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Milliaria

作者: 亀山



あ、死んだ。



目の前にはワ―ウルフ。まず町周辺で見ることのない肉食系の魔物がぐるるると涎を垂らし、迫ってくる。人間染みた口元はニタニタと歪められ、ゆっくり獲物を追い詰める楽しさを満喫しているようだ。

いっそ一息に痛みもなく殺してくれればいいのに。恐怖でどうにかなりそうだ。


抜けた腰はがくがくと震え、歯の根は先ほどからがちがちと耳元で騒いでいる。

そんな状態で助けを呼べるわけなどない。喉がひゅうと鳴る。声って、どうやって出してたんだっけ。


下らない思考を働かせている間にワ―ウルフはもう目の前だ。ひっと息を飲み、動きそうにない足を動かして精一杯縮こまった。

ああ、せめて楽しみに取っておいたトウルの実を食べてしまえばよかった。でも後悔してももう遅い。


お姉ちゃん、先に死んじゃってごめんね。そしてお父さん、お母さん。今ミリアはそちらに参ります。


最期の映像がワ―ウルフなんて真っ平ごめんとミリアはギュッと目をつむり、衝撃に備えた。

はあはあと荒い息使いと湿った生臭い口臭が漂い、もう一度ミリアは悟った。


あ、死んだ。と。





それからどれくらいの時間が経っただろうか。ギャヒン、とワ―ウルフの悲鳴が耳元で響いて、頬と前髪を何かがかすった。獣の唸り声が響いてむわっと広がる鉄のにおい。


何が起こったの。どうなってるの。

ぐるぐると恐怖と暗闇の狭間で考えていても目を開けられない。これで目の前にワ―ウルフがあのニタニタした顔で覗き込んでいたらショックで死ぬ。

けれどいくら待っても死の衝撃が訪れないし、何よりあの嫌な生臭さも息使いも聞こえない。午後の温かい日差しが、どこからか聞こえる小鳥のさえずりが、安心を示しているようでミリアはおそるおそる目を開けた。


ワ―ウルフは、いない。ミリアのすぐ近くの地面は何かが爪あとを立てた跡とおびただしいほどの血が点々と荒野のほうへ続いているのが見えた。

誰かが追い払ってくれたらしい。ミリアはほっと安堵の息をついた。

神様、ありがとう。ミリアは最大の危機を乗り越えられたようです。


安心をすると自分以外の何かの気配がすぐ後ろにあるのを感じた。きっとワ―ウルフを追い払ってくれた人だろう。お礼を言わなくては。

ミリアは笑顔で振り返った。


「助けてくれてありがとうござい…ま…」


目に入ったのは鋭そうな牙。そしてこげ茶色の毛に覆われた身体。視線を下げれば獲物を切り裂くのに便利そうな、どこか赤い爪のついた犬によく似た足。お座りの体制でしっぽをぱたぱたとせわしなく動かしている。体躯は先ほどのワ―ウルフよりも大きく、俊敏そうだ。もう一度視線を上げると黄金色の目と目があった。

ミリアは、笑顔のまま仰向けに気絶した。




目を開けると視界いっぱいに満天の星空が広がる。うっかり転寝をして長い時間が経ってしまったらしい。

ひどい夢をみたなぁと仰向けのままミリアは考える。薬草を摘みに来て町の近くには近寄らないワ―ウルフと遭遇して生き延びたと思ったらこんどは見たこともないモンスターが目の前にいたなんて。

「…疲れてるのかしら」

ぽつりとつぶやいてうんと背伸びをする。堅い地面に寝転んでたからか強張った体がぎしぎしと悲鳴を上げた。早く帰らないと同居人が心配するだろう。足を振り、ぐんと反動をつけて起き上がる。

なにもいない。


ほっとして午前中はあまり捗らなかったからまた明日来ないと、と考えながら近くに転がっていたバスケットを拾うとずしりと今までにない重量にミリアは首を傾げた。

月明かりを頼りにバスケットの中を覗いてみるといろんな薬草が詰まっていた。いったい誰が。

不思議に思ったミリアは回りを見渡した。幸い、今日の月はとても大きく、明るい。

ぐるり、と首を回してミリアはぴたりと動作を止めた。ごくり、と喉をならす。


月を背負うようにあのモンスターがゆらりと尾を揺らしてらんらんとした目でミリアを見つめていた。


冷や汗がつうと首筋を伝って鎖骨を滑り落ちた。夢であることを願ったが、冷たく冴えた夜気が現実であることを物語っている。両手でバスケットを抱え、じり、と後ずさる。足は動く。モンスターは動かない。

襲うつもりがないのか。いや、それでも。

慎重に立ち上がる。モンスターは少し顔をあげて尾を振るだけで一歩もその場から離れようとしない。

モンスターと目を合わせながら後ろ向きに、町の方向へと足を進める。

約30ルットぐらい離れた頃だろうか。これぐらい離れれば前を向いても大丈夫だろうと顔を動かしたとき、視界の隅でモンスターが動いた。はっとしてちらりと後ろに視線をやるとあのモンスターがトテトテとミリアの後ろをついてくるではないか。

(送り…狼……!!)

