↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/62

第二幕「歌を返して」 第38話 白紙の三日間

 リラは三日間、本当に何も作らなかった。


 演出表を閉じた。


 百人分の反応を記録した手帳も、アンケート用紙と一緒に木箱へ入れた。


 蓋を閉めても、継ぎ足した紙の端が少しだけ外へはみ出した。


 押し込もうとして、やめる。


 見えなくすることと、なかったことにするのは違う。


 箱は作業机の下へ置いた。


 手を動かしたくなるたび、倉庫の床を掃いた。


 床の白線を見ると、新しい立ち位置が浮かぶ。


 梁を見上げると、光を渡す角度を考える。


 リラはそのたび箒を握り直した。


 作らないとは、何も思いつかないことではなかった。


 思いついたものを、すぐ他人へ渡さず、自分の中へ置いておくことだった。


     ◇


 一日目、ラウルは舞台奥で耐火板を点検していた。


 星冠祭へ出ると決まっていない以上、火術用の設備は使えない。


 それでも、返却前に焦げや歪みがないか、一枚ずつ確かめている。


「一つ、聞いていい?」


「内容による」


「演出の相談じゃない」


「それなら、さらに嫌な予感がするな」


「『帰れない灯』を聞いて、何を見た?」


 ラウルの手が止まった。


 耐火板の角を指でなぞり、煤がついていないことを確かめる。


「炎」


「それは知ってる」


「小さい炎だ」


 リラは口を閉じた。


 金獅子でも、朝日でもない。


 ラウルが大きな火を答えると思っていた自分に気づく。


「子どものころ、工房の炉が消えかけた夜があった」


 ラウルは耐火板を壁へ立てかけた。


「親方の借金が増えて、炭を買えなかった。職人がそれぞれ家から少しずつ持ち寄ったんだ」


「それで炉を?」


「朝まで消さなかった」


「大きく燃えた?」


「燃えてない。大きくしたら、すぐ炭がなくなる」


 ラウルは両手で、小さな器を包むような形を作った。


「消さないために、全員で小さく守った火だ」


「金獅子じゃなくて?」


「最後には獅子にする」


「するんだ」


「小さな火が大きくなるから意味がある」


 ラウルは当然のように答え、次の耐火板を持ち上げた。


「今の話、演出表へ書くなよ」


「書かない」


「本当に?」


「今日は、聞くだけ」


 リラの手には、紙も筆もなかった。


 ラウルはそれを確認し、少しだけ肩の力を抜いた。


「なら、もう一つだけ言う」


「何?」


「俺が見た火と、セラが歌ってる灯は、たぶん違う」


「うん」


「違っても、勝手に直すな」


 リラはすぐに答えなかった。


 以前なら、違う景色を一つへまとめる方法を考えていた。


「分かった」


 今度は、それだけを受け取った。


     ◇


 マリエは小型鍵盤の手入れをしていた。


 鍵盤を一つずつ押し、音の戻りを確かめている。


「マリエは、何を見た?」


「音へ、見るという言葉を使うのですね」


「嫌だった?」


「いいえ。少し考えます」


 白い鍵盤が一つ沈む。


 低い音が、誰もいない客席の下まで転がった。


「帰り道です」


「窓でも、灯でもなく?」


「帰り道というより、戻れる音かもしれません」


 マリエは指を鍵盤から離した。


 音が消えても、倉庫の床には余韻が残っている。


「セラさんは、決めた四和音へ戻らないことがあります」


「困る?」


「困ります」


 返事は迷わなかった。


「ですが、戻らないことと、戻れないことは違います」


「どう違うの?」


「戻れる場所があると知ったうえで、別の場所へ進むこともできます」


 マリエは譜面台へ置かれた白紙を見た。


「私は、戻れと命じる音ではなく、戻ってもよいと知らせる音を置きたい」


「それを、セラは知ってる?」


「伝えたつもりでした」


「つもり」


「はい」


 マリエは少しだけ眉を下げた。


「私も、譜面へ書けば伝わると思っていたのかもしれません」


「次に会えたら、話す?」


「会うことを許されたら」


 マリエは再び低い鍵盤を押した。


 同じ音だった。


 けれど、先ほどより少し長く残した。


     ◇


 二日目、レティアは排水路の封鎖確認をしていた。


 水を流さない日でも、どこへ水が逃げるかを調べている。


「レティアは、何を見た?」


