第14話
22歳のクリスマスイブは人生最悪の夜だった。
家に帰ってくるなり、着替えもせず化粧も落とさず、
ベッドにつっぷして、とにかく泣きまくった。
正確に言うと、帰りの車の中でも堪えきれず泣いていた。
お爺ちゃんも、さすがに私が統矢のことを好きなのを知っている。
なんと言っても9年間の片思いだ。
そこへ今日の出来事。
慰めの言葉も出てこないのか、私が泣いていることに気づかない振りをしていた。
でも、それがお爺ちゃんらしい気遣いに思えて嬉しかった。
ううん、
もしかしたら、お爺ちゃんは喜んでいるかもしれない。
孫娘がようやく片思いしていたヤクザと切れるのだ。
内心ホッとしているに違いない。
だけど、今はお爺ちゃんのそんな心中もどうでもいい・・・
泣けるだけ泣きたかった。
泣いたら少しは気が治まるような気がした。
でも違った。
泣けば泣くほど感情が昂ぶってしまい、余計に泣けた。
心の中で、何回も統矢に毒づいた。
あんなに好きだった統矢を悪く思いたくなかったし、
そんな風に統矢のことを忘れたくはなかった。
でも苦しくて苦しくて他にどうしようもなかった。
真面目に考えるとか言って、最初から私のことなんて女として見てないじゃない!
もしかして去年のクリスマスパーティの時にはもうユウさんと知り合ってたんじゃないの?
それなのに、去年はいつも通りなんともない顔して・・・
ううん、今年だって、別に私に対して申し訳なさそうにするでもなく、相変わらずだった。
私は9年間も統矢のことしか考えてこなかったのに。
酷すぎる!
そんなことをずっとずっと考えては泣いていた。
もうこのまま泣きながら死んでしまいたい・・・
本気でそう思った。
でも泣いてるくらいじゃ人間は死なないようだ。
大学も冬休みなのをいいことに、三日三晩泣き通して、ようやくベッドから起き上がった。
なんてヒドイ顔・・・
これ、本当に私?
思わず笑ってしまい、とにかくお風呂に入った。
そういえば、お腹もすいたし喉も渇いた。
でも、もう何もする気力が起きない。
私は再びベッドに突っ伏した。
するとまた涙が出てくる。
まだ身体に水分が残ってたんだ。
人間て不思議だなあ・・・
お父さんとママはもちろん、お爺ちゃんも心配して時々私の様子を見に来た。
でも、見に来てもらったところで私は元気になるはずもない。
元気になる方法は、統矢が私の方を見てくれることだけだ。
でももう二度とそんな日はこない。
そう思うとまた泣けた。
その日の夜。
私は窓からぼんやりと月を見ていた。
泣いては寝て、寝ては泣いての繰り返しで、もう身体は昼夜の区別もつかないようだ。
すると、門の外から一台の車が闇夜にまぎれるように入ってきた。
そして静かに正面玄関に横付けされた。
こんな時間に誰だろう、と思っていると、
後部座席から誰かが降りてきた。
――――統矢!?
思わず大声で叫びそうになったのをグッと飲み込んだ。
どうして!?
どうして統矢がうちに来るの!?
そう考え終わらないうちに私は部屋を飛び出した。
たぶん相変わらずひどい顔をしていただろうけど、そんなことはもうどうでもよかった。
応接室に入ろうとして、ふと思い当たった。
こんな夜中に隠れるようにしてやってきたのだ。
応接室で堂々と誰かと面会・・・という訳ではないだろう。
「誰か」
思い当たるのは一人しかない。
私は、すばやくお爺ちゃんの執務室に滑り込み、部屋の中のインターホンのスイッチを入れ、
今度は台所へと走った。
お爺ちゃんの執務室には、台所へ通じる内線が引いてある。
お手伝いさんにコーヒーとかを頼めるように、この家を建てたときに付けたそうだ。
私がさっき執務室で入れてきたスイッチがそれだ。
これで、台所のインターホンで執務室の中の会話が聞ける。
そのかわり、こちらの声も執務室に聞こえるので、音を立てるわけにはいかない。
私は息を殺して、インターホンにへばりついた。
2、3分すると、インターホンの向こうで扉を開ける音がした。
数人の足音がする。
やっぱり・・・
お爺ちゃんは人に会わせたくない客がくると、いつもこっそり執務室へ連れて行くのだ。
統矢はヤクザな上に、孫娘の片思いの相手だ。
「今、人に会わせたくない客 NO.1」だろう。
『かけてくれ』
お爺ちゃんの声がした。
『結構です』
統矢・・・
統矢の声だ。
私は思わず、パジャマの胸の辺りをギュッと握り締める。
『こんな夜中に呼び立ててすまなかったな』
『いえ』
『君に前置きなんかは必要ないだろう。単刀直入に用件だけ言わせて貰う。孫のことだ』
もちろん統矢の顔は見えない。
今、どんな表情をしたのだろう・・・
『クリスマスパーティ以来すっかり部屋に閉じこもっててな。食事もしない』
しばらく間が空く。
『少し、愛の相手をしてやってくれんか?』
『相手?愛さんを愛人にしろとでも?』
『そうだ』
そうだ、じゃない!!!!!!
何言ってるの、お爺ちゃん!!!