姉から聞いた昔話が頭をよぎる。決して転んではいけないよと頭の中で柔らかに囁く姉の言葉にうんと頷いてミリアはまた慎重に一歩を踏み出した。

結局ミリアが疲労困憊で部屋にたどり着いたのは朝日がすっかり上ったころだった。



「ワ―ウルフがでたぁ?」

素っ頓狂な声をあげたのはミリアの同居人であり、モンスター観測所員のシチリアだ。蜂蜜色の髪を持つシチリアはいつもは凛と涼やかな緑の目を大きく広げた。その目の縁は赤く、目の下には隈まででている。何も言わないけれど心配をかけたのだということがわかり、ミリアは少し身じろいだ。

「そりゃあ、満月も近いし夜なら仕方ないとは思うけど…昼間よね?」

「うん」

変ね、とシチリアは顎に手を当てる。

「ワ―ウルフって夜行性でしょ?しかも群れずに一匹だけなんて。はぐれでも出たのかしら」

「ああ、待って!まだ行かないで!」

なにはともあれ、このことは観測所に報告しないと、と席を立ちそうなシチリアをミリアは慌てて押しとどめた。

「変なモンスターもでたの!送り狼!」

「送り狼ぃ?」

また変なのが出た、といわんばかりにシチリアは頭を抱えた。

「人間の後をついていって、人間が転んだら襲う獣?昔話の?」

あきれ顔のシチリアにミリアは真剣そのものの目つきで何度も頷く。

「ないわね」

「ひどい!」

ばっさりと切って見せたシチリアにミリアは思わず噛みついた。シチリアはあの恐怖を知らないからそんなことが言えるのだ。頬を膨らますミリアにシチリアはといってもね、と寝不足の顔で温かい薬草茶を啜った。

「変種のモンスターなんて、ここ数十年聞いてないもの。それが昨日いきなり出会ったといわれてもねぇ」

「信じられないのはわかるけど、とにかく大型のウルフ系モンスターが出たのは本当なんだから」

「まあ、それに関して進言はしてみるけど、片田舎の観測情報なんてあってないようなものよ?どうせ見間違いだろ、って済まされちゃうし実際その方が多いんだもの」

でも、と云い渋るミリアにシチリアは笑ってカップを置いた。

「まあワ―ウルフが出た以上、警護は増やすからしばらくは町の内でおとなしくしてなさいな。いい薬草は摘めたんでしょ?」

「そうだけど」

「そんなに大型のモンスターだったら草食系モンスターの少ないこの辺りからさっさどこかに行っちゃうわよ。安心しなさい」

ミリアは不服そうに薬草茶を啜るしかなかった。




(っていったのにシチリアの馬鹿ぁぁあっ!!)

と心中で同居人を罵るのがここ最近の薬草摘みのときのミリアの癖になってしまっていた。

なんといっても出るのだ、送り狼が。

さすがに満月の周辺は危ないと自覚し、7日間ずらして、モンスターの出にくい時間帯を調べて、と万全の準備を得ての薬草摘みだったのに門から50ルット外に出るとばったり出くわしたのだ。

大きく尾を振る送り狼に。

警護の人がどんな時間帯に出ても姿かたちもみなかったといっていたのに!なぜ自分だけ!ミリアは自分の運を呪い、その時は猛烈な走りでその場を後にした。

それから7日開けたのに送り狼はミリアの薬草ポイントで伏せていたし、それからやはり7日間開けても変わらずに。

どれほど大型のモンスターがいると訴えかけても観測所は聞き耳持たず。(何度も調査を重ねてはいたらしいが、そのようなモンスターは姿かたちもなかったらしい)唯一愚痴を聞いてくれるのは同居人のシチリアだけであった。


もう薬草摘みに行きたくない。不思議なことに送り狼はミリアが一人のときだけ姿を現すのだ。

最初のほうこそ警護の人とかシチリアとかを連れてびくびくと薬草を摘んでいたミリアだったが、害がないというより存在が見当たらないといわれてはいつまでも同居人の時間をとらせるわけにもいかない。

モンスター避けのアイテムを持って(ただし効くのはザコといわれるモンスターばかり)しぶしぶポイントに赴くとやはり、というか当たり前といった顔で送り狼は鎮座していた。

もうどうにでもなれ、と諦めの境地でミリアはしゃがみこみ、めぼしい草を見つくろい始めた。

もちろん送り狼との間は十分とって、相手が動いたらすぐに逃げられるように身構えて。

ぷちぷちと草を摘んでいくと段々意識が送り狼より草のほうに傾いていった。

なにしろ薬草と毒草は紙一重。慣れている薬草摘みでも手を抜くような真似などできなかった。

(この草は…眠り薬に。こっちの茎の赤いのは毒になるけど少ない量を煎じれば暗闇でも目がきくようになるわ。そしてこの小さくて黄色い花のついたのは根まで使えたはず…)


横からの突撃に反応ができなかったのは、それほどまでに深くまで集中していたからだった。

腹に重い一撃を喰らって面喰らい、一瞬意識が飛ぶ。背中から地面にぶつかって勢いが殺せずに横すべりに土を巻き上げた。埃が口に入り、咳と唾と一緒に吐き出せばその色は気のせいか毒々しかった。

