第13話
3月10日
何回携帯を開いたり閉じたりしたことか。
「間宮さん、どうしたの?何か大切な用事でもあるの?」
「あ、すみません・・・」
会社でいわゆる「お局様」に声をかけられた。
でも彼女は「お局様」と言っても、嫌味な人じゃない。
どちらかというと、超ベテランのキャリアウーマンで尊敬できる人だ。
「ふふ、いいのよ。彼氏?」
「はい・・・今日、合格発表で」
「合格発表?何の?」
「・・・大学の・・・」
「大学!?随分と若い彼氏なのね」
「はい・・・」
思わず赤くなる。
幸太のことはもちろん高校生と認識してつきあってきたけど、
よく考えるとわたしより5歳も下なんだ。
うわ、これって犯罪?
「合格してるといいわね」
「そうなんですけど。連絡がこないから怖くって」
「そうねー。こういうことはこっちから聞けないしね」
「そうなんです・・・」
もう3時だ。
とっくに合否は出ているはず。
どうして連絡くれないんだろう。
・・・ダメだったのかな・・・?
親の仇のごとく携帯電話を睨んでいると、
突然電話がなって、心臓が止まるくらい驚いた。
「もしもし、幸太!?」
「あ、ああ・・・ビックリした・・・出るの早すぎ」
「だって、待ってたから・・・」
「仕事中だろ?今、大丈夫?」
大丈夫じゃなくても出るわよ!
「ど、どうだったの・・・?」
「うん。受かったよ。入学手続きもしてきた」
「なんだーーーー」
私は思わずその場にしゃがみこんだ。
受かってたんだ・・・
なんだ・・・
よかった・・・
「おめでとう」
「ありがと」
「・・・どうしたの?なんか元気ないみたい」
「いや・・・気が抜けちゃって」
「ふふふ」
「今日、家行っていい?」
「うん。待ってて」
合鍵は渡してある。
でも定時になったら上がれるように頑張ろう。
私はスッキリした気持ちで携帯を閉じるとデスクに戻った。
それでも家に着いたのは7時過ぎだった。
幸太はリビングでぼんやりとテレビを見ている。
こんなぼんやりした幸太は初めだ。
いつも勉強してたから。
私もそうだったな。
1年間ずっと勉強しぱなしだったから、急に勉強しなくて良くなると、
何をしていいか分からなくなるんだよね。
「あ、おかえり」
「ただいま。よかったわね、大学」
「・・・うん」
「・・・どうしたの?」
幸太の隣に腰を下ろす。
おかしい。
いくら気が抜けたと言ってももうちょっと喜んでもいいんじゃないの?
「・・・」
「幸太?」
「喧嘩した。統矢さんと」
「・・・え?」
思わず凍りついた。
組長と組員が喧嘩って・・・何それ。
「喧嘩って言っても統矢さんは怒ってないんだけどさ。
俺の統矢さんに対する態度があまりに悪いって、幹部に怒られて・・・
思わず統矢さんにも今まで我慢してたこと一気にブチまけて飛び出してきた」
―今まで我慢してきたこと
それは、きっとユウさんのことだろう。
廣野家の中で、この一年、ユウさんと子供は、統矢と私の浮気のせいで肩身の狭い思いをしてきた。
辛い思いをしてきた。
そして結局統矢と別れて家を出た。
ユウさんを本当のお姉さんのように慕っていた幸太には辛い出来事だっただろう。
でも、ユウさんの気持ちを尊重して、幸太は統矢に楯突いたり文句を言ったりしてこなかったようだ。
それが、今こんな形で出てしまった。
胸が苦しくなった。
私のしたことが、巡り巡ってこうやって幸太を苦しめてしまっている。
「俺、廣野組に来た時から、いつか統矢さんの役に立ちたいと思って頑張ってきて・・・
でも、統矢さんのネェちゃんに対する態度が冷たくなって、
俺ちょっと気持ちがくじけそうになってたんだ。
だけど、例え統矢さんがネェちゃんと蓮を捨てても、俺が組で偉くなれば、
ネェちゃんは俺のネェちゃんとして、組で肩身の狭い思いしなくて済むかなと思って、
余計に勉強頑張ってたんだ」
「・・・」
「でも、結局ネェちゃんは出て行った」
「じゃあ、どうして今まで勉強頑張ってたの?」
「勢い・・・ってゆーか、惰性?」
「・・・」
「だけど今朝、合格してるの見て、なんか空しくなった。
俺、なんのために大学行くんだろうって。こんなんで本当に次、司法試験頑張れるのかなって。
組員はみんな組長の為なら何でもする覚悟なのに、俺、今統矢さんのためにそこまでできるのかな・・・」
それは、今まで心のどこかで私が恐れていた言葉だった。
そして、おそらくそれはユウさんも同じだ。
ユウさんは幸太にしきりに「統矢さんのために頑張って」と言っていたという。
それはこういう事態を心配していたからだろう。
幸太は中学2年の時に家出して、統矢に拾われ廣野組に入った。
そんな幸太が統矢についていけなくなったら、幸太はどうなるんだろう。
もちろん私が一緒に暮らしてもいい。
それくらいの余裕はある。
でも、それは幸太が許さないと思う。
それに・・・幸太の人生の目標がなくなってしまう。
「統矢さん、どうしてネェちゃんと別れたんだろう・・・」
幸太が小さく呟いた。
それは私に対するあてつけでも、皮肉でもなく、
純粋な疑問だった。
それだけに私の胸をついた。
確かに、どうして統矢がユウさんを手放す気になったのかはわからない。
でも、そうさせたのは間違いなく私だ。
私は統矢とユウさんと蓮君という一つの家族を壊しただけでなく、
大好きな幸太から、お姉さんも、
更にお兄さんも人生の目標も奪ってしまおうとしている。
・・・幸太には話したくなかった。
統矢と私のことを。
どうして統矢が私を愛人にしたのか。
どうして統矢が家庭より私を優先させていたのか。
統矢といるとき、私がどんな女だったか。
幸太に嫌われるのが怖かった。
でも・・・
私は幸太の肩にもたれかかると、口を開いた。