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誇り高き令嬢は、婚約破棄されても負けません! ~幼馴染と挑む華麗なる逆転劇~  作者: ぱる子
第4章:巡る思い出

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第10話 幼き日の記憶①

 薄暗い廊下を、一人の侍女が静かに歩いている。明かり取りの窓から射すわずかな光だけを頼りにしながら、その足取りは自然とロザリア・グランフィールドの部屋の前へ向かうところだった。だが、目的の扉の前で立ち止まり、そっと息を吐くと、彼女はきびすを返して引き返す。どうやら今は声をかけるのをためらったらしい。しばらくして、別の角を曲がったあたりで、侍女はふと壁にもたれ、ゆっくりと瞼を閉じた。


(お嬢様……あの頃は、あんなにも輝いていらしたのに。どうして今、あんなにも塞ぎ込んで……)


 そう胸の内で嘆息するのは、ロザリアに幼い頃から仕えている侍女のソフィアだ。騒然となった夜会以降、ロザリアは自室にこもりがちになり、公爵家全体が暗い雰囲気に包まれてしまっている。使用人の一人として、何とかお嬢様を励ましたいという思いはあるが、あまりにもロザリアの傷は深く、ソフィア自身もどう声をかければいいかわからなくなっていた。


 そんな迷いを持つうちに、ソフィアの脳裏には自然と幼い頃のロザリアの姿が蘇ってくる。あの頃、まだ少女だったロザリアは、確かに誇り高く、少々生意気な面もあったが、それ以上に夢を追いかける輝きと優しさを持ちあわせていた。その記憶を改めて思い返すことで、今のロザリアを知る手がかりになるのではないか――ソフィアはそう思いながら、ゆっくりと回想の扉を開いていく。



 ――場面はまだロザリアが幼少のころ。グランフィールド公爵家の広い屋敷の一室は、当時から早朝から晩まで、彼女の勉強部屋として活用されていた。まだ朝露が消えきらない時間帯に、ロザリアは机に向かい、分厚い書物を積み重ねたまま黙々と勉学に励んでいる。


「お嬢様、少し休憩をなさったらいかがですか。あまりに長時間、椅子に座りっぱなしでは……」


 当時まだあどけない雰囲気を残していたソフィアが、隣でそう声をかける。ロザリアは視線を本から逸らすことなく、小さな手でペンを握りしめていた。その瞳には真剣な光が宿り、書き進める筆先は止まらない。


「あと少しだけ。難しい言葉ばかりだから、ここで投げ出したくないの」

「ですが、お嬢様……まだお食事も召し上がっていないではありませんか。朝からずっと、勉強にかかりきりです」


 ロザリアはそこで、ようやくペンを机上に置く。そしてやや不満げな顔をしつつ、ソフィアを振り返った。けれど、その表情には、子どもらしい意地っ張りな可愛さがあった。


「勉強しているときは集中していたいの。将来、王太子妃になるためには、これくらい当たり前でしょう?」


 幼い声だが、その言葉には妙な説得力があり、ソフィアは思わず微笑みを浮かべていた。まだ十にも満たないロザリアが、なぜこうまで情熱を燃やしているのか――その背景には、すでに公爵家と王家の間で結ばれた「婚約」という重い責任があったのだ。幼少期から「あなたは将来、王太子の妃となる」と言い聞かされ、日々の努力を惜しまぬよう育てられてきたロザリアは、その使命を疑わず、自ら進んで学習に励んでいたのである。


「でも、お嬢様。ご自分のお身体を大切にしませんと、学びだって続きませんよ?」

「わかってるわ。じゃあ、あと十行だけ書いたら休憩する。……ソフィア、もう少しだけ待っていてちょうだい」

「かしこまりました。ですが約束ですよ?」

「ええ、約束」


 ロザリアは軽くうなずき、再びペンを執る。短い銀髪が肩のあたりで揺れ、真剣な横顔は将来を見据えた、幼いながらも揺るぎない意思を映し出している。ソフィアはそんな主の姿を見守りながら、しみじみと「この子はやはり特別だ」と感じたものだ。普通の子どもなら、こんなに長時間の勉強に耐えられるはずもない。ましてや王家に嫁ぐ重圧を理解してはいないだろう。だが、ロザリアはそこに誇りを見出し、努力を当たり前のように積み重ねていく。


 さらに、勉学だけでなく礼儀作法の稽古にも手を抜かない。それはダンスや社交の基礎だけでなく、公爵令嬢としての立ち居振る舞い全般に及んだ。背筋を伸ばし、言葉遣いを整え、食事の仕草にも常に気を配る――まるで小さな貴婦人のように完璧を求められる日々。厳しい教師に説教されても泣き出すことなく、ただ唇をかんで乗り越える姿が、周囲の使用人たちを驚かせていた。