ぬめる口内と鉄の味に歯で傷つけたのだと思いいたるも一瞬、それよりものしかかってきた何かとその低い唸り声にミリアは固まった。

先日聞いたワ―ウルフのものより一層低く、威圧に満ちたそれはミリアの頭上から聞こえてきた。

いや、そんなものを聞かずともミリアには見えていた。こげ茶色の毛、敏捷そうな狼の体に肩先におかれた鋭い爪。送り狼だった。


(目、離さなければよかった…)

何もしてこなかったから、しょっちゅう現れたから。もしかしたら好意を抱いてくれていたのかもしれないとほのかに楽観視していた。勝手にそう思っていたのにいきなりの敵意にミリアは心がくじけそうになってしまった。

食べるなら食べればいい。やけくそになって見上げる。が、印象的なあの黄金の目とかち合うことはなかった。ぐい、とたくましい首を右に向け、変わらずに威嚇を続けている。

右に何かあるのだろうか。ちらりと目だけ向けてすぐさまミリアは後悔した。

(ワ―ウルフ!?なんで!!?)

さんさんと注ぐ太陽の元にワ―ウルフが送り狼と敵対するように5,6体身構えていた。数十体もの群れを率いるワ―ウルフにしては少ない頭数だが、昼間に草食系モンスターの少ない町周辺に現れる事態がすでにイレギュラーだった。そもそも送り狼がどれほど強そうだとはいえ、ミリアという足手まといがいるあたり5,6体でも十分な脅威だ。


(ど、どうしよう)

ここ数日はぐれのワ―ウルフも送り狼も見つからなかったから警護は通常の人数であるはず。応援がついたとしてもここは町から500ルットも離れた場所だ。合流するには時間がかかる。

何もできないくせにミリアはひたすら解決策を探した。その間、送り狼とワ―ウルフは唸りあい、互いに睨み合っているだけである。

そういえば、

はたと思いだしてミリアは懐の中を探った。木の質感が指に伝わる。今は遠く出稼ぎに出ている姉が作ってくれた魔除けの笛だ。吹けば窮を脱することができるかもしれない。

震える指先で笛を取り出し、思い切り吹こうと唇に笛を押しつけた瞬間だった。

「    」

音とも取れない、ひたすらに高い鬨の声をあげて送り狼がワ―ウルフ一体に躍りかかった。足の下にあったミリアの肩が無事であるはずはなく、爪が食い込み、衣服の切れ端とともに血が宙を舞った。

いたい、とミリアのあげた悲鳴よりも二匹の戦いの音のほうが凄まじかった。

互いに噛みつきあい、威嚇してはひっかきあい、地面をえぐり、砂埃を舞わせては相手の眼つぶしを狙う。残ったワ―ウルフはといえば、どこか戸惑っているかのように戦いを見守っていた。

ミリアが送り狼に襲われ(突き飛ばされただけなのだが)血を流し、ピクリとも動こうとしないところで生きていないとでも感じたのだろうか。ミリアのほうに興味はなさそうだった。


よく見てみると送り狼と戦っているワ―ウルフはどこか年老い、体躯は大き目で古傷が多いようにも見える。きっと群れを率いるリーダーなのだろう。その証拠にワ―ウルフの統率はすでに崩れていた。

今がチャンスか。ミリアは息をめいいっぱい吸うと思いっきり笛を吹いた。


音はなかった。


が、効果はあったらしい。ワ―ウルフどもは一瞬動きを止めると文字通りしっぽを巻いて一目散に逃げて行ったのだから。

送り狼も逃げてしまうのかと思ったが、意外にも平気だったようで耳を大きくそばだてると尾を振りながらミリアのもとへ駆けてきた。ミリアも何とか起き上がり、今度は明るい日差しの中で送り狼と向かい合った。

送り狼はその勢いのままミリアにぶつかってくるかと思われたが、あと3ルットというところで足を踏ん張った。耳が垂れているのをみてミリアはようやく自分の姿を見渡してため息をついた。

「あー…シチリアに怒られるかしら…」

地面に滑りこんだときに擦り切れたのか、布地はボロボロであちこち土だらけ。しかも口の中はいまだぬめっているし、肩の傷も浅いとはいえ血を流し、熱を持ち始めていた。早く消毒をしなくては破傷風にでもなってしまいそうだった。

それでも主に傷ついた原因が目の前の送り狼とはいえ、ミリアは責める気はなかった。

「おいで」

手を差し伸べると送り狼は先ほどの戦闘の勇ましさはどこへやら、人懐っこそうに鼻先を寄せて臭いをかいできた。くすぐったさを押さえ、ミリアはくしゃりとそのこげ茶色の毛をなでた。

「ありがとう、そしてごめんね。守ってくれてたんだね」

目を瞑り、ミリアの愛撫に身を任せるままの送り狼はその黄金の目を開けてするりと身をかわすと今度はその頬に舌を伸ばした。ぺろり、と肯定するように舐め上げられる。

湿った感触とその暖かな体温にミリアの張り詰めていた糸が切れた。

「うぇ…」

ほろりと崩れる涙線に慌ててせき止めるように服を当てる。けれど一度緩んだものはなかなか元に戻らないものらしい。後から後から涙は流れて袖を濡らしては鼻水まで併発させていく。

