第二話 前途多難の着任(3)
うまく途中で切れなかったので、少し長めになってしまいましたが、お待たせしました。第二話がこれで終了です。最後の最後でタイトルの意味が判ります。どんだけ引っ張っているんだって話ですよね。すみません。
自 2005年2月23日
至 2005年6月6日
ゴウは一礼をして、迎えを待つ他の二人を置いて部屋を出た。
「えーと、現在地点がここで、さっき格納庫から来た道がこっちだから、目的地に行くには…」
司令室を出たところで立ち止まり、地図を確認する。それからまわりを見渡した。通路には案内になる様な標識は一つもない。ただ同じ様な淡いグリーンの壁が続いているばかりである。不親切と言えば不親切だが、船内には関係者のみなのだ。初めのうちはとまどっても、じきに慣れるのだから、わざわざ手間ひまかけて標識をつける必要はないのに違いない。
「この辺の筈なんだが…」
地図でいちいち確認しながら来たつもりだったが、どれも同じ様な曲がり角だったので、どこかで間違えてしまったらしかった。誰かに道をきこうにも誰も通りかからない。ただ間違えたにしても曲がり角を一つか二つ間違えたくらいだろうから、目的地の技術部門はとにかくこの辺に違いない。待っていても誰も通りそうにないので、手近のドアを開けて見ることにした。一番手前のドアはノックしてみたが、何の反応も返ってこない。おそらく普段は使われていない――物置か何かの――部屋なのだろう。誰もいないようなので、その斜め向かいのドアをノックする。
「はあい、どうぞ」
明るい声で返事が返る。ドアを開けるとどうやらそこは台所らしい。こちらに背を向けて長い髪の人影が、レンジの上の鍋をかき回している。
「ちょっと待ってね。今、火を細くするから…」
こちらが何か言い出す前にそう制された。
「さて、これで良しっと。で…何? あら…えーと、新人さんね」
振り向きながらたずねかけ、見慣れない相手にそれと気づいたのだろう。そうつけ加えた。それからゴウにしゃべる間も与えず、言葉を続ける。
「ゴウ・キタノ君だっけ? ようこそ技術部へ…と言いたいところだけど…。何でまた台所から? 表の入り口は向こう側よ」
「あの……どうも道を間違えたみたいで…」
入り口は違ったが、どうやらここが技術部らしい。とすれば、今、目の前にいるのがチーフだろうか。技術部門には女性は確か一人だけの筈だし、どうやらこちらの顔も知っているらしい。
「あら、誰も迎えに行かなかったの?」
「はい、お忙しいみたいでしたので、見取図を頼りに…」
「それは悪かったわね。うちは時間で手が離せるっていう仕事じゃないから…。いろいろ説明してあげたいけど、見ての通り私もいま料理中で、すぐには手が離せないし…」
言いながらくるりと振り返って、鍋の中を覗き込む。
「まだ大丈夫ね」
そうつぶやいて、ゴウの方を向き直り、
「とにかくここじゃ何だから、こっちいらっしゃい」
奥のドアを開けてゴウを手招きする。
「ここが共同の居間兼食堂。悪いけどここでちょっと待っててくれる?」
言いおいて、その部屋の奥にあるドアを開けた。
「ちょっと誰か何とか手、開けられない? 新人さん来てるんだけど、私も手、離せないのよ」
「あっ、チーフ、わかりました。あともうちょっとだけ待って下さい。俺の方、もう上がりそうなんで…」
「そう、じゃあ頼むわね」
戻って来て、ゴウに声を掛ける。
「今一人、もうじきあがりそうだって言うから、悪いけれどもうちょっとだけ待ってね。詳しいことは彼が話すと思うわ。あっと、紹介が遅れたわね。私がここのチーフのナツキ・ノダです、よろしくね」
「あっ、こ…こちらこそよろしくお願いします」
「じゃ、またあとで」
慌ただしくノダチーフは再び台所に消えた。ゴウは一つ溜息をついて、そこにあったソファに座り込んだ。手際良く事態を処理したチーフの手並みに気を飲まれていたと言っていい。反感を感じるひまもなかった。女だてらになどと言ったら差別用語だと怒られるだろうか。でもホントにそんな感じだったのだ。もっとも、もちろんそのぐらいでなければ、チーフなど務まらないのではあろうが…。気を取り直して部屋の中を見回す。ドアは全部で六つ、うち一つはさっきゴウが入って来た台所に通じるもの。またさっきチーフが開けたのは多分、仕事をする部屋のドアであろう。ここは技術部門だから研究室といったところか。残りの四つのうち一つはさっきチーフの言っていた表の入り口だろう。――そうだ見取り図を持ってたんだっけ――手に持っていた見取り図に目をやる。――なるほど、あっちの二つのドアが個室につながっているんだ――個室は全部で八つ、技術部は確かゴウを入れて六人の筈だから、今のところ部屋は二つ空いていることになる。見取り図を見る限り、どの部屋を誰が使っているのかはわからない。全体の見取り図のせいなのかそこまでは記入されていないのだ。
