第39話 訪れる奇跡③
やがて医師が駆けつけ、ソフィアも後ろから慌てて入ってくる。ロザリアは少し身を引いて、医師がレオンの顔色や脈をチェックするのを見守る。医師の表情が次第に安堵に変わり、「間違いなく意識が戻っています。すごい……!」と興奮ぎみに声を上げる。周囲のスタッフも「よかった……!」と小さく拍手をして喜び、ソフィアは胸に手を当てて涙ぐむ。
ロザリアは席を外すよう勧められるが、レオンがかすかに「ロザリアは……行かないで……」と唇を動かすのを見て、「医師の邪魔にならないようにするから、ここにいたいの……!」と懇願する。医師も「いいでしょう、そばで静かに声をかけてあげてください」と許可してくれたため、ロザリアはレオンの手を握り、少し後ろへ退いて診察を眺める。
医師たちは聴診器や簡単な検査でレオンの状態を確かめ、「今はまだ意識が混濁しているでしょうが、回復傾向は確実です。脈拍や呼吸もしっかりしている」と報告する。ロザリアはそれを聞いて、また涙を堪えきれなくなる。嘘のようだ。どれだけこの瞬間を待ったか……。
数分後、医師たちが一通りの処置を終え、「安静が第一です。無理に会話をしすぎないようにしてください。ただ、声をかけるのは脳に刺激になり、意識がはっきりする助けになります」とアドバイスをくれる。ロザリアは感謝しながら、レオンのそばに戻った。
「レオン……よかった、本当によかった……。きっとまだ混乱してるかもしれないけど、何か話せることはあるかしら」
レオンは呼吸を整えようとするかのように小さく息を吐く。視線が定まらずに宙を彷徨っているが、徐々にロザリアへ焦点を合わせようとしている様子がわかる。かすかに瞳が潤み、口元が震えながら音を紡ぐ。
「……ロザリア……ごめん、ね……。僕……あまり思い出せなくて……でも、あなたを守れたんですよね……?」
「そうよ。私、あの時本当に怖くて、あなたが刺された時は……この世の終わりだって思った。毎日ここへ来て、あなたが目を覚ますのを祈るしかできなかったの……」
涙が再び頬を伝うが、今度は喜びの涙に近い。ロザリアは再びレオンの手を握りしめ、嬉しさと安心が混ざり合った声で言葉をつなぐ。
「いまは無理に何も思い出さなくていい。あなたがこうして目を開けて、私の名前を呼んでくれただけで……もう、十分すぎるの……」
レオンは浅く笑みを浮かべようとするが、顔に力が入らず、ただ唇が震えるだけ。しかし、そのかすかな笑顔の片鱗がロザリアにとってはかけがえのない宝だ。ソフィアも涙を拭いながら「レオン様、よくぞ戻ってきてくださいました……ロザリアお嬢様が、ずっとずっと……」と抑えた声でつぶやく。
「ソフィアさんも……ありがとう。迷惑、かけた……のかな……」
「いえ、そんな! 私など何もできませんでした。お嬢様が一番……頑張っていたんです」
その言葉にロザリアは「ソフィアは充分すぎるほど助けてくれたわ。私だけじゃ折れそうだった」と笑顔を向ける。レオンの瞼が少し重くなるように閉じかけるが、意識が再び遠のくというよりは、疲れからまぶたを休めているようにも見える。医師が「安静にしてあげましょう。しばらくは話すのも体力を消耗しますから」と注意を促すので、ロザリアは大きく息を吸ってからゆっくり吐く。
「わかりました。でもレオン、少しずつでいいの。焦らずに休んで……私は何度でも話しかけるから、あなたは体を休めて。意識が戻っただけで本当に……」
そこまで言い、ロザリアは言葉を失って涙ぐむ。レオンも掠れた声で「ありがとう……ロザリア……」とつぶやき、小さな笑みを返そうとしてくれた。その瞬間、互いの思いが通じ合ったように感じられ、ロザリアは世界が一気に光を帯びたような感覚を覚える。
