【現在編ⅱ】 打楽器に恋して吹奏楽
優月が中学3年生のときだった。
文化祭のあとから、吹奏楽へ少しの憧れを抱いたが、身を削ってまで始めようという感覚はなかった。
美術部引退の少し前。
優月は想大と写生に出ていた。想大はホルンパートたちを写生したいようで、中庭での練習を撮らせてもらっていた。
「…ホルンって、形面白いよな」
「小林君も分かるかぁ。良いでしょう〜!?」
元ホルンだった同級生、藤重菜帆が嬉しそうにする中、優月はそれをただ見つめていた。ホルンとは丸い形状をしていて、芸術家の想大は、それが気に入ったらしい。
「高校行ったら是非!」
「それは俺に吹奏楽を始めろ、と?」
「当たり!」
「えぇ、困ったなァ」
ちゃっかり勧誘する同級生に、優月はただ苦笑していた。徐ろに辺りを見回した時だった。
ドコドコタタンパァン!!
「!?」
唐突の激しい音に、優月の脳は揺さぶられた。
「おっ?優月くん、この音って瑠璃ちゃん達?」
「た、たぶん…?」
しかし、突然に音は止まってしまった。
「カッコいい」
それでも、優月の興奮は止まらなかった。打楽器の音がカッコいい。そう心の底か感じたからだ。きっと好きな人が演奏してるから、という贔屓耳もあるだろう。だが、窓とカーテン越しからでも分かる打楽器の魅力は、充分に伝わっていたのだった。
一糸乱れぬ正確な音。皮と金属が唸りを上げるに鳴り響く中、ふたりは菜帆と共に中庭を後にした。
無事に撮れたホルンの写真を見ながら、想大は黙々と絵を描いていた。
「…意外と難しいなぁ。ホルン描くの」
「そう?」
「そういえば優月くん、結局何を描くんだ?」
「うーん…。別に何でもいい」
優月は、頭の中では全く絵のことなど、考えてすらいなかった。
「…これで3年生最後の作品なんだから、描きたいもの思いっきり描きなよ」
「うん」
優月は彷徨うように頷いた。その瞳はどこか遠くの何かを見ているようだった。
「…もしかして!」
すると想大はニヤリと笑う。
「優愛さんたちの絵を描きたい?」
「…!?」
それを聞いた彼の心臓がドクン!と跳ねた。
「当たりだな。俺は君が何を考えてるか分かるぞ」
「…は、外れではないかな。僕も想大くんみたいに楽器を…描いてみたい…」
それは紛れもない本音だった。
「んじゃあ、描くために掛け合いに行くか!」
「えっ!?今!?」
「行かないと、半月後の引退まで間に合わないぞ」
彼の反論をものとせず、想大は少し頰を赤らめる。
「…どうせ、練習とかで最後まで、優愛さんに会えないだろうし」
その言葉に、優月は恥ずかしそうに頷いた。確かにそうかもしれない。
優愛は練習が忙しいせいで、優月に全く会えないのだ。日中も学年が違うので会いづらい。
「…ありがとう、想大くん」
こうして友達の為に何でもする彼に、優月は心底感謝した。
「その代わり、助手料は一生恋バナね」
「えっ?」
「嘘だよー」
想大はトコトコと音楽室前まで歩く。優月はその後ろをトボトボと歩いていた。
「…笠松先生に怒られないよね?」
「大丈夫だろ。別に部活の一環だし」
優月の不安を躱す。やはり、想大は少し強い。
「…おっ、何か喋ってるな。丁度良い」
想大はドアをコンコンとノックした。木製特有の温かみのある音が響いた。
「!?」
音で最初に振り返ったのは優愛だった。慌てたようだったが、すぐに想大だと気づき、小さく会釈する。
すると想大は、小さな動作でドアを開いて、真似るように会釈し返した。
「ちょっとゴメンね〜」
彼はそう言って優月を突き出す。
「…あ、失礼シマス」
優月は一瞬で全身の筋肉が凍る。ドクンドクンと鼓動がうるさい。
「どうしたの?優月くん」
