幽霊と語らう夜
「おまえ、幽霊にでも取り憑かれてるんじゃねぇの?」
俺は、本当に心配して言ったのに、
「朗って、言うことが本当に、おもしろいよな」
飛鳥の奴は、笑いながらそう言いやがった。
「だって、おまえ、最近顔色悪いじゃねぇか」
「気のせい気のせい。ほら、最近暑いから、夏バテ気味なんだよ」
「……なら、いいけど」
俺は軽く欠伸をしながら、すっかり見慣れた飛鳥の家のリビングを見回した。飛鳥のうちのおじさんとおばさんは、共働きなので、夕方を過ぎないと帰ってこない。
ソファーから降りて、
「なあ、麦茶もう一杯もらってもいい?」
一応そういいつつ、俺は、隣りのダイニングキッチンの冷蔵庫を開けに行こうとした。
「いいよ。なんかジュースでも買ってくるよ。なにがいい?」
「えっ? ほんと? あ、でも、俺、アイスのほうがいっかな」
「わかった。ついでにパンでも買ってくる」
「わりぃな。俺も行こっか?」
「いいよ、いいよ、すぐ帰ってくるからさ」
飛鳥は笑って、部屋から出て行った。
残った俺は、クーラーのきいた部屋んなか、ソファーに座り直して、なんとなく、ついていたテレビを観た。
…本当は、夏休みだってのに、宿題をやんなきゃいけないんだけど
…めんどくさい。まあ、飛鳥もまだあんまりやってないみたいだからいいけど。
テレビではこの季節、よくある、霊体験モノをやっていた。まだ、昼すぎくらいだし、再放送かなんかだろう。三十分くらい経って、番組が終わるころ、やっと飛鳥が帰ってきた。
俺は、飛鳥を見上げた。━━いつもなら、
「ちぇっ。いいよなあ、飛鳥は。背ぇ、高くって」とか思うところなのだが━━今は、それどころじゃなかった。
「ごめん、ごめん、ちょっとさ、ついでに雑誌読んでたら、遅くなっちまって」
飛鳥は、外へ行く前に着てった上着を脱いだ。ポロシャツ姿になって、俺の横に座る。
ビニール袋から、買ってきたものを出し始めた飛鳥は、俺をみて、変な顔をした。
飛鳥は恐ろしな音楽を流すテレビのほうを向いて、
「ああ、そっか」
と笑った。
「あきらー。おまえ、これが恐いんだろぉ?」
ふざけて飛鳥はそういったけど━━俺は、それを無視して、飛鳥に訊く。
「飛鳥ー。なぁ、おまえ、なんか恨みかうようなことしたんじゃないだろうなぁ」
「な、なんだよ。朗。泣くなよ…」
「泣いてねぇや。今、テレビでやってたんだ。悪いことして、幽霊に呪われた人たちがいるって。
おまえ、ここんとこ、なんか、やつれてるしさあ…」
「…なんでおれが幽霊なんかに呪われなきゃなんねーんだよ。
朗ってほんと、単純だよな」
「だって、おまえ、人のことすぐからかうしさぁ…」
「あのなぁ、朗。幽霊なんかいるわけないだろう?
それより、パン、どれにする?」
ちぇっ。人がせっかく真面目に話してるのに。俺は、飛鳥からアイスバーをもぎ取って、口にくわえた。
「とにかく、今日は飛鳥んち、泊まっていくかんな。
今の話だと、夜とか、ひとりの時とか、危ないんだって」
「はぁ?」
「いいから」
「…おまえ、マジで信じてんの?」
「……うるせぇな」
テレビを消した俺は、パンをふたつ、手に取った。ちゃんと食べておかないと、何かあった時に困るんだ。
飛鳥の顔を見ながら、俺は、そう思った。
別に本気で霊なんからじちゃいねぇけどなんかほっとけなかった。
飛鳥をおいてひとりで帰るのは…なんか、できなかったんだ。
心のどこかで、すごく━━胸騒ぎがしていた。
結局。俺は飛鳥が言うとおり…単純なのかもしれない。
テレビを観てしばらくしたら、そんなこと、ほとんど忘れていた。
「もうっ、飛鳥んち、最高!