「ここで暮らすのかあ…」
ぽつりとつぶやいてもう一度部屋の中を見回す。台所に近い方には大きな食卓、シンプルなデザインながら、どこか暖かみのある風情を醸し出している。それは部屋全体の調度についても言えることだった。どこかカントリー調の素朴な雰囲気を漂わせて居心地の良さを演出していた。
「それにしても本当に最果てまで来ちゃったんだよなぁ」
「最前線とも言うがな」
誰にともなくつぶやいた言葉に、突然後ろから答えが返って、ゴウは飛び上がった。驚いて振り返れば、ゴウより二つか三つ上ぐらいの青年が笑顔で立っていた。
「やあ、初めまして。僕はカール・シュタルト。ここじゃカールって呼ばれてる、よろしくな」
「あっはい、ゴウ・キタノです。こっ…こちらこそよろしくお願いします」
先に名乗られて、あわててゴウも答え返す。それからハタと気づいて問い返す。
「最前線ってどういうことですか?」
さっきカールが言った最前線という言葉が引っかかったのだ。こんな辺境がどうして最前線なのだろう。
「太陽系の外れには違いないだろ?」
軽くいなされる。確かにそういう意味にもとれなくはないが、さっきの言い様はどうも違ったような…。
「はあ…まあ…」
今一つ納得しきれないまま、あいまいに返事をする。
「まっそれはおいおいわかるだろうよ。それよりどうだいここは?」
「どうだい…と言われても…まだ着いたばっかしですし…」
いきなり振られた話に、何と答えてよいかわからず、ゴウは言葉を濁す。
「でも来る前に少しぐらいは想像してみたろ。それに比べてどうかなと思ってさ」
カールの気さくな話し振りには好感が持てる。だからといってここに満足できるとは思えない。それにこの人当たりの良さだって本心からかどうかはわからない。貴重な人材を逃がしたくなくて、人当たりの良さをよそおっているのかも知れない。こんなところまで来てくれる人材なんてそうはいないのだろうから。
「そうですね、想像してたのより居心地は良さそうですけど?」
少しぐらい持ち上げてこちらの印象を良くしておこう。この配属先が気に入らないとしても、当分ここでやっていくしかないのだから。
「それ以上のことはわからん、というわけか。まあそんなところだろうな。まだ他のメンバーにも会っちゃいないし…。じゃ、取り敢えず君の部屋に案内するよ」
カールはそう言って、台所の反対側にあるドアを開けた。まっすぐな通路の両脇にそれぞれ二つずつドアが並んでいる。
「この右手前が君の部屋だ」
ドアを開けるとベッドと机が並び、奥にはマルチキャビネットが置かれていた。
「この個室の中は自分のプライベート空間だから、好きに使っていいよ。家具の配置も自由だし、何を持ち込んでもいい。ペットを飼っても構わないが、個室内で飼育できるものだけという制限がある。まあ当然だとは思うが…。防音もしっかりしてるから中でどんなに騒いでも大丈夫。日用品は船内で買えるものと冥王星の基地まで行かないと買えないものとがある。何が必要かは人それぞれなんで、自分にとって必要なものはどこで買えるかしっかり把握しておくことだな。で、それ以外のものは通販で頼むしかない。カタログ類は居間に備えてあるんで、各自それを見て注文する仕組みだ。ここまでで何か質問は?」
ゴウが持って来た荷物――と言っても当面必要そうなものだけだ。急がない着替えとかは別便で送ったのでまだ着かない――を片付けている脇で、カールが矢継ぎ早にそう説明する。何か質問はと問われても、あまりに早すぎてまだ良く飲み込めていない。
「えっと…あの…特には…」
「じゃ、話を進めるよ。今も言ったように個室はプライベート空間だから、人の部屋に勝手に入ったり、覗いたりするのはなし。自分の部屋も入られたくなければ鍵をかけておいていいよ。まっもっとも俺たちの誰もかけちゃいないがね。でも君は来たばかりで俺たちのことを知らない。知らない相手をいきなり信用しろっていっても無理な相談だろ。だから君が鍵をかけたからって、君の心証が悪くなることはないから安心していいよ」
