今日も無事に、配信が終わった
「はい、それではご視聴ありがとうございました。それじゃあまた明日。ばいば~い」
マウスを操作し、配信を切る。カメラのランプが消えたことを確認し、配信サイトも閉じる。
「よし」
今日も無事に配信が終わった。
「ふぅ~、今日も楽しかったなぁ」
今日は発売されたばかりのRPG最新作をプレイしていた。だがやはり話題作だからだろうか、かなりの数の配信者がこのゲームをプレイしていた。今日も視聴者は5人だけだった。
椅子の背もたれに体を預け、長い息を吐く。画面には僕が表示されている。僕と言っても現実の僕ではない。アバターの僕だ。
ここ一年間、会社員と配信者の二足のわらじで駆け抜けてきた。だが、もう限界だ。
昼間はフルタイムで働き、夜は12時近くまで配信を行う。そしてそこから一、二時間程度、配信の切り抜きをする。ただ、ついつい熱中してしまい、三時過ぎになることの方が多かった。
そして朝は七時に起きて、朝食のパンを牛乳で流し込み、満員電車に揺られて出社する。
それが僕の日常だった。
でも、それも昨日までだった。
大腸癌が見つかった。
それも、ステージⅣだった。
兆候は、今思い出せばあった気がする。
最初はほんの小さな違和感だった。
最近疲れやすくなった。こんな生活を続けているんだ。そりゃ疲れて当然だ。
便に血が混じってた。最近、仕事が忙しくて、そのストレス発散に辛いものとか食べまくってたしな。
あれ、こんな細かったっけ?腹が減んなくて、食事も朝と夜だけだからそりゃ痩せるよな。
病院へ行かない理由を見つけて避けていた。
便の色が赤黒くなっていた。
これは......思いつかなかった。
病院に電話し、明日の予約を入れる。その日は眠れなかった。
次の日、出社して午後は帰らせてもらえるよう頭を下げて回った。
そして何とか問診に間に合った。
問診表を記入し、医師との面談が始まる。問診表を受け取った医師の顔が一瞬曇るが、すぐに笑顔に戻る。
「......いくつか検査をしてみましょう」
二日後に大腸内視鏡検査をすることになった。ちょうど土曜日の休みでよかった。また頭を下げて回るところだった。助かった。その日は検査前日の注意事項などを説明され、そのまま帰宅した。
当日の検査はあっけなく終わった。
「それでは結果は一週間後になります」
事務的な受け答えに、僕の心の何かが少し救われた。そして僕は日常に戻った。仕事と配信。この二つが僕の頭の中からいやな考えを取り去ってくれた。でもベッドで眠りにつくとき、恐怖の底に突き落とされた。僕はそれに耐えながらなんとか眠りについた。
結果を聞くために病院へ行く前日、病院から電話がかかってきた。何か伝え忘れたことがあるのだろうか。スマホの画面をスライドし、電話を取る。
「鈴木さんですか?青葉第一病院で医師をしています、清水と申します」
「はい、お世話になっています。いったいどのようなご用件でしょうか」
「はい。明日の来院なのですが、ご家族と一緒に来ていただくことは可能でしょうか?」
その言葉に、察しがついてしまった。
診察室の中で先生と向かい合う。
「検査の結果なのですが......」
そこからどうやって帰ってきたか覚えていない。
......そうだ、配信......やらなきゃ。
こんな状態でも体は動いた。
「こんばんはー。それじゃ今日は何やっていきますかね。そうだ、あの新作ゲームやっていきますかね。予約してたんですよ。あれ」
いつもと同じ声が出た。
コメント欄には、よく見る名前が並んでいた。
誰も知らない。
今日、僕がステージⅣの癌だと告げられたことを。
「はい、それではご視聴ありがとうございました。それじゃあまた明日。ばいば~い」
そして気が付けば終わっていた。
「また明日......か」
*
気づいたら眠っていたらしい。時計を見ると、もう昼過ぎだ。
......昼過ぎ?
一気に目が覚める。会社!スマホはどこだ!
