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第2話 夜会に集まる視線①

 王都の中心にそびえる、華麗な装飾を施された夜会場。その正面に差し掛かった馬車が静かに停まり、御者がドアを開けると、周囲の人々のささやきが一斉に高まった。高位貴族やその家族であれば、ここへ集う馬車の多くには見慣れているはず。それでもグランフィールド公爵家の紋章をあしらった馬車の到着は、群がる視線を引きつけるに十分だった。


「お嬢様、足元にお気をつけください」


 そう言って先に降り立ったソフィアが手を差し伸べると、その手を軽く添えてロザリア・グランフィールドが姿を現す。柔らかな青と銀のドレスが、夜会の入り口に灯る明かりを受けてきらめいた。馬車から一歩踏み出すたび、ドレスの裾がふわりと風をはらみ、周囲の人々が思わず息を飲む。まるで星空を纏ったようなその姿は、王都の夜の空気に映えるどころか、まるでこの場所の主役は彼女だと言わんばかりの存在感を放っていた。


「ではソフィア、ここから先は必要なときに呼ぶわ」

「承知しました。お嬢様のお傍に控えていたいところですが、私は裏手で控えております。呼び出しがあれば、すぐに駆けつけますから」

「ありがとう」


 ロザリアは軽くうなずき、ソフィアに別れを告げる。彼女はいつものように淀みなく動き始めるソフィアを見送り、正面の大理石の階段をゆるやかに上り始める。


 会場の入口には、すでに何人もの貴族たちが出入りしている。その中心に向かって進むロザリアの姿は、さらに人々の耳目を集めていた。彼女が近づくにつれ、どこからともなく小さなささやき声があがり、それはすぐに興味深げな視線となって届けられる。


「見て、あれがグランフィールド公爵家の令嬢。相変わらず美しいわね」

「ドレスの選び方が、いかにも高貴な感じだわ。さすが王太子殿下の婚約者……」

「ええ、本当にきらびやか。あの瞳と髪の色はいつ見ても目を奪われる……」


 そうした言葉を耳にしながらも、ロザリアの表情は淡々としていた。公爵令嬢として社交界で名を知られてからというもの、周囲の視線に慣れるのは当然のこと。実際に彼女がどう思おうと、こうして羨望や賞賛、あるいは勝手な憶測までも含めて騒がれるのは、もう日常茶飯事だった。


「……失礼いたします。お招きに預かりましたロザリア・グランフィールドでございます」


 入り口に立つ案内係に身分を告げて名乗り、優雅に一礼するロザリア。その一挙手一投足に、案内係さえも一瞬見惚れた様子を見せたが、すぐさま要領を得た動きで「どうぞ中へお進みください」と笑顔でロザリアを迎え入れる。


 扉をくぐった先には、大理石の広間が視界に飛び込んでくる。高い天井には重厚なシャンデリアが幾つも吊り下げられ、そこから漏れる光が床面を淡く照らしていた。壁面には大きな絵画や金の装飾が贅沢にあしらわれ、中央には演奏家たちが優雅な音楽を奏でている。ちらりと見える別室のスペースには飲食を楽しむ人々の姿もあり、その合間を縫うように給仕が動き回っている。


 ロザリアはあらためて一度、小さく息をついた。こうした壮麗な夜会場自体は初めてではないが、目にするたびに相応の威圧感と華やかさを感じさせられる。彼女はドレスの裾を軽く持ち上げ、床を滑るような足取りで会場に入っていった。


 すると、奥のほうから音楽や人々のざわめきが、まるで波が寄せるように押し寄せてくる。光と音の洪水の中に、自分の身を投じる感覚。その中で、ふとロザリアは誰かの視線を感じた。かすかな気配に顔を向けると、そこには王太子ジュリアン・アルディネスの姿があった。


「ジュリアン殿下……」


 心の中でそうつぶやきながら、ロザリアは一瞬だけ瞳を伏せる。彼がこちらを見ているのは間違いなかったが、すぐに背を向けられたわけではなく、淡々とした面持ちのまま返す言葉もなく、ただ視線だけが交わる。だが、一拍置いてジュリアンは自分の周りにいる貴族たちへと軽く頭を下げ、あたかも「何事もなかった」かのように会話を再開してしまう。


 ロザリアもまた、わずかに視線を外して人々の波のなかへ溶け込んだ。周囲の貴族たちが彼女に声をかける中、平然を装いながら「ええ、ご機嫌よう」「こちらこそ今宵はお会いできてうれしいですわ」などと、儀礼的な会話を交わす。それでも内心では、王太子のあのそっけない眼差しが胸に引っかかっていた。以前ならもう少し近づいてきて、場の大勢が注目する前で挨拶を交わしていたはずなのに、今日はまるで距離を置くようだ。


「殿下とロザリア様、なんだか以前よりあまり話していないようね。どうなっているのかしら?」

「さあ……でも公爵令嬢ですし、簡単にほかの相手に傾くこともないでしょうけど。何か事情があるのではないかしら?」


 そんなひそひそ話が隣の貴族夫人たちから漏れ聞こえてくる。ロザリアは聞こえなかったふりをするしかない。彼女が下手に口を出せば、さらに噂が煽られるだけだ。慣れた処世術で穏やかな表情を崩さず、眼前の貴族たちとの会話に集中することにした。


