【Ⅻ】 逆転への一音の章
『今日は古叢井さんの音が、大きいですね…』
「…あー、難しいよ」
瑠璃は、リズムの激しい箇所が問題だと指摘された。優愛はそれをただ悲しそうに見つめる。
「…優愛お姉ちゃん、教えてくれる?」
「う、いいよ…」
瑠璃の目から見ると、今日も優愛の様子は変だった。演奏面は昨日に比べればマシだが、申し訳なさそうにコチラを見る眼差しは、昨日と全く変わっていなかった…。
本番まであと少しだ。だが、瑠璃には大きな課題があった。それは入り組まれた難所で、手首を使わず腕を使って演奏をしている所だ。
「…瑠璃ちゃん、もっと手首を使おっか?」
「難しいよぉ」
これで本番は行ける、と思った瑠璃だが、やはり笠松には指摘されてしまった。
「むずかしいー」
バスドラムを踏みながら、他のタムタムやシンバルでリズムを刻まなければならない。加えて、手首を使った奏法はまだ習得しきれていない。
「優愛お姉ちゃん、ここ、強くするの?」
加えて、強弱の問題。
「うーん、分かんないなぁ…」
優愛は困ったように楽譜を見つめる。
「…そこはねー、少しだけ強くするよ。クレッシェンドするからね」
「…こう?」
瑠璃は手首をもたらせながらも、スティックを上下させる。とことことこ!大きな音が響いた。
「そうだね。やっぱり難しい?」
「ううん!沢山練習すればなんとかなるさ!」
優愛の不安げな問いに、瑠璃が笑って返す。
「…そう?」
優愛は少しばかり、浮かない顔をしていた。
下校後、瑠璃は迎えを待つ優愛と話していた。
「…優愛お姉ちゃん、お体悪いの?」
瑠璃は心配になって、優愛へ尋ねる。学校の前の住宅街には、クリスマスシーズンだからかイルミネーションが光っていた。幾つもの安っぽい光がフェンスの前で話すふたりを照らす。
「えっ?全然元気だよ…ん?」
元気だと優愛が答えきる前に、瑠璃の小さな手が額に触れる。彼女の手はほんの少し温かい。
「…本当だ、お熱ないね」
「う、うん」
「…」
目の前の瑠璃は何を考えているのか?優愛はただそれが気になって仕方がなかった。
「うーん、」
瑠璃が何かを言おうとするより前に、優愛は問おうと口を開いた。
「…ねぇ、瑠璃ちゃん、演奏…楽しい?」
彼女が問いを理解するまで、少しの沈黙が流れた。
「すっごく楽しいよ!」
しかし瑠璃はすぐに答えてみせた。
「鍵盤弾くよりも、太鼓を叩く方が何倍も好きだしね」
「…そう」
にわかに信じ難いが、怒っていないことだけは分かる。でも、最後に聞いておきたいことがある。
「急に…打楽器のソロコンに出て、って言われて…どうだった?」
「えっ?少し驚いたよ」
優愛の不安な顔にも触れず、瑠璃は笑顔で答えた。彼女にとってそんな事は気にしていない。ただ優愛の考え過ぎだったのだ。
「でも、優愛お姉ちゃんと2人きりで、演奏できるって聞いて嬉しかったなぁ」
「…えっ?」
「だって、お姉ちゃんは先輩じゃないもん」
「!?」
突然、優愛の心臓が止まりかけた。
「…それって…どういう事?」
優愛があたふたとしながら、問いを投げる。
「前に白夜先輩にも言ったんだ。優愛先輩に初めて会った時に決めたの。優愛お姉ちゃんはお姉ちゃんだ、って」
「?」
すると瑠璃は優愛から視線を外した。恥ずかしそうに頰を赤らめてこう言う。
「優愛先輩は私にとって特別。お姉ちゃんみたいな存在だよ、って」
それを聞いた優愛の目が赤くなった。
「…ッ!」
「え?」
瑠璃の紅潮した頬が白へと戻ると、優愛の顔を見る。
「…えっ!?優愛お姉ちゃん!?」
優愛は静かに号泣していた。
「ど、どうしたの?」
その理由は瑠璃には分からなかった。
だが、優愛は違う。内心はとても不安だった。きっと自分は瑠璃にあまりよく思われていない、と思っていたからだ。そもそも、優愛は瑠璃を『妹』ではなく『後輩』として見ていた。故に、瑠璃の懐っこい性格はただの個性だと思っていた。しかしそれは違った。
瑠璃は優愛のことが、本気で好きだったのだ。
「瑠璃…ちゃん、良かったぁ」
「えっ?」
すると優愛は、ぎゅう…と瑠璃を抱きしめた。小さな体が「うっ!」と悲鳴を上げる。
「…良かったぁ、怒ってるかと思っちゃった!」
「…は?」
その時、声はまるで"遭難した娘に再開した母"のようだった。本当で家族だな、と瑠璃は実感した。
「…瑠璃ちゃん、私、ごめんね!瑠璃ちゃんのこと大好きだよ!!」
優愛は改めて瑠璃の本心を理解した。そんな事も知らず、瑠璃はぎゅう…と抱きしめ返した。
(…お姉ちゃん)
小さな手に力は込めず、たださするだけだ。
「…私も大好き。お姉ちゃん」
「…うん」
優愛の一方的な涙に、瑠璃は慰めるように抱きしめ返した…。
「あらあらまぁまぁ…」
それを中北楓は、たまたま見ていた。
「優愛ちゃん、瑠璃ちゃん、そこは目立つよ?」
「あっ、うん!」
「…あーい」
優愛はバレないように、目元を指で擦った。
(…瑠璃、ごめんね)
そして優愛は、瑠璃の手を握った。
「寒いね?」
「…うん!」
瑠璃は子供のように笑い返した。隣で笑う優愛は、本当の姉のように見えた。
「本番頑張ろうね」
「うん!」
本番は1週間を切っていた…。
翌日。
楽器室から、心地よい打楽器の音が響き渡る。
瑠璃は中北の指導の元、スティックを上下へ器用に振る。その音は優愛と驚く程に合っていた。
ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ、
無機質なメトロノームの音に合わせて、打楽器の色彩豊かな音が鳴る。音が盛り上がりを見せた所で、一旦中北が止めた。
「はい、上手くなったね」
「えへへ」
「…」
瑠璃と優愛は悩みが吹っ切れたように、最高の演奏を見せていた。
「…何か今日は息が合うんだよね」
優愛が小さな声で言うと、瑠璃も同意するように頷いた。そして小さな指でトムトムの側面を撫でる。
「…それは、昨日のお陰かな?」
すると中北が笑い返す。
「えっ…、あ、いや…」
瑠璃が真っ先に照れる。優愛に抱きしめられたことが嬉しかったからだ。
「はい」
だが、照れる瑠璃とは対照的に、優愛は明るい声で返事した。
「…そう」
やはり2人はいいなぁ、中北は心のどこかで羨ましかった。この2人にパーカッションを任せて良かった、と。
「それでは、Eをやってみる?」
「「はい!!」」
中北は目を細めて優しく笑う。
少しずつ、音は完成に近づいていくのだった…。




