水くくる
〇お題「紅葉」の短編です。
【起/ちはやぶる】
立田歌羽の仕事部屋には、一枚の紅葉が額に入れて飾ってある。
十年ほど前、千早鳥羽に振られた日に拾ったものだ。
高校二年の秋だった。
校門へ続く道には、盛りを過ぎた紅葉が舞い散っていた。
歌羽はボディビルと漫画をこよなく愛する男子高校生だった。
人付き合いが苦手で友人付き合いは狭く、休み時間も放課後も制服に収まりきらないマッチョな体で漫画ばかり描いている、異常に目立つ陰キャだった。
一方、鳥羽はクラスのマドンナ――いや、それどころではない。
誰もが認めるハイスクール・クイーンだった。
そんな鳥羽に、歌羽は思い切って告白したのだ。
「名前に、羽がある同士だし。何か縁を感じませんか」
我ながら、ひどい告白だったと思う。
鳥羽は少しも間を置かずに言った。
「漫画ばっかり描いてる陰キャ、嫌いなの」
そして歌羽の身体を上から下まで眺め、
「しかもマッチョマンだし。
なおさら、嫌いだわ」
歌羽が熱中していた二つの趣味を理由に、鳥羽にこっぴどく振られたのだった。
鳥羽がさっさと去った後、その場で、歌羽は泣いた。
とめどなく流れる涙が、地面に落ちていた紅葉の葉を濡らした。
泣くだけ泣いた歌羽は、涙にぬれた一枚を拾って、持ち帰った。
その紅葉を押し葉にして、今でも飾っている。
それから――
超人気漫画家のアシスタントとして潜り込むと、師匠の技を覚え、寝る間も惜しんで自分の腕をひたすら磨き続けた。
二十歳の春。
人気漫画雑誌の新人賞で最優秀賞を獲った。
二十二歳の秋。
その雑誌で連載枠を勝ち取った。
二十五歳の冬。
その連載漫画が日本漫画家協会賞をはじめ、その年の漫画賞を総なめにした。
その勢いを駆ってアニメ化までされた。
単行本発行部数は、すでに累計一千万部を超えた。
二十八歳になった今は、新連載も加わって週刊連載を二本抱える人気作家の一員である。
原稿が溢れかえった仕事部屋には、これまで受賞した賞状やアニメのポスター、記念品がずらりと並べられている。
その中では場違いな、古ぼけた紅葉が額に収められて、壁に飾られている。
とある秋の日の午後、かつての同窓生、腐れ縁の上吉から封書が届いた。
結婚でもするのかね、と歌羽は何気なく封筒を開けた。
『秋の同窓会』と書かれた案内状だった。
――行けないな。
開催日程を見るまでもなく、歌羽のスケジュールには、同窓会に参加できるはずがないくらいの予定がつまっている。
歌羽はちらりと額の紅葉に目をやると、案内状を机の『処理済み』棚に放り込んだ。
【承/神代もきかず竜田川】
同窓会の案内状が届いてから翌週の夜、上吉から電話が来た。
「お前、出世頭なんだから出てくれよ」
「忙しいんだよ」
「お前が出席なら、海外赴任してるやつ以外は勢ぞろいするんだよ。
今回は珍しく千早も帰ってくるらしいぞ」
千早鳥羽のことは憶えてるだろ、と電話口の向こうで笑う声がする。
「……千早?」
歌羽の手が止まった。
「スケジュールがな。ちょっと時間……調整できるか、確認するから……くれない?」
電話を切った後も、歌羽はしばらく黙っていた。
千早鳥羽。
いつか見返してやる。
振られたときにそう誓って、ここまで来たのだった。
これは、何としてでも――
「……行こう」
苦くて若かりし思い出の元凶、鳥羽への復讐を成就するのだ。
スケジュールだって、無理に無理を重ねれば、どうにか行けないこともないだろう。
歌羽は、仕事部屋の棚から一冊の本を取り出した。
自分の漫画がアニメ化されたときのアフレコ台本だ。
アフレコ現場の初めての見学の記念に、特別に分けてもらった大事なものだ。
その台本の表紙におもむろに自分のサインを入れた。
復讐の完成、それは……
褒めてもらうのだ。
いっぱい、褒めてもらう。
鳥羽が自分を褒めてくれたら、この台本、サイン入りのお宝を渡そう。
【転/からくれなゐに】
同窓会の直前までかかって、どうにかこうにか原稿を何とか仕上げた歌羽は、結局、同窓会の開始時間から三十分以上遅れての参加となった。
遅刻に慌てたせいで、鳥羽に渡すつもりの台本を危うく仕事場に忘れるところだった。
当然ながら乾杯は終わっており、グループが出来上がっていた。
これまで顔を出していなかったうえに、出遅れてしまったせいで、場違いな感じは否めない。
「よぉ、立田、お前、すげえな」
「漫画、読んでるぞ」
「アニメも見た」
「今、一千万部だっけ?」
それでも、かつての級友たちに囲まれて持ち上げられて、歌羽は気分が良くなった。
彼らにせがまれるままに、堂々とサインを書く。
――無理して来てよかった……
いや、そのために来たんじゃない。
歌羽は会場に来ているはずの鳥羽の姿を探した。
鳥羽はすぐに見つかった。
あの頃と同じように、大勢の輪の中心にいた。
久しぶりの帰郷というだけでなく、都会暮らしで洗練された鳥羽を眩しく感じる参加者たちが、代わる代わる話しかけて注意を引こうとしている。
その見た目だけでなく、所作もよりスマートになった鳥羽は、競うように話しかけてくる人々を上手に回しつつ、機嫌よく酒を楽しみ、よく笑っていた。
――いまでも、変わらず素敵だ。
歌羽は鞄の上から、台本の感触を握って確かめた。
――さあ、ここからが本番だ。
今の自分を見せつけるときだ。
歌羽は意気込んで鳥羽のところへ向かうのだった。
「あ、あの……と、鳥……千早さん?」
しかし、鳥羽の前に立った途端、歌羽は背中が丸くなり、視線を合わせられなくなってしまった。
――何でだ?
