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御門先輩に連れられてきたのは、四階建てマンションの一階部分を贅沢に使った喫茶店だった。
夕方だというのにお客さんは誰もおらず、そのせいか店主はどこか苛立たしげだ。
「妹さん、ずいぶんと見た目が変わったな、こりゃ確かに刺激的だ」
私が首をかしげていると、先輩がツッコむ。
「なわけないでしょ、別人ですよ。お客さんです」
先輩、妹さん居たんだ。まあどうでもいいけど。
「お前がわざわざ連れてきたってことは、なんだ、悩み事でもあるのかその子」
「まあそんな感じで、あと一応、後で補足説明させてください、まずは話を聞いてからにしましょう。ああ、俺、席外したほうがいいかな?」
「そうだな、乙女の悩み相談なんだ、夕飯の材料でも買ってきてくれ、冷蔵庫に何もない」
「りょうかーい」
そんなやり取りをして、先輩は店を出た。
私はまったく状況についていけず、ただポカンと口を開けて突っ立っていた。
「さて、それじゃ話を聞こうか、適当に座って。あ、何か飲む?」
「え、あ……はあ、それじゃあ」
カウンターの一席に座り、真正面から店主を見つめる。
綺麗な銀髪、ハーフっぽい顔立ちに、長い睫毛。なんて美人なのだろう。
いや、それにしても、私は先輩に『悩み事がある』なんて一言も言っていない、問題はそこだ。
「あの、アリス……さん?私、何でここに連れてこられたか分かってないんですけど」
自分が状況についていけない事に苛立ちを感じてか、はたまた先輩が勝手に私の事を分かったように事を進めたのが嫌だったのか、それともその両方か、いつにも増して無愛想に言い放つ。
「そりゃあお前、アイツが必要だと思ったからじゃないの?コーヒーでいい?」
「おかまいなく!」
さも当然といった風に振る舞うアリスさんに、やはり苛立つ。
意味が分からない、あの先輩はいつもマイペースだけど、こういう事は当事者となる私に事前に説明すべきだし、いくら自由人でも限度がある。
「ストレスたまってるねえ、落ち着きなよ、別に君をどうこうしようって訳じゃないんだ」
アリスさんは私が噛みついても全然気にした素振りを見せず、飄々としている。
なんで、こんなことに。
「さて、それじゃあ君の話を聞こうじゃないか。最近嬉しかった思い出は何かな?」
コーヒーが注がれたマグカップをカウンターに置いて、お砂糖はご自由にどうぞなんて言いながら訊ねて来る。
「…………」
まじまじと目の前に出されたそれを見つめると、コーヒーの香りが鼻孔を刺激する。
暖かな湯気を放つそれは、ある意味芸術的という言葉を感じさせるほどの感動を与えてくれた。
「……このコーヒーがおいしそうって事ですかね」
この人のペースに乗せられるのは癪だ、だから私は精一杯捻くれた答えで応戦する。
「あらあら、嬉しいね、お代はとらないから、遠慮なくおかわりもしていいからね」
よほど嬉しかったのか、満面の笑みで応える彼女に邪気はなく、私の悪意は完全に空回りした。
十分くらいだろうか、私はすっかりアリスさんと打ち解けてしまった。
「じゃあ次の質問ねー、オムレツはソース派?ケチャップ派?」
「ケチャップ……って、悩みを聞いてくれるところなんじゃないんですか?ここは。さっきからずっとこんな質問ばっかり……」
今までこんなに初対面の人に気を許したことはない。
なのにこの人は、何というか、不思議な魅力のある、という言葉でしか表せられないほど、魔的な魅力の持ち主だった。
「だって楓ちゃん、悩みなんてないんでしょ?」
「うっ……それは、悩みと呼べるかもわからないほど些細なもので、しかも、私はその解決法を知っていますし、人に話すほどのものじゃないです!」
ふふふと笑って、アリスさんはこちらを見据える。
その眼差しは体の内側を撫でられるかのようで、正直良い心地はしない。
「それは変じゃない?」
「えっ……?」
「じゃあ、方法は分かっているのに実行しないのはどうして?」
「……それは、あの……」
今まで誰にも打ち明けたことのない悩み。
わがままだと言われるだろうか、子供っぽいと言われるだろうか。それでも私はこの悩みと真剣に向き合ってきた。
この人に打ち明ければ、変わるだろうか。
不思議と、そんな気にさせられる。
解決法が分かっていても、実行できるかどうかは別問題だ。
それが自分の命を代償に解決されるとしたら、尚のこと。