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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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木見 潤は恋に憧れる

作者: レモンさん
掲載日:2026/10/20

第20回身内人狼村の前日譚です。

 初恋というものが、いつだったのか。


 木見(こうみ) 潤(じゅん)には、もうよくわからない。


 幼い頃、好きだった男の子がいた気がする。


 一緒に遊んだこと。隣に座って、何かを話したこと。自分の知らない遊びを教えてくれたこと。


 そんな断片だけが、頭の片隅に残っている。


 顔は思い出せない。名前だって、もうわからない。


 そもそも、その記憶に出てくる男の子は、本当にひとりだったのだろうか。


 幼稚園の頃に一緒に遊んでくれた子。少し意地悪だった子。困っていると助けてくれた子。自分より足が速かった子。


 いくつもの記憶が混ざり合って、いつの間にか、ひとりの男の子の思い出になってしまった。


 だから、きっと。


 そんな人は、最初からいなかったのかもしれない。


 潤自身、そのことはなんとなくわかっていた。


 あの頃の記憶は曖昧で、誰かひとりを思い浮かべようとしても、違う顔や声が浮かんでくる。思い出そうとすればするほど、記憶の輪郭はぼやけていった。


 それでも潤は、その思い出が好きだった。


 初恋の相手と、大人になってから偶然再会する。


 忘れていたはずの思い出が蘇って、ふたりは少しずつ距離を縮めていく。


 そんな物語を、どこかで期待していた。


 だって、素敵じゃないっすか。


 運命の再会。昔の約束。忘れていた恋。


 現実にそんなことが起こるかどうかなんて、潤にもわからない。


 ただ、いつか自分にも、そんな恋が訪れたらいい。


 そう思っていた。


 幼稚園を卒業する頃、潤は日本を離れた。


 両親の都合で向かった先は、オーストラリア。


 小学校も、中学校も、そこで過ごした。


 言葉も、文化も、周りにいる人たちも違う。最初は戸惑うことばかりだった。


 コアラは可愛かった。カンガルーはよく飛んだ。クアッカワラビーは笑顔だった。


 英語を覚えるのも、現地の生活に慣れるのも、時間がかかった。


 そして、言葉だけではどうにもならないこともあった。


 肌の色。顔立ち。日本から来たということ。


 子どもというのは、時に驚くほど無邪気に残酷だ。


 アジア人だからという理由で、からかわれることがあった。何を言われているのか全部はわからなくても、自分が笑われていることくらいは伝わってくる。


 遊びの輪に入ろうとすると、なんとなく会話が途切れる。


 話しかけても、少し困ったような顔をされる。


 大きな事件があったわけではない。


 ただ、そこにいるだけで、自分がほかの子たちとは少し違うのだと思い知らされる。


 そんな日々が、少しだけ苦手だった。


 ある日の休み時間。


 潤は教室の隅で、ひとり静かに過ごしていた。


 そこへ、ひとりの女の子がやってきた。


 赤毛の女の子だった。


 彼女は潤の顔を見るなり、ぱっと目を輝かせた。


「えっ、あなた、日本人なの!?」


 突然の大声に、潤はびくりと肩を跳ねさせた。


「え、あ、はい……」


「私、アニメが好きなの!」


 彼女はそう言うと、知っている日本のアニメや漫画の名前を、次から次へと挙げ始めた。


 潤が知っている作品もあれば、知らない作品もあった。むしろ、知らない作品の方が多かったかもしれない。


 それでも彼女は気にしなかった。


「ねえねえ、日本では本当にこういうのがいっぱいあるの? アニメで日本語を覚えたりするのって、実際どうなの?」


「えっと……人によると思います」


「そっか! じゃあ、私にもいろいろ教えてよ!」


 あまりの勢いに、潤は思わず笑ってしまった。


 久しぶりに、誰かと話していて楽しいと思った。


 その日から、ふたりは一緒に過ごすようになった。


 彼女はアニメや漫画の話になると止まらなかったし、潤が知らない作品についても、まるで世界の真理を教えるかのように熱弁してくれた。


 潤にとっては、少し不思議な友達だった。


 けれど、不思議なくらい、一緒にいて居心地がよかった。


 彼女は潤が日本人だからといって、特別扱いすることもなかった。


 わからないことがあれば普通に教えてくれたし、潤が失敗しても笑い飛ばしてくれた。何より、潤がそこにいることを当たり前のように受け入れてくれた。


 それが、嬉しかった。


 ある日、彼女は潤をじっと見つめて言った。


「ねえ、潤って、見た目はすっごく格好いいよね」


「……そうですか?」


「そうだよ! 背も高いし、髪も綺麗だし! なんかこう、クールな先輩キャラって感じ!」


 彼女は腕を組み、うんうんと頷いた。


「でも、ちょっと喋り方を変えたら、もっと面白いと思うんだよね」


「喋り方?」


「そう! 例えばさ……『そうっすね』とか、『大丈夫っすよ』とか!」


 彼女は妙に得意げな顔で、潤の真似をしてみせた。


「いや、どういうことっすか……?」


 潤が思わずそう返すと、彼女は一瞬きょとんとしたあと、ぱっと顔を輝かせた。


「それ! それだよ! すっごくいい!」


「えっ、今のっすか?」


「そう! ちょっと生意気そうな後輩キャラっぽいのに、見た目は王子様みたいでしょ? そのギャップが最高なの!」