おばさん、料理上手だし、フロでかいし、家もでかいし」
夜。飛鳥の部屋で、俺は結構、浮かれていた。
「朗。おれ、もう寝る。なんか、疲れた」
「えぇー?」
飛鳥は早々とベッドに入っちまった。
しかたない。俺ももう、寝よう。寝る子は育つんだ。背…伸びるかもしんないし。
俺は、電気を消して、床の上に寝転がった。
飛鳥が出してくれた掛け布団を引き寄せる。夏なんで、それだけでもまぁ、充分だろう。
少し、昼に観たテレビのことを思いだした。
だけど、すぐに俺は眠ってしまった。
寒気を感じて、寝返りをうった俺は、飛鳥のベッドのそばに、変なものを見た。
息をのんで、それを見ていると、それがこっちを振り返った。
俺はその時、自分がどんな反応をしたのか、覚えていない。
━━やがて、それは音もなく、俺の前から省え去った。
俺が見たそれは━━暗い夜のなか、青白く光る━━女の子、だった…。
目を覚ました俺は、飛鳥に言って、飛鳥の中学の卒業アルバムを見せてもらっていた。
飛鳥の中学の制服を、昨日の、女の子が着ていたんだ…。
水色のベストとスカートというのは、この辺だとちょっと、珍しい。
その子の着てたのは、夏服で、ここの制服に間違いなかった。
前にもこのアルバムを見せてもらっていたから、その記憶が残っていて…夢をみたのかもしれない。
「どうしたんだよ、朗。そんなにおれの中学時代が気になんのか?」
飛鳥がちゃかして言うけど、俺は構わず、ページをめくって行った。
━━なんでだろう? なんで、あんなもの、見たんだろう?
ページをめくる俺の右手が止まった。
並べられた生徒たちの写真の右端━━。一番下に写っていたのは━━
…
「……山崎、白根……」
飛鳥のクラスのページだった。同じページに飛鳥の写真も載っている。
「……飛鳥、おまえ、この…山崎さんって、どんな子……?」
髪の長い女の子だった。昨日は、綺麗な感じの子に見えたのに、この写真だと、なんだか地味に見える。
「━━山崎さん……?」
「ほら、これ、山崎白根!」
俺は飛鳥にアルバムを向けて、その子を指さした。」
要するに、この子が、昨日の女の子にそっくりだったんだ。
そんなに長く見たわけじゃないんだろうけど、俺の頭にはその子の顔が焼きついていた。
「…いや、よく覚えてないんだ。その…大人しい子だったから……。
━━どうして…?」
飛鳥は、なぜか一瞬、俺から目を逸らした。
俺には覚えのない子だ。多分、ちがう高校なんだろう。
「…さては、朗。おまえ、こういう子が好みなんだろうっ!」
「ば、ばか、そんなんじゃねぇや。どうして、おまえは、すぐそう…」「てれるな、てれるな」
俺は、もう一度だけ、その写真を見てから、アルバムを閉じた。
きっと、気のせいだ。それか、他人のそら似だ。
だけど、俺はその日も、結局。飛鳥のうちに泊まっていくことにした。
俺は、一体なにをやっているんだろう━━。
そして。その日も、俺は寒さを感じて━━。
飛鳥のほうを向く、女の子の姿を目にした。
こわくて、声も出せなかった。女の子は、また俺を振り返って━━消えてしまった…。
次の日。笑いながらも、やっぱりなんか元気ない飛鳥の顔を見ながら━━俺は意を決して、訊いてみた。
「飛鳥、あの子になにした?」
「はぁ?」
「山崎自根。怒らねぇから、俺にはいってくれよ」
「はあぁ? なに、言ってるんだよ、朗」
俺は、飛鳥がしらばっくれないように、全部ちゃんと話した。
笑っていた飛鳥の顔は、そのうちに硬張ってしまった。