肩はずきずきと痛み訴えている。安全を取り戻したと同時に自分がみじめだった。

いつも通りに薬草を摘みに来ただけなのに。どうしてこうなったんだろう。

不運、不安、恨み。いいようのしれない大きな感情に翻弄されてミリアはひたすら涙を流し続けた。傍に家族がいないことがどうしようもなく寂しかった。

辺りが橙色に染まりはじめてようやくミリアは真っ赤に染まった鼻頭を上げた。

「いたいよぅ…」

ぐずぐずと人も居ないのに訴えると傍の大きな存在は慰めるようにそっと身体を擦り寄せた。




「は?」

シチリアは思わず声を挙げた。ついでに手元の包帯をこれでもかと締めあげ、同居人の悲鳴を上げさせた。

「今なんて?」

「痛いって!!!」

「いや、そっちじゃなくて。悪かったけど」

頬を膨らますミリアにシチリアはおざなりに謝るとそれで、と前置いた。

「何て言ったの?」

「うん?ああ、名前つけようと思うの。送り狼に」

「おっとーてがすべったあー」

ほやややん、と効果音がつきそうな顔つきにどこかいらつきを感じて今度はわざと包帯をきつく縛りあげる。患部に触ったのか、ミリアは先ほどよりも擦れた悲鳴を上げた。

「良い声で啼くわねぇ」

にやにやとした顔でシチリアが呟くとこの悪人顔と罵られた。こんな怪我拵えるほうが悪いと言い返せば思うところがあるのか、ミリアは少しだけ口ごもった。それよりとシチリアは軌道修正をする。

「モンスターに名前なんて。その暢気なところは本当姉妹よね」

「それ、私に喧嘩を売ってるの?」

「そっくりっていってるじゃないの」

「…姉さんよりはしっかりしてるもん」

どうだか、といってシチリアはぽんと巻きあがった包帯を叩いた。ぷんと薬草の匂いが一層鼻につく。

「ほら、できたよ」

「ありがとう」

いそいそと服を着るミリアを見てシチリアはため息をつく。服に隠された肌は傷の熱でほんのりと赤く染まっている。

酷い怪我ではない。しかし浅くはない怪我だ。その傷をつけられたモンスターに懐かれたとはいえ、名前をつけるなんて。

「…本当そっくりだよ」そのお人よしな所が。

言外に含ませてやればミリアは不満そうな顔だった。どうやらさっきの言葉が気に障ったらしい。

「言っておくけれど姉さんよりふわふわしていないんだから!薬の調合もきっちりやるし!」

「薬売りの分際で分量間違えるとか笑えないからやめて」

そういって大げさなまでに身震いしてやればミリアの頬はますます膨らむ。さて、からかいすぎたか。


「まあそれはともかく、その愛しのミレニアからお手紙よ」

「姉さんから?」

今朝届いた薄茶色の封筒をポケットから取り出せばぱあと不機嫌が消えたように顔を輝かせる。なんだかんだいってたった一人の姉を慕っているのだ。


ミリアの姉ミレニアは3年ほど前から中央へ働きに出ている。仕事内容は機密だということで知らされることはなかったが、どうやら軍が関わっていることは消印を見れば分かった。けれど本人はいたって気にしていないようで手紙の内容はもっぱら妹の健康を心配するものと自身の休日のことなど他愛の無いものだった。そのようなものしか送れないだけなのかもしれないとシチリアは邪推しているが、ミレニア自身の性格を考えて素かもしれないと考え直す。

何しろ彼女はひたすら暢気でのほほんとしているのだ。外見も中身も花の妖精のようにふわふわと可愛らしいのだが、そこが危なっかしい。周りの人間か手を貸さないと生きていけないのではないのかと考えるほどの危なっかしさなのに一人出稼ぎに行くと聞いたときはシチリアは本気で心配した。なにしろ頭がお花畑なのだ。苛烈な都会の人間関係で生きていけるのか。もういっそ私をつれて行けとまで言ったが、それはミレニアに妹を任せると言われたことでうやむやとなった。実際、なんとかやっているらしく、ミレニアの手紙の中にはハリスという人物がしょっちゅう出てくる。きっと彼も自分と同じようにミレニアに振り回される人物なのだろうと簡単に想像がついてシチリアは勝手に親近感を抱いている。ぜひともミレニアをよろしく頼む。大変だろうけれど。

しかし、ミレニアはその迷惑すぎる性格の代わりに魔よけを作る才能には恵まれていた。そのため中央で働く事になったが、こんな片田舎より都会の方で才能を発揮してほしいと思うのは幼馴染としてのシチリアの願いだった。


熱心に手紙の文字を追うミリアを見る。その目は幸せそうに細められ、久方ぶりの姉の手紙に喜んでいることが分かる。

ミレニアとミリア姉妹には両親がいない。というのも家族4人で近くの湖まで遊びに行った帰りにモンスターに襲われたのだった。運よく姉妹は助かったものの、両親はあとかたもなくモンスターに平らげられてしまった。空っぽの棺を前に泣きじゃくるミリアと不気味なほど微笑んだままのミレニアはまだたったの4歳と10歳だった。それからというもののこの姉妹の絆は太い。


