週末のひとりごと3~スポーツへの取り組み方~
あるスポーツを、あるコミュニティーの中で10年くらいやっていた。
仕事以外の時間、かなり多くの時間を費やして、練習したり試合にでたり。
でも、数年ほど前に、あれだけ好きだったそのスポーツがとっても嫌になって、
完全に辞めてしまった。
勝負をするスポーツが嫌いになった。
勝負のない穏やかなスポーツをしようと始めて3年が経過。
でもやっぱり新しく始めたスポーツに面白みを感じられなくて、
なんとなく、3年ぶりにやめたスポーツをまたやってみようかなという気持ちになった。
3年のブランクはかなりあった。まずは体力がない。前のように全然動けないし、やった後は、体中が痛くなる。
ボチボチと再開して1年。少しずつ感覚が戻ってきた。
友達に誘われて試合にも出始めた。
友達と一緒に試合に向けて練習したり、ちょっと緊張しながら試合に出ることは、刺激的で楽しいなと、思った。
でも、昔と同じような気持ちでもう練習や試合には臨まない。
勝つことだけ考えることは空しすぎるから。
勝った先に何があるのだろう。
一時的な他者からの賞賛か?、「自分すごいでしょ」という優越感か?
一緒に練習してきた人との連帯感の強化か?
そして、勝てば勝つほど、もっともっとと思い、必死に練習し、自分を追い込んではいないか。
若いうちはいいのかもしれないけど、
歳を重ねると、自分の体も思うようについてこない。
プロではないし、
どうやったら楽しく健康的にそのスポーツができるか考えたいと思うようになった。
勝った人がいるということは、負けた人がいる。
勝った人は、天狗になりがちだけど、
本当はそうではないんだよ。
負けてくれた人がいるからそんな気持ちになれるんだよね。
負けた人に「ありがとう」の気持ちが大切だよね。
そう考えると、武道はそういう精神だね。
勝者にはいつも賞状や景品が贈られる。
勝者は、賞賛をもらえるのだから、景品は負けた人にこそ贈られればいいのに。
とも思う。
前と今では、練習方法や試合に対する考え方が大幅に変わってきた。
仲間と楽しむために、心身の健康のために、このスポーツをやっている、
そのためには、自分らしく自分のプレーを思いっきりすることを考える、
負けたら負けたらで、勝った人に喜びを与えてあげている、と思ったら、
勝っても嬉しい、負けても嬉しい。
前みたいに緊張しなくなったし、前よりも思いっきりプレーできるようになった。
こんなにも考え方が変わるって、人って不思議なものだね。
今こう考えているけど、また数年後違う気持ちが芽生えたりしてるのかな。