「波紋です」


「水術師らしい」


「属性だけで判断しないでください」


「すみません」


 リラが素直に謝ると、レティアの眉がわずかに動いた。


 すぐに言い返されると思っていたらしい。


「完全には映らない顔です」


 レティアは小さな器へ水を張った。


 天井の梁が、鏡のような水面へ映る。


「母が亡くなってから、顔を思い出すたびに細部が変わります」


 リラは、器へ視線を落とした。


 レティアは水面を崩さない。


「正確に覚えていたいのです。目の形も、口元も、髪の結び方も」


「でも、変わる?」


「はい」


「怖い?」


「不快です」


 レティアらしい答えだった。


 けれど、器の縁を持つ指は、いつもより強く重なっている。


「記憶まで制御できない自分が、未熟に思えます」


「歌を聞くと?」


「同じ顔が戻らないことにも、意味があるのかもしれないと思いました」


 レティアが指先を水面へ触れさせる。


 梁の像が崩れた。


「思い出すたびに変わるのは、失っているからではなく、そのときの自分も一緒に映るからかもしれません」


「それを、舞台で見せたい?」


「分かりません」


 レティアは即答しなかった。


「以前の私なら、美しく整えたでしょう。今は、崩れたものを整えずに置くべき場合があると考えています」


「分からないまま?」


「分からないままです」


 リラは器の水を見た。


 改善案は浮かんだ。


 照明の角度も、波紋の広げ方も。


 口にはしなかった。


     ◇


 エヴレンは、舞台中央に何もない椅子を一脚置いていた。


 幻影ではない。


 倉庫にあった、脚の傷んだ木の椅子だった。


「今日は本物なんだ」


「私も毎日すべてを幻影で済ませているわけではありません」


「座らないの?」


「座る人を待っています」


「誰?」


「決めていません」


 エヴレンは椅子の背へ、白い布を掛け直した。


「エヴレンは、何を見た?」


「存在しない帰り道です」


「存在しないのに、帰れる?」


「帰る場所を持ったことがありませんから」


 いつもの微笑みはある。


 けれど、舞台用に整えたものより薄かった。


「劇団と一緒に街を移り、宿を替え、舞台が終われば次へ行きました。故郷と呼べる場所がない」


「寂しかった?」


「便利でした」


「質問へ答えてない」


「あなたは、最近そういうところだけセラさんに似てきましたね」


 エヴレンは笑い、すぐに椅子へ視線を戻した。


「帰りたい場所を持つ人が、理解できなかったのです」


「今は?」


「帰る場所は、土地ではないのかもしれない」


 白い布の端が、指先から滑る。


「自分を覚えている人がいるという、証明できない思い込み」


「幻影?」


「ええ」


 エヴレンの口元へ、少しだけ本物に近い笑みが浮かぶ。


「なら、故郷を持たない者にも作れます」


「それを、セラへ見せたい?」


「いいえ」


 返事は早かった。


「これは、私が歌から受け取ったものです。セラさんの過去ではありません」


 エヴレンは何もない椅子を見た。


「いつか本人へ話すことはあっても、本人の記憶として舞台へ置くことはしません」


「うん」


「その区別を、遅れて覚えました」


 リラは謝ろうとして、やめた。


 今、エヴレンが話しているのは、自分の選択だった。


 リラが罪悪感で奪ってよい場面ではない。


     ◇


 セインは、祭典庁へ返却する信号板を並べていた。


 番号順。


 使用時刻順。


 返却先の部署順。


 三種類の順番で表を作っている。


「一種類でよくない?」


「照合時の目的が異なります」


「でも、三枚とも同じ板が並んでる」


「同じ対象でも、分類軸が違います」


「私の手帳みたい」


 リラが言うと、セインの手が止まった。


「不快でしたか」


「少しだけ」


「では、表を減らしますか」


「セインの仕事に必要なら、そのままでいい」


「必要です」


「なら、いい」


 セインは三枚目の表を揃え直した。


 紙の端が、机へ小さな音を立てる。


「セインは、何を見た?」


「雷が落ちる前の空です」


「まだ光ってない空?」


「はい」


「何も起きてない」


「私には、次に何が起きるか分かります」


 セインは高い窓を見上げた。


「空の色、湿度、魔力の流れ。雷を出す前から、経路は見えています」