「ねえシチリア」


話しかけられてシチリアはびくりと身をすくませた。目の前には手紙を持ったままのミリアが同封していたらしい写真を指差していた。

「この人がハリスさんだって」

「へえーこれが例の… どれどれ」

覗きこむと満面の笑みのミレニアと腕を取られて嫌そうに顔を歪めた堅物そうな男とその他数名が映っていた。

ふわふわとした妖精の様なミレニアは相変わらずだったが、気になるのは腕を取られている男の方だった。セピア色のため、分かりにくいが黒髪のようだった。いかにも真面目といった面持ちできりとした眉毛が凛々しい。美丈夫の類だろうが、いかんせん表情が全てを台無しにしていた。

よほど普段振り回されているとみえる。シチリアは遠慮もなくぶっと吹き出した。

「これは思った以上だわー ミレニアと向き合うときは肩に力入れない方がいいんだって教えてあげたいくらい。真面目な奴ほど振り回されたと気の反動がすっごいのよねー」

腹を抱えながらのシチリアの言葉にミリアも頷いた。

「でもよかった、姉さん幸せそう」

「うん?」

そう言われてもう一度写真をみるとミレニアの頬がほのかに色づいている…ようにもみえる。幸せそうといわれれば確かにそうとも取れた。

ほっとした様子のミリアはさっさと読み終わった手紙をシチリアに渡し、自分は写真を入れる写真立てを探しに物置きへと向かった。

その後ろ姿を見送り、シチリアはさすが、と口笛を吹いた。

「さて、今度のミレニアクイズコーナーは何かなー」

鼻歌交じりに手紙を開いて最初の『親愛なるミリアとシチリアへ』を読んだ辺りだった。


「シチリア!おい、シチリア!ミリアはいるか!!?」

どんどんと忙しなく玄関を叩かれる。いや、もはや殴ると言った方が正しい。ドアベルというものがついているのに大抵の客はこうやって乱暴に訪れるのだ。無視しようかとも思ったが、いつになく急いた調子の声音にシチリアはしぶしぶ玄関に向かった。

「あーはいはーい せっかくの休みにうるさいなぁもう」

めんどくさそうにドアを開けると暗い顔をした町長とどこか厳つい男達が連なって立っていた。控えめにいってふくよかな町長の腹周りを眺め、警戒した様子で男どもを睨みつけるように見上げた。

「…どちら様で?」

「シチリアーお客さんー?」

タイミング悪く、ミリアも後ろから顔を覗かせた。町長はいつもの赤ら顔を蒼白にした。

「ミリア…いたのか」

「あ、町長さん この間渡した食欲を抑える薬はどうでした?」

暢気に話しかけるミリアと対象により青くなる町長。そして紫色の唇で言った。


「ミレニアが、死んだ」


がしゃん、とミリアの持っていた写真立てが割れる音がしてはらりとセピア色の写真がシチリアの足元に落ちた。

微笑んだ幸せそうなミレニアの顔色は憐れなほどに薔薇色だった。





「ミレニアはモンスターに襲われたらしい」


霞がかかったようにミリアの目の前は白かった。


「気がついたときにはもう遅く、現場は血だらけだったそうだ」


何も見えない。けど町長の震える声だけははっきり聞こえて来た。


「幸い、ミレニアは右腕に魔避けのブレスレットをつけていた。それで右腕だけ回収することができたんだ」


なにが幸いだっ!とシチリアの怒鳴る声がする。机を蹴り飛ばした音も聞こえた。ああ、とぼんやり考える。駄目だなぁシチリア。それ、お姉ちゃんのお気に入りの家具なのに―――


