第25話 新たな妨害①
王都の空は透明度の高い青から徐々に夕色へと変わり始め、人々が行き交う大通りも華やかさに翳りを帯びていた。そんな中、グランフィールド公爵家の一行が街を通ると、すれ違う人々の視線が微妙に冷たいことに、ロザリアはすぐ気づいた。以前は華やかな馬車で通れば賛美や好奇の視線を浴びたが、今は噂に彩られた疑惑の視線が刺さるように注がれている。
少し前に、ロザリアが屋敷で蟄居同然の日々を送りながらも再起を図っているという話が、どこからか漏れ始めていた。それに呼応するかのように、新たな中傷の噂が連鎖し始め、ロザリアの名声は再び落ち込みを見せているらしい。まるで待ち構えていたかのように、「エレナ派」がロザリアを陥れるための妨害工作を本格化させたのだ。
「お嬢様、やはり今日の外出は控えた方が……」
馬車のなかで侍女のソフィアが心配そうに声をかける。ロザリアは思わず唇を引き結び、首を横に振った。
「いいのよ。私がいつまでも外に出ずにじっとしていても、噂は勝手に広がるだけ。ならば堂々と顔を見せておく方がましだわ」
そう返すロザリアの眼には、確かな決意が宿っている。先日、レオンや公爵家の家臣と共に進めていた偽造書類の調査は手応えを得つつある。だからこそ、その妨害を恐れていては何も変わらない。しかし、彼女の胸には、空気が変わり始めているのをひしひしと感じる感覚があった。周囲の視線が、あの婚約破棄の直後と同じか、それ以上に冷ややかなものに変わりつつあるのだ。
「お嬢様……ここ数日、変な噂が一気に広まっているんです。『ロザリア様は王太子殿下だけでなく、周囲まで欺こうとしている』とか、荒唐無稽な話があちこちで……」
「ええ、聞こえてきているわ。まるで、私が何か新たな陰謀を企んでいるかのように取り沙汰されているようね」
ロザリアは馬車の窓を開け、外の風をわずかに感じながら、苦い笑みを浮かべる。この噂の広まり方はあまりにも手際が良すぎる。まるで「共謀して」情報を流している集団がいるかのようだ。最近、ロザリアが内外で秘密裏に情報収集を始めたことが漏れ、エレナ派が警戒を強めているのだろう。
馬車が停まったのは王都の中ほどにある貴族街の一角。小さなサロンで茶会が開かれると聞き、ロザリアは顔を出してみる決心をしていた。外出するだけで人々の冷たい目を浴びるが、引きこもったままでは噂の餌食になり続けるだけ。彼女は強いプライドで自らを奮い立たせ、馬車を降りる。そのすぐ後ろをソフィアと騎士が続く。
「……いくわよ」
ロザリアの一言で扉が開かれ、サロンの中へ足を踏み入れると、一瞬ひやりとした空気に包まれる。数名の貴婦人や令嬢が楽しげに談笑していたが、ロザリアの姿を認めるや否や、ぴたりと会話が途切れる。重苦しい沈黙が漂い、まるで「何故ここに来たの?」という空気がロザリアの周囲を取り巻いた。
「まあ、ロザリア様……ごきげんよう」
誰も声をかけないので、やや戸惑いつつも、一人の夫人がごく形式的に挨拶をしてきた。声の調子は柔らかいが、目には警戒の色が見える。ロザリアは小さく微笑み、あくまで優雅な態度を崩さない。かつて王太子妃候補として培った気品が、こうした場面で彼女を支えていた。
「ごきげんよう。皆様、こちらにお集まりと伺ってご挨拶にまいりました」
「……そう。まあ、ゆっくりしていかれては……」
夫人は微妙に言いよどみながらテーブルを示す。他の令嬢たちも顔を見合わせているが、明らかに雰囲気がぎこちない。そこへ後ろから、また別の女性が近づき、陰口を聞かせるようにささやいた。
「ロザリア様……最近、よく動いておられるとか。随分と積極的ですわね。まるで、何かを企んでいるようにすら……」
