第35話 示される証拠③
そして、ジュリアンが苦しげな眼差しをエレナへ向け、最後のとどめを刺すように言葉をつむぐ。
「……私はロザリアを裏切り者と信じ、婚約を破棄し、君を選んだ。でも、この書類の真偽を突きつめる限り、やはりロザリアが言う通り、私の名を使って不正を行った者がいるのは明らかだ。エレナ……まさか本当に、私を……国を利用していたのか」
殿下の痛切な問いに、エレナは顔面蒼白になり、「違う……私は、殿下を――」と声を震わせる。だが、その否定は弱々しく、周囲の貴族が注ぐ非難の視線に押し潰されそうだ。
「ええ、あの人はあなたを自分の駒としか見ていないでしょうね」と言わんばかりに、ロザリアはさらに踏み込む。
「私が偽りの罪を背負わされてきたのも、すべてあなたが仕掛けた罠……。ここまで暴かれてまだ否定する気?」
もう逃げ場はない。エレナ派閥の取り巻きたちは激しくうろたえ、一部は「こんな場で公にするなんて汚い……」「ロザリアは正気か……!」と文句をつけるが、レオンたちに一喝されて萎縮していた。一方、エレナの瞳には焦りと恐怖、そして怒りが複雑に入り混じっているのが見て取れる。
ロザリアはその姿を見つめ、心の中で「ついにここまで追い詰めた……!」という昂揚を味わいながら、しかし油断はしない。このあと、エレナが逆上して何かを仕掛ける可能性は十分ある。まさにその不穏な予感が、広間の空気をいよいよ張り詰めたものにしていた。
「よくぞ言ってくれた、ロザリア!」
突如として、周囲の貴族の中から声が上がり、中年の男爵が拍手をしながら前に出てくる。
「私もずっと疑問を感じておりましたよ。エレナ嬢の伯爵家が近ごろ妙に潤沢な資金を持ち、王太子殿下とのつながりをやけに強調していたのが気にかかっていたんだ。これでスッキリしましたわ!」
その言葉に賛同するように、「俺も変だと思っていた……」「エレナ嬢がこんなにあっさり王太子の周辺を固めるなんて、裏があると思っていたところだ」などの声が相次ぐ。ロザリアが提示した偽造の証拠を、皆が実感して受け止め始めているのだ。
すると、エレナの顔が見る見るうちに青ざめ、その儚げなオーラは消え失せていく。取り巻きの貴族数名は、「こんな根拠のない……」「証拠だって捏造かもしれないではないか!」と反発するが、ロザリアたちがさらに別の文書を掲げて反論を封じ込める形となり、場の騒然ぶりが一層増していった。
「これが……嘘の証拠だというなら、この筆跡を見てください。あなた方の署名が何通も出てきている。この期に及んで無関係だと否定するのは無理があるでしょう」
レオンが冷静に言い放つと、取り巻きの一人が「うっ……」と声をつまらせる。そして、ソフィアが「資金の流用についても日付と項目が食い違っており、そこにエレナ様のお名前が並んでいます。何か説明があるならうかがいましょうか」と畳みかける。
大広間が混乱と動揺のるつぼと化し、音楽が完全に止まり、皆がそれぞれの声を上げ始める。「だが、まさか本当にこんな陰謀が?」「王家が利用されていたなんて……!」などの声が飛び交い、怒りや驚きで騒然たる空気が漂う。
エレナ本人は震える声で「どうして……? 私がそんな……!」と繰り返すばかり。しかし、その言葉は説得力を持たない。彼女が味方につけていた取り巻きたちは、ロザリアの提示する証拠を目前にまともに反論できず、ただ困惑と焦りを露呈している。まさに、いま明るみになった陰謀が会場全体を飲み込みつつあった。
「……エレナ、何か言い分があるのなら聞こう。ロザリアの主張にここまでの裏付けがある以上、軽々しく否定しても通用しない。君は私を……私の名を、勝手に使ったのか?」
王太子ジュリアンが追い詰めるように問いかけると、エレナは殿下の袖をつかんでしがみつく。
「殿下……誤解ですわ。ロザリア様が私を陥れようとしているの。私はただ……あなたを……大切に想って……」
しかし、その弁解はあまりに説得力を欠き、貴族たちは冷ややかな視線を注ぐ。今までエレナが築いてきた「儚げな名声」が一瞬で音を立てて崩れ去り、場内は彼女を非難するムードに包まれ始めている。
ロザリアはその動揺を冷徹に見つめながら、最後の追及を決めるべく口を開きかけた。
「……エレナ、あなたが殿下を欺き、この国を根こそぎ手に入れようとしていた計画も、もうじき……」
だが、そこで言葉を区切った。エレナの取り巻きの一部が、あまりに追い詰められた焦りからか、不自然な動きを見せはじめたのだ。彼らが顔を見合わせ、何やら口々に何かを言い合っている。そしてエレナ本人も、ロザリアの視線を受け止めきれないまま、凄まじい形相を浮かべはじめているように見える。
彼女の瞳からは穏やかな笑みが消え去り、まるで恨みでもこもったような力を宿す。その変化があまりに急激で、周囲の貴族が一歩後ずさる者まで出るほどだ。ロザリアは一気に警戒を強め、「やはり、我慢できなくなったのか」と胸中で悟る。
場内の騒然ぶりは頂点に達し、誰もがあっけにとられている状態。エレナはかすかに肩を震わせながら、薄紅色のドレスを握りしめ、殿下の問いかけにも応じようとしない。まるで「このままでは全てを失う」という恐怖と、「それでも負けるわけにはいかない」という狂気が衝突しているかのような雰囲気だった。
(まずいわ、このままじゃエレナが何か強行手段に出かねない……!)
ロザリアは心の中で警鐘を鳴らす。すでに取り巻きが混乱して慌ただしくなっており、エレナもまなざしが虚ろなまま、王太子を引き留めるように軽く手を伸ばしている。しかし、その手が震え、顔には憤怒と絶望が混ざったような表情が浮かんでいた。
「どうやら……限界のようね」
小さくロザリアがつぶやくと、周囲の貴族たちはその言葉の真意がわからずざわざわとする。エレナはドレスの裾を乱暴に引きずり、まるで火がついたような目でロザリアを睨みつける。無数の貴族たちが驚きに身を引き、場内は一瞬静まり返った。
「……ロザリア……あなた……っ……!」
震える声で名を呼ばれ、ロザリアは前からの圧迫感を真正面で受け止める。まるで別人のようなエレナの瞳。先ほどまでの優雅さは微塵もなく、むき出しの憎悪や焦りがあらわになっている。
ここでロザリアは息を詰めた。次の瞬間、エレナがどう動くのか。明らかに、その余裕を失った顔には危険な狂気が宿っていた。すでに取り巻きたちも、「エレナ様、落ち着いて!」などと取り繕いきれない状況であり、ただオロオロするばかり。会場の貴族はこの光景に圧倒され、一斉に後ろへ下がる。
騒然とする広間の真ん中で、エレナの理性が崩れ去る一歩手前――今まさに、決定的な激突が始まろうとしていた。




