第19話 追跡の中で
クオンの命令に従って、虎は俺達を先導して森の中を進んでゆく。完全に傷が癒えていないが、その歩みはしっかりし迷いもない。
クオンの話では、この辺りは森の王者である虎の縄張りだった···らしい。“だった”と過去形になるのは、ゴブリンから棲みかを追い出されたからで、これは事実で間違いない。そして、“らしい”と推定になってしまうのは、この虎があまりにも弱々しく見えるから。
クオンが俺のことをご主人様と呼べば、俺にも服従の態度を示す。シャイに対しても一度は威嚇したが、傷を治されたことで完全に上下関係が決まってしまった。ウィスプ達とは接点は少ないが、間違いなく俺達の中では底辺に位置している。
後ろから見ていると威風堂々とした佇まいだが、振り返ると情けない顔。それに、森の中を全て虎任せで進んでいるのではなく、所々でクオンが影から顔を覗かせて確認している。
「クオン、何してるんだ?」
「ゴブリンの臭いを確かめてる」
その光景は、上司のチェックを受ける新入社員に見えてしまう。
「うん、だんだん濃くなってる」
虎は安心した表情になるが、現実は真逆で虎を傷付けたゴブリンに近付いている。ソーキを追いかけ初めてから1時間は森の中を進んでいるのだから、何時追いついてもおかしくない。
さらに、ゴブリンの中には魔法を使える上位種が混ざっている。かなり広範囲に渡ってゴブリンの臭いが残り、この森のことを知り尽くしている。包囲して殲滅しよう思えば出来るはずなのに、それをしない事に何らかの意図を感じさせる。
「ゴブリンは、近いのか?」
「うん、そろそろ。やっぱり、湖にゴブリンがいる。トラの言ってることは合ってた」
その言葉に、虎の方が激しく反応する。コクコクと首を縦に振り、自身の有用性をアピールしているように見える。
「トラなら、これくら出来て当たり前」
でもクオンの反応は今一つで、出来て当然と突き放す。クオンのスペックが高いだけに、要求も高くなってしまうのは仕方ない。
「なあ、クオン。トラって呼ぶのも何だし、名前を付けてやったらどうだ?」
「名?」
少し首を傾げるが、それはクオンが疑問に思ったのでなく、考えてみなかったことなのだろう。
「名、欲しい?」
クオンがトラを見ると、また激しく首を縦に振る。同じ首振りに見えて、今度は喜びの感情が見て取れる。
「うん、ご主人様に感謝すること」
そして、クオンもトラも俺の方を見つめてくる。この流れは、俺が名前を考えなければならない。
「クオンが好きな名前を付けてもイイんだぞ」
「ダメ。名付けは、名のある者じゃないと出来ない。クオンは名無しだから出来ない」
「名無し?」
「うん、名無し。だから、ご主人様に名を貰った」
俺とクオンの認識に大きな差を感じる。俺は個体の識別の為の名前だったが、クオンは名付けのことを言っている。
虎に名付けをすることが、どんな意味を持つか分からない。それでも、期待に満ちた目で俺を見つめる虎に、今さら無かった事にしようとは言えない。
「そうだな、コハクだ。今日からお前の名はコハク」
俺が名を告げた瞬間、虎の体が震える。今まで自信なさげだった表情から一転して、自信に満ち溢れている。
「うん、良い名。ゴブリンも近いし、ご主人様に恥をかかせないよう、死ぬ気で働く」
そう言い残すと、クオンはシャイを連れて影の中に潜る。それは、ゴブリンに備えての行動でもある。
「さあ、時間は貴重だ。コハク、案内してくれ」
名を呼ばれたコハクは、意気揚々と俺達を先導して歩き始める。
森の木々の隙間から、開けた空間が見えてくる。森の終わりから湖までは400m以上あるが、その間を葦が埋め尽くしている。湖はかなり大きく、辛うじて対岸が見える。転移したばかりの洞穴から景色を見ていなければ、湖だとは分からなかったかもしれない。幾つもあった湖の中でも、ここは特に大きい方だろう。
そして、湖面は森の緑とは対照的な赤紫色をしている。異臭こそしないが毒々しさを感じさせ、それを際立たせているのが湖の周りの黒い葦。湖に近付くに連れて、湖の水を吸い上げ、赤黒く変色している。
(止まって。風がゴブリンの音を運んでくる)
森を出ようとした時、クオンの聴覚がゴブリンを捉える。
(うん、50は居る。森の外でじっと待ち構えてる)
「ソーキの後を追いかけていれば、俺達の辿り着く先はゴブリンの群れだったか」
盾のオニやソーショウの実力は未知数で、100体のゴブリンでも相手に出来るかもしれない。それでもオニ達に力があることを期待して、共に戦うことは無謀としかいえない。
「俺達に出来ることは、ここまでだな。コハクはゴブリンに復讐したいかもしれないけど、今回は諦めてくれ」
特にコハクからはリアクションがなく、復讐は望んでいない。それならばコハクには安全な森、シャイにも陽の当たる安全な住みかを見つけてやろう。オニ達にしても、異世界から来た新参者が絡んでくるのは面白くないはず。
(ん~、諦めなくても大丈夫。こっちに向かってきてる)