鋭い所を突いてくる。まるでこちらの心を見透かされているかの様だ。でももしかしたら彼もここに来たばかりの時にそう言われて、同じことを思ったのかも知れない。何となく、まっそんな顔するなよ。俺もわかるぜって感じがする。荷物を片付けたゴウをつれて廊下に出たカールは斜め向かいのドアを指さす。
「あそこが俺の部屋。んで君のとなりがアル、俺のとなりがペーターの部屋。まっメンバーの紹介はあとだけどな」
再び居間に戻ってソファに腰を降ろす。
「ここが共同の居間兼食堂ってのはチーフから聞いたかい?」
カールの問いにゴウはうなずく。
「さっき俺が出て来たドアの向こうがラボ――研究室――だ。まっ俺たちの仕事場だな。この空域はあまり一般の宇宙船は来ないから、管制業務はあまりない。したがって専任の管制官がいないので、誰でも管制業務ができる必要がある。それは新人も例外じゃない。当然君にも覚えてもらうよ」
「えっ…」
げっと思う。そんな話、聞いてないぞ。えっ、ちょっと待って誰でもってことはリジーやチェンもか? 機関部のチェンはともかくも、リジーは通信部だぞ…ゴウは驚いた。管制官がいないという事情はわかる。めったに来ない船のために専任の管制官を置くのは確かに無駄に違いないが…。
「あの、それって通信部とかも…ですか?」
「ああ、当然だろ。冥王星だけじゃなく海王星や天王星でもそれが普通だぜ」
「はあ…」
「それから、管制空域のパトロールもあるからね。詳しくは後で説明があると思うけど…」
たたみかけるようにカールは言葉を続ける。何か話を聞いていると想像以上に仕事は大変そうだ。知らず溜息がもれる。やっぱとんでもないとこへ来ちゃったなァと思う。そんなゴウの横顔をカールはしばらく面白そうに眺めて、ニヤリっと笑うと口を開いた。
「飛ばされたって思ってんだろ?」
「えっ…そんなこと別に…」
「別にって…そんな顔してねぇぜ。正直に言っちまいな。最初は誰だってそう思う。特に新人ならな」
特に新人なら? どういうことだろう。
「じゃあ、あなたもそう思ったんですか?」
敢えて問い返して見る。さっきからの様子を見る限り、このぐらいのことで心証を悪くすることはなさそうだと判断してのことだ。ここではセオリーは通用しないとは何度も聞いたが、それでもあからさまな対立は避けたかった。
「んー…そうだな。まあ半分はね」
「半分? じゃあ、あとの半分は?」
「期待でワクワクってとこかな?」
「期待? 何をです?」
こんな辺境で期待できることって一体何なのだろう。ゴウはそれが知りたかった。
「あのノダチーフの下で仕事ができるってことにね」
まただとゴウは思った。またあの〈・・〉がついている。どういうことなんだろう?
「女の下で働くってのに期待したんですか?」
「その言い方は気に入らないな。少なくとも上司に向かって言う言葉じゃない。口の利き方には気をつけた方がいいよ」
思わず本音の出てしまったゴウに対して、カールはかなり冷ややかに叱り、ぴしゃりとそう答える。その言い方にゴウは少しムッとする。
「気をつけろって、どういうことです?」
「こういうことさ」
カールはそう言うなり、ゴウの横っ面を張り飛ばす。
「あたあっ…、何するんですか、いきなり…」
「今、忠告したろ。口の利き方に気をつけろって。チーフに対してあんな言い方すれば、俺だけじゃない、他の連中にも同じことされるぜ」
「えっ…、チーフが怒るんじゃなかったんですか?」
上司に向かってというカールの言葉から、ゴウはチーフに直接そう言うなと言われたのかと思ったのだが、どうやらそうではなかったらしい。
「だと思ったんなら、勘違いしたのは君の方だ。チーフなら面と向かって『女のくせに』なんて言われたとしても、にこにこ笑って相手にしないだろうね。あの人は大きいからね」
少し…そうほんの少しだけ遠い目をして、カールはそう言う。大きいというのはこの場合、心が広いということだろうか、それとも人間ができてるってことだろうか。それにしても着任早々、先輩にはたかれるなんて…こりゃ前途多難だと、ゴウは深い深いため息をついて、ソファに沈み込んだのだった。
このあと第二話の人物紹介を投稿して、第三話へ進みます。第三話では同時に赴任した他の二人についても、その様子をお伝えします。
入力 2013年7月16日