「…朗。ふざけるの、やめろよ。山崎さんは、二週間前に━━亡くなったんだ。
交通事故だった。おれは、葬式にも行ったんだ……」
頭の中が混乱した。…そんな飛鳥の顔を見るのが、初めてのような気がした━━。
「ご、ごめん……!」
飛鳥は、しばらく、こわい顔をしていた。
どうかしてた。馬鹿なことを訊いた。飛鳥が、幽霊の恨みを買うなんて、そんなこと、あるわけがないんだ━━。
その夜。俺は、また飛鳥のうちに泊まっていた。今日は、床に座り込んで、俺はずっと待っていた。飛鳥はもう、眠っている。
しばらくして、思いついて、寝たふりをした。俺が起きていたら、あの子は出てこないかもしれない。
━━どれくらいたったんだろうか。ようやく、あの子が現れた。
俺は、起きあがると、その子が逃げない前に口を開いた。
「飛鳥が何をしたのか、知らないけど、頼むから、飛鳥のこと、許してやってくれ……!」
見上げると、その子も俺を見ていた。俺は続けて言葉を発した。
「あいつは、口は悪いけど、本当はすごくいい奴なんだ!
きっと、誤解かなんかだと思うんだ。
そうだ、変わりに俺に取り憑いてくれていいからっ!」
女の子は、俺を見つめたまま何も言わない。
「そうか、俺んち、どこかわかんねぇよな。えっと、なんか、書くもん…。
…あ、いいや。その、俺、三丁目の……えっと、割と近くで……。
朗っていうんだ。高見朗!」
急に女の子が笑いだした。━━俺は、なんか、びっくりした。
女の子は、幽霊なんかと思えないくらい、楽しそうに笑っていた。
「……ご、ごめんなさい」
高い綺麗な声だった。俺はその子を見つめた。
「でも、違うの…。あのね、私、べつに、飛鳥…佐藤くんに、なにかされたわけじゃない」
「…え、あ? じゃ、どうして……?」
その子は、飛鳥のほうを向いてしまった。
「…あ、あの、きみ、白根ちゃんだよね?」
俺が思わずそういうと、少し驚いたようにその子が俺を見た。俺は慌てた。今のはちょと、慣れ慣れしかった。
「━━山崎白根ちゃん。ご、ごめん。白根ちゃんって、かわった名前だから、印象に残ってて」
「……あ、ううん、べつにいいけど…」
「ほんと? 白根ちゃんって、ちょっとかわってるけど、かわいい名前だねっ」
俺がそう言うと、白根ちゃんはまた笑った。
「そう? えっと、高見くん、だよね…?」
「うんっ、高見朗! 朗でいいよ。みんな、そう呼ぶからさ」
本当は「高見くん」って呼ばれるのも、嬉しいんだけど、照れくさくて、そう言ってしまった。
「……じゃ、朗くん。朗くん、好きな人っている?」
「……えっ? ……あっ、も、もちろん!」
本当はいないんだけど、つい、嘘をついてしまう。だって…いないとかいうと、バカにされたりするんだもん。
…「お子様」とか、「ほんとかよ?」とか…。いや、野郎どもとの会話だと、それだけじゃすまないんだけど…みんなドスケベだから。
あー。でも、いるとかいうと、いるとかいうで、からかわれるし……。
「…·私、飛鳥くんが好きなの」
白根ちゃんがいきなり言った。
「━━えぇぇーっ?」
俺は驚いて声を上げた。
「……と言っても、ほとんど話したことないんだけどね」
白根ちゃんは、そう言って、また、飛鳥を見る。
「……それでも、好きなんだ、私……」
「……だから、白根ちゃんは、飛鳥に取り憑いてるの……?」
「…………うん……」
「……なぁ、飛鳥。本当に白根ちゃんのことあんまり覚えてないのか?」
