第30話 密かな潜入②
会議をひととおり終えたあと、ロザリアはレオンと二人きりで離れの部屋に残った。正式な潜入計画を詰めるために、地図を改めて見ておきたいという理由もあるが、それだけではない。最近の身分差や王太子妃をめぐる葛藤を思うと、レオンと話したいという気持ちが自然と芽生える。
「……あなたと一緒に行くことになるわね。もし失敗したら、と考えると不安じゃない? 本当に大丈夫?」
ロザリアが視線を落としながら口を開く。レオンは力強く首を振った。
「僕はむしろ安心していますよ。あなたと二人なら、きっと乗り越えられる。今までいろいろあったけど、やはり行動をともにすると心が落ち着くんです」
「私も同じ。騎士や執事たちを伴わずに行くのは心細いけれど、あなたがいればなんとかなるって思えるの。危険は覚悟のうえよ」
そう告げるロザリアの胸の内には、潜入に対する緊張だけでなく、レオンへの信頼とかすかなときめきが混じっている。危険な計画だからこそ、互いに支え合える時間が増えるのではないか——そんな感情まで湧いてくる自分を、少し不謹慎かもしれないと思いつつも否定できない。
「じゃあ、当日は夜半過ぎに屋敷を出発しましょう。王宮の外周を回り、裏門に近い茂みがある辺りから侵入を試みる。そこで一度、様子を確認してから保管庫へ向かいます。見取り図では、廊下が二手にわかれているので、そこをどう突破するか……」
「警備の巡回ルートも把握しておかないとね。あなたが昼間に得た情報を参考にすり合わせておきましょう」
二人で地図に目を凝らし、指先でルートをなぞる。もし少しでも警備と鉢合わせすれば即アウトだ。相手が王宮の近衛兵や官吏ならば、なおさら言い逃れはできない。だが、この危険を乗り越えなければエレナ派の裏を取ることなどできない。
「ロザリア、怖くはないんですか? 万が一見つかったら、あなたが再びひどい扱いを受けるかもしれない。それを考えると、僕は本当にあなたに無理をさせていないか心配で……」
「正直言えば怖いわ。でも、私が腹を決めなきゃいけないの。これまで散々追い詰められてきたし、名誉を傷つけられてきた。もう、自分の手で決着をつけたいのよ。子爵家に頼るとか、公爵家の名にすがるとか、そういう次元じゃなくて、私自身が真実をつかむの」
ロザリアは顔を上げ、レオンの瞳をまっすぐ見つめる。昼間にも感じた身分差の壁が頭をよぎるが、それ以上に「あなたとならこの危機を乗り越えられる」という想いが湧き出してくる。危険をともにすることで、二人の関係が一層深まるかもしれない——同時に、もし失敗すれば大きな痛手を負う。それが運命の分岐点となるだろう。
レオンは小さく笑って、「そうですね。僕もあなたに無理をさせたくはないけれど、こうして決意したあなたを支えるしかない」と応じる。すでに子爵家の出である自分にできることなど限られるかもしれないが、それでもロザリアと一緒に行動することが彼にとっても使命感になっているようだ。
「当日は変装していく必要があるわね。王宮に顔を知られている私が普通に歩いたら、すぐに怪しまれるわ。あなたも同じで……騎士たちも極力目立たない服装で」
「夜陰の時間を狙っているので、顔を隠す程度で大丈夫かと思いますが、用心に越したことはありません。小道具や暗いマントを使うなど、何か考えておきましょう」
綿密な打ち合わせは続き、二人の息はぴったりだ。幼い頃はお互いを見下したり惹かれたりしながらすれ違ってきたが、今は同じ目的に向かって力を合わせ、しかも互いの存在を大切に思っている。騎士や執事が傍から見ても、二人の横顔にはただの協力者以上の感情がにじんでいるのがわかるほどだった。
「ソフィアには屋敷で待機してもらいましょう。もし私たちが戻れなかった場合、ソフィアに指示を出してもらうしかないわ」
「わかりました。ソフィアも不安でしょうが、ここを頼むしかありませんね」
レオンがうなずくたびに、ロザリアも決意を固める。潜入には確かなリスクがあるものの、うまくいけばエレナ派への反撃が一気に加速するはずだ。
「じゃあ、明日の晩までには準備をすべて終わらせましょう。……レオン、あなたと私だけが最終的に保管庫へ侵入するけれど、あなたは準備のほうを任せてもいい?」
「もちろん。馬車や夜道を通る際の偽装、王宮外堀の偵察など、僕がやっておきます。あなたは堂々と動くより、当日までなるべく姿を見せないほうがいいかもしれない」