テーブルの上に置いてあるスマホが目に入る。画面のロックを外そうとする。パターンを入力しようとして気づいた。今日は日曜だ。
一気に体の力が抜け、ベッドに倒れ込む。
「よかったぁ」
そんな声が漏れた。スマホのロックをそのまま解除する。
スケジュール表には、昨日の日付の横に「青葉第一病院」と書かれていた。会社じゃなくて、こっちが勘違いだったらよかったのに。
明日の仕事はどうしよう。頭で考えてるのは同じことばかりで、考えがまとまらない。でも......うん......とりあえず行くべきだよな。それなら何も考えずに、今までと同じ行動をとっていた方が自然に見える。その日は配信をしないで眠りについた。
朝、七時に目が覚める。朝食のパンを牛乳で流し込めず、残して玄関を出る。満員電車に揺られてなんとか会社の最寄り駅まで着いたが、足取りが重い。駅のベンチに腰を下ろした。会社にはなんとか時間ギリギリに出社する。
時計を見ると始業の5分前だった。
「おい鈴木」
後ろから声がかけられる。振り向くと、課長がスマホを見ながらこちらへ歩いてきていた。そして紙を渡される。
「今日の午後一にこれ使うから、急いでA4一枚にまとめといて」
「分かりました」
流れるように言葉が出てきた。課長が少し疑うような眼をしながら念を押してくる。
「午後一からだぞ、大丈夫だな」
「はい、大丈夫です」
また、流れるように言葉が出てきた。
『大丈夫』
課長に対して言ったのか。
自分に対して言ったのか。
自分でもわかっていなかった。
資料は何とか完成させた。だがその代わりに、昼休みが丸々潰れていた。課長が昼休憩から帰ってきた。課長の席に向かい資料を渡す。メールで渡す前に紙で確認するのが課長のいつものやり方だった。そして資料を一瞥すると、
「はい、それじゃメールで送っといて」
と言って自分の仕事に戻っていった。そこで疑問が浮かんできた。
「あの、課長。この資料、午後一で使うって話でしたよね?」
課長がこっちをうっとうしそうに見ている。
「ああ、すまんすまん。これ明日でよくなったわ」
悪びれもなくそう答えた。今までだったらそうなのかと気持ちを切り替えられた。だけれども今日だけは、この『明日』という言葉が僕に重くのしかかった。
そんな気持ちのまま、気がつけば時計の針は17時を指そうとしていた。いつもなら、この時間になると課長から追加の仕事が飛んでくる。だが、今はいないようだった。よかった、今日はこのまま帰れそうだ。そして、終業を知らせるチャイムが鳴った。用意をしていた僕はそのまま帰路についた。
部屋に帰ってきた。テーブルの上には朝、食べられなかったパンがそのままになっていた。もうかなりの時間がたってしまったから捨てるしかない。手に取り、ごみ箱に捨てようとする。だが手が止まる。窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえた。そうだ、鳥のえさになるかもしれない。一度もそんなことを考えたこともなかったのに、突然思いついた。そして捨てずに、またテーブルの上に戻した。
準備を終え、パンを手に取り、近所の公園へ向かう。あと三十分もすれば、空は完全に暗くなるだろう。だが今はまだ明るい。鳥の鳴き声も聞こえてくる。硬くなったパンを少しちぎろうとするが、ホロホロと崩れてしまう。仕方なく、そのまま地面に撒いた。鳥が空から地面に舞い降りる。じっとその鳥を見つめる。鳥は周りを警戒してるようだ。そしてパンをついばんだ。もう一羽。それを見ていた別の鳥も、少しずつ近づいてくる。
気がつけば、持ってきていたパンはほとんどなくなっていた。
「食べてくれた......」
心の中にあった重いものが少しだけ軽くなった気がした。
気づくと、もう日は暮れていた。
いつもは配信の準備をしている時間だ。
配信がしたい。
少し速足で家に帰る。家に到着すると息が切れていた。
パソコンの前に座り、電源を入れる。そして配信用の機材やツールを準備する。あとは配信開始のボタンを押すだけだった。クリックしようとした、その瞬間。読み込むために画面が暗転した。そこに自分の顔が映っている。やつれた頬。黒々とした隈。目をそらした。やがて読み込みが終了し、画面にアバターが表示された。笑っているいつもの僕が、そこにいた。
なのに、今日はそれを見ることができなかった。
僕は配信開始のボタンからマウスカーソルを外した。そして、そのままパソコンをシャットダウンした。