「お嬢様、ステップが少し乱れていますよ。もう一度足元を確認して、膝を曲げずに動いてみましょう」

「はい、先生……。いえ、はい、わかりましたわ」


 指導役の家庭教師から注意を受けた時のロザリアは、負けん気を露わにして必死にステップを踏み直す。その小さな体は柔軟性に恵まれ、繰り返すうちに徐々に形が整っていった。どれほど叱られても、途中で投げ出すことはせず、あくまでも優雅で気品ある動作を完成させるまで、何度でも練習を重ねる――それが幼少期のロザリアだった。


 そんな姿に、ソフィアは度々胸を打たれていた。周囲の大人たちはロザリアに「将来王太子妃となるにはこれくらい当然」と厳しく接するが、それを自分から進んで受け止めていたのだから。その頑張りを間近で見るたびに、ソフィアは「あの子なら必ず立派に務めを果たすに違いない」と期待を膨らませていた。


「ソフィア、どうかしら。私、ちゃんと踊れてる?」


 練習後にひそかにロザリアがソフィアに尋ねることがあった。教師の前では決して弱音を吐かないが、ソフィアには少しだけ本音を漏らすことがある。その瞳は年相応の不安を宿しながらも、しっかりと前を向いていた。


「はい、お嬢様。最初は難しそうでしたが、今はとても滑らかに見えますよ。先生も先ほどうなずいておられました」

「そう……なら、よかった」


 その言葉に、ロザリアは小さく微笑む。そして、大きく息をつくと、薄い汗をかいた額をハンカチでそっと拭う。たとえ幼くとも、礼儀作法の一環だとしているのか、決して表情を崩しすぎることはない。むしろ何度も注意を受ける割に、笑顔は控えめだったのをソフィアは鮮明に覚えている。


 もちろん、ロザリアが何もかも一人で背負っていたわけではない。時には幼馴染として交流のあったレオン・ウィンチェスターも加わり、柔らかなひと時を過ごすこともあった。彼は子爵家の嫡男として公爵家を訪れる立場にあり、まだ小さい二人は素直に打ち解けていた。


「ロザリア、これを見て。きれいな花が咲いてるんだ。あそこ、庭の端っこに」

「ほんとね。……私、勉強が終わったら一緒に見に行ってもいいかしら?」

「うん。先生には内緒だよ。今はレッスンの時間でしょ?」


 そうやって二人が内緒話をして、屋敷の庭を探検するように回る姿を、ソフィアは微笑ましく見守ったことが何度もあった。ロザリアに厳しい勉学や礼儀が課せられていた分、こうした小さな「息抜き」が、彼女の幼心を支えていたように見える。レオンもまた、子爵家の立場だからこそ必要以上に遠慮せずに振る舞えていたのだろう。二人は花壇で摘んだ花を持ち寄り、無邪気に笑い合うこともしばしばあった。


「ロザリア、これ、きれいだろ? 名前はわからないけど、青くて……なんだか君の目みたいで素敵だと思って」

「そう……。ふふ、ありがとう。私の目、青いからよく先生に『澄んだ瞳ね』って言われるの。そういうの、ちょっとだけ自慢できるかもしれないわ」

「うん、僕はすごく好きだよ」


 その会話を聞いたソフィアは、幼い二人の未来を想像してほんのり頬を緩ませた。将来、王太子妃になるかもしれない身とはいえ、子どもらしく笑うロザリアはとても可愛らしく、優しさも持ち合わせている。レオンが摘んだ花を大事に胸元に飾り、「ありがとう」とお礼を言える素直さが確かにあった。どんなに教育が厳しくても、彼女の心まで冷えきっていたわけではないのだ。


 だが、それも歳を重ねるごとに、ロザリアに課せられるレッスンの量と重みが増えていくにつれ、少しずつ減っていった。彼女は王太子妃候補として、より高度な宮廷教育を受けるようになり、外遊びや庭での散策などは「時間の無駄」として切り捨てるようになっていく。そしてレオンとの関わりも、徐々に制限されるようになっていったのだ。


「ソフィア、私はもう子どもの遊びをしている場合ではないわ。先生にも言われたの。『王太子妃になる人間が、余計な交流を深めるべきでない』と」


 そう言うと、まだ十歳そこそこのロザリアは、背筋を伸ばして窓の外を見やった。窓の外には庭が広がり、レオンが遊ぶ姿が見えるかもしれないが、ロザリアは決してそこに駆け出して行かなかった。むしろ、少し物足りなさそうに、しかし毅然と顔を背ける。


 ソフィアはその後ろ姿に切なさを感じつつ、彼女を止められなかった。王太子妃候補としての在り方を、ロザリア自身が強く意識していたからだ。たとえ親しい幼馴染であっても、「婚約者」以外の男性と過度に遊ぶのは良くない――周りの教師たちもそう言い含め、ロザリアはそれを当然と受け止めていた。

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