第19話 王宮周辺での探索③
夕刻前に公爵家の裏門へ到着したレオンとソフィアは、門番に挨拶を済ませると速やかに屋敷の奥へと進む。多くの使用人の目を避けるために、わざわざ回り道をして離れへ向かうのだ。途中、いくつかの角を曲がり、ようやく人気のない通路に出たところで、ソフィアが小さく安堵の息をついた。
「ここなら人目も少ないですね。ロザリアが待っているといいのですが」
「お嬢様が来ていなくても、あとで報告を残せば大丈夫でしょう。できれば直接会って話したいですが……」
二人が離れの扉をそっと開けると、そこにはロザリアの姿はまだなかった。かわりに公爵家の執事が一人、談話室の片隅で書類整理をしており、「あっ、レオン様とソフィア」と声を低くして顔を上げる。どうやら、この部屋をチームの拠点として使う約束はしっかり守られているらしい。
「お嬢様はまだいらしておりません。先に私が少し手配を進めていまして……騎士たちも夜には戻る予定です」
「わかりました。では、私たちも先に報告内容をまとめておきますね」
レオンとソフィアは部屋の奥へ入り、簡易のテーブルを囲むように座る。ここで得た情報を紙に書き出し、ロザリアと騎士たちが合流した際にスムーズに伝えるためだ。執事もそばで補助しつつ、「私たちも屋敷内で噂を聞きましたが、やはりエレナ様の話題が多く……」とこぼす。
「やはり、どこでも同じ話が出るんですね。短期間で殿下の近くへ行き、次々と行事を仕切っている。この事実だけで、無理があるというか、普通ではない感じです」
「まったくです。お嬢様が婚約破棄された直後からのことですし、何らかの意図を感じます……」
そうして小一時間も議論を続けるうちに、窓の外が夕暮れ色に染まり始めた。そろそろロザリアも顔を出す頃かと思いきや、まだ姿は見えない。ソフィアが「お嬢様、お部屋で準備をしているのかもしれませんね」と説明し、レオンは少しだけ待つことにする。
いずれにせよ、今回の調査で大きくわかったのは、エレナが王太子の信頼を得るに至った経緯が、常識的に考えて極端に不自然だということ。普通であれば時間をかけて彼の周辺に顔を売り、徐々に認められるのが筋だろう。ところが、あっという間に殿下の茶会や行事を取り仕切る立場を得ているとなれば、何かしらの強力な力が働いているのは明白――その点が、ロザリアの夜会での断罪と繋がる可能性があるわけだ。
「ロザリアにこのことを伝えたら、きっと悔しがるでしょうね。でも、その悔しさが立ち上がるエネルギーになるといいんですが」
「……ええ。お嬢様は、本来なら王太子の側で努力を評価されていたはずですから、今の状況はあまりにも理不尽です」
ソフィアの言葉に、レオンは強くうなずく。たとえロザリア自身が折れても仕方ないほど、婚約破棄の衝撃は大きかった。しかし、こうして一歩ずつ真実に近づく手がかりが見えれば、彼女ももう一度だけ歩みを進める気力が湧くはずだ。それこそが二人が望むところでもある。
「では、次の調査では王宮の内部で働く人たちとの接触を狙いましょう。兵士や商人はまだ外部ですから、今度は書記官や侍女の皆さんに当たる必要がある。公然と立ち入るのは難しいですが、知人や仲間を通じて情報を得る道があるかもしれません」
「はい、私も思い当たる人がいます。とはいえ、まだぼんやりしているので、接触方法を考えなくては。中途半端に問いただせば、私たちが警戒されるだけで……」
そんな風に方針を煮詰めるうち、窓の外はオレンジから紫がかった夕闇へと変わっていく。レオンはふと、パタンと扉が開く音に気づいた。視線を向けると、そこにはドレスの裾を揺らしながら、少し息を弾ませたロザリアが現れている。
「ロザリア……。すみません、先に来てしまって」
「構わないわ。私こそ遅くなって悪かったわね。……様子はどう?」
ロザリアは少しの間息を整え、すぐにレオンのほうへ視線を移す。レオンは軽く頭を下げ、手短に今日の成果を報告した。エレナへの疑念が深まったことや、兵士や商人が口を濁すほどの不自然さを感じていることなどを伝えると、ロザリアは目を伏せて軽く唇を噛む。
