第16話 再度の申し出②
レオンはきっぱりと首を振り、意志を通すように声を上げる。
「僕の未来なんて構いません。あなたを救えるなら、それだけで十分です。たとえ子爵家という立場がどうなろうと、ロザリアがこんな形で潰されていくのを黙って見ている気はありません」
「……本当に、馬鹿ね。子爵家が王家を相手にして、勝ち目があると思う?」
ロザリアは口調こそ冷たく厳しいが、その言葉尻からは力が抜けているように感じられる。自分を救うと語るレオンに、冷静になれと言い聞かせるというよりも、どこか胸が熱くなるのを必死に抑えているようにも見える。ソフィアはロザリアの指先が小刻みに震えているのを見て、そっと視線をそらした。
「お嬢様、レオン様は本気です。私も、レオン様のお力を借りることで、少しずつ真実を探りたいと考えています。王宮で流れている噂には、不自然な点が多いのです。これ以上何もしなければ……本当にお嬢様は追い詰められるばかりです」
「ソフィア、あなたまで……。身分の低い子爵家と侍女が、王家を相手取ってどうするというの」
ロザリアの声は震えるが、ソフィアは一歩も引かない。そしてレオンもまた、ロザリアの冷たい言葉にもめげず、強い決意を宿した目で彼女を見つめ返す。
「僕は、一人でも戦います。証拠が集まれば、公爵家の名に頼らずとも事実を突きつける手段はある。あなたがどんなに否定しようとも、僕は必ずこの汚名を晴らしてみせる。……ただし、ロザリアが少しでも協力してくれないと難しいのも事実です。あなたが記憶していること、知っていることが鍵になるかもしれない」
「私が……協力? 馬鹿を言わないで。私はもう何もできないわ。だいたい、私自身がどうすればいいかわからないのよ」
そう言い放ちながら、ロザリアは視線を床に落とす。レオンの熱意に心が動きかける自分を必死に押しとどめるように、膝の上で握りこぶしを作っている。彼女は「意地」という鎧を纏いながらも、その裏で大きな不安に包まれているのだ。何か行動しなければならないと頭ではわかっていても、どこから手をつけていいのかさっぱりわからない――そんな行き詰まりを、ロザリアはずっと感じていた。
「ロザリア、どうか考えるだけでもしてみてください。あなたが王太子殿下の婚約者として過ごしてきた間に、何か裏でおかしな動きを感じたことはありませんか? あるいは、あの夜会で妙な流れを作った人物とか……。本当に一切ないのですか?」
レオンは懸命に問いかける。無理やり問い詰めるのではなく、ロザリアの記憶の扉を少しだけ開いてほしいという思いからだ。ロザリアは唇をかみ、「知らない」と短く返すものの、その言葉が戸惑いを含んでいるのを、彼は感じ取る。
「……思い当たる節がないわけではない。でも、私にはどうにもできないの。きっと、見過ごしていたかもしれないし、実際に仕組まれたことだとしても、私はもう王家を相手にできる立場じゃない……」
「だからって、黙っていればあなたが裏切り者として一生を終えることになってしまう。そんなの、僕が絶対に認めません」
「レオン……あなたは本当に、子どものときと変わらないのね。まだ何か守れると思っている。だけど現実は、貴族社会の闇はそんなに甘くない」
ロザリアは笑みとも嘲りともつかない表情を浮かべながら、少しだけレオンに近づく。彼女の目には、一瞬だけ揺らぎが走った。自分を守ろうとする青年に、かつて抱いた温かい感情が蘇りそうになるのを、必死に抑えているのだろう。プライドが高いがゆえに、助けを求められない。その矛盾が、ロザリアを苦しめている。
「……それでもいい。僕はあなたを救うためなら、何でもやる。ロザリアが怒っても、冷たくあしらわれても構わない。協力してほしいことがあれば言ってください。逆に、僕があなたに訊きたいことがあれば答えてほしい。今はそれだけで十分です」
「どういう意味?」
「僕は、あなたに無理強いをするつもりはありません。ただ、情報が欲しいんです。真実に近づくために。あなたにとって負担にならない範囲でいい……何か気づいたことがあれば教えてください。それが、あなたが失ったものを取り戻すための一歩になるはずです」
レオンの言葉は熱を帯び、ロザリアの心を揺さぶっていた。冷静になれと言い聞かせても、どこかで「助けてほしい」と叫ぶ自分がいるのは否定できない。子爵家の力を頼るなど馬鹿げていると思う反面、どうしようもなく追い詰められた現実が、わずかな救いにすがることを求めている。
「……ソフィア」
ロザリアはふと、そばに立つ侍女の名を呼んだ。ソフィアは少し緊張した面持ちで身を正し、「はい、お嬢様」と答える。ロザリアはその姿を見つめながら、まるで自分に言い聞かせるように言葉を選んでいるようだった。
