見えなくたって構わない
――それは事故だった。
少女、ルーシア・アルテントはそれまで幸せな人生を送っていたし、両親の愛は本物であると信じて疑わなかった。
だが、全て嘘だった。
ルーシアが乗った馬車が事故で横転し、ルーシアは両目の光を失った。
目を開くことができても、何も見ることができない。ほんの少し、灯りが見える程度で、ルーシアの視力はほとんど失われてしまったのだ。
初めは心配の言葉を掛けてくれた父と母はある日、ルーシアを『養子に出す』と宣言した。
あまりに突然のことで、ルーシアはただ動揺した。
けれど、理由を聞かずとも理解できてしまう。――両目を失ったルーシアは、両親にとって不要な存在なのだ、と。
アルテント家は貴族の名門であり、ルーシアはこれから、『貴族の女』として必要だっただけで、両目を失い、その価値を失ったのだ、と。
それが分かった途端、ルーシアの心にはぽっかりと穴が開いてしまった。
そこに初めから家族の愛はなく、ルーシアは生まれた頃から孤独だったのだと、知ってしまったからだ。
だから、反発もせずに、ルーシアは両親の言葉に従って、地方貴族の養子となることにした。
どうやら、その家はルーシアのことを気に入っているらしい。
どういう理由があって気に入っているのか、それは分からない。
目が見えないからか、それもルーシアがまだ十四歳の少女で、何か利用価値があると考えているからなのか――けれど、ルーシアはもうどうでもよくなっていた。
必要とされるなら、それで構わない、と。少女は愛に飢えていた。
「……っ」
ルーシアは痛みで目を覚ます。馬車で出たはずなのに、そこが外なのはすぐに分かった。
「うそ」
ルーシアはすぐに、理解した。
また、事故にあったのだ。記憶にあるのは、御者の慌てふためく言葉。
すぐ近くには木片が転がっていて、ルーシアが額に手を触れると、ぬるりと濡れている感覚があった。――出血している。
「わたし……」
ここで、死ぬんだ。
意外にも冷静に、ルーシアは現状を理解した。
目の見えない少女が、一人で森の中に投げ出されている。
おそらく、道を外れて馬車が横転したのだろう。
だが、ルーシアには森から出る術がない。
まだ目が見えなくなって間もないルーシアは、侍女の手を借りなければろくに歩くことだってできなかったのだから。
ルーシアは手の感覚だけを頼りに、すぐに近くに生える木にもたれかかる。
できれば、このまま眠ったら、目覚めないままがいい――少女が望むには、あまりに悲しい未来だった。
ルーシアは、ゆっくりと目を閉じる。
わずかに見えた光は消え、音だけが耳に届いた。
ザッ、ザッ、ザッ――何かが、近づいてくる。
できれば、怖い魔物であってほしくはない。
もうこれ以上、痛い目には遭いたくないし、どうせ死ぬなら、このまま静かに死なせてほしい。
ルーシアはそう強く願っていたが、そんな彼女の耳に届いたのは、予想すらしていない言葉であった。
「大丈夫かい?」
「……!」
随分と、優しい声であった。
思わず驚いて、声をした方向を見る。
ルーシアには、そこに誰がいるのか分からない。
だが、声の感じから、男であるということは分かった。
「……誰?」
「君は目が見えないのか?」
「! どうして、分かるの?」
「……いや、分かるさ。私はすぐ傍にいるのに、視線が合わない」
「……そう、何も見えないの。今、馬車の事故にあった、みたいで」
「見れば分かる。御者は、残念ながら助からなかったようだ。君はどこへ向かう予定だったんだ? よければ、私が連れて行こう」
初対面だというのに、色々と気にかけてくれる人だった。
けれど、ルーシアには行きたいところなど、どこにもなく――
「わたし、どこにも行きたくない」
思わず、そう答えてしまった。
「むっ、そうなのか。どこかに向かっているのかと思ったが」
「そうだけど、わたしの意思じゃないから」
「……なるほど。何か事情があるようだね。けれど、その怪我は放っておいてはいけないよ」
言われなくても、ルーシアは分かっている。
だが、その言葉に対しても、ルーシアは上手く答えられなかった。
すると、不意にルーシアの身体がふわりと浮かぶ。
「わっ」
「一先ず、私の家で治療しよう」
「……いいの?」
「もちろん。子供を放っておくわけにはいかないだろう」
「あ、ありがとう」
ルーシアは男に感謝の言葉を口にする。
男は、ルーシアの身体を抱えてくれたのだと、すぐに理解した。
「あなたの、お名前は?」
「私か? 私の名はアルティオ」
「アルティオ、様」
「アルティオでいい。ただの、そこらにいる魔導師と変わらないさ」
少女――ルーシアはこうして、アルティオと名乗る魔導師に保護され、その日から彼の家に世話になることになった。
アルティオもまた、ルーシアのことを拒絶することはなく、怪我の治療をして、完治をした後でも、ルーシアにすぐ出ていけ、ということはなかった。
目が見えないルーシアには何もできなかったが、そんなルーシアに一本の杖を作ってくれて、ルーシアが歩けるように手伝ってくれた。
「杖の先で感じ取るんだ。魔力を使えば、少し先にある物も感知できるはず……やってみて」
「うん」
ルーシアはアルティオに言われた通り、杖で地面を軽く叩く。
魔力の扱いについてはまだ学んでいる途中であったが、アルティオは魔導師を名乗るだけあって、教えるのが上手かった。
あるいは、ルーシアが素直であったことにも、起因するのかもしれない。練習を重ね、一か月と少し経過する頃には、家の先を一人で行動できるようになっていた。
「アルティオ、歩けるようになったわ!」
「君が努力をしたからだよ」
「あなたのおかげよ。アルティオ、あなたはすごい魔導師だったのね」
「いや……私はすごくなんかない」
アルティオは褒めると、何故かそれを否定した。
謙遜しているのだと思っていたが、ルーシアはだんだん、声音である程度