いや・・・変わり者のお爺ちゃんらしい発想だと言えばそれまでだけど・・・
そんなこと統矢が承知する訳ないじゃない。
ううん、承知しないでよ、統矢。
そんな話、蹴飛ばして。
私がなりたいのは、統矢の愛人じゃない。
奥さんだ。
だけど・・・
嫌な予感がした。
『愛さんが了解すると思えませんが』
何よ、それ。
私が了解すれば、統矢は私を愛人にするの?
あなた、もうすぐ子供だって生まれるのよ?
『君が了解させてくれ。このままでは愛は身体を壊しかねん』
また、間が空く。
統矢・・・
何を考えてるの?
『・・・わかりました』
わかりました?
私はわからないわ。
気づいたら、執務室の前まで走っていた。
扉の前に、廣野組の護衛と思われる強面の男達が数人立っていた。
私が構わず中に入ろうとすると護衛の一人が私の前に立ちはだかり、
「入るな」と言った。
私は世間的に見れば「いいとこのお嬢様」だ。
普段は上品だし、言葉遣いだって・・・
でも、この時ばかりはキレた。
ブチキレるってこーゆーこと言うんだなあ、と後で思った。
「ふざけるな!!!私はここの娘よ!!!さっさと退きなさい!!!邪魔するな!!!!!」
男達は一瞬顔を見合わせ、どうしたものかと言う風に肩をすくめた。
当たり前だけど、私の言葉にひるむ様子もない。
だけど私の声はじゅうぶんに部屋の中に聞こえていたらしく、
中からお爺ちゃんの声がした。
「愛か?・・・入れ」
私は、ふんっと男達を一瞥して堂々と中に入った。
当然でしょ、あなた達なんかに邪魔させないわ!
中に入ると呆れた顔のお爺ちゃんと、
・・・無表情の統矢がいた。
「聞いてたのか?」
「ええ、そこから」
そう言って、インターホンの方に顎を出す。
「・・・いい趣味とは言えんな」
「お爺ちゃんに言われたくないわ。孫をヤクザの愛人にしようだなんて」
わざと統矢の方は見ずに言った。
「嫌か?」
「嫌よ、愛人なんて」
「だったらさっさと立ち直るんだ。失恋の一つや二つでいちいち落ち込んでたら身体が持たんぞ」
「・・・失恋の一つや二つ?」
思わず笑ってしまった。
「一つも二つも、私は統矢にしか恋したことないわ!これからだってない!
生涯一度の失恋なんだから、いくら落ち込んだっていいでしょう!?ほっといて!!」
いつの間にか涙がボロボロこぼれていた。
ああ、かっこ悪い・・・統矢がいるのに・・・
って、もう統矢の目は気にしなくていいんだった・・・
「間宮さん、少し愛さんをお借りします」
突然、統矢はそういうと、私の手を引いて部屋を出た。
あまりに驚いた私は成されるがまま、統矢についていった。
「愛。お前の部屋、どこ?」
「え?2階・・・」
統矢は私に自室へ案内させ、中へ入った。
「愛」
「ごめんなさい、統矢。お爺ちゃんが変なこと言い出して」
「・・・」
「私なら大丈夫だから、お爺ちゃんが言ったことは忘れて」
本当は全然大丈夫じゃなかったけど、
ここは大丈夫と言うしかない。
でも統矢は納得してくれなかった。
どうしてほっといてくれないのだろう、と思ったけど、
その答えは後で体重計が教えてくれた。
たった数日で私は5キロも痩せていたのだ。
見た目にも随分とやつれていたのだろう、さすがに統矢もほっておけなかったようだ。
「・・・お前は俺と一緒にいたくないのか?」
「いたいに決まってるじゃない。でも愛人なんてイヤ」
そう言い切ると、統矢が笑った。
いつものあの優しい笑顔で。
「お前は、9年も俺を追いかけてたのに、あっさりとユウに渡すのか?」
「・・・」
「ユウから奪い返してやろうとは思わないのか?」
「奪い返されてくれるの?」
「それは愛次第」
「またそれ?9年前も同じこと言ってたじゃない。でも結局ユウさんを選んだんじゃない」
「そうだな。去年の愛じゃ、まだまだだったからな」
優しい笑顔から少し意地悪い笑顔に変わる。
「今の俺にユウは必要だ。手放せない。だけど愛がいるなら手放してもいいかな、と思わせてみろ」
「・・・」
「自信ないのか?ユウなんてまだ知り合って2年も経ってないんだぞ。愛は9年も俺を見てたんだろ」
統矢の挑発的な言い方に唇を噛む。
こんな言い方されたら引き下がれない。
「自信、あるわ」
「おお、じゃあ頑張ってみろ。ただし期限付きだぞ」
「いつまで?」
「そうだな・・・1年でどうだ?」
「・・・わかったわ、じゃあ来年のクリスマスまで。12月25日の夜まで・・・」
私の夢。
それはあのパーティに統矢と一緒に出て、そのまま一緒にクリスマスを迎えること。
来年のクリスマス、結局私はまた泣いているかもしれない。
ううん、たぶんそうなるだろう。わかってる。
私もそんなに馬鹿じゃない。
でも、少なくともこの夢は叶えられる。
例えそれが統矢との最後になっても。
統矢は私を抱き寄せると、そっとキスをした。
こうして、私は統矢の愛人になった。