「あなたはどう思う? 私がこの人と組んで、何か意味があるの?」
「お嬢様……私が口を挟むなど、お許しいただけるなら正直に申し上げます。今のままでは、お嬢様は一歩も進むことができません。周囲は王太子殿下の御心を慮って黙るばかりで、お嬢様を救う動きは見えません。……でも、レオン様は諦めずにお力を貸してくださろうとしています。少しでも状況を動かすには、手を取り合う以外に方法がないのでは……」
ソフィアの声には悲壮な響きが混ざっている。公爵家の侍女として仕え続けた彼女は、ロザリアの苦悩を最も近くで見てきた。レオンの必死の申し出がただのうわべだけではないと知っているからこそ、二人の協力に希望を見いだしたいのだ。
ロザリアはその言葉を黙って聞き、わずかに眉を寄せる。しばしの沈黙が流れ、レオンもソフィアも次の言葉を待つ。やがて、ロザリアは静かに椅子から立ち上がり、応接室の窓辺へ歩を進めた。外には曇り空が広がり、光はどこか鈍い。窓越しに見下ろす庭は、往年の華やかさを失って寂寥感が漂っている。
「私は、王太子殿下のためにすべてを捧げてきた。礼儀作法や勉学だけじゃない。あの人に相応しい妃になるために、努力を惜しまなかった……。その結果が、こうよ。婚約を破棄され、裏切り者とされ、公爵家も動かず、誰も私を救ってくれない」
ポツリポツリと、ロザリアはまるで自分の傷を確認するかのように語る。レオンは息を呑みながら、彼女の後ろ姿に目を注ぐ。ここまで弱音を口にするロザリアは初めてだ。いつも毅然とした態度の奥にある脆さが垣間見え、レオンの胸が切なく締めつけられる。
「だけど、だからこそ、私にはもう何も残っていないの。自分で戦う気力すら失っているのかもしれない。……それでも、あなたは私を救うと言うの? 子爵家の身分で?」
ロザリアは振り返り、レオンをじっと見つめる。その瞳には、確かに期待と不安とが入り混じった色が浮かんでいた。突き放してもなお、レオンの本気にほだされそうな自分への苛立ちもあるのだろう。
「はい。僕は子爵家の身分なんて関係なく、あなたを守りたいと思っています。根拠があるわけではないけれど、僕が行動を起こせば、必ず何かつかめるはず。ロザリアの誇りを取り戻すために、それが僕の使命だと思っている」
レオンの言葉は熱を帯び、ロザリアは視線を逸らすようにして、静かに息を吐いた。そしてしばしの沈黙が再び部屋を支配する。ソフィアは固唾をのんで二人を見守る。
長い呼吸の末、ロザリアはついに椅子へ戻ると、そっとドレスの裾を整えて腰掛けた。レオンに向き直り、ほんの少しだけ柔らかな表情を浮かべる。
「……わかったわ。あなたがそこまで言うのなら、情報くらいは協力してあげてもいい。私にできることは多くないけれど、王太子殿下の様子や、私が昔から知っている王宮の習慣など、思い出せる限り話をする。……それが、私を救うことに繋がるとあなたが信じるなら、やってみなさい」
「ロザリア……!」
レオンの瞳が輝き、ソフィアは安堵の笑みを抑えきれずに唇を震わせる。ロザリアはまだ冷たい口調を保っているが、その調子は確実に軟化していた。決して快諾とは言えないまでも、「仕方なく」協力するという形で、一歩だけ扉を開いてくれたのだ。
「でも、勘違いしないで。これはあくまで、一時的な共闘みたいなものよ。あなたの努力がどこまで通用するか、正直信じられない。子爵家には力がないし、相手が王家なら、なおさら危険でしょう。……だからといって、私がこのまま何もしないわけにもいかないのよ」
「ええ、十分です。一時的で構いません。ロザリアと手を組めるなら、それだけで大きな前進です」
レオンは深く頭を下げ、ロザリアはそっぽを向くように顔を背ける。ソフィアは嬉しそうに「お嬢様、ありがとうございます」とつぶやき、さっとレオンの視線と交わる。二人は微笑みを共有し、ついにロザリアを動かす一端をつかんだと感じた。
ロザリアは複雑な感情を抱えながらテーブルを見やり、やわらかい声でソフィアを呼ぶ。
「ソフィア、もう少しお茶を用意してちょうだい。……レオンと話すことがあるの」
「はい、お嬢様。すぐにお持ちいたしますね」
こうして、レオンはようやくロザリアと同じ席について、情報を交わす最初の場が持たれることになった。プライドが裂かれそうな痛みに耐えながらも、ロザリアは自分の婚約破棄に至るまでの経緯を少しずつ語ろうとする。そして、レオンは王宮内の噂やエレナに関する怪しい動きなどを報告し、協力して事態を打開する糸口を探る。