「やはり……。短い時間で殿下を取り込み、有力貴族を味方につけるなんて、普通じゃない。私が王太子妃になるためにどれだけの年月をかけたか……エレナはそれを、ほんのひと月もかからず手に入れたわけでしょう?」
「はい。かなりの勢いです。このままでは、エレナの影響力がさらに強まり、ロザリアの名誉回復がいよいよ難しくなる。早い段階で手掛かりをつかみたいです」
ロザリアはわずかに苦悶の表情でうつむくが、すぐに首を振り、視線をまっすぐレオンに向けた。
「わかったわ。私も動く。あなたが探り出してきた噂を踏まえて、私自身が王宮での経験を総合すれば、何かしらの不自然な点を指摘できるかもしれない。ソフィアと執事、騎士たちにも協力してもらいましょう。……もう、やるしかないのよ」
「そうですね。エレナの動向を抑えつつ、王太子周辺の書記官や侍女へのアプローチを考えましょう。まだ決定的な証拠は見えませんが、不自然さは誰もが感じているようです」
ロザリアはごくりと唾を飲み込む。その横でソフィアが安心したように微笑む。チームとしての動きが本格化しつつある。まだ危険を払う陰謀の入り口にすぎないが、一歩ずつ前進できる希望があるだけで、ロザリアの瞳にはかすかな光が戻っているのだ。
「……いいわ、やりましょう。いまのところ、あなたたちが頼りよ。私もただ待つだけではなく、自分にしかわからない殿下や王宮の事情を情報に変えていく。どうせもう、殿下のもとに戻れるかどうかもわからないのだから、失うものはないわ」
「ロザリア、僕たちが必ず導きます。いずれ殿下の目から真実を隠せないように、エレナがどう殿下を取り込んだのかを暴いてみせましょう」
レオンの声は熱を帯び、ロザリアはその決意にわずかに胸が震える。彼が幼かった頃、純粋に「守る」と言ってくれた姿が思い出され、得体の知れない安堵感がにじむ。もちろん、その感情を表に出すつもりはないが、彼らの動きが頼もしく思えるのは事実だ。
こうして、王宮周辺での調査を経て得た小さな手がかりを羅列しながら、ロザリアたちはさらに深い調査を進める必要性を確認し合う。「エレナが王太子の強い信頼を得るまでの不可解な経緯」に突っ込むため、書記官や侍女、あるいは内部の官吏の協力をどう取り付けるか。手順はまだ曖昧だが、揺るがない目標を共有できたのは大きな成果だ。
「皆さん、お疲れさまでした。あまり長時間ここで話していると怪しまれます。ほどほどに切り上げて、また明日以降の動きを具体化しましょう」
執事がそう提案すると、ロザリアやレオンも同意する。離れの扉を開けて出て行くメンバーの背中を見送りながら、ロザリアは小さく息をつき、ソフィアと視線を交わす。
「ちゃんと前に進んでいるのか、まだ実感はないわ。でも、あなたたちが頑張ってくれているのはわかる。……私も覚悟を決めないとね」
「はい、お嬢様。一歩一歩、確実に足場を固めましょう。きっと、あの夜会での不当な断罪を覆す材料が見つかるはずです」
「ええ。エレナと殿下の話を聞くほどに、違和感ばかりが増す。あれを放っておくなんて、私のプライドが許さないわ」
ロザリアはほんの少し口角を上げ、毅然たる姿を取り戻しつつ談話室を去った。レオンやソフィアに導かれて、彼女自身も「王太子への裏切り」という疑いに真正面から立ち向かおうとしている。エレナの不自然な経緯を追えば、王宮内で蠢く陰謀の影も見えてくるだろう――そう信じる以外に道はないのだ。
こうして、レオンとソフィアが王宮周辺で収集した情報を契機に、ロザリアたちはさらに調査を進める意志を固める。今はまだ断片的な噂を繋ぎ合わせただけだが、そこから感じ取れるのは、エレナが短期間で王太子の強い信頼を勝ち得た不自然さ。そして、その陰には何か暗い力が働いているという確信だ。だが、その真相を暴くにはさらに時間とリスクが必要だろう。
それでも、この日、ロザリアの心にははっきりとした決意が刻まれた。エレナが王太子の隣を勝ち取り、周囲を味方につけるなら、こちらも一つずつ手掛かりを得て対抗するしかない――もはや引き返す選択肢は存在しないのである。あとに残るのは前進と戦いだけ。ロザリアの瞳には、わずかに闘志の輝きが戻りつつあった。




