第11話 募る想いの痕跡①
子爵家の自室で、レオン・ウィンチェスターは窓の外を眺めながら物思いに沈んでいた。季節はずれの冷たい風が、庭の草花をそよがせている。どこか寂しげな気配が漂う空模様は、自分の胸中そのものを映しているような気がした。公爵家の門前を訪ねても、ロザリア・グランフィールドには会えない日々が続いている。そんな失意の繰り返しが身に染みるほど、レオンの心は揺れていた。
静まり返った部屋にかすかな足音が響く。子爵家の使用人が何やら事務的な用件を届けに来たのだろうが、レオンは黙って首を縦に振るだけだった。使用人は「失礼しました」と一礼して出ていく。その後も物音ひとつしない部屋の中で、レオンは一人、記憶の糸を手繰り寄せるように思いを馳せていく。
(ロザリアは、今もあの公爵家で塞ぎ込んだままなのだろうか……。何度訪問しても断られるし、周囲からも「子爵家程度が何を」とささやかれるばかり。それでも、諦めるわけにはいかないんだ)
そう胸中でつぶやいてはみるものの、実際、王家の決定を覆せるほどの力を持たない身分だという現実を痛感している。レオンは拳を握りしめたまま、少し背もたれに体を預ける。彼にできるのは、公爵家を訪ねて面会を求めることと、ロザリアを「信じる」ことだけ。けれど、ロザリア本人が厚い壁を築いているため、一歩も関係が進まない。その苛立ちやもどかしさが、レオンの胸を押しつぶしそうになる。
だが、そこでもう一度気力を奮い立たせるように深く息をつくと、自然と頭の中にロザリアの幼少期の姿が浮かび上がってきた。彼女がまだ小さく、純真な瞳で自分の方をまっすぐ見ていたころ。二人が無邪気に走り回っていた思い出を思い返すだけで、現在の苦しさが少しだけ和らぐ気がするのだ。
(そうだ……僕とロザリアは、幼いころもう少し親しかったはず。だんだん疎遠になってしまったけれど……。でも、あの頃の彼女は明るくて、優しくて、僕はいつもあの笑顔が大好きだった)
レオンは椅子から立ち上がり、窓辺へとゆっくり歩み寄る。外の景色をただぼんやり見つめながら、頭の中は記憶の世界へと遡っていく。いつの間にか消えてしまったロザリアの笑顔、それを自分は今も追いかけ続けている――そう気づくと、胸がぎゅっと締めつけられる想いになる。
――場面は、まだレオンが幼少のころ。父が公爵家と多少の繋がりを持っていたこともあり、子どもだった彼は、たまにグランフィールド公爵家を訪れていた。広い庭や立派な建物に圧倒されながら、そこに住むロザリアと顔を合わせると、なぜかドキドキしたのを覚えている。
「やあ、レオン。今日も来てくれたのね」
「う、うん。父様が用事で公爵様に会うっていうから、僕もついてきちゃった」
まだ素直であどけないロザリアは、その場でレオンの手を取って「行きましょう!」と庭へと誘ったりする。お互い、年齢が近かったのもあって、すぐに打ち解けられたのだ。周囲の大人が「公爵家と子爵家では……」と距離を置こうとする風潮も、幼い二人にはそれほど大きな問題に感じられなかった。
庭には美しい花が咲き、季節によって異なる香りを運んでくる風が流れていた。ときには小道に落ちた枝葉を拾い上げてそれを剣のように振り回すこともあったし、ロザリアが夢中になって育てている花壇をレオンが一緒に眺めていると、彼女が恥ずかしそうに微笑んで「これは私が植えたのよ」と得意げに言ったりもした。
「でも、あまり時間がないの。先生が呼んでるから、勉強が始まっちゃう」
「勉強……? 大変そうだね。僕はまだそんなに難しいことはしてないけど……」
「私、王太子妃になるんだもの。勉強しなきゃ、国のことだってわからないといけないって言われてるから」
そのときのロザリアの顔は、幼いながらもどこか誇りに満ちていて、レオンは無邪気な気持ちで「すごいんだね」と素直に讃えた。いまだ王太子妃という未来がどれほど大きな責任を伴うかはわからないが、それでも「ロザリアは偉いな」と心の底から思ったのを覚えている。
そして何より、レオンにはその堂々とした姿がとても格好良く映った。自分が子どもらしく遊ぶことばかり考えているのに対し、ロザリアは小さな体で厳しい教育を受け、将来の夢を語る。そのギャップはレオンにとって憧れでもあり、同時にどこか遠い存在に感じさせる不安でもあった。
(あのころから、僕はロザリアに対してただの友達以上の気持ちを抱いていたんだと思う。彼女が頑張っている姿を見ると、胸が温かくなるし、手助けをしたいと思った)
レオンは当時、まだ「恋心」という言葉さえ知らなかったが、ロザリアのそばにいるとドキドキしたり、顔が赤くなったりする自分に戸惑っていた。ある日、外で遊んでいるときに彼女が小さな怪我をしたときには、血の気が引いて「大丈夫!?」と慌てて手を取った。ロザリアは「こんなの平気よ」と笑っていたが、レオンにとっては大事件であり、彼女が痛みに耐えている姿を見て胸が苦しくなった。