「怖くない?」


「怖いです」


 返事は静かだった。


「セインも?」


「恐怖がない者へ、雷信術を任せるべきではありません」


「いつも平気そうなのに」


「平気な顔をする訓練は受けています」


「三種類の?」


「恐怖を見せない表情は、災害対応用です」


 セインの口元に、儀礼用ではない小さな苦笑が浮かんだ。


「正確に撃つのは、怖くないからではありません。怖いものが、どこへ落ちるか分からない状態にしたくないからです」


「歌では?」


「次に何が起こるか分からない」


「怖い?」


「非常に」


「それでも残った」


「はい」


 白い手袋の指が、信号板の角へ触れる。


「予測できないものを、すべて排除するのではなく、待つ方法があると知ったからです」


「今の『待つ』って考え方、演出に――」


 そこまで言って、リラは自分の唇を押さえた。


「ごめん。今は、聞くだけだった」


 セインは少し考えてから、うなずいた。


「はい。今の返答は、使用の相談ではありません」


「分かりました」


 セインは記録板へ何も書かなかった。


 リラも、書かなかった。


     ◇


 ノアは空になった客席にいた。


 遮光眼鏡を額へ上げ、空になった舞台と左右の避難口を交互に見ている。


「ノアは、何を見た?」


「暗い部屋」


「そのままだね」


「違う」


 壁際で工具の触れる音がした。


 やがてノアが顔を上げる。金灰色の目が、眠そうにリラを見た。


「前の闇は、隠すためだけだった」


「今は?」


「待つ場所」


「何を?」


「分からない」


 ノアは壁際から一歩出て、大きすぎるローブの裾を引き寄せた。


「何も始まらないかもしれない。でも、明るくして終わらせない」


「怖くない?」


「怖い人には薄くする」


「ノアは?」


「甘い牛乳があれば平気」


「それは心理的な支援?」


「物理的に甘い」


 ノアは銀の瓶へ口をつける。


 一口飲み、リラの手元を見た。


「書かないの」


「書かない」


「忘れたら?」


「また聞く」


「勝手に覚えて使わない?」


 問いかけは短かった。


 リラの胸へ、夜灯花の白い光が戻る。


「使わない」


「覚えてるのに?」


「覚えてることと、使うことを分ける」


「できる?」


「できる、とはまだ言えない」


 ノアの瓶が止まる。


 リラは続けた。


「次に使いたくなったら、先に聞く。聞けないなら使わない」


「それなら、少しだけまし」


 ノアは再び左右の避難口へ視線を戻す。


「少しだけ?」


「信用は、三日で戻らない」


「うん」


 黒藍色の髪が、壁際の暗がりへ溶け込んだ。


     ◇


 最後に、リラはアルドへ尋ねた。


「アルドさんは、何を見た?」


「答えない」


「どうして」


「これは、お前たちの公演だ」


「演出へ使いません。聞くだけです」


 アルドは銀の杖へ両手を重ねた。


「なら、客として本番で答える」


「本番があるか、分からないのに」


「ないなら、答える必要もない」


「ずるい」


「師匠は少しずるいくらいでよい」


 リラは不満そうにアルドを見た。


 以前なら、もう一度尋ね、言葉を引き出そうとしただろう。


「分かりました」


 それ以上は聞かなかった。


 アルドの目が、わずかに細くなる。


「本当に諦めるのか」


「答えたくないんでしょう」


「そうだ」


「なら、聞きません」


「成長したな」


「三日で?」


「信用と違って、悪知恵は三日で育つ」


「褒められてる気がしないなあ」


 リラは少しだけ口元を動かした。


 笑顔にはならなかった。


     ◇


 三日間、リラは誰の答えにも書き込みをしなかった。


 改善点も伝えなかった。


 似ているものを同じ分類へ入れなかった。


 小さな炉の火。


 戻ってもよいと知らせる音。


 完全には映らない顔。


 存在しない帰り道。


 雷が落ちる前の空。


 何かを待つ暗い部屋。


 同じ歌から、全員が違うものを受け取っていた。


 正しい景色を一つへ揃える必要はなかった。


 違う景色を持ったまま、同じ歌を聞くことができる。


 それを理解したというより、三日かけて、直さずに置いておくことへ慣れ始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。