「何も!何も残っていないよりはいいだろうっ!!ミホルドとナリアのように!!」


両親の名前が聞えてミリアはぴくりと身動きした。けれど目の前の霞は晴れない。

町長の言葉にシチリアは黙ったようだ。重苦しい沈黙がその場を流れる。

こほん、と咳ばらいが聞えた。


「とにかく、遺品をまとめるのに時間がかかるらしい。向こうのほうで骨は焼いてくれてこちらの方たちが持ってきてくれた。―――ああ、ブレスレットもだ。効力はないがな」


「―――遠くから、わざわざありがとうございます」

「いえ、我々としてもミレニアさんは知己でしたので」

「この度は―――誠に、残念でした」

ぐっと隣でシチリアが何かを押しとどめたのを感じた。無機質な言葉がミリアには言葉には聞えなかった。

隣の空気が動いて何かを受け取り、ミリアも両手の上に何か軽いものを落とされたのを感じた。

働こうとしない目を下に向ける。そこでやっと霞が晴れた。


「ミリア?」

隣からシチリアの気づかわし気な声が聞えた。でもミリアはそれから目が離せなかった。

手にのったのは銀で作られた細く、精巧な細工のついたブレスレット。見覚えはあった。

例えばあの花畑で花冠を作ってくれた人の手首に。雨の中傘をもってパン屋まで走って行った先に振られた人の手首に。あの葬式の日ぎゅと握られた手の手首に。


おねえちゃんの、ブレスレットだ。



「ミリアッ!!」



シチリアの声が後ろから聞えたけれどもう、ミリアはなりふり構っていられなかった。じっとしていられなかった。ただ衝動のままに走りだしていた。

息はすぐに切れた。はくはくと呼吸をすることさえ苦しい。苦しい。苦しかった。


「おねぇちゃん…っ」


気が付いたら倒れ込んでいた。もう町の外に出ていた。無意識に薬草摘みのルートをたどっていたのだろう。

そうだ、このルートを教えてくれたのはおねえちゃんだった。手の中のブレスレットをきつく握りしめる。包帯の下の傷もずきずきと痛い。冷たい。

息が詰まった。なのに顔は自然と姉の表情を真似ていた。花畑の中でふわりと咲くように、あの写真の様な笑顔を。

お昼の日差しは暖かいはずなのに身体からは冷や汗が出て寒く、草花の心地よい香りも今は何も感じなかった。

のそり、と何かが近づいてくる。モンスターだろうか。

ちょうどいい、とミリアは一層笑みを深くした。後ろを振り返ってミリアは両腕を広げた。まるで幼子が母親に抱かれることを強請るように、どこかほほえましい雰囲気で。


「ねえ、私を食べてくれませんか?」


現れたのはあの送り狼だった。

送り狼は黄金の眼を瞬かせるとミリアに近づき、お座りの体勢を取った。はたはたと尾を振り、喰らいつく素振りさえ見せない。

ミリアはもどかしく思い、鋭い爪をもつ送り狼の前足を取ると喉元に近づけた。送り狼は不思議そうに首を傾げ、また尾を振った。

笑顔のまま、ミリアは送り狼の前足を勢いよく動かそうとしたとき、送り狼はべろりとミリアの頬を舐めた。

「なに?」

微笑んだままのミリアを機嫌がいいとみなしたのか、送り狼はまたべろりと今度は顔全体を舐めはじめる。べろべろと息つく間もない送り狼に押され、ミリアは呆気なく後ろに倒れ込んだ。それでも狼は止まらない。尾を勢いよく振り、親愛の証だとでもいうように節操無く顔を舐めまくる。

やがて涎まみれになったミリアはうう、と唸りはじめた。顔を両手で押さえ、隙間から涙があふれる。

こんなに自分に好意を抱いてる相手が食べてくれるはずがない。なんて無駄なことをしたんだろう。情けなさでいっぱいだった。

涙がでてしまえば、笑顔を保つのは難しかった。

顔はくしゃくしゃに歪み、胸はひたすら苦しかった。仰向けに泣いているから涙が、鼻水が逆流して息もできない。

それでも構うことなく狼はミリアの涙を舐めとっていく。ミリアはひたすら泣いて、狼はそれを舐めた。


「なんで、ねえ、おねえちゃん」

合間合間に言葉を紡ぐ。そうでもしないと溺れてしまいそうだった。

「信じられないよ、信じられるわけないよ」

はあ、と息をすって、吐いて。吸って。吐いて。

「私一人になったの?なんでおいていったの?」

置いていったわけじゃない。心の冷静な声を無視してミリアは自分の中の苦いものを吐き出した。

飲み込んだまま姉と同じ所にいきたかったけど、それが許されないなら吐き出さないととても生きていけそうになかった。

ふと思ってまた泣きだす。そっか。私生きたいんだ。

「ごめんねぇ」

申し訳なさから言葉が勝手に口から転がり落ちた。

「おねえちゃんのところに行けなくてごめんねぇ」

狼はひたすら涙を舐めとっては妹の懺悔を翌朝になるまで聞き続けた。


翌日、身体の水分を全て涙に変えてよろよろと帰ったミリアは家で憔悴しきり、涙のあとも消えないままのシチリアにきつく抱きしめられてまた泣いた。




右手の骨だけの寂しい棺を両親と同じ墓地に埋める簡単な葬式を済ませ、ミリアの平穏はまたひとまず訪れたかに見えた。

「おかしい」

シチリアはミリアの死亡届作成中に席を立って先日届いたミレニアの手紙の消印を確認した。

マロイの25日。やっぱりおかしい。

うろうろと動くシチリアにミリアは首を傾げる。喪に伏している今は黒色のワンピースを身にまとい、休業中だ。

「どうしたの、シチリア」

「どうしたもこうしたも、おかしいのよこれ」

ほら、とシチリアは死亡届の一か所を指差す。そこにはマロイの15日と書かれていた。

「?日付がどうかしたの?」

「ここは死体発見日が書かれる所よ。消印より前なのはおかしくない?」

厳しい顔のシチリアにでも、とミリアは反論する。

「誰かが姉さんの手紙を後から送ってくれたのかもしれないわ」

「そりゃ、そうかもしれないけどだったら形見の品と一緒に持ってくるのが筋ってもんじゃない。そのまえに手紙の内容覚えてるでしょ」

「姉さんの休日の話しのこと?」

「じゃなくて!」

察しの悪いミリアにシチリアは髪の毛を掻きむしって手紙の本文を持ってきた。

「ほらここ!マロイの24日って書いてる!筆跡はミレニアのもので間違いないし、もともとミレニアは書き終わったときの日付を書く習慣があった。つまり」

「姉さんは、少なくとも15日は生きていた…?」

「そう!あいつのブレスレットがあるあたり天の国にいっちまってるのは確かだけどこの書類のこの部分だけ違うのは解せない。マロイの15日にミレニアが死んでなくちゃいけない理由があるはず」