 しばらくは、顔見知りの伯爵夫妻や侯爵家の子息などが次々と挨拶にやってくる。誰もがロザリアの美貌とドレスの品格を称賛し、彼女もまた儀礼的な敬意を返す。その微笑みは、自分で言うのもなんだが、完璧な貴族令嬢としての日常の延長なのだ。


「ロザリア様、このドレスは特別に仕立てられたものですよね? シルエットがとても美しい……」

「ご覧いただいてありがとうございます。仕立て屋の方が、私の希望に応じて丁寧に作ってくださったのです」

「さすが公爵令嬢。そう簡単には真似できませんね」

「ふふ、わたくしも大変気に入っていますの」


 そんな他愛ない会話を経ながら、ロザリアは自然に会場の奥へと歩を進めていく。すると、不意に視界の端に見慣れない服装の人影が映った。いや、見慣れないというよりも、久しく視界に入っていなかった、と言ったほうが正しいかもしれない。淡い茶色の髪をきちんと整え、品よく立ち振る舞う姿――レオン・ウィンチェスター。その人物は、ひとり控えめに周りの様子を伺うようにして立っていた。


「……レオン?」


 小声で名を呼んだ自分に、少し驚く。あまりにも懐かしさが込み上げて、思わず声にしてしまったのだ。レオンは子爵家の嫡男であり、幼い頃にごく短い期間だけ、同じ学びの場を共有した記憶がある。当時は純粋に「幼馴染」として接していたが、貴族社会の立場の違いや成長に伴うそれぞれの道のりもあって、自然と疎遠になっていた。こうして夜会の場で顔を合わせるのは、実に久しぶりだ。


「ロザリア……」


 気づいたレオンが、少しぎこちない様子で彼女の名を呼ぶ。かつては互いにもっと気軽に口を利いていたはずなのに、今では王太子の婚約者である公爵令嬢と、子爵家の嫡男という立場。周囲からどう見られるかを考えれば、これくらいの距離感が妥当だろう。


「ずいぶん顔を見ていませんでしたけれど……お元気そうで何よりですわ」

「ええ、そちらこそ。お噂はたびたび耳にしていましたが、お美しさにさらに磨きがかかって……少し驚いています」

「ふふ、遠回しにお世辞を言うのね。ありがとう」


 ロザリアはやや高飛車な口調にならないよう気をつけつつ、控えめな微笑を浮かべる。レオンはそんな彼女の態度に一瞬戸惑いの色を見せたが、すぐに柔らかな笑みを返した。子どもの頃の雰囲気をほんの少しだけ感じさせる、穏やかな笑み。だが、あの幼少期の無邪気さとは違う大人の落ち着きがうかがえる。


「公爵令嬢とこうしてお話しするのは、どれくらいぶりでしょう。前にしっかり言葉を交わしたのは、もう何年も前ですね」

「そう、そうですね……あまりご縁がなくなっていたものだから。子爵家のほうで、今は何を?」

「家の事情で地方へ出向いていた時期もありまして。最近は王都で仕事を任されるようになり、こうして夜会に顔を出す機会が増えているんです」

「それは……貴族社会の要職に携わっている、ということでしょうか」

「大それたものではありません。まだまだ半人前ですし、勉強の方が多いくらいで」


 レオンは少し照れたように肩をすくめる。そんな仕草を見ていると、ロザリアの記憶のなかで、幼少期の彼の面影がかすかに重なりそうになる。しかし、ここは華やかな夜会の場。彼女としては、公爵家令嬢らしい振る舞いを崩すわけにはいかない。


「いえ、立派なことだと思いますわ。自分の力で道を切り開こうとなさっているのでしょう?」

「そう言っていただけるなら、励みになりますよ」

「……そう」


 会話が続かなくなりそうな微妙な空気が流れ、互いに何か言おうとして口を開きかけるが、周囲には多くの貴族の姿がある。誰かが耳をそば立てていないとも限らない。この場で余計な波紋を呼ぶような言葉は避けねばならないし、かといってあまりよそよそしくなるのも妙だ。


 そうこうしているうちに、遠目にはロザリアの存在を意識していたらしい貴族たちが、また話しかけようとこちらへ近づいてくる気配があった。レオンがそれを察したのか、目線を横に動かし、ロザリアから離れようと一歩下がる。


「ごめんなさい、私を捕まえる人が多くて、ゆっくり話すのは難しいかもしれませんね」

「いえ、夜会ですから。お忙しいのは当然です。こちらこそ、久々にご挨拶できただけでうれしいですよ」

「そう言っていただけると助かりますわ」


 ロザリアはそっと微笑み返す。レオンも一礼して、その場から退こうとする。会話は本当に短いものだったが、久しぶりに顔を合わせた幼馴染との間には、どこか居心地の悪い距離があった。懐かしさと、今の身分差による静かな壁が同時に胸を締めつける感じがする。


「それでは、またいずれ。今宵の夜会、楽しんでいってください」

「あなたも、どうぞごゆっくり」


 言葉を交わし終えると、レオンは会場の脇のほうへ身を引くように歩き、ロザリアのほうへ視線を投げかけることはなかった。それを見送るロザリアもまた、薄く微笑みを残したまま、お互いに背を向ける。

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