白根ちゃんの話だと、飛鳥は白根ちゃんの姿が見えないらしい。
それでも、恥ずかしがりやの白根ちゃんは、飛鳥が寝てから、そっと飛鳥を見つめていたらしかった。
「……白根ちゃんはなぁ…」
飛鳥のことが好きだって━━。
おっと、これは言ったら、白根ちゃん、怒るかなあ。
ふと、飛鳥を見ると、マジメそうな顔をして、腕を組んでいた。
「……朗。やめろよ。そういう……死んだ人を、馬鹿にしたようなこと言うの、よくないと思うんだ」
「……なっ、なんだよっ、白根ちゃんは、本当にいるんだぞ!」
飛鳥に会いに来てるんだ━━なのに━━。
「……朗。おまえ、きっと、疲れてるんだ」
「なっ……!」
━━そういう飛鳥のほうがよっぽど病人のような顔をしていると思ったが━━……そんなこと言えるわけなかった……。
「━━まったく、飛鳥があんなにわからずやだとは思わなかった」
「……しかたないよ。飛鳥くんには、私のこと、見えないんだもの」
白根ちゃんはさみしそうに笑った。
相変わらず、飛鳥は眠っていて、起きているのは俺と白根ちゃんだけだ。
「……いいの? 朗くん。ずっと、飛鳥くんの家に泊まってるみたいだけど……?」
「あ。いいの、いいの。今、夏休みだからさ。
うちの親にもちゃんと、電話してあるし、飛鳥んちのおじさんやおばさんもいいって言ってくれてんだ」
「……そう…」
俺は、ちょっと頬を掻いて━━毛布でくるんだ、自分の着てる服に目を落とした。
黒いティーシャツにブルージーンズ。実は、三日前にここに来たときのまんまの格好なんだよな。白根ちゃん嫌がってないかなぁ。
山霊の正体が白根ちゃんだってわかったし、明日は一度家に帰って、着替え持ってこようかなぁ。
「ね。俺、気になったんだけど、白根ちゃん……足あるよね」
と、俺は、膝を折って座る白根ちゃんを眺めた。
「幽霊って足、あるんだつけ?
それに、なんで俺には白根ちゃんのこと、見えんの?」
「…よくわかんない」
白根ちゃんは首を傾げた。
「……あ。ごめん。幽霊なんて言っちゃって」
「え? いいよ、べつに。本当のことだもん」
白根ちゃんは「気にするな」って感じで、笑ってくれた。
なんだか、すっかり仲良くなってしまった気がする。
「……それと、なんで、中学の制服なの?」
「あ。うん……。たぶん、飛鳥くんと一緒に過ごせた思い出が強いからて
……」
「……じゃ、上履きなのも?」
「……うんっ。飛鳥くん見てたの、ほとんど教室で……」
「…夏服なのも?」
「それも、その、夏にね、学芸発表会の準備とかしてて……で、その時の飛鳥くんが素敵で……その……」
俺はちょっと唇をとがらせた。
なにかと言うと白根ちゃんはすぐ飛鳥飛鳥って、飛鳥のことばっかりいうんだ。俺には、そういう気持ちがよくわからない。
俺があいつのこと、ちょっと口が軽いとかスケベだとか言うと、白根ちゃんは首を横に振って否定するし。……本当のことなのになぁ。
どうも、飛鳥の話題で盛り上がれない。とはいっても、それくらいしか話すことはないんだけど━━。
俺はちょっとマジメな顔をして訊いてみた。
「━━白根ちゃんが、成仏できないのは、飛鳥のせい……?」
白根ちゃんは俯いた。
「……どうしたら、成仏できんのかな?」
やっぱり心残りがあると成仏できないってパターンだろうか。
心残りって……この場合……。
「……ねぇ、飛鳥くん連れて行っちゃ、だめかな……。
ひとりなの、心細くて……」
「……えっ!」
連れてく……? って、まさか、天国に?
