第24話 孤独と決断②
ふと、小さなメモ書きが目に留まる。日付が夜会の約三週間前にさかのぼる。そこには「殿下、近々ロザリアが王家への反逆行為を企てている模様……ご確認いただきたく……」と、あまりにも怪しい内容が記されていた。差出人の名ははっきり書かれていないが、書式だけはそれなりに整っている。しかし、この文面が殿下の下に正式に届いていたのなら、普通はもっと騎士団や書記官らの正式調査が行われるはずだ。
「このメモ……なんだろう。こんな根拠不明な中傷が、本当に理由になったのか……?」
ジュリアンは表情を強張らせ、さらに読み進める。結局、そのときは忙しくて詳しく調べる余裕もなく、誰かに「ロザリアに裏があると示唆した人物がいる」という話を聞かされた。あの夜会で突如として婚約破棄を宣言した背景には、こうした匿名の中傷がいくつも重なったためだ。その一部をエレナに相談した記憶もある――「殿下、それは大変ですわ」と、彼女は悲しげに眉を寄せ、「ロザリア様がそんなことを……信じられませんが、もし本当なら国を揺るがす問題ですね」と言葉を濁した。
(あのとき、彼女は止めてくれなかった。むしろ「ご不安なら、皆様の前ではっきりさせたほうがいい」と、夜会の場で決定的にする道を選ばせたんだ)
思い返すと、まるでロザリアを「断罪」する流れを後押ししたようにも感じる。もちろん、そのときジュリアンは「裏切り者を野放しにはできない」という大義名分に縛られ、自分の心を固めてしまった。
夜は深まり、部屋の中にだけランプの淡い灯がにじむ。ジュリアンは書類をある程度読み終えると、机に突っ伏すようにして目を閉じた。疲労が蓄積しているが、今さら休むわけにもいかない。王太子として公務をこなしながら、こうして一人で真実を探るのは難儀だが、彼はもう放置しておけない決意を固めている。
「私は逃げてばかりだったけれど、もう逃げない。ロザリアが本当に裏切ったのか、いや、そうでないならこの陰謀を仕組んだのは誰なのか……王太子として私が知らないままでいるのはおかしい」
その低い声には震えが混じる。エレナへの好意を完全に捨てきれないが、彼女にまつわる違和感が彼の心を苛立たせ、「本当は誰が仕掛け人か」を突き止める責務を感じさせる。もしそれを怠れば、王太子自ら裏切りの情報を鵜呑みにしてしまった大失態として、国民の信用も失いかねない。
じっと書類を睨むジュリアンの脳裏には、ロザリアが涙をこらえながら歯を食いしばっていたあの日の姿がこびりついて離れない。彼女は言葉少なに去っていったが、本当はどれほどの痛みを抱えていたのか――自分が弱さに負けなければ、あんな結末にはならなかったかもしれないのに。
「ロザリア……もし君が無実なら、私はどんな言葉で謝罪できるんだろう。取り返しのつかないことをしたかもしれない。でも、それでも王太子として真実を知る義務がある。そこで怯えていては、私自身が逃げ続けるだけだ」
そのささやきに、部屋の外から侍従の足音が近づく気配がするが、ジュリアンは「入るな」と短く告げてやり過ごす。ここでまたエレナと会わされたり、派閥の重鎮たちと顔を合わせるのは避けたかった。王宮では無数の耳目が王太子の行動を監視しているが、こうして夜に一人でこもれば、少なくとも好きなだけ考えを巡らせられる。
「エレナが本当に善意だけで私を支えているのなら、何も問題はない。だけど、実際にロザリアへの断罪があまりにも不自然だった以上、疑わざるを得ないだろう……」
ジュリアンの口調には焦燥がにじむ。日中の公務では、エレナやその派閥が続々と提案する新規行事を「殿下が望むもの」として承認させられ、政治的にも大きな影響を及ぼしつつある。王家にとってプラスになる面もあるが、一方で、「新しい王太子妃候補」としてエレナが前面に押し出される現状は、あの夜会でロザリアに下された断罪とあまりにも噛み合いがよすぎる気がするのだ。
「もしこのまま放置すれば、エレナが本当に王太子妃の地位を手に入れるだろう。そして、ロザリアの名誉は完全に失墜したまま……いや、私がそうしてしまうことになる」
手が震えるほど重い。だが、それを支えるのが王太子の宿命だとジュリアンは思いなおす。彼はあえて恐怖を飲み込み、胸中に芽生えた決意を確かめる。
まずは周囲を少しずつ探り、自分が受け取っている書類や報告の中に妙な点がないか精査する。エレナたちが動かしている計画の実態を調べ、ロザリアに関する中傷がどう流されたのかを突き止める。公表はまだ早いが、証拠を集めることで、一度は切り捨てたロザリアへの責任を果たす道が開けるかもしれない。
「私は……このまま傀儡の王太子で終わるつもりはない。自分の過ちを償うためにも、ロザリアとのことを清算しなくちゃいけないんだ」
その声は酷く弱々しいが、意志の火が灯り始めているのは確かだった。周囲に流され続けてきたジュリアンが、初めて主体的に行動しようとする兆しとも言える。彼は自責の念に押し潰されそうになる心を必死に奮い立たせ、机の引き出しから鍵のかかった小箱を取り出した。それは、彼自身が王太子として持っている個人用の記録ノートや、内々の情報を保管するためのもので、秘密裏に付けてきた備忘録などが含まれている。
「これを使えば、少なくとも私だけが持っている情報を整理できる。誰にも悟られないように少しずつ状況を把握してみせる……。今度こそ逃げずに向き合うんだ」
小さく震える手付きで鍵を開け、中からノートを取り出す。大半のページは空白だが、以前、ロザリアとの思い出や自分の弱さを書きつけていた部分もある。彼はペンを取り、新しいページをめくると、今日あらためて芽生えた決意を簡潔に書き始めた。
「ロザリアの真実を追う」
「エレナの急速な影響力の謎を探る」
「自分が婚約破棄を行った経緯を再検証する」
それを書き出すと、今になって背筋が寒くなるほどの責任を感じる。もし結果的に裏がなかったとしても、少なくともロザリアへの仕打ちは正当化されるわけではない。逆に、もし本当に陰謀があったなら、自分は王太子としてそれを見抜けなかったどころか利用されたことになる。
「誰にも言えないが、私は王太子という地位を使って調べる。もしかすると、ロザリアが今どこで何をしているかもわかるかもしれない……」
そこまで考えると、ジュリアンの胸は再び苦しくなる。もし再び顔を合わせたとき、ロザリアは彼を許してくれるだろうか。裏切り者として断罪し、公衆の面前で婚約破棄を言い渡した。彼女が抱いた痛みは相当なものだろうし、いまさら謝罪されたところで「今さら何を」と突き返されるかもしれない。
それでも、このまま何もしないよりはずっといい。そうしなければ王太子として何も示せず、国のために尽くすはずの立場が形骸化してしまう。エレナを疑っている自分に動かせるカードは少ないが、少しずつでも情報を集めれば、いずれ真相が見えてくるかもしれないのだ。
「孤独を感じて当然だ……。私は、ロザリアやエレナだけでなく、多くの人を裏切ったかもしれないし、誰が味方なのかすらわからない。だけど、王太子として真実に向き合わなければならない。――そうだよな、父上」
王太子として生まれた宿命を、これほど皮肉に感じる日はなかったかもしれない。それでも、誰かが暴かなくてはならないなら、自分が手を汚すしかないのだ――ロザリアを「裏切り者」に仕立て上げた真犯人がいるなら、その牙を折るのも王太子としての責務といえる。