優愛は少し珍しいものを見るような目で言う。
「あ、いや…、実は今、描きたいものが思い付かなくてね…。だから…」
目の前にいるのは親しい人であり、好きな人。それでも今は活動中だ。押し入ってしまった罪悪感でうまく話せない。
「…もしかして、絵を描きたいんじゃない?」
その時、隣にいた瑠璃が口を開いた。
「…えッ?それなら別に大丈夫だよ。撮る?」
「あ、ありがと」
すると想大が肩を上下させる。
「いいの?演奏してる所を描かなくて」
その言葉に優月は「えッ!?」と声を裏返す。
「…優月くん、ただ固定されてる物を描いても、つまんないでしょ?」
「ま、まぁ…」
優月が頷くと、今度は瑠璃が「優愛お姉ちゃん」と声をかける。
「…ん?」
「やる?」
そう言って瑠璃は、2本のスティックを頬の前へ構えた。
「…協力してあげようよ。良いでしょ?」
瑠璃が頼むと、優愛はすぐに頷いた。
「私も全然良いよ」
すると、ふたりは打楽器の群へと向かい、何枚もの楽譜をめくり指さす。
「じゃ、Cからね」
「うーん!」
瑠璃が下腹部より下のバスドラムに、足をかける。刹那、キックペダルが跳ね上がった。
(うわぁあああ…!?)
ものすごい、としか言えない。
瑠璃と優愛の息ぴったりな演奏に、優月は息を何度も呑んだ。太鼓の皮が衝撃で震える。放たれる音の衝撃は、本来の目的を忘れさせるほどに凄かった。迫力ある演奏に、つい頰が赤くなる。何だか恋をしてるかのように、音に聴き入ろうとするが、想大に肩を叩かれる。
(…よし)
優月は即座に、カメラを構える。
スティックの振れ幅が、他の楽器を邪魔しない地点。そこへカメラの照準を合わせる。優月は小さい時から動体視力が高かった。だから、何度も撮り逃がすようなミスはしない。
ぱしゃ!
乾いたシャッター音が何度も響いた。
1分後、ようやく演奏に区切りがついたようで、優愛がこちらへ振り返る。
「撮れたかな?」
少し不安そうに優愛が訊く。対照的に瑠璃は、黙って軽くたたいていた。
「…カッコよかった!」
「良かったぁ。写真は撮れた?」
「うん!撮れた!」
すると優愛の瞳が細められる。
「それなら良かった…」
その声は穏やかだった。その笑顔を見て、優月はつい頰を赤らめてしまった。
楽器室を出ようとした時だった。
「…優月先輩、絵頑張ってください!」
瑠璃がそう言った。小さな拳をぎゅう…と固めている。彼女も打楽器が好きなのだろう、と優月は分かった。
「うん」
ふたりの少女に見送られ、優月たちは部屋をあとにした。
数日後…。
「…本当に楽しそうだなぁ」
優月は絵を描きながら、そう思った。
キャンバスへ、その様子を描き出す度に、楽しげなリズムが耳奥に蘇る。
「…」
「おう、めっちゃ上手いやん!」
「へへ」
優愛と瑠璃の演奏をモデルにした絵。それは…僅か1週間で完成させた。だと言うのに、"過去最高傑作"と美術部の顧問からは褒められた。
「おォ!今までの小倉の絵の中で1番うめェ!」
「あ、ありがとうございます」
「太鼓の光とか躍動感あって、すごく良いよ」
「良かったぁ…」
(本当は…凄くアレンジしたけど…)
顧問に大いに褒められた、その日の帰り。
「やっぱり、優月くんは打楽器が好きなんじゃないの?」
「えっ?」
想大にこう言われてしまった。
「…だって、今回の絵は優愛さんたち、写ってないじゃん?でも凄く楽しそうに描いてたし…」
「…確かに描いてて楽しかった」
正直な気持ち、演奏者が優愛じゃなく、瑠璃だけだったとしても、変わらず、楽しかっただろう。
「…やっぱり吹部、はじめようかな?」
「凄く良いと思うぜ」
あの日…。溢した本音を想大は優しく掬ってくれた…。