「し、白根ちゃん……」
それは、ちょっと……!
「なんてね━━嘘だよ。そんなことしない」
白根ちゃんは笑顔で言った。俺は、少し安心したけど、なんだか白根ちゃんは寂しそうだった。
「……俺になんかできるかわかんないけど、俺、白根ちゃんのこと応援するよ! 協力する。白根ちゃんが成仏できるように。
なんでも言ってよ? ……あ。でも、飛鳥連れてくってにはナシな」
俺がそういうと、白根ちゃんは嬉しそうに笑った。俺もなんだか嬉しくなった。
とはいえ。どうしたら白根ちゃんが成仏できるのか、あーでもないこーでもないと話しているうちに、俺はいつの間にか寝てしまったみたいだ。
かなり寝坊して起きた俺は、すでに起きていた飛鳥の顔を見て━━飛鳥の異変に気づいた。
━━確かに前から青白い顔してたけど、こんな、ひどくはなかったはずだ。
「大丈夫か、おまえ、真っ青じゃねぇか、なんか、まるで、幽霊みたいに━━」
俺は自分の言葉にはっとした。
机に向かって宿題でもやっていたらしい飛鳥は━━イスから下りて、俺のほうに来ようとした途端━━目眩でもしたのか、顔を押さえてうずくまった。
「……大丈夫だって。平気。心配すんなよ」
飛鳥はそう言ったが、すぐに寝込んでしまった……。
なにもできずに、飛鳥のことを見ていると、背後に白根ちゃんが現れた。まだ夕方にもなっていない。
━━夜以外に自根ちゃんと会うのは初めてだった。
「……ごめんなさい。きっと、私のせいだ」
ベッドで横になって眠っている飛鳥に、白根ちゃんは手を伸ばした。その手が飛鳥の頬に触れそうなところで、白根ちゃんは手を引っ込めた。
「……ごめんね、朗くん。
きっと、私が飛鳥くんのそばにいたから、飛鳥くんは━━」
白根ちゃんは俺を見て、辛そうなのに━━笑ってみせた。
「……私、もう、ここから出ていく。
飛鳥くん、私がそばにいたら、もっと、悪くなるもの。…ごめんね」
白根ちゃんは、両手を胸の前で組んで、俺のことを見上げた。
「━━ね、朗くん、ごめん。あのね…勝手なことなんだけど、もう一日━━あと、一日、飛鳥くんのそばにいさせて。
そうしたら、出て行くから」
「━━そしたら、白根ちゃんは、どこへ行くの…?」
「……わからない。ね、朗くん。飛鳥くんのこと、お願いね。
……朗くんが、うらやましいな……。ずっと、飛鳥くんのそばにいられるんだもの。
……そうだ。朗くんは、好きだっていう女の子と、上手く行くといいね?」
そう言った白根ちゃんを見ながら、俺は、泣きたくなるような━━胸が、ひどく、痛むような気持ちを━━感じていた……。
白根ちゃんが見守るなか、飛鳥は静かに目を覚ました。
「……ふぁー、よく寝たぁ…」
翌日の昼過ぎ。目を覚ました飛鳥は、意外にも、元気な様子だった。
白根ちゃんには気づかずに起きあがった飛鳥は、
「あー、喉かわいたぁ。朗。ちょっと、おれ、下に行ってくるな」
と、寝癖のついた髪のまま、部屋のドアを開けて、一階へと下りて行った。
飛鳥には、本当に白根ちゃんが見えてないんだと、その時、俺にもはっきりわかった。
白根ちゃんは静かに、首を横に振った。そして、無理して笑う。
本当に今日で、飛鳥の元から去るつもりなんだ……。
俺は、白根ちゃんのことが心配だったけど、飛鳥のことも心配で━━白根ちゃんを見ているのもなんか辛くて━━飛鳥の後を追った。
