊連中の一人が肩を掴みかかり、その引き倒した。
灰色髪の男は何の抵抗もせぬまま転がされて、無様と土にまみれるばかりだった。ただ痛みは分かるものか、反応するようにうめき声はあげていた。
「あ、あ。うー……あああ」
「なんだこいつ……。物狂いなのか?」
あまりの異様な様態に、無力に見えるとはいえかえって困惑を覚えたらしく動きの止まる山賊連中。その数呼吸の間に灰色髪の男は立ち上がり直すと、再び箱馬車の小窓を眺めだした。
それを見やった山賊連中の一人が、見切ったように仲間たちへ声をかける。
「ちっ。わけが分からねぇが、おい、こいつ始末するぞ」
「んだぁ? 捕まえて売っ払えばいいじゃねーか」
「こんな頭のいっちまってるヤツを欲しがる買い手なんざいねーよ」
「そうかぁ? 意外と若くて整った顔してやがるみたいだし、こういうのがいいっていう変わった趣味の御方だって中にはいるもんだぞ?」
「そうかもしれんが、これ一匹のためにいちいちそんな買い手まで探してはいられんし、今回は運ぶ余裕もない。いいからやるぞ」
「しょうがねぇなぁ。おいお前ら、念のため押さえ込んどけよ」
結論を出した山賊男たちは、灰色髪の男に対して数人がかりで肩腕を組み伏せて、取り巻くさらに数人が剣を抜きつけた――
そうした騒動を、箱馬車の中の娘たちとて聞き及ばぬところではない。むろん、その内の一人たるレリアも。
場合によっては自分たちにまで騒ぎの累が及ぶかもしれないのだ。気になった娘たちはめいめいに事態を確かめようとする。
レリアもまた、繋がれた鎖の長さが許す限りにおいて、身を伸ばし換気窓から周囲を覗き込んでいた。
そして目に映る状況は、少々不可解なものだった。人攫いの連中に、明るい灰色の髪を持った一人の男が組み伏せられようとしていた。奇妙な男だ。こんな林の奥を通る裏街道に見かけるには薄着に過ぎる。簡素な麻の上下を着ているのみで、外套の一つもまとっていない。なにより、その目が。偶然か、男はレリアのいる方を向いていたため見えたのだが……。その男の目はどことも視線が交わらず、焦点が結びついていない。それでいて視界のすべてを映し込んでいるような底知れなさがあった。まるで冷たくも暖かくもない沼地のような、と、そんな連想をもたらす目だった。
だが状態が急変する。人攫いの連中が剣を抜いて向けた途端、灰色の髪の男が身じろぎもうめき声も止めたのだ。そして、目が。目が変わった。取り囲む連中も、剣を振り上げる男も気づいていない……灰色髪の男の目が、しっかりと剣先を見定めていることに。
それはこれまでのような曖昧としたぼんやり目とは明らかに違った。場の一切を把握して、理の深奥を見抜くごとき、透徹の眼差し。わずか瞳の覗けた数瞬間だけ……レリアには垣間見えていた。そして次なる一間に灰色髪の男が動き出す。
ぬるり――と、その場の誰も理解及ばぬ動きで、気がつけば灰色髪の男が拘束を脱して。剣を振り上げる男の手を下からすくう動きで柄を奪い取ると、流れるように転じて首を斬っていた。
あっという間もなく。両隣の男たちの首も続けてなで斬られる。まるで雑草を刈り払うような気軽さだった。
「なっ!? てめぇ――」
激昂の声をあげかけた人攫いどもの一人だったが。
その声が実を結ぶことはなかった。なぜなら灰色髪の男が被せるように、はるか上回る大音声を轟かせたからだ。怪鳥の雄叫びがごとく。
「イイイイィィィ――――ッィヤァアアアアアアアアァァッ!!!」
周辺一帯を丸ごと打ち据えるがごとき大喝の一声であった。もし間近で聞いたならば鼓膜が破れかねないほどの。距離を置き箱馬車の中にいるレリアですら、耳を押さえて身がすくみ、思わず目までつむってしまった。箱馬車のそこここで木板の表面がビリビリと震えている。
そのまま数呼吸の間が経ち。おそるおそると目を開けたレリアが改めて小窓から覗き直すと……
血煙が噴いていた。人攫いの連中が一人残らず首を失い、いまだ倒れ伏す以前の身体が断面から赤い滝の逆流を上げている。いったい何がどうしたらそうなるのか。理解を阻む壁が差し込まれたがごとき光景だった。
見やると、ただ一人無事と立つ灰色髪の男が剣を手に、数十歩の遠くから箱馬車のある方に身を向けていた。その姿は不思議と血に汚れていない。あれほどの血が噴いた場においてなぜ……とそこまで考えた時点でレリアは気づいた。風向きだ。風の精霊術にも通じる森妖精の感覚が教えてくれる。あの灰色髪の男は風上に歩を置くことで墳血を避けているのだ。それどころか返り血すら浴びぬよう駆け抜けたのか。たった数呼吸の間に十人からの無頼漢を切り伏せておいて、そこまでする余裕があったというのか……
驚愕のままに目を見開いて釘付けとなるレリア。他の娘たちの中には悲鳴をあげようと息を吸った気配もあったが、その結果は声にならず口の中で擦過めいた音をかすか鳴らすのみであった。
灰色髪の男の顔がレリアの方を向く。まさか視線が合った瞬間に切り殺されるかと、本能的な恐怖がレリアの身を這い上がる。が――
なぜか灰色髪の男は、手に持つ剣をその場に取り落とす。途端、眼差しは見る先を失ったかのごとく、どこにも定まらぬ茫漠なる体と化す。そして口からは、
「あー……。うあ?」
ふたたび物狂いのごとき意味なきうめきだけがもれていた。どうやら剣を向けられる前の状態に戻ってしまったようだった。
この男はいったい何なのか。疑念に煩悶と苛まれるがごときレリアだったが、さりとて今は時間を無駄にしている場合ではない。あの男はチャンスなのだ。理由はどうあれ人攫いどもを倒してくれた。それは大変ありがたいことだったが、ただしこのままではレリアたちは箱馬車に閉じ込められたままとなってしまう。馬車の作りは脱走防止のためかやたらと頑丈で、女の身の力では破れそうにない。かといって術法の類いを使うことも出来ない。魔封じを兼ねた隷従の首輪をはめられてしまっている。もはや内側からではどうしようもないのだ。
外に立つあの灰色髪の男に、どうにかして助け出してもらう必要がある。だが何と声をかけたらよいものか。下手に刺激することはこちらの身を危うくしかねない……。かといってこのまま手をこまねいている間に立ち去れてしまったら、最悪だ。もはや覚悟を決めて、選択を下さなくてはならない。
(――手記はここで途切れている)