【現在編Ⅲ】 強豪と歩む未来
優月が打楽器を始めた本当の理由…。
それを聞いた井土は目を細めて笑った。
「…そうだったんだ」
「要するにオメーは、好きな人がやってた打楽器が、好きになった…ってことか?」
「うん」
「そう」
(玖衣華みたいだな…)
ゆなが出したその名。それはゆなの義理の妹でもあった詩島玖衣華だ。彼女は既にこの世におらず、同時にプロのドラム奏者でもあった。その彼女の影響をゆなは大いに受けている。
「あ、広一朗!今日もゆらとモントレしようよー」
その時、ゆなが井土へスマホを向ける。
「あー、ゆらくん来てからね」
ゆなはスマホを開いた。真っ黒な世界が一瞬で煌々とした世界へ変わる。
「あ、ゆゆー、古叢井はここに来るの?」
それと同時に、ゆなが顔を上げて優月へ視線を向ける。
「…行くかもって…何回も言ったでしょ?」
「っしゃ。私、吹部やめても安心だなぁ」
彼女がふんぞり返る。真っ黒なスマホを宙へと掲げる。
「うん!鳳月さんより、瑠璃ちゃんの方が絶対にうまいしね!」
つい、こう言ってしまった。
「…ゆゆって性格悪いな」
聞いたゆなが怒るように言う。その声は苦虫を噛み潰したかのようだった。
「鳳月さんが言う?」
優月が言うと、
『私の為に喧嘩しないでぇ〜♪』
突然、高音の歌声がふたりの険悪な空気を裂いた。
「広一朗の為に喧嘩してない」
「…あはははっ」
「ゆゆって、本当に広一朗に弱いな」
ゆなが溜息を吐いた。
「まぁ、鳳月さんでは、たぶん古叢井さんには勝てないと思うよ。勝てるのは身長だけだね」
「…あは」
優月の笑いは一瞬で苦笑に変わる。本当に身長はどうしょうもない。
「…いや、私なら」
「知ってるだろうけど瑠璃ちゃん、鍵盤もできるし、ドラムもそこそこできる。あとソロコンもできるからね」
それを聞いた井土は、目を信じられないと言う風に開ける。
「…えぇ!?ソロコン!?管打楽器の!?」
「あ、はい」
「うーん!これは古叢井さんの優勝!!」
「何の大会だよ?」
すると、楽器運びから戻ってきた藤原美鈴が、
「あと、瑠璃は和太鼓できますよ」
と言う。
「…ははっ、どーせちっちゃいのだろう?」
ゆなは瑠璃が和太鼓をできるとは、完全に理解をしていない。
「…いえ。大っきいのです。普段見る太鼓とは比べ物にならないくらいの」
そこへトランペットの國井孔愛が言う。
「…だな」
ついでのように高津戸日心も頷いた。
「…んげッ」
ゆなの表情がみるみると変わる。何だか苦しそうだが、優月は助けようとも思わない。
「これです」
日心が追い打つように見せた写真。
それは、和太鼓クラブ天龍の演奏会の写真だった。そこに大きく写った大太鼓。縁は真っ黒で、打面にはくすんだ白に"黒い染み"のようなものが付いていた。
「ちなみに、この黒い染みは瑠璃ちゃんの血です」
「うゎああー!負けたぁ〜!!!!!」
すると、ゆなが空気を裂くように叫んだ。
「うるせぇよ!」
「そうだよー」
その時、3年生で副部長の井上むつみと、OGの雨久朋奈が言う。元々部長だった雨久はコンサートの手伝いで来ていた。
「…あはははっ、ゆなっ子は血が出るまで叩いたことないもんね?私もだけど」
そこへ咲慧が煽るように言う。ちなみに咲慧とゆなは、中学時代に和太鼓部であった。
「いえぇ…、ゆなちゃんモウシニマシタ…」
あまりにも努力と格の違いを見せつけられ、ゆなはもはや放心状態だった。
「今もやってりゃ、絶対プロだったのに…、どうして3年でやめたのか?」
そこへクラリネットの1年生、諸越冬一が言う。
「アンタが抱きつくからでしょうが!」
「無垢な淑女に纏わりつく罪過よ…。本当に汚らしい!」
冬一は可哀想なことに、美鈴と日心に徹底的に粛清された。ちなみに、美鈴は天龍には所属しておらず、冬一は元々天龍にいた。