飛鳥は、俺が階段から下りてくる音が聞こえたからか、俺の分のコップも出してくれていた。
「飲むか?」
と、飛鳥は、ダイニングキッチンで麦茶を注ぐ。それを、俺が突っ立ているリビングまで持ってきてくれた。
飛鳥んちの、おじさんとおばさんは、今日も仕事で留守にしていた。本当なら、ちゃんと朝早くに起きて、せめて挨拶くらいしておくべきだと思うけど━━白根ちゃんのことで夜遅くまで起きているので、なかなかできない。
いつも夕飯を一緒にごちそうになっているし、お世話になっているので、なんかお礼をしなくちゃと思うんだけど…。
━━今は、それより、白根ちゃんのことが気にかかる。このままじゃ白根ちゃん、かわいそうすぎる…………。
「なあ、飛鳥」
飛鳥と一緒にソファーに座って、俺は飛鳥に白根ちゃんのことを話そうとした。
信じてくれるかはわからない。それでも、話しておくべきだと思った。
「━━白根ちゃんのことだけど……」
言うと、飛鳥は複雑そうな顔をした。
「……朗。おまえ、そんなにあの娘のことが……」
何か言おうとした飛鳥の声を電話のベルがさえぎった。
飛鳥はリビングの電話に手を伸ばした。
俺は、頭に浮かべた言葉の行き場を、しばし失くした。
麦茶をすすって、飛鳥が電話を終えるのを待つ。
「……え? あ、はい……え、う、うん……本当に……?
……ああ……うん……おれも……うん…………わかった……それじゃあ」
受話器を下げて、振り返った飛鳥は、なんだか呆然としていた。
また調子が悪くなったのかと思ったが、ソファーに座った飛鳥は、焦点の定まらないような目で、徐ろに呟いた。
「……告白された……」
「……えっ?」
「……B組の、小林……。知ってるだろ?」
悪い予感がした。俺は、飛鳥の目を見て、尋ねた。
「まさか、おまえ……オーケーしたのか」
「━━ああ…」
何かを感じて振り向くと、そこに━━いつのまにか白根ちゃんが立っていた。
「朗だから、話すけど、……おれも、ずっと、好きだったんだ。
━━小林のこと……」
「━━それじゃ、白根ちゃんはどうなるんだ?」
俺は言った。だって、白根ちゃんは泣きそうな顔をしている。
飛鳥は、途惑いがちに俺を見る。
「……朗……?」
「白根ちゃんは、飛鳥のことが好きなんだぞ! それなのに……っ!」
「━━やめて、朗くん、やめて……!」
白根ちゃんが急にそう叫んだ。
なんで、白根ちゃんが、飛鳥をかばうんだよ。
そりゃあ、飛鳥は悪くない。悪くなんかないけど━━。
「だって、白根ちゃん、それじゃ、白根ちゃんが……」
「……しかたないよ! 飛鳥くんが決めたことだもの……!」
「でも、でも━━!」
飛鳥はわけがわからないという顔をして、俺のことを見ている。
飛鳥には白根ちゃんの声すら聞こえていないに違いない。
「……私だって、嫌だよ」
白根ちゃんが言う。
俺は白根ちゃんの顔を呆然と眺めた。
「飛鳥くんが好き。ずっと一緒にいたい━━。
ずるいよ……。その娘は。……飛鳥くんに見てもらえて、話しだってできて、なのに━━」
白根ちゃんは涙を浮かべて、頭を左右に振った。
「……でも、しかたがないじゃない」
「━━どうしてだよっ!」
俺は叫んだ。飛鳥のほうを向く。
「見てやれよ、飛鳥、見てやれよ!
白根ちゃんは確かにここにいるんだよっ!
どうして見てやらないんだよっ!
どうして、聞いてやらないんだよ!
