目覚め
時は少し遡り、セキとニワトリ面の男が雑談していた頃、茜は見知らぬ場所で目を覚ました。
辺りを見回す。鬱蒼と茂る木々で、遠くまで見渡すことは困難だったが、目の前には一本の道があり、この道を進めと誰かに言われているような感覚がした。
茜はその道を進み始める。「それ」は、茜であるということ以外持っていなかった。歩を進める度に走馬灯のように茜の思い出が「それ」に纏わりついていく。やがて、「それ」は体を獲得した。次に服を獲得した。取り込まれたときに着ていた体操着と、お気に入りの紺色のパーカーだ。
真っ直ぐに進み続けると、茜は開けた場所に出た。自分の姿を見てみると、それは「言葉茜」以外の何者でもなかった。パーカーと体操着、胸には「言葉」の文字。そして、手には木刀が握られていた。
茜にどこからともなく声が聞こえてくる。「進め」という声。そして、「進むな」という声。相反する声が囁く中、茜は一歩踏み出した。一歩、また一歩と、ゆっくりだが、確実に歩を進めた。
次第に、「進むな」という声は、「諦めろ」や「やめろ」といった、否定の言葉に変わっていった。
「諦めるわけないだろ……」
いつの間にか、茜は声を獲得していた。茜はさらに叫んだ。
「俺は言葉茜!俺が諦めるときは、俺が死ぬときだ!」
『ならば死ね』
地面から黒い何かが盛り上がり、人の形を形成していった。それは茜の前に立ちはだかった。茜の背中を押すような声が聞こえる。その声は『戦え』と囁いてくる。
「言われなくてもわかってるさ。戦わなけりゃ、なにも得ることなんてできやしねえんだ」
茜はにやりと笑い、木刀を手に黒いなにかに突っ込んだ。茜は一瞬て詰め寄り、木刀を下段から振りぬいた。黒いなにかは真っ二つになり、やがて霧散した。再び声が聞こえてくる。『いいぞ、いいぞ』といった、賞賛の声だ。その中で、ひと際耳に残る声があった。若い男の声だ。
『なかなかやるじゃないか。俺がお前を導いてやるよ』
その声が聞こえると、目の前に1本の道ができていた。茜は声に従って、その道を進み始めた。
「それにしても、ここはどこなんだ?こんなところ、俺は来たことがないんだけど」
『ここは胃袋……いや、精神世界と言ったほうがいいか。ここは、【アレ】に食われた者たちの記憶で形成されている』
「ふーん。いまいちわかんねえけど、まあいいや。この道を進めば、ここを出られるんだろ?」
『それはどうかな。【アレ】の機嫌次第といったところだな』
そんな会話をしながら進むと、突然、地面から炎が吹き出した。茜は思わずたじろいだ。炎が茜を取り囲む。
『怖いか?』
「それなりには」
『そうか。ならどうする?来た道を引き返して別の道に行くか?』
「別の道なんてあるのかよ」
『さあ?』
茜は深呼吸をした。熱く熱された空気が肺に満たされる。
「言葉家に代々伝わる言葉を教えてやる。【退くな、諦めるな、突っ走れ】だ!」
茜は正面の炎にまっすぐに突っ込んだ。茜は炎の壁を突っ切り、地面に転がった。熱さはあったが、火傷などの損傷は無かった。
「うちの家訓も捨てたもんじゃないな」
『無茶しやがって。でも、嫌いじゃないぜ』
炎の壁を突っ切った茜であったが、炎の奥にはまた炎が広がっていた。茜は顔を両手でパンパンと叩き、「よっし!」と気合を入れた。
「道案内くらいは頼まれてくれるか?」
『いいぜ。またまっすぐ突っ込め』
「よし!」
茜は再び真っ直ぐに炎の壁に突っ込んだ。先ほどと同じように、炎を突っ切り、転がる。
『次は右だ』
「おっけー!」
間髪入れずに飛んでくる指示に、元気よく答える茜。それを繰り返し、右、前、左、右、右、前、前、左と進んだ。
地面を転がり回った茜の服は泥だらけになっていた。そんな茜の目の前に、茜の身長の4倍程の背丈の大男が現れた。その男は、全身が黒く、襟首、手首、足首と腰に炎が纏わりついていた。
「なんだおまえ」
茜は、敵意をむき出しにして大男を睨みつけた。
『炎の巨人スルトだな。どうやらお前を先に進ませたくないらしい』
「そういうことなら」
茜は木刀を構える。
『おいおい、そんなもんじゃ燃やされて終わりだろ』
「はぁ?何言ってんだ。この木刀が燃えるわけ無いだろ」
いや、何言ってんだこいつはと言わんばかりの大きなため息が聞こえた。
「まあ見てろって」
茜は一度目を閉じてから、思い切り見開いた。凄まじい気迫に、スルトが少しだけたじろいだ。この小さな体のどこから、これほどの鬼気迫った気迫を発しているのだろうか。彼と相対する者には、鬼の幻影が見えているであろう。それほどの気迫だった。
「琴葉流剣術……」
茜が剣を構えたまま、スルトに突進する。スルトも、炎の拳を振り上げ、雄叫びをあげて応戦する。茜が飛び上がり、大上段から、斜めに木刀を振り下ろした。
「修羅道・夜叉羅刹!!」
スルトの体は斜めに真っ二つにされ、黒い塵となって霧散した。茜の木刀には、焦げ目一つなかった。
琴葉流剣術【修羅道・夜叉羅刹】強烈な気迫を放ちながら相手に突撃し、相手の気迫ごと一刀両断にするといった技である。
さすがの炎の化身といえど、精神世界で精神を削られれば、霧散するしかなかったようだ。