第1話 黒服、旅立つ。
※剣も魔法も使えない主人公が、人身掌握と交渉術で進む異世界ファンタジーです。
これは、明らかに勇者向きではない俺が、
異世界で”人を使う側”に回った話だ。
冷たい雨が、ビルの谷間のネオンを滲ませていた。
新宿歌舞伎町。不夜城と呼ばれるこの街も、寒波と雨には勝てないらしく、通りを歩く人々は肩をすくめ、足早に行き交っている。
だが、雑居ビルの中に一歩足を踏み入れれば話は別だ。
外の寒さなど嘘のように、そこにはいつもの夜が流れていた。
キャバクラ《ナイトスカーレット》。
そのフロアを、俺は黒服として動き回っている。
仕事は多岐に渡るが、本質は単純だ。
キャストと客、両方にストレスを与えず、すべてを円滑に回すこと。
トラブルを未然に潰し、火種は小さいうちに消す。
表に立つことはない。
だが裏で失敗すれば、一瞬で店が傾く。
今日は給料日後の金曜。
フロアは満席で、売上ナンバー1のアカリさんの卓も、太客で賑わっていた。
「タバコ切れたみたいだから、取ってくるわ」
事務所に入ると、店長が窓の外を眺めている。
「雪になるかもな」
「マジですか。電車、動くかな」
棚からタバコを取り出しながら応じる。
「アカリは今月も安泰だね」
「2番手も追い上げてますけど」
「……ちょっと、危ない気もするんだよな」
ナンバー争い。
この世界じゃ珍しくもないが、火種になりやすい。
タバコを手に、俺はフロアへ戻った。
「失礼いたします」
跪いて差し出すと、財文字さんが笑う。
「サンキュー、黒ちゃん」
見た目の圧に反して、やることをやっていれば基本的に優しい客だ。
俺は完全服従の笑みを返す。
その時だった。
「黒井さん、ヨドヤ様ご来店です」
インカムの声を聞いた瞬間、胃がわずかに重くなる。
――来たか。
ヨドヤさんはアカリさんの客。
だが、いわゆる“ガチ恋”。
借金の噂もあり、最近かなり追い込まれている。
フロア入口に立つ彼の目は、明らかにおかしかった。
腹を括った人間の目だ。
「アカリちゃん、いるよね?」
視線は泳ぎ、落ち着きがない。
俺は周囲に目配せしながら、声のトーンを落とす。
「いらっしゃいませ。アカリさんは現在、別のお席についておりますが――」
答えず、彼は肩にかけていたトートバッグに手を伸ばした。
――まずい。
セキュリティが動こうとするのを、手で制す。
「ヨドヤ様」
一歩前に出る。
「アカリさんから、お手紙を預かっております」
その一言で、動きが止まった。
「……手紙?」
「はい。プライベートな内容ですので、こちらで」
表情が、わずかに緩む。
俺はそのまま、アカリさんの見えない空き席へ案内した。
もちろん、手紙など預かっていない。
だが――用意はしてある。
特別扱いを匂わせる。
逃げ道を一つだけ残す。
否定はしない。
暖かい烏龍茶を出し、俺も卓に跪く。
「先日はありがとうございました。おかげさまで、アカリは今月もナンバー1です」
「……別に……」
俯いたまま、声が震えている。
「ただ、少し心配してました」
「え?」
「ねだりすぎたかな、って」
鼻の頭を掻く仕草。
――効いた。
そこへ、アカリさんが来た。
「ヨドちゃん」
「アカリちゃん……」
距離を詰め、甘い声で囁く。
封筒が手渡される。
「一人の時に読んでほしいな」
もう、完全に落ちていた。
ほどなくしてヨドヤさんは、穏やかな顔で店を後にした。
「黒ちゃん、助かった」
アカリさんが小さく笑う。
そう、手紙はあった。
宛名のない、当たり障りのない、だが男が喜ぶ文面の手紙。
いざという時のための“在庫”だ。
哀れだが、夜の世界とはそういうものだ。
嵐のような週末営業が終わり、清掃を済ませ、俺はコンビニで発泡酒を買った。
夜風に混じる雨は、いつの間にか雪に変わっている。
缶を開けようとした、その時。
「俺はもう破滅だ!」
叫び声。
傘もささず、ナイフを握った男と、メイド服の女。
またか。
この街じゃ珍しくない。
関わる気はなかった。
――はずだった。
逃げ出した女と追いかける男。
もつれ合った二人が、俺にぶつかる。
次の瞬間、腹に焼けつくような痛み。
「……マジかよ」
ナイフが、腹に突き立っていた。
発泡酒がこぼれ、血と混ざる。
視界が滲み、暗くなる。
――ああ……ビールにしとけばよかった。
人生最後の後悔がこれか。
情けなくもあり、俺らしくもあった。
*
どれくらい経ったのか。
次に目を開けると、青空が広がっていた。
広い野原。
痛みはない。
「……死んだ、か」
春のような風が頬を撫でる。
背後から、馬の足音。
振り返ると、白い馬にまたがった金色の髪の女が、こちらを見下ろしていた。
白い衣を纏い、どこか浮世離れした雰囲気。
「そなた」
女は微笑み、言った。
「破滅の予兆を見通す者よ」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
キャバクラ黒服という異色の主人公が、剣も魔法も使わず、人を動かして進む物語です。
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