「そうね。目立つのはやめておく。王太子妃復帰なんて噂もあるから、周囲の視線が厄介だわ」
この計画に乗り出すことで、ロザリアは王太子への復帰を望む派閥の思惑とも距離を置ける気がした。それが自分にとって救いになるかもしれない。もし証拠を手にすれば、エレナの陰謀を一気に暴くことができ、自分の名誉も回復できる。そうなれば、両親や貴族たちに王太子妃を強要されるのではなく、もう少し自分の意志を反映できるだろう。
「それじゃ、作戦会議はこれで一旦終わりにしましょう。あなたは疲れているでしょうし、私も少し休まなきゃ。明日から忙しくなるわ」
「はい。ロザリア……気をつけて。僕がいるから大丈夫と言っても、やはり心配は尽きません」
「大丈夫よ。私だって怖いけど、今はあなたがいるだけでずいぶん落ち着くの」
そんな言葉を交わし、ロザリアとレオンは部屋を後にする。廊下に出たところで、一瞬二人だけの時間が訪れた。お互いが小さく笑い合い、ほんの一瞬だけ沈黙する。何か言葉にしたい思いはあるが、それを言えば恋の感情が爆発してしまいかねないと、互いに無言で感じ取っている。
そして、決行の夜。公爵家の離れには緊迫した空気が漂っていた。ロザリアとレオンは身なりを整え、黒を基調とした服装にマントをまとい、顔を覆うためのフードや装飾を準備している。仲間たちが最終チェックを行い、潜入に必要な小道具や地図、書類を荷袋に詰め込む。
ソフィアが涙ぐみながらロザリアの服装を直すと、「絶対に戻ってきてくださいね。無茶だけはしないで」とお願いする。ロザリアは頭を小さく振り、「必ず帰ってくるわ。これを成功させないと、私も前に進めない」と答える。
レオンは玄関先で、少し落ち着かなそうに呼吸を整えている。いつもは冷静な彼だが、今回は王宮を相手に潜入するという危険があり、気が張り詰めるのも無理はない。「あなたがいてくれるなら心強い」とロザリアが小声でささやくと、レオンは「僕も覚悟はできています」と返し、軽く拳を握りしめた。
「時間です、お嬢様、レオン様。馬車の用意ができました」
執事の合図で二人はそろそろと門を出て、待機する地味な外見の馬車へ乗り込む。護衛の騎士が数名、先行して王宮近くに待機する手はずになっているため、この場には同行しない。実質的に二人での潜入になるが、それが最小限のリスクだと判断した。
馬車が静かに走り出すと、ロザリアとレオンは並んで腰掛け、言葉少なに外の景色を見つめる。夜の闇が王都を包み始め、通りには灯りがちらほらと点在している。昼間とは違い、人通りが減っているぶん、移動はしやすいが、それでも無闇に大通りを使えば目立つ。馬車は裏道を選んで進むよう指示が出ていた。
車内では緊張が張り詰めているが、同時にどこか二人が隣で心が通じ合っている穏やかさもある。危険と隣り合わせの状況なのに、ロザリアは隣にレオンがいるだけで不思議な安心感が沸き起こるのを感じていた。
「本当に、どんなことがあっても私を置いていかないでね。捕まるかもしれないし、慌てて逃げなきゃいけない状況だってあるけど……あなたが隣にいてくれないと困るの」
「もちろん。僕はあなたを守るために来たんですから。いざというときは、僕が先に立って道を開きます。あなたを一人にするつもりはありません」
「ありがとう……」
お互いを見つめ合うと、夜闇の中でささやかな温度が胸に灯る。恋を宣言する余裕はないが、この行動が無事に終わった後、改めて想いを伝え合いたい——そんな気持ちをロザリアは密かに抱きながら、視線を窓の外へ戻す。
馬車が王宮近くの路地に停まり、二人は闇に溶け込むように降り立つ。あたりには護衛の騎士が散らばり、警戒をしているらしいが、直接同行はしない。そのかわり、緊急時には迎えに駆けつけるよう準備しているという。この点も作戦会議の末に決定した方式だ。
レオンが小声でつぶやく。
「ここから先はもう、僕たちだけです。大丈夫、夜陰にまぎれていけば、そう易々と見つかりません。地図の通りに動けば、裏門付近に人目を避ける茂みがあるはず」
「ええ、行きましょう。絶対に決定的な証拠をつかむのよ」
ロザリアはマントのフードを深く被り、息を殺してレオンとともに路地を駆け抜ける。王宮の外周には街灯が少なく、真っ暗な壁が立ちはだかるように見えるが、薄暗い月光が二人の輪郭をほんのり照らしていた。心臓が早鐘を打つのを感じながら、ロザリアは前を進むレオンの背中を頼もしく思う。