そこまで言ってシチリアははと口を閉じた。おそるおそるミリアの顔色をうかがう。

「ねえ、シチリア」

にっこりと姉に似たほわほわとした笑顔を浮かべてミリアは言った。

「私、中央にいってくるわ」


「悪かった、ちょっと口が滑っただけなんだ」

慌てて弁明するシチリアにいいえ、とミリアは首を振った。

「別に、姉さんの死因を調べようってわけじゃないの」嘘だけど。

「ほら、前から形見の品を送るといわれて何の音沙汰もないじゃない。だっだら血縁が取りに行くのが筋じゃないかな、って思ってたの」口実だけど。

「あと姉さんのお世話になったハリスさんにも挨拶をしないと」これは本当。

「ついでに薬も売ってくるわ。中央は物価が高いって姉さん言ってたからきっとここよりも高く買ってくれると思うの」これも本当。

正論ばかり並べるミリアにシチリアはうーんと唸ってじゃあと口を開く、前に先手を打ってミリアはでも、と遮った。

「シチリアはついてこなくて大丈夫よ、私だってもう16だし、それにシチリアずいぶんお仕事休んでるじゃない。これ以上長期休みとって首になったらどうするつもり?」

「だけどねぇ!」

「四の五の言わない!生きるために稼いで食べなくちゃいけないんだから。それにシチリアはモンスターにかかわる仕事でしょ?これ以上おろそかにしてほしくないの」

真剣に見つめるミリアに根負けしたシチリアははあとため息をついた。ここまで道をふさがれてはどうしようもない。けれど一つだけ譲れないものがあった。

「…わかった。そこまで言うなら、私はついていかない。けれどミリア、あんた誰と一緒にいくつもり?」

「誰とって」

「一人、なんて言わないでよね。あんたは町の外にでるのは薬草摘み以外ないでしょ?それだけ世間知らずで旅なんて許可できるはずないじゃない」

「でも」

「あの送り狼と一緒に、とでもいうの?狼と一緒でも人間の悪意には勝てないわよ。何より宿はどうするの。ペット同伴なんて甘いこと、抜かすんじゃないわよ」

「………」

「だいだい、だれも見たことの無いウルフ系モンスターなんて、信じられると思うの?」

「わかった」

ミリアはばさりと外套を手に取った。話はまだ終わってないというシチリアに一言ミリアは言った。

「来て。送り狼に合わせてあげる」


二人がついたのは何度も来たことのある薬草ポイントだった。ミリアはぐるりと見渡すと何かを見つけぐんぐんと進んでいった。

シチリアがその方向を見ても何も見えないし、感じないのだけれどミリアの足取りはしっかりとしてともすれば見失ってしまいそうなほど早かったため、シチリアはひたすらミリアの後をついて回るだけで精一杯だった。

ぴた、とミリアの足が止まる。シチリアには何も見えない。

「何よ、何もいないじゃない」

「何言ってるの?居るわよ」

「どこに?」

「ここに。ほら」

ミリアがしゃがみ込み、宙をなでた。するとワ―ウルフよりも体の大きいウルフ系のモンスターが一瞬にして現れた。尾を振り、気持ちよさそうに目を細めてミリアの愛撫を受け入れている。シチリアは目を見張り、口元に手を当てた。

「これ、このモンスターが?」

「そう、送り狼」

こくりと頷いたミリアの頬を狼はべろりと舐め上げる。親しげなその雰囲気にシチリアは慄いた。それもそのはず、シチリアが知らないモンスターなのだ。片田舎とはいえ、シチリアはモンスター観測所員だ。基本的なモンスターならば網羅している。そのどれもにも当てはまらないモンスターが、幼馴染と仲がいい。所員という立場から言うと今までのものが覆されることだ。

でも。

「はじめまして。シチリアといいます」

しっかりと黄金の目を見つめてシチリアは微笑んだ。ここに居るのは喪中で休暇中のただのシチリアだ。

「ミリアをよろしね」

狼はゆっくりと瞬いた。

「…つれていっていいの?」

「まあ、目の前にいても気付かれないなんらかの特性持ってるみたいだし、気付かれなくちゃいいんじゃないの?護衛にもなるし。あ、ただキャラバンがその内くるからそれに付いていってもらうよ?話しはつけておくから」