 何が最高なのか、潤にはよくわからなかった。


 けれど、彼女があまりにも楽しそうだったので、なんとなく付き合ってみることにした。


「じゃあ、こういう感じで喋ればいいんすかね?」


「うんうん! 絶対いいって!」


 彼女は満面の笑みで頷いた。


 それから、潤の喋り方には少しずつ「っす」が増えていった。


 最初は、彼女を笑わせるためだった。


 アニメのキャラクターみたいに喋ってみたり、わざと大げさな仕草をしてみたり。彼女が喜ぶので、潤も面白がって続けた。


 けれど、不思議なものだ。


 何度も繰り返しているうちに、いつの間にか、それが癖になっていた。


 気づけば、普通に喋っているつもりでも語尾に「っす」がつく。


 わざわざ意識して使っているわけではない。かといって、やめようと思うほどの理由もなかった。


 いつしかそれは、潤自身の喋り方になっていた。


 彼女はそんな潤を見て、いつも嬉しそうに笑っていた。


 彼女と過ごす時間は、純粋に楽しかった。


 自分のちょっとした振る舞いで、誰かが笑ってくれる。


 自分のことを、面白いと思ってくれる。


 それは、潤にとって、ちょっとした発見だった。


 海外での生活は、いつの間にか、少しずつ居心地のいいものに変わっていった。


 言葉も文化も違う場所で、潤は自分なりの居場所を見つけていった。


 そして、その中で出会った友達から教わったものは、喋り方だけではなかった。


 人と仲良くなることは、案外難しくないのかもしれない。


 そんなことを、ほんの少しだけ思えるようになった。


 日本へ戻ったのは、高校に進学する頃だった。


 卒業時期の違いもあって、少しばかり時間が空いた。そうして入学したのは、女子校だった。


 身長は169.8cm、体重は秘密。


 長い黒髪をひとつに結び、黒いリボンで留める。


 すらりとした体つきに、すっと伸びた背筋。海外で身についた自然な距離の近さも相まって、潤は周囲の目を引く存在になった。


 入学してしばらくの間、周りの生徒たちは、彼女にどう接すればいいのかわからない様子だった。


 けれど、それもいつまでも続くわけではなかった。


 気づけば、潤の周りには、彼女に声をかける人がいた。気兼ねなく話せる相手もいた。


 今では、教室で交わす何気ない会話も、放課後の時間も、すっかり日常の一部になっている。


 そして、下級生たちからは、ちょっとした有名人だった。


 長身で、すらりとしていて、凛々しい顔立ち。


 長い黒髪をまとめた姿も相まって、潤は下級生たちから「王子様」と呼ばれていた。


 廊下を歩けば、遠くから視線を向けられる。


 声をかければ、嬉しそうに頬を染められる。


 潤はそうした反応に、少し照れくささを覚えながらも、できるだけ自然に振る舞っていた。


 もちろん、本人は自分がそこまで格好いいと思っているわけではない。


 むしろ、周りが勝手に期待しているだけなのでは、と思うこともある。


 実際、親しい相手の前では、少し抜けているところもあるのだから。


 それでも、憧れられること自体は嫌いではなかった。


 誰かが自分を見て、少しでも楽しい気持ちになってくれるのなら。


 それは、それで悪くない。


 そう思っていた。


 高校三年生。


 進路の話が増え、周りの友人たちも、少しずつ将来のことを考え始める時期。


 潤ももちろん、将来について考えることはあった。


 けれど、どうしても頭の片隅から離れないものがある。


 恋だ。


 いつか運命の相手に出会うこと。


 何気ない出会いが、人生を変えてしまうこと。


 そんなことが本当に起きるのなら、自分はどんな顔をするのだろう。


 格好よく決められるだろうか。


 それとも、いつものように失敗してしまうのだろうか。


 想像するだけで、少し楽しかった。


 もちろん、いつまでも夢ばかり見ているわけにはいかない。


 そう自分に言い聞かせることもある。


 幼い頃の初恋が、実際にはいくつもの記憶の寄せ集めなのだということは、潤自身がよくわかっている。


 再会を夢見る相手が、本当はどこにもいないのかもしれないことも。


 それでも、憧れることくらいは許されてもいいだろう。


 だって、まだ十九歳なのだから。


 その日、放課後。


 潤はいつものように、靴箱を開けた。


 中に、一通の手紙が入っていた。


 差出人の名前はない。


 不思議に思いながら封筒を手に取り、表裏を確かめる。


「……なんすか、これ」


 いたずらだろうか。


 誰かからの相談だろうか。


 それとも。


 ほんの一瞬、胸が弾んだ。


 まさか、恋文?


 いやいや、さすがにそれはないっすね。


 潤はひとりで首を振った。


 けれど、封筒を開ける指先は、少しだけ慎重だった。


 中の便箋に目を落とす。


 そこには、潤の知らない場所へと誘う言葉が記されていた。


 見慣れた学校の廊下。いつもの帰り道。変わらない日常。


 その先に、何かが待っているのだろうか。


 潤は手紙を読み終えると、そっと顔を上げた。


 胸の奥で、小さな期待が膨らんでいた。


 それが運命なのか、ただの偶然なのか。


 今の潤には、まだわからない。


 ただひとつ確かなのは。


 少しだけ、面白そうだということだった。

クアッカワラビーの笑顔が好きです。

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