第40話 再会する二人②
するとレオンが小さく微笑み、「ロザリア……。僕、覚悟はあるんだ。もし君が……いや、その……」とためらいがちに言いかける。ロザリアは思わずその先を聞きたくて、まなざしをレオンに注いだ。
「続けて、レオン。あなたの言葉を聞きたい」
「……わかった。僕は、ロザリアがどうしても自分の家の名誉や立場を捨てられないなら、それでもいいと思うし、君がそれを捨ててでも僕と一緒にいたいと思うなら、それも一つの道だ。でもね……正直、何も持たない僕が、公爵家の令嬢である君に、相応しい存在なのか、ずっと不安なんだ」
苦しげな声に、ロザリアはかぶりを振りながら「あなたは何も持っていないなんてことはない。私にとって、一番大切なものを持ってるわ。あなた自身……。それこそが、私にとっての幸せそのものよ」と強く言い返す。身分差なんて問題ないと確信したいが、社会の壁を突き破るのは容易じゃない。二人とも頭では理解しながら、それでも互いを想う気持ちが抑えきれないのだ。
「でも……。公爵家と子爵家、世間の目は厳しいだろうし……僕は君を守るには、あまりに力がない。エレナの時だって、結果的には君を救えたけど、こんな重傷を負って意識を失って……ほとんど君の側にいて支えてあげることもできなかった」
「それでも救ってくれたのよ。私があのまま刺されていたら、生きていなかったかもしれない。あなたを想う気持ちは、命を救われたからとか、そんな単純なものじゃないわ。……子どもの頃からずっと、あなたを……」
そこまで言ってロザリアは急に言葉を飲み込む。愛情をさらけ出すことに戸惑いがあるのだ。レオンもまた、その先を聞きたい気持ちと、身分差を意識する気持ちが交錯しているのか、ぎこちなく瞬きを繰り返している。
「ロザリア、僕は……君のことが好きだよ。昔からずっと。恥ずかしくてうまく言えなかったけど、守りたいって、ずっと思ってた」
「……レオン」
「僕にはまだ体力がなくて、こんな情けない姿だけど、本音を言うと……ずっとそばにいたい。だけど、君の両親や貴族社会のルールがある……。君がどう思っても、周囲がそれを許すかどうか……」
ロザリアは胸を高鳴らせながらも、少し切なさを帯びた視線を下に落とす。互いに相手を想っているのは間違いない。けれど結ばれるためには数多くの障害がある……そんな現実が、二人の素直な想いを邪魔している。
「私も……あなたが大好き。何度だって言いたいくらい。でも、このまま私たちの関係を進めようとすると、きっと両親や周りが反対する。公爵家の名誉のために、かつての王太子妃候補だった私を、王家側へ戻そうという話も立ち上がりそうだし……」
「王家、か。そうだよね……。ロザリアほどの令嬢なら、王太子の周囲が再び取り込もうとするだろう。実際、婚約破棄は撤回されなかったけど、殿下だって君を無視できないはずだし……」
会話が暗い影を帯びる。嬉しいはずの再会だというのに、さまざまな葛藤が立ちはだかる現実を前に、二人はため息をこぼしそうになる。窓の外から射し込む光は暖かいが、その光の中で心はどこか冷ややかだ。
「何があっても、あなたがそばにいてくれたらそれだけで私は幸せ。……でも、この気持ちはわがままなのかな。子爵家のあなたを、大きな渦に巻き込みたくないっていう思いもあるし……」
「僕だって、君を軽々しく巻き込むのは……。何より、僕がそれに見合うだけの力をつけなきゃ、また君を危険に晒すだけかもしれない」
レオンは弱々しい笑みを浮かべ、指先をロザリアの手に重ねる。二人の愛情がそこに溢れているというのに、結論は出せずにもどかしさだけが募る。ともすれば、このまま別れを選ぶべきか、いやそれとも手を取り合って逆境に立ち向かうか——互いが互いを想うほどに、その決断に重みが増していく。
「レオン、あなたが今すぐ答えを出さなくていいわ。私もまだ、両親に反対されるかどうかすらわからない。婚約破棄を悔やむ声が出てきても、私はあなたといる道を模索したい。でも、ゆっくり考えましょう。あなたはまだ治ったばかりよ」
「そう……だね。今はまず、体を元に戻さないとな。僕が自分に自信を取り戻さないと、君を守ることもできないから」
「焦らなくていいの。あなたが回復するまで、私は離れない。もし周囲が何を言おうとも、あなたが嫌じゃなければ、私はこのままそばにいて……」
ロザリアが言いかけたとき、廊下から侍女ソフィアの控えめなノックが響く。どうやらレオンの容体を確認しにきたらしい。ロザリアが「どうぞ」と声をかけると、ソフィアが少しだけ扉を開け、「失礼します。お加減はいかがでしょう、レオン様」と微笑むように言葉をかけた。
「……おかげさまで、だいぶ楽になってきました。ありがとう、ソフィアさん」
「いえ、レオン様こそ……本当に意識が戻ってよかったです。お嬢様もほっとなさって、最近は少しお食事も召し上がれるようになってきたんですよ」
ソフィアの言葉に、ロザリアが顔を赤らめる。「い、言わないでよ。少し前まで食欲なかったのは事実だけど……」と少し恥ずかしそうにつぶやく。レオンは申し訳なさそうに笑みを返し、「僕のせいで……ごめん、ロザリア」と口にする。するとロザリアは頭を振り、「あなたが謝ることじゃないわ。私が勝手に落ち込んでいただけ……」と言い返す。
ソフィアは二人の微妙な空気を感じ取り、「あと少ししたら医師が診察に来る予定です。何かご用命がありましたら、お声かけくださいませ」と一礼して、気遣わしげに部屋を出ていった。ドアが閉まると同時に、少し張りつめた空気が戻ってくる。
「ロザリア、僕は……回復したら、君のご両親にもちゃんと挨拶したい。といっても、許しを得られるかどうかわからないが……」
「そうね……私も両親とは話さなきゃと思ってる。もう一度きちんと打ち明けて、あなたの存在を認めてもらわないと」
「焦らなくていいんだよ。僕が言い出しといて何だけど……今は治療に専念したほうがいいかもしれないし、君も心身を休めることが大事だ」
「そうね……あなたが意識を取り戻してくれたけど、体が元に戻るまで、いろいろ時間がかかるでしょうし。だけど、私……これ以上長引くと、また王太子や社交界が騒ぎ出すのよ。そこが心配」
レオンは苦笑する。
「騒ぎを起こすのは得意そうだからね、社交界は。……でも大丈夫。僕がしっかり歩けるようになったら、堂々とあなたを迎えたい。いや……変な言い方かもしれないけど、僕なりに、あなたと並ぶに相応しい男になれるよう努力するよ」
「レオン……気負わなくてもいいの。あなたはもう十分立派なのに……。でも……そうね、たしかに私も、あなたがさらに自信をつけてくれたら嬉しいわ」
少し照れたように微笑み合い、どちらも赤面して目を逸らす。その一瞬、二人の間に優しい空気が流れた。長く重苦しい闇が続いていただけに、このささやかな微笑すら希望に満ちて感じられる。それでもまだ、はっきりと恋心を宣言できないもどかしさがある。互いに身分差を意識しているし、事件の影響が完全になくなったわけではないからだ。
「ねえ、レオン……身体が治ったら、どこか行きたいところはある? 私が案内するわ。王都の外れでもいいし……あなたの家でもいいし……昔みたいに野原を走ってみるのもいいかも」
「野原か……懐かしいな。子供の頃、一緒に草原を駆け抜けたの、覚えてる。僕が剣の真似事をしてふざけてたら、君が賢明に馬を乗り回して……途中で落馬しそうになって、僕が受け止めたんだっけ」
「そうそう。結局あなたは転んで泥だらけになって、私のほうが支えてもらったくせにどっちも失敗したのよね。でもすごく笑ったわ」
昔の思い出話が出ると、二人は自然に笑みをこぼす。記憶の断片にある幼い日の無邪気さが、今のぎこちない空気を少しずつ溶かしてくれるかもしれない。ロザリアの頬にはうっすらと赤みが差し、レオンも苦笑いしながら「そうだ……あの時、君は泣きそうな顔をしてたけど、強がって『落ちたのはあなたでしょ』って言ってきたんだ」と思い出す。
「だって、公爵家の娘が転んだなんて恥ずかしかったもの。あの頃から私、プライドばかり高くて、あなたに素直に『助けて』って言えなかった。ほんと、今でも変わらないのかしら」
「そんなことないさ。君は変わったと思う。……以前よりずっと、正直な言葉をくれるようになった気がするよ」
「そう……そうかもしれない。あなたがいなかった期間、私なりにいろいろ感じたから。……身分の差とか、公爵家の威光とか、そういうのより大切なものがあるって、思い知らされたから」
ロザリアの語尾が少し震え、レオンは真剣な眼差しで彼女を見返す。「大切なものって……?」と問いかけると、ロザリアは意を決して、はっきりと言い放った。
「あなたよ、レオン。あなたそのものが、私の生きる理由。昔は気づかなかったけど、あの夜会であなたが倒れて、長い眠りに入ったとき、どれだけ私があなたを必要としていたか思い知った。そんな私が、いまさら身分の差を気にして何になるの?」
「ロザリア……」
レオンの胸に強い感動が広がる。ロザリアがここまで正面から想いを告げることは、かつて考えられなかったかもしれない。だからこそ、彼も勇気を奮い立たせて素直に応えたい。しかし、心の片隅には「そうはいっても……」という不安がくすぶっている。
「僕も君が大切で、かけがえのない存在だって気づいたよ。僕が守ろうと思ったのは、自分でも驚くほどの本気だった。君を失いたくなかった、僕のほうこそ心から……ロザリア、君を愛してる」