ミリアは顔を輝かせ、狼の頭をなでさすった。

「そーだっ!名前つけるんだったっ!!何にしよう?」

どことなく明るいミリアにシチリアはあきれ顔だ。

「名前なんて何でもいいじゃない」

「そうでもないわ!えーと、そうね、レニア、なんてどうかしら」

姉から名前の一部を貰ったらしい。ミリアらしかった。けれど、とシチリアは首を横に振った。


「だめじゃない?そのモンスター、雄みたいだし」

「えぇ?…本当だ」

ちょうど後ろ脚を使って体を掻いた狼を見てミリアはがくりと肩を落とす。えーとじゃあ、と次の名前を探す。

「もういいじゃない、リアで。ほら、雄にもメスにも良いわよ」

「そんな安直でいいものなの?」

「いいんじゃない?ねえリア」

リアと呼ばれた狼は首を傾げ、代わりに尾を勢いよく振った。

「ほら、良さげ」

「…本人が気にいったのならいいけどさ」

ふてくされたミリアはリア、リアと口の中で呟いてうん、と頷いた。

「悪くないかも」

「まあそれはいいとして早く帰ろう?届も早く書かなくちゃいけないし、ミリアもしたくがあるでしょ?」

シチリアはそういうとすたすたと町の方へ歩き出してしまう。ミリアは慌ててそのあとを追おうとしてふと足を止めた。

「ねえ、私と中央に行ってくれる?リア」

つけたばかりの名前を口にするとリアはべろりと大きな舌でミリアの頬を舐め上げた。



「忘れ物はない?」

「ええ、お金は分担して持ったし、着替えも食料もあるわ もっていく薬はそれこそ売るほどあるし。 護衛はリアがいるし」

キャラバンの荷台に乗ったミリアはいつまでたっても心配そうにいうシチリアに請け合った。これまで何度も繰り返されてきた文句だ。うんざりとするのも無理はなかった。

荷台の下では皆に見えてないようだだが、リアも尾を振っている。不思議と彼がいるだけでミリアは安心できた。

「ほら、もう行かなくちゃ」

「そうね…ああ、忘れてた」

何かを探るようにシチリアは自身のポケットに手を突っ込み、やがて銀色のブレスレットを取りだした。

「これ、姉さんの…」

「ミレニアほどじゃないが、魔よけをつけておいた。まああまり役に立たないかもだけどせっかくの形見だ、もっていってやってくれ。きっと私の手元にあるよりいい」

キャラバンが動き出し、シチリアは泣き笑いのような顔で手を振った。

「じゃ、ちゃんと帰ってきなさいよ」

「うん、いってきます」

ミリアはとびっきりの笑顔で手を振った。その手首には銀色がぴかりと光りを反射していた。




目が覚めて、まずミリアは体中の激痛に目を細めた。

記憶を探り、ぼんやりと原因を思い出した。山賊が出たのだ。

ルートを変えたのか、通常なら出ないはずの場所に山賊達が躍り出て戦闘になったのだった。その時の衝撃でミリアは荷台から振り落とされたのだ。体中が痛いのも頷ける。幸い、荷物も商売道具達もそのままミリアと一緒に落ちたらしく、目の届く範囲に散らばっていた。

せめて体が動けば、拾い集めることもできただろうに、痛みが邪魔をして動けない。先日治癒したばかりの肩の傷も嫌な感じに脈づいていた。鼻先を何か柔らかいものが掠め、くすぐったくてたまらないが、腕を上げることさえできそうになかった。

(ん?)

気になることがあってミリアは頭だけ起き上がってみた、が、すぐに疲れて地面と激突してしまう。後頭部に新たな痛みを感じながらミリアは涙目で考えた。

(違う、この身体の重み、痛みだけじゃない)

自分の上に誰か乗っていた。こげ茶色のふわふわとした毛が鼻先をかすめるのもそのせいだ。

(…どいてくれないかしら)

確かに山の中に居るのに寒さを感じない、が重い事は重い。誰だが知らないが、人をクッション代わりに使うのはやめてほしかった。

それにしても、とミリアはあちこち目だけ動かしながら自分の相棒が見当たらないことに不安を感じた。

「リア?どこ?」

近くにいるかもしれない、と呼びかけてみれば、ミリアの上の存在がピクリとうごいた。声を出したことで起してしまったらしい。それよりもミリアはリアのことが気にかかった。

「リーアー?リア―?」

まるで迷子の我が子を探すような口調にミリアは自分で自分がおかしくなる。まだ16歳のはずなのになんだ、この変な感覚は。

ミリアの上の存在がむくりと起き上がり、ぼーっとあたりを見渡す。やっとどいてくれる、とミリアが安堵したときだった。

ぐい、とその人は顔をミリアに近づけた。互いの息が分かる距離。近い。けれどその近さよりもミリアは驚くことがあった。

「…おねえ、ちゃん?」

「………」

「おねえちゃん?生きてたの?」

ふんわりとした妖精の様な顔を傾げ、その人はふるふると首を振った。そうだ、ミリアは深呼吸をした。姉の髪色は黄金の色。この人のようにこげ茶色で目の色も黄金ではなかった。そもそもその人は男だ。いくら姉が妖精のようでも性別を変えることはできない。

それにしても、とミリアは彼を見つめる。ふわふわの髪の質も、なめらかで白い肌も、妖精のように優しく小作りに整った顔のパーツの配置も、すべてミレニアにそっくりだった。ミレニアがもし男性として産まれていたならきっとこんな感じだろうと考える理想形だった。

(他人の空似ってあるんだなー)

妙なことに感心を持ってその男から目を逸らす。なにせ、こっちがあちらを見ている間、あちらもこっちをずっと見ていたのだ。いくらミレニアに似ている顔だからといって恥ずかしくもなる。それよりもリアだった。

「リア?…どっかいっちゃったかなぁ」

ぴくりと彼が反応する。気にしなかったふりをしてミリアは繰り返した。

「リア―?リーアー?リア―?」

名前を呼ぶごとに男性がピコピコと存在を主張するかのように身震いをした。嫌な予感がして、ミリアは男性に改めて視線を戻した。

良く見てみると彼が来ているのはミリアがもっていきた着替えの一部に酷似していた。そういえば、ワ―ウルフなど肉食系の一部のモンスターは自らの身を変える特性をもつという。当たりませんように、と願いをかけてミリアは恐る恐る呟いた。




「…リア?あなたリア、なの…?」

男性は破願すると(嗚呼、その表情もミレニアにそっくりだった!!)ミリアに近づいて肯定の印にべろりとその頬を舐め上げたのだった。




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