病室はしんみりとした空気から、穏やかな感動の雰囲気へと変わり始める。医師たちもほっと胸をなで下ろし、「これなら回復は見込める」と期待を口にして、周囲が微笑み合う。ソフィアは小さく拍手をするように両手を握りしめ、「本当に……本当に、よかった……!」と声を震わせる。
ロザリアは涙で視界がにじんだまま、レオンの手を離さない。あれほどの長い苦しみが、いま確かな救いの一歩を踏み出したのだ。レオンが再び呼吸し、声を出し、微笑む――こんな奇跡を願い続けた日々が報われた想いで胸がいっぱいになる。
「レオン……会いたかった。ずっと待っていたわ。私……あなたがいない世界に耐えられなかったの……」
「僕も……今は頭がぼんやりしてるけど……でも、ロザリアが隣にいてくれるだけで、安心する……」
その二言、三言の会話だけでも、ロザリアの魂は救われる気がした。心の底から安堵感が溢れ、「ありがとう。生きていてくれて、本当にありがとう」と繰り返す。レオンは疲れたように瞼を閉じかけるが、彼の胸の動きはしっかりしている。ロザリアは「ゆっくり休んで。またあとで話しましょう」と優しく声をかけ、彼の手を暖かく包む。
ソフィアが後ろでこっそりすすり泣くのを聞きながら、医師が「ではしばらく安静にしてあげてください。落ち着いたらまた声をかけてあげるといいでしょう」と助言をくれる。ロザリアはうなずき、「本当にありがとうございます。皆さんが治療してくださったおかげだわ……」と頭を下げる。医師たちは「いえ、ロザリア様の呼びかけや粘り強い看護が、きっとレオン殿の心に届いたのだと思います」と照れくさそうに返す。
こうして病室が一気に感動の空気に包まれ、誰もが表情をほころばせる。わずかな目覚めかもしれないが、それが奇跡の兆しに違いないという確信が、そこにいる全員の胸に宿っていた。
レオンが再び一時的に眠りに落ちると、ロザリアは彼の寝顔をじっと見つめながら、「生きていてくれるんだ……」と実感を噛みしめる。思わず、どっと体の力が抜け、椅子にくたっと崩れ落ちるように座り込む。ソフィアが近寄り「お嬢様、よかった……こんなに嬉しいことは……」と言うと、ロザリアは深い呼吸をして、小声で涙を拭う。
「ええ、嬉しすぎて、私……このまま夢じゃないかと怖いの」
ソフィアも涙を浮かべて笑う。
「いいえ、夢なんかじゃないです。こんなにもはっきり、ロザリア様の名前を呼ばれたのですもの。きっとこれから少しずつ回復していかれるはずです」
「そう……だといいわ。ああ、私、どうしよう……心臓が破裂しそうなくらい嬉しくて……!」
ロザリアは取り乱しそうになるほどの感激を抑えきれない。眠り続けるレオンをそっと見守りながら、これまで溜め込んだ不安や恐怖が少しずつ溶けていくのを感じる。今はただ、一歩踏み出した奇跡を大切に抱きしめたい気持ちで胸が熱い。
「レオン、あなたは戻ってきてくれたのね……。もう少し時間がかかっても構わないから、ちゃんと元気になって。私はどれだけでも待っているわ」
そうつぶやきながら、ロザリアは彼の手を撫でる。脈拍が確かに強く感じられる気がするし、呼吸も先ほどより落ち着きを取り戻しているようだ。医師が小声で「回復はここからが本番です。体力も落ちていますし、無理に会話させたりはしないように」と注意を促すが、ロザリアは静かに微笑んで「わかっています。大切に、ゆっくり育むように支えます……」と答える。その言葉に医師はうなずき、「これだけお嬢様が傍にいてくだされば、レオン殿も心強いでしょう」と優しい笑みを返した。