「そろそろ私、戻らなきゃ。先生を待たせるわけにはいかないし……。あなたも父様のお手伝いがあるんでしょう?」
「うん……そうだね。じゃあ、また今度、一緒に庭で遊ぼうよ」
「ええ、約束よ。……でも、あまり外で遊べる時間はないかもしれない。勉強が……忙しくなるから」
彼女が寂しげに笑う姿を見たとき、レオンは何とかしてあげたいと思った。しかし、子どもの自分には何もできず、ただ「そっか……」とうなずくしかなかった。心のどこかで「これからもずっと、友達みたいに一緒にいられるのかな」と感じつつも、いつか違う世界へ行ってしまうのではという予感があったのも事実だ。
(そして、その予感は当たった。ロザリアはどんどん大きくなって、美しくなって、王太子妃候補として周りからも注目され始めた。僕なんか到底追いつけないくらいの場所に……)
成長するにつれ、身分の差を感じ始めたレオンは、次第に公爵家を訪れる機会も減っていった。やはり子爵家の嫡男が公爵令嬢と親しく交流していると周囲から変な噂が立つし、それ以上にロザリアが王太子妃を目指す道を邪魔すべきではないと、大人たちから遠回しに言われたのだ。
レオン自身も、「きっと彼女にはもっと相応しい人がいるだろう」と自分で納得しようとした。王家という高い地位に行くロザリアと、自分とは住む世界が違ってくる――そう痛感していく中で、「僕はおとなしく身を引くしかない」と考えてしまったのだ。
けれど、それが簡単に「諦める」気持ちには結びつかなかった。成長してもなお、ロザリアが幼い頃に見せていたあの笑顔や優しさ、誇り高い努力の姿が、頭から消えない。王太子妃になるために頑張る様子を遠巻きに聞くたびに、レオンは誇らしさと切なさを同時に感じていた。
「ロザリアは、王太子の元できっと幸せになれる。そういう運命なのだから、僕が踏み込む隙なんて……」
いつしか、心にそう言い聞かせるようになり、淡い気持ちは眠らせていた。実際、公爵家の大人たちもレオンに「気軽に会うのはやめておいた方がいい」と暗に忠告することがあり、それを察知したレオンは次第にロザリアへの訪問を減らしたのだ。
しかし、時間が経つにつれて、その淡い恋心が消えたかというと、そうではなかった。むしろ隠せば隠すほど強くなる思いに戸惑いながら、レオンは子爵家の務めをこなし、自分を高めようと努力を始めた。「ロザリアが王太子妃になったとしても、僕が情けないままでいられない」と奮起する場面もあったのだ。
そして、あの日――夜会で、王太子がロザリアを裏切り者だと告げ、婚約破棄を宣言した光景を目の当たりにしたとき、レオンの心に宿っていた小さな思いが一気に燃え上がった。「彼女を救わねば」という強い意志。子どものころに感じた「ロザリアを守りたい」という気持ちが、再び全身を駆け巡った。
(あの夜会で、僕は声を荒らげてしまった。でも、あれはロザリアが苦しむ姿を見過ごせなくて……。結果的に何の力にもなれなかったけれど、僕の中であの日から再び想いが燃えているのを実感したんだ)
レオンは窓辺でそっと目を閉じ、両手をきつく組む。現状では、何度面会を求めてもロザリアには拒まれてしまうし、子爵家では父から「これ以上王家を敵に回すな」と厳しく言われている。けれど、幼い頃から片隅に眠っていた想いが今、声を上げているのだ。ロザリアが王太子から無残に見捨てられ、疑惑に晒されているにもかかわらず、誰も真実を追い求めようとしない。そんな理不尽を許せない自分に気づいてしまった以上、引き下がることなどできない。
もっと言えば、幼少期の約束や淡い交流に込められた感情が、レオンを支えている。ロザリアがどんなに厳しい訓練をしても、笑顔を向けてくれたことがあった。小鳥を助けたり庭を楽しんだり、小さな時間の中で二人が分かち合った優しさと安らぎが、いま彼を突き動かす原動力になっている。
「僕はあの頃から、きっとロザリアが好きだったんだ。王太子のものであろうが関係なく、その人としての姿が好きなんだ。身分差があるからと諦めようとしたけど、結局諦めきれないまま今に至るんだな……」
そうつぶやきながら、レオンは自嘲気味に笑みを浮かべる。こんなにも壮大な出来事に巻き込まれるとは思っていなかったが、だからこそ「傍観者」で終わるわけにはいかない。幼いころの自分が憧れたロザリアの強さや優しさが、今は傷ついて塞ぎ込んでいるなら、何とかして助けになりたい――それが純粋な思いであり、行動の源だ。
(子どもの頃から変わらない想いが、今も僕を支えている。ロザリアがどれほど高い地位に行こうが、その姿を追いかけたいと願っていたから。だから、彼女が苦しんでいるなら、なおさら何もしないわけにはいかない)
こうしてレオンは改めて「諦めない」と強く決心する。どれほど面会を拒まれようと、王家から睨まれるリスクがあろうと、想いを貫きたい。このまま放置すれば、彼女の努力と誇りが踏みにじられたまま闇に葬られるかもしれない。それだけは絶対に避けたいのだ。