翌朝、目が覚める。体が鉛のように重く、起き上がることができない。十分ほど経って、ようやく上体を起こすことができた。朝食はもういらない。重い体を気力で動かし、何とか準備を終える。電車に乗ることが出来たが、いつもの電車より2本遅い。会社の最寄り駅まであと半分くらいのところまできたが、吐き気がして、急いで下車した。ベンチで休む。もう限界だ。課長に電話して、今日は午後からの出勤ということにしてもらう。そして部長にも、午後どこかの時間もらえるようお願いをした。
どうにか会社に着くことができた。課長がいつものように近づいてくる。何か言っているようだが、僕の耳には届いてこない。僕はひたすら「すみません」と繰り返していた。
部長との約束の時間になった。会議室は押さえておいたので、一緒に向かう。
そして部長には自分の病気について打ち明けた。そして、余命いくばくもないことも。部長は驚き、そして悲しそうな顔をしていた。そして大きくうなずいて、退職の手続きを進めてくれることになった。
会社から外に出て振り返る。嫌なことばかりだったが、それだけではなかった。それなりに仲良くなった人もいるし、成長もさせてくれた。会社と家の行き帰りばかりだったが、それでも自分の大切な場所の一つだった。こんな風になるまで考えたことは無かったが、感謝していた。そんな会社に向かって一礼をした。
会社からそのまま家に帰る気にはなれなかった。そういえば、カバンの中にもしものために今日の朝食べ損ねたパンを持ってきていたことを思い出す。だが腹は減っていなかった。今日も公園に行って鳥にでもあげるか。そう決意して公園へ向かった。公園は昨日と同じ空気が流れていた。昨日パンを撒いた場所まで歩いていく。足が止まった。そこには一羽の鳥がいた。昨日と同じ場所。正確には、昨日パンを撒いた場所のすぐ近くにある地面を、鳥はつついていた。
僕が近づくと、鳥は顔を上げるが逃げない。じっと僕を見ている。
「......昨日のやつ?」
そんなわけがない。
鳥の見分けなんてつかないし、昨日ここでパンを食べた鳥だという保証もない。
それでも。なんとなく待っていたのだと信じたかった。
今朝のパンを撒いて、家に到着する。
ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
会社もなくなった。
配信も、自分から手放した。
友人とも、最近はほとんど連絡を取っていない。
もう、自分には何も残っていない。
そう思った。
外から人の声が聞こえてくる。突如、テーブルに置いたスマホが音をたてて振動する。無視してればいつか収まるだろう。しかし、なかなか収まらない。体を何とか引き起こし、スマホを確認する。どうやらSNSの投稿にコメントがついたようだ。そういえば、ここ数日SNSを確認していないことを思い出した。スマホのロックを解除し、SNSにログインする。
僕の最後の投稿の下には——
『今日も休みですか?』
『無理しないでね!』
『ゆっくり休んで、また元気な姿見せてください』
『明日も明後日も待ってます』
そんな言葉が並んでいた。
涙がこぼれた。
すべてを無くしたと思い込んでいた。
でも――違った。
僕が勝手に手放しただけで、まだ残っているものがあった。
配信も。
画面の向こうにいる、五人も。
パソコンの前に座り、電源を入れる。そして配信用の機材やツールを準備する。あとは配信開始のボタンを押すだけだった。クリックしようとした、その瞬間。読み込むために画面が暗転した。そこに自分の顔が映っている。でも今日は、その顔を真正面から見つめる。やがて読み込みが終了し、画面にアバターが表示された。笑っているいつもの僕が、そこにいた。
配信開始のボタンを押す。
「こんばんはー......」
恐る恐る挨拶をする。
コメントが流れる。
『おかえり』
『待ってた』
『二日も何してたんだよ』
『大丈夫?』
『無理すんなよ』
その光景に胸に何かがこみあげてくる。そしてそれが目からあふれ出した。
「ごめん......ただいま」
『おかえり』
『それで今日は何すんの?』
『前回の続き?』
『そういえば来週出る新作のRPGは買うの?』
いつも通りの光景だった。
鼻をすする。
「今日はちょっとしかできないんだけど、前の続きをやりますか」
そう言って仲間とともにゲームの世界に飛び込んでいった。
画面の向こうの5人と、いつも通りの他愛のないやり取りを交わす。画面の中の僕は、病気なんて知らないように元気いっぱいに笑っている。いつまで続けられるかはわからない。それでも。
明日も、ここにいたい。
「はい、それではご視聴ありがとうございました。それじゃあまた明日。ばいば~い」
マウスを操作し、配信を切る。カメラのランプが消えたことを確認し、配信サイトも閉じる。
「よし......」
一度、深く息を吐く。
「今日も無事に、配信が終わった」
僕は画面の向こうの自分に向かって、そっと呟いた。