編集者や出版関係者が相手なら、普通に会話できるのに。
さっきだって、級友相手に何とかうまくやれていただろう……
「あら?」
鳥羽が歌羽を見ながら、こめかみに指を当てる。
「えーと……」
――もしかして、憶えてない?
「タツダくん……だっけ?」
「う、うん」
鳥羽に微妙に苗字を間違えられているが、歌羽にはそれを咎めたり訂正したりする度胸がなかった。
「聞いてるわよ。よかったわね。漫画、売れてるんだって?」
期待していた方向に話が向いたので、歌羽はずいと胸を張った。
――そう。
それが聞きたかった。
――その続きを、言ってくれ。
お願い。僕を、褒めて。
「あなたが描いてるヒロイン、私がモデルなんだって?」
歌羽は嫌な予感が、した。
歌羽の描く漫画のヒロイン像。
いつも堂々としている人気者で、主人公の名前さえ憶えていない高嶺の花。
イメージを借りたことはあるが、鳥羽そのものではない。
そもそも、鳥羽のことをそんな詳しく知らない。
主人公は、ヒロインをはじめ、登場人物たちから、さらりと無視されては独り言で自分を慰める。
もちろん、歌羽そのものではない。
しかし……
「あ……」
歌羽にはこの後に鳥羽が何を言うのかまで、想像がついてしまった。
「感謝しなさいよ。
私に振られたおかげで、売れっ子になれたんじゃないの」
鳥羽にすれば、ほんの軽口だったのだろう。
朝になれば、いや、十数秒後にはすっかり忘れているような。
とても素敵な笑顔を向けられていたのに。
その屈託のない笑顔に、歌羽の深奥が抉られる。
「あ、え……」
――そうだけど……そうじゃない。
自分の素質があった。
努力した。
研究した。
何年も何年も描いた。
数々の賞を獲ったのも、
連載を勝ち取れたのも、
アニメになったのも、
自分が積み重ねてきた結果だからだ。
鳥羽に振られたことだけが、自分の人生じゃないのだ。
歌羽は、そう主張したかった。
だが、言葉になって出てこない。
――漫画になら、いくらだって描き殴れるのに。
「ねえねえ、それでさ……」
時すでに遅し。
他の友人たちを振り返った鳥羽は、もう別の話を始めていた。
もう、歌羽の方を見ていない。
そもそも鳥羽は、漫画に興味などなかった。
それを歌羽は、今さら思い出した。
鞄の中の台本を、今さら取り出せる空気ではなかった。
――帰ろう。ここは僕の居場所じゃなかった。
歌羽は上吉に断りを入れて、一人で会場を出た。
【結/水くくるとは】
会場の外に出ると、強い風が吹いていた。
肌にひんやりした風を受け、歌羽は肩にかけていた上着を羽織った。
帰り道にある土手からは、見慣れた川が見えていた。
色づいていた紅葉が風に散り、川面に浮かんでいる。
鳥羽に振られたあの日も、こんなふうに紅葉が散っていたのだと、歌羽は思い出した。
歌羽は、ふと立ち止まって川面を眺めた。
水面が、まだらな紅に染まっている。
その光景を見て、歌羽の脳裏に高校の古典の授業で聞いた歌が浮かんできた。
ちはやぶる
神代もきかず
竜田川
からくれなゐに
水くくるとは
――台本を見ずに、話を締めくくる鳥羽……
これをあの場で言える自分であったなら、また違う今日があったのかもしれない。
天は二物を与えず。
惚れた相手の前では、天才漫画家も形無し、というお話でした。
【ダジャレ解説コーナー】
・ちはやぶる
千早鳥羽が歌羽をこっぴどく振る。
・神代もきかず
上吉という名前、および「憶えている/聞いている」のモチーフ。
・竜田川
立田歌羽は「たつたかわ」。
・からくれなゐに
少々強引ですが、歌羽のセリフ。
「スケジュールがな。ちょっと時間……
調整できるか、確認するから……くれない?」
での、『から』と『くれない』
・水くくるとは
『見ず』+『(締め)くくる』+「鳥羽」
最後も駄洒落です。
【話の着想】
『小倉百人一首』及び『古今和歌集/巻第五・秋下』所収の、
在原業平が詠んだ
「ちはやぶる
神代もきかず
竜田川
からくれなゐに
水くくるとは」
(和歌の現代語訳)
『遠い昔の神様の時代にも
聞いたことがなかったでしょう。
このように竜田川の水を
唐紅の色に
くくり染(絞り染めの一種)にする光景なんて』
並びに、
作者不詳の古典落語『千早振る』の、先の歌を全く違う話にこじつける展開。
あと、出典以前に筆者の記憶が大分あやしいのですが、
チャールズ・モンロー・シュルツ(『Peanuts(旧邦題:チャーリー・ブラウンとゆかいな仲間たち)』の作者)のエッセイの中のエピソード「僕を振っていなければ、君は億万長者の奥さんだったのにね」。
ただし、身辺整理の際に処分したらしく、肝心の書籍が手元にないので確認できていません。




