幽霊…それは怖い!ってだれが決めたの?
梅雨も近い6月の蒸し暑い夜。
昨年の秋に亡くなったばかりの女性が、一心不乱に人を驚かせる練習をしている。
そう、彼女は「幽霊」になりたての新米幽霊である。
長い黒髪を振り乱し、青白い顔色で、白い帷子を左前に着ている。
痩せこけ、あばら骨が浮き出し、怨みのこもった目で「恨めしや…」と、壁一面の鏡の前で練習中。
その姿は昔の画家達が描いた「幽霊画」そのもの。
墓場で彼女を見掛けたなら、悲鳴をあげて逃げ出すだろう。
しかし、ここは墓場ではない。
地獄の入り口は、すぐそこに見えているが、地獄でもない。
娑婆から来て間もない死人達の中から、選抜された者だけが入校出来る学校の1室である。
「デビューはもう少し先になりそう…練習が足らないわ。」と呟きながら、次の授業へと急ぐ彼女。彼女の名前は緋糸 結。
これから彼女の話をしようと思うが、その前にこの学校の説明から始めたい。
この学校は「セントゴーストアクターズスクール」
幽霊やお化け、妖怪などになれる素質を持ち、エンターティメント性を備えた者だけが入れる演劇学校とも言える所。
洋の東西を問わず、オーディションと面接で合否を決める。
幽霊の気質はあるか?
お化けとはなんぞや?
妖怪に不可欠の妖力はあるか?
そんな事を聞かれる。
正しい答えなど無い。
オーディションを受けた亡者達の感性を審査していると言っていいだろう。
先程、恨めしや〜の練習をしていた緋糸結も、素質を見出され入学した。
セントアクターズスクール創始者であり、初代校長になったのは出雲阿国。
遥か昔に亡くなっているが、彼女の踊りは「歌舞伎」となって現代まで受け継がれている。
そんな彼女だから、たとえ自分は死のうとも、残したい踊りや謡がある!と強く思っていたとしても不思議ではない。
三途の川の川岸に、小さな小屋を建て、川を渡ってくる亡者達に踊りや謡を見せて、一緒にやってみないか?と誘う。
現世で歌手になりたかった者達やタレントになりたかった者達がワラワラと集まってくる。
現世で叶わなかった夢が、あの世で叶うと大評判になり、我も我もと押しかけた。
しかし、現実は厳しい。
才能のない者達はスパッと落とされ、閻魔大王の前にあってもあまりの悔しさに慟哭する。
閻魔大王に至っては、あまりの嘆き様に裁きを言い渡すのも偲びず、亡者達を慰める。
そんな光景が何度となく見られた。
平清盛の愛妾祇王、妓女、仏御前の3人が入校した時は凄かった。
白拍子である彼女達の舞は、見る者の目を釘付けにし、その謡は涙を誘った。
そして三人は「初代アイドル」になった。
また祇王、妓女の母親の刀自は、彼女達のプロデューサー兼マネージャーになった。
その人気はうなぎのぼりだったが、やがて普通の女の子に戻りたいと言って、解散し、極楽へ行く者、地獄へ行く者、そして極秘だが、閻魔大王の愛妾になった者もいた。
枕営業もしていたのか?と噂にのぼったが、その噂も七十五日で霧散した。
静御前や巴御前も一時はアイドルになったのだが、極楽から迎えが来て去っていった。
やがて舞や謡に限らず、演技力を持った者が現れた。
抜群の演技力を持った人物。
それが現在の校長「お岩」だった。
あの有名な「四谷怪談」のお岩さんである。
オーディションで彼女が演じたのは怨みを持った幽霊だった。
出雲阿国の前で「恨めしや、伊右衛門殿…」と、得意の怨み節を呟く。
その目は怨みと憎しみを宿し、長い黒髪が顔に影を落とす。
斜に構え、右肩を落とし、帷子から指先だけを出し、下から見上げるその顔は、この世の者とは思われぬ程腫れ上がり、爛れ、腐り落ちそうな顔だった。
怒気と憎しみ、愛、悲しみ、怨みの入り混じった目に睨めつけられ、さすがの阿国も震えあがる程だった。
阿国が合格を告げると、お岩は帷子の袖で顔を拭った。
すると、切れ長の二重瞼も凛々しいほどの美女が現れた。
あまりの変わりように驚いた阿国が尋ねた。
「お岩さん、先程の顔はどうしたのですか?」
お岩が答える。
「阿国先生、お化粧をご存知ないのですか?あの顔は化粧で作りました。」と。
その方法は、糠袋の中に少しのぬかと水を混ぜた物を入れ、顔に糊で貼り、上から薄く土と白粉を混ぜた物で顔全体を塗り、乾いたら又塗りを数回繰り返す。
飛び出した目玉は卵の殻に色付けしたものを用いた。
土と白粉を厚く重ねたら、薄く溶いた糊を崩したい場所につけていく。
下地がダラリと溶け出したら自然と乾くのを待つ。
その間に、紅に藍を混ぜ、唇に塗る。
道具はざっとこんな感じですと化粧道具を見せた。
白粉用筆が何本もあり、細い物、平たい物、太い筆、細い筆等、たくさんの化粧道具を見た阿国は、感嘆の息をついた。
そう、お岩さんは「特殊メイク」のプロフェッシヨナルだった。
伊右衛門の浮気に腹を立て、得意の特殊メイクで伊右衛門を懲らしめようとした。
ところが、あまりに生々し過ぎたので、恐怖に駆られた伊右衛門に切られ、あっさり死んでしまった。
怨みは残っていたが、そのうち伊右衛門も此方にくるだろうと考え、その間、待つ場所を探していたという事だった。
お岩に住む場所を提供すると約束した阿国は、一緒にアクターズスクールを盛り上げてくれないかと頼んだ。
時間を弄んでいたお岩は二つ返事で了解した。
学校を経営するのなら生徒と共に、講師になる人材を探そうと阿国に話す。
舞、謡部門の講師は阿国が引き受けた。
演技指導、特殊メイクはお岩が講師となった。