第3話 影の精霊クオン
「クオン、どうなってるんだ?」
これが、俺の小説の中の世界であるならば、最初に召喚契約するのは、黒猫の姿をした影の精霊クオン。振り返って黒猫を探すが、どこにも姿は見当たらない。
「そうだよな、俺とクオンは一心同体だったな。常に俺と一緒で影の中にいる」
足元の影に向かって話かけると、影の中から出てきた黒猫と目が合う。
「クオン、また俺と召喚契約してくれるんだよな」
初めて会う精霊に言う言葉としては間違っているが、そんなことは気にしない。召喚契約する為の条件は、精霊が俺の存在を認めることと、精霊に名付けを行うこと。もちろん、精霊が納得する名でなければならない。
「俺の名はカショウ。そして俺の一番精霊は、クオンだ!」
ここで召喚契約が成立すれば、クオンは俺のブレスレットの中へと吸い込まれる。しかし、黒猫はブレスレットへと吸い込まれてくれない。
じっと俺を見つめたままの時間が続くと、急に体が膨らみ姿を変え始める。ネコ型から徐々にヒト型へと姿を変え、黒髪リップラインボブのメイド服姿の少女が現れる。ニコッと笑った口許には犬歯が覗く。そして、ヒト型になっても頭に残る大きな猫耳。髪や眉も黒いが、耳の内側の毛だけは桜色で、それが影の精霊の中でも他と違う個性を示している。
クオンの顔が俺に近付いてくる。俺の方が身長が高く、下から見上げてくるクオンの視線に鼓動が高鳴り、俺の体は固まって動けない。さらにクオンの顔は、俺の顔へと近付いてくる。そしてクオンの鼻が、俺の唇に軽く触れたところで再び黒猫の姿へと戻ってしまう。
「もちろんよ、ご主人様」
そう言い残すと、クオンは俺の両手のブレスレットの中へと吸い込まれて消えてしまう。それは問題なく、クオンと召喚契約出来たことの証。後は名を呼べば、クオンは召喚に応じて出てくる。俺の体に蓄積された、膨大な魔力を糧として消費するために!
しかし、直ぐにクオンを召喚することが出来ない。俺の小説の中のクオンは、ヒト型になることを嫌っていた。俺にでさえも直ぐにヒト型の姿を見せてはくれなかった。
それは俺が創造した世界の話で、今目の前で起こっていることが小説の中の世界だと思わせるには、少し違和感がある。ただ思い付きで書き始めた小説の中の世界は、ここまでリアルではない。どこか表現をぼかし、読み手の想像力に任せるような曖昧な世界。だが、俺の心臓の高鳴りはまだ止まらない。聴覚の優れたクオンは、俺の鼓動の変化を察知している。鼓動の変化の理由を聞かれることはないだろうが、一応の答えを準備する時間が欲しい。
ただヒト型のクオンに触れられたことや、ネコ型ではあったが顔を舐められていことに背徳感を覚え、正常な思考が出来ない。少し落ち着こうと思い、外の世界を眺める。
「違う、七色じゃない」
そして、ここでも小説の中の世界との違いに気付く。俺がつくり出した世界と似ているが、全てが同じではない。眼下にみえる湖の色は様々だが、7色でしかなかったはず。それが、ここから見える湖は更に色とりどりで、マーブル柄だったり、時間変化で色を変えるものもまである。明らかに俺の創造を超えた世界が広がっている。
さらには、気付く違いは自身の姿。浅葱色のチュニックに黒のフード付きローブ。パッと見で露出している部分は両手しかないが、その両手だけを見ても違いがある。
小説の中ならば、転移した俺は高校生くらいの姿に戻っているはず。それなのに、見慣れた指先には生活感を感じさせる縦線の入ったシワ爪。
「クオン、俺は本当にカショウなのか?」
俺に名を呼ばれて初めて、ブレスレットから飛び出してくる黒猫姿のクオン。クオンを召喚することを躊躇ったこは忘れてしまい、現れたクオンのネコ型の姿に少し安堵する。
「何言ってるの、そんなの決まってるでしょ」
そう言いながら、クオンは俺の影の中に潜っては現れてを繰り返す。右足の影から潜って、左足から出てくると、再び俺の顔を見つめる。そして、また影の中へと潜ってしまう。それはクオンも、どこか懐かしい感覚を確かめるている気がした。
「そうだよな、俺は変なこと言ってるよな」
ここで初めて会ったクオンに、俺が何者かを聞いてもわかるはずがない。それは俺しか知らない小説の中の話。70万文字以上の中の、僅かな部分を切り取って、それだけで全てを判断するのには無理がある。
「先を急ぎましょう、ご主人様。残された時間は多くないのでしょ」
「おっ、おう、そうだな」
急にクオンに話しかけられて、情けない返事になってしまう。小説の中では無口だったクオンが、この世界では普通に話しかけてくる。嬉しくもあり、複雑な気持ちもする。
まだ、答えを出すには早すぎる。もう少し、この世界を知ってからでも遅くはない。