どうして━━どうして信じてくんないんだっ!」
飛鳥は黙って俺を見ていた。」
やがて、飛鳥は俺から視線を外して、宙を仰いだ。
「いるのか━━いるのか、山崎さん……!」
白根ちゃんも俺から目を離して、飛鳥を見た。
もう白根ちゃんは俺を見ていなかった。
一心に飛鳥のことを見つめている。飛鳥も見えないくせに、一生懸命白根ちゃんを見ようとしていた。
見回す飛鳥に、俺は教えてやった。
「……白根ちゃんは、あっちだ」
飛鳥は、そっちを向いて、言った。
「山崎さん。山崎さん、ごめん。おれは……山崎さんみたいに、ずっと━━死んでからも、好きな人のそばにいられるかなんて、そんなこと、できるかどうかわからない。
━━すごく、うれしいけど……でも、ごめんなて……」
白根ちゃんは笑った。今までで一番嬉しそうに。
「ううん。そんなことない。それが聞けただけでも充分だよ」
途端に、白根ちゃんの身を目映い光が包んだ。
自根ちゃんの体が宙に浮かび上がる。
「白根ちゃん……?」
「…朗くん。ありがとう。……私、やっと成仏できそうだよ。
━━私ね、飛鳥くんのこと、前よりももっと好きになったんだ。
━━だって、朗くんみたいな友達がいるんだもの」
「……自根ちゃん……」
白根ちゃんは、俺に向かって手を差しだした。
「生まれ変わっても、また、友達になろうね」
「━━…うん。絶対、また友達になろうな!」
俺も、白根ちゃんに向かって手を伸ばす。
俺の手は、白根ちゃんの手を透けてしまうけれど、構わない。
それでも、これは俺と白根ちゃんの握手だ。
「白根ちゃん、俺、白根ちゃんのこと、好きだったよ!」
光と共に増えていく白根ちゃんに、俺は笑顔で言った。
白根ちゃんは一瞬、驚いた顔で俺を見て━━でも、溢れる光のなか━━
━━白根ちゃんは優しく笑ってくれた。
数日が過ぎた。俺はあの後ちゃんと、家へ帰って来た。
相変わらず、宿題には手をつけていない。
自分んちの門を開けた俺は、やってくる飛鳥を見つけた。
飛鳥は、もうすっかり元気になっていた。
「あ、なに、朗。出かけるところ?」
「うん。なに?」
飛鳥は持っていた紙袋を差しだした。
「これ、うちの母親が、食べて下さいって」
「えっ、ほんと? おばさんの手作り? ワリィな。なんか世話になってばっかで。
あ、ちょっと待ってて。これしまってくるから」
俺が家にそれを置いてくると、待っていた飛鳥は、なんか妙に落ちつきなく、辺りを見回していた。
「あ、なに、飛鳥? もしかして、飛鳥もこれからどっか行くの?」
そういえば、こいつ、いつもより服がかっこいいかもしんない。
「うん。……その、小林と」
「え? デート? へぇ…。上手くいってんだ、小林さんと」
「……まあな。朗にもさ、そのうちきっと春がくるよ」
飛鳥はふざけて俺の頭を叩いた。
「うるせぇ」
俺は言い返したけど、飛鳥の目はなんだかいつもより優しかった。
「ちぇーっ。いいよなあ。飛鳥は。なんか、最初から最後まで幸せでしたって感じで。
ま、一回ぶったおれたから、いっか」
「……あのなぁ。日頃の行いがいいんだよ、俺は。
朗は? どこ行くんだ?」
「うん。白根ちゃんのお墓参りに」
「……そっか。じゃあな」
「うん。またな」
去っていく飛鳥を見送ってから、俺は駆け出した。
真っ白な花を、買って行こうと決めていた。
きっと、白根ちゃんに似合うと思うんだ。
『生まれ変わっても、また、友達になろうね』
『━━…うん。絶対、また友達になろうな!』




