表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

週末のひとりごと3~スポーツへの取り組み方~

作者: ゆめ

あるスポーツを、あるコミュニティーの中で10年くらいやっていた。

仕事以外の時間、かなり多くの時間を費やして、練習したり試合にでたり。


でも、数年ほど前に、あれだけ好きだったそのスポーツがとっても嫌になって、

完全に辞めてしまった。


勝負をするスポーツが嫌いになった。

勝負のない穏やかなスポーツをしようと始めて3年が経過。

でもやっぱり新しく始めたスポーツに面白みを感じられなくて、

なんとなく、3年ぶりにやめたスポーツをまたやってみようかなという気持ちになった。


3年のブランクはかなりあった。まずは体力がない。前のように全然動けないし、やった後は、体中が痛くなる。


ボチボチと再開して1年。少しずつ感覚が戻ってきた。

友達に誘われて試合にも出始めた。

友達と一緒に試合に向けて練習したり、ちょっと緊張しながら試合に出ることは、刺激的で楽しいなと、思った。


でも、昔と同じような気持ちでもう練習や試合には臨まない。

勝つことだけ考えることは空しすぎるから。

勝った先に何があるのだろう。

一時的な他者からの賞賛か?、「自分すごいでしょ」という優越感か?

一緒に練習してきた人との連帯感の強化か?


そして、勝てば勝つほど、もっともっとと思い、必死に練習し、自分を追い込んではいないか。


若いうちはいいのかもしれないけど、

歳を重ねると、自分の体も思うようについてこない。

プロではないし、

どうやったら楽しく健康的にそのスポーツができるか考えたいと思うようになった。


勝った人がいるということは、負けた人がいる。

勝った人は、天狗になりがちだけど、

本当はそうではないんだよ。

負けてくれた人がいるからそんな気持ちになれるんだよね。

負けた人に「ありがとう」の気持ちが大切だよね。


そう考えると、武道はそういう精神だね。


勝者にはいつも賞状や景品が贈られる。

勝者は、賞賛をもらえるのだから、景品は負けた人にこそ贈られればいいのに。

とも思う。


前と今では、練習方法や試合に対する考え方が大幅に変わってきた。

仲間と楽しむために、心身の健康のために、このスポーツをやっている、

そのためには、自分らしく自分のプレーを思いっきりすることを考える、

負けたら負けたらで、勝った人に喜びを与えてあげている、と思ったら、

勝っても嬉しい、負けても嬉しい。

前みたいに緊張しなくなったし、前よりも思いっきりプレーできるようになった。


こんなにも考え方が変わるって、人って不思議なものだね。

今こう考えているけど、また数年後違う気持ちが芽生えたりしてるのかな。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