第6話 交差する思い①
夜会はもはや終盤を越えて、想定外の混乱に巻き込まれていた。王太子ジュリアンが衆人環視の中でロザリア・グランフィールドとの婚約破棄を宣言し、さらに根拠不明の罪状を突きつけたことで、会場全体が揺れ動いている。
閃光のような衝撃が走り、あちこちでささやき合いや叫び声が聞こえるなか、ロザリアは貴族令嬢としての矜持を必死に保っていた。顔は上げているものの、ドレスに包まれた指先はかすかに震えている。いつもならあくまで優雅な姿勢を維持できる彼女も、この状況では足元が崩れ落ちそうな感覚に襲われるばかりだ。
ジュリアンは壇上からロザリアへの糾弾を続けるような素振りを見せつつ、具体的な証拠を示すわけでもなく、ただ「王家の権威を踏みにじった疑いがある」という旨の曖昧な言葉を繰り返す。夜会に集まった貴族たちは恐れをなして沈黙する者、興味本位でざわめく者、悲鳴に近い声を上げる者……誰もが目を見開いて事態の成り行きを見守っていた。
そんな中、静かな空気を切り裂くように、一人の男性の声が響いた。
「お待ちください! 今の話、あまりにも理不尽ではありませんか!」
ざわつく会場の中でも、その声ははっきりと耳に届く。声の主はレオン・ウィンチェスター。子爵家の嫡男で、ロザリアとは幼少期に親交があった人物だ。通常ならば王太子の発言に異議を唱えるなど、身の危険を顧みない行為に等しい。しかしレオンは眉間に力を込め、気圧されたような周囲の雰囲気に構わず前へ進み出た。
「王太子殿下、失礼ながら……ロザリア様がそんな罪を犯すはずはありません! これまで公爵令嬢として王家に恥じない努力を重ねてこられたのは、誰よりも皆が知る事実ではありませんか!」
レオンは堂々と胸を張り、壇上に向かって声を張り上げる。その姿に、周囲の貴族たちは驚きの表情を見せた。王太子の告発に対し、堂々と異を唱えるなど、立場を考えれば常識ではあり得ない。子爵家程度の地位であれば、王家を相手に正面から反論すれば、その後どうなるかわかったものではないのだ。
「レオン……!」
ロザリアはその名を心の中でつぶやく。まさか公の場でここまで直接的に擁護してくれるとは思っていなかった。自分ですら、怒りと悔しさで頭が混乱する中、振る舞いを失っているというのに、彼は王太子の前へ進む勇気を見せている。それは驚きであると同時に、どこか心が揺れる思いでもあった。
壇上のジュリアンは、突如として子爵家の若者に異議を唱えられたことで、少し表情を曇らせる。まわりの貴族たちも戸惑いを隠せない。まるで「子爵家の息子ごときが王太子に楯突くなど正気ではない」という空気が漂っているようだ。会場のあちこちで「ウィンチェスター家……それほどの力はないはず」「あの青年は何を考えているの?」などとささやく声が交錯する。
「……子爵家のレオン・ウィンチェスター、だったか?」
ジュリアンはレオンを睨むように見下ろしながら、その名を口にする。彼は王太子としての威厳を失ってはいないものの、どこか迷いや苛立ちを感じさせる微妙な表情だった。まるで突発的な抵抗をどう処理すべきか考えているかのようでもある。
「殿下、そもそもロザリア様が王家を欺いたという確たる証拠があるのでしょうか。私には到底信じられません。あの方がどれほど努力を重ねてきたか、ずっと知る者も多いはずです!」
レオンの声は震えているようにも聞こえるが、それは恐怖ではなく怒りや焦燥の混ざったものだろう。子爵家の跡取りとしては考えられないほど大胆な行動だが、その眼差しには必死さが宿っている。これを見た周囲の貴族たちも、あまりの熱量に一瞬気圧されるように言葉を失った。
「黙れ。私は今、この場で正式に告げている。子爵家ごときが公の場で私の決定に異を唱えるなど……身の程をわきまえよ」
ジュリアンの言葉は凍てつく冷酷さをはらんでいた。彼の背後にいる取り巻きらしき人物たちが「そうだぞ、王太子殿下に口答えするなど……」と一斉に視線を投げかける。レオンがこのまま言い返せば、下手をすればその場で立場を危うくするのは明白だ。
しかし、レオンは怯まずもう一歩足を踏み出そうとする。ロザリアがそれを見て、内心で鼓動を跳ねさせながら唇を引き結んだ。彼がさらに王太子の心証を悪くすれば、レオン自身の身がどうなるかわからない。それを思うといてもたってもいられない気持ちになる。
「ロザリア様がそんな無実の罪を着せられるなんて、あまりにも不当です! 私は……皆さまも本当はわかっているはず――」
「レオン、やめてちょうだい」
混乱する会場の中でも、ロザリアの静かな声ははっきりと届いた。レオンが振り返ると、そこには気高い姿勢を保ち続けるロザリアの姿がある。彼女はドレスの裾を上品に揺らしながら、一歩も引かぬ姿勢でレオンを見ていた。だが、その瞳には「制止」の感情がありありと浮かんでいる。
「ロザリア……! あなたが何も言わなければ、ここで本当に婚約破棄が成立してしまう。ましてや、罪まで……」
「構わないと言ったら、あなたに何ができますの? 子爵家の立場では王家を動かすことなど不可能でしょう? それを承知で、この場で声を荒げて……あなたは何を望んでいるの?」
ロザリアの声は低く、冷静を装っているものの、その奥には複雑な感情が見え隠れしていた。周囲の耳には「公爵令嬢としての高飛車な態度」に映るかもしれないが、彼女としては必死だった。こうして公にレオンが庇ってくれるのは、正直ありがたい。心の奥で「誰か助けて」と叫んでいたのも事実だ。けれど、公爵令嬢としての誇りと彼を巻き込みたくない思いが、ついつい冷たい口調をとらせてしまう。
「私は……!」
「あなたに私の何がわかるの? ただ声を上げれば済む話ではありません。王家の決定を覆すなんて、身の程を弁えない行為ですわ」
その言葉に、レオンはまるで心臓を突かれたように一瞬動きを止めた。周囲にいた貴族たちも固唾を飲む。この場で唯一ロザリアのために声を上げていた青年が、彼女自身から拒まれようとしているのだ。
「……でも、そんな言い方はないだろう。あなたは、理不尽な罪を着せられ、婚約破棄までされようとしているんだぞ? このまま黙っていて、どうなるというんだ!」
「黙っているわけではありません。けれど、あなたが何をしたところで状況が変わるわけではないでしょう。みんなわかっていますよ、この場にいる子爵家の方が、いくら声を張り上げても届かないと」
ロザリアの声は明らかに突き放すような響きを帯びていた。その裏には、レオンをこれ以上危険にさらしたくない気持ちや、弱みを見せられないプライドが混ざり合っている。周囲の目が二人に集中し始め、異様な熱を帯びたざわめきが走る。公爵令嬢に堂々と拒絶される子爵家の若者――しかし、彼は怯まずもう一言かけようとする。
「……それでも、私は放っておけません! あなたが不当な扱いを受けていると知って、黙っているなんてできるはずがない!」
「レオン・ウィンチェスター……。私が言っただろう。『身の程』を弁えろ、と」
壇上のジュリアンが口を挟んで、その場をさらに不穏な空気で包み込む。彼の眼差しには、わずかな怒りが宿っていた。王太子の宣言を真っ向から否定するレオンを、心よく思うはずがないのだ。周囲の貴族も「こ、これはまずい……」と怯えたように身を引いている。