ロザリアは冷静に相手を見返し、眉をほんの少し動かす。ここまで露骨に言われるのは初めてだが、陰口を叩かれていることは予想済みだった。
「何かを企む、ですって? お言葉の意味がわかりませんわ。私は婚約を破棄された身で、何もできる立場にないでしょう。企む余地なんてあるのかしら?」
「まあ……それはそうかもしれませんけれど。世間では、あなたが再び身分を取り返すために王太子殿下を惑わそうとしているのではないかとか……。あら失礼、私が言い出したわけではございません。聞こえてきた噂ですもの」
明らかに牽制するかのようなその口調。ロザリアは「やはり妨害が始まった」と心中で確信する。エレナ派が警戒を強め、ロザリアの一挙手一投足を「裏がある」と噂にし、それを社交界に流布しているのだろう。
(情報収集を始めたのが知られてしまったのね。あるいは、外部の誰かから私たちの行動を報告されたのかも……)
そう考えながらも、ロザリアは目の前の女性に対して淡々と返す。
「どうあれ、私は自分が失った地位を取り戻すつもりはございません。王太子殿下には新しい想い人がいらっしゃるそうですし、私が今さら何をするというのでしょうね」
「ですが、ロザリア様は公爵家の令嬢。まだ影響力をお持ちだとか……。噂では、レオン・ウィンチェスター様と一緒に何かを調べているとかお聞きしましたが?」
「レオン? ああ、子爵家の……幼馴染の方ですね。何をしているかは存じませんが、もしかして私が手を組んで陰謀でも働いていると?」
ロザリアの問いかけに、その女性は少し間を空けて、「そんなこと……ただ、あまり芳しくない噂が広まっていますわ」と言葉を濁す。そうした態度が既に「焚き付けられた」ものであることを示唆していた。誰かが「ロザリアは子爵家と組んで王家に対する報復を企んでいる」とでも吹き込んでいるのだろう。
「どうやら私には裏切り者の上に陰謀者という冠までつけたいようですわね。ずいぶんと手際のいい噂話。面白いほど盛り上がってるようだけど……皆さん、本気で信じているの?」
ロザリアは辛辣な笑みを浮かべ、辺りをぐるりと見回す。居合わせた貴婦人や令嬢たちは困惑したように目を伏せたり、視線を逸らしたりと落ち着かない。彼女がここまで毅然と反論すると思っていなかったのか、それとも対処法を見失っているのか、場の空気は重苦しく沈んだ。
「……とにかく、私に何か疑念があるなら具体的に言っていただきたいわ。曖昧な噂ばかりで踊らされるのは、お互い時間の無駄ではなくて?」
言い放つロザリアの瞳は、高貴なまでのプライドを湛えている。確かに噂は痛手だが、ここで押し黙っていては“事実”として認識されかねない。毅然と応じるしかないのだ。
ただし、この場では誰も次の言葉を発しなかった。会話は行き詰まり、ロザリアは踵を返してサロンを後にする。追いすがるように誰かが声をかけることもなく、冷ややかな視線の中で、彼女はソフィアと騎士を伴い再び馬車へ乗り込んだ。
「お嬢様、大丈夫ですか……?」
「ええ。気分が悪いというより、呆れてしまったわ。手を替え品を替え噂を流すなんて、やり口が卑怯だわ」
馬車が動き出すと同時に、ロザリアは窓越しに街を眺める。しばらく無言が続いた後、彼女は拳を握りしめるようにして決意を固める。
「でも、こういう動きがあるのは予想していたこと。それだけ私が何かをつかみかけていると、相手も感じているのかもしれない。引き下がるわけにはいかないわ」
「はい、お嬢様。私たちの調査も、少しずつ進展していますものね」
「ええ。今こそ耐えどきよ」
その言葉通り、ロザリアはプライドを糧にして踏みとどまる覚悟を固める。噂ひとつひとつに屈してはいられない。彼女の胸には、先日発見した偽造書類の証拠がじわじわと集まり始めているという確かな手応えがあるのだ。