(…はぁ)
抱きしめた時、別に瑠璃は怒ってなかった。逆に泣かせてしまった。だが、その反応は恐怖によるものではなかったらしい。
冬一は…あの頃の瑠璃が好きだった…。
「ゆゆー、古叢井さんがソロコン出たの本当なの?」
「え?はい…。本人の演奏を見て決めたわけですし」
「ちょっと話を聞きたい。場合によっては、ゆゆとゆなっ子の3人で、アンコンに出したいから」
「…はぁ」
どうやら、彼女の過去が…今後を決めるようだ。まだ瑠璃が来るとは限らないが。
すると、何やらピアノの音が響く。その音に2人は邪魔されてしまう。
「先生、ピアノ練習して良いですかー?」
「あ、初芽さん」
ピアノを弾こうとしていた人物は、初芽結羽香だ。3年生でフルートの腕は上級者だ。そんな彼女は最近ピアノの練習をはじめた。
隣では部長の明作茉莉沙が、いたずらにピアノを鳴らしていた。鳴らされる音楽は『月に叢雲華に風』の最初のメロディーだ。寂しげなリズムは普通にうまい、と優月は思う。
「…あ、茉莉沙!ちょっと!」
「あ、ごめん。どうしたの?」
「…そこの鍵盤使うの」
「それは、申し訳ない」
そんな会話を尻目に、井土はコクリと頷いた。
「どうぞ。ピアノでもドラムでもギターでも、好きなのやってていいよ」
「…じゃ、私はゆゆの使うドラム叩いてきます」
「あー、どうぞ」
茉莉沙は最近、再び打楽器奏者としての感覚を取り戻してきたようで、暇な時はトロンボーンと並行してドラムを練習している。
茉莉沙は、元々『御浦ジュニアブラスバンドクラブ』という県内有数の強豪クラブにいた。そこでかなり辛い過去を経て、今となってはプロレベルの打楽器奏者へと変貌した。
数分後、茉莉沙の刻む激しいリズムが木霊する。彼女は身長153cmという小柄な体格だが、狂気含みの音量は相当なモノだ。体格で音量が左右されるわけでは無い。
それでも…もっと大きな音で、気持ちよく鳴らす人間を優月は知っている。
それこそ、古叢井瑠璃だ。
彼女の本気の音量だけは、絶対に誰にも勝てない。それは誰にだって分かる明確な事実だ。優月も、目の前のゆなも、今演奏している茉莉沙も、音量だけは…絶対に勝てない。
「相馬さん、瑠璃さんに会いたいって言ってたなぁ」
そこへ、2年生の夏矢颯佚が戻ってきた。隣には3年生の河又悠良之介がいる。颯佚は元超強豪校の神平中学校出身で、サックスの腕は相当なものだ。咲慧よりも技術力含めた実力は高い。一方の悠良之介は、練習に集中できてないせいか、部内でも下から数えたほうが早い、と明らかに分かるくらい下手だ。ちなみに本人は全く以て気にしていない。
「相馬?」
悠良之介が訊くと、颯佚はコクリと頷いた。
「相馬冬深。俺の2つ下で、打楽器とクラリネットのプロです。」
プロ。その言葉に悠良之介の耳は痛くなった。
「プロ…」
「ああ。今頃なら茉莉沙先輩くらいです」
ああ頭が痛い、と悠良之介は顔を歪めた。
「プロ。それは星の数ほどある褒め言葉」
「いや、冗談抜きで相馬さんは、本当に上手いんですよ。この前、文化祭に行った時なんか…」
その時、悠良之介が頭を抱えた。
「うわぁー!マジで強豪校ムリだぁー!」
エンジョイ勢より下な彼は、中堅実力者の優月でさえも、渇望の目で見ていた。
「相馬さん、俺みたいに強豪嫌いですから、来年来るかも。是非来年の定演に!!」
「うわぁあ…、明作さんと同じくらいの実力者が…もう一人?」
「アハハハ…」
優月は、絶望に浸る悠良之介を見て、苦笑を溢してしまう。
「…瑠璃ちゃん、最初は…先輩と色々あったようで…」
柔らかな空気の中、自然と優月は口を開いた。井土はただギターをメンテナンスしながら、静かに話を聞き始めた…。
話しは…瑠璃の悩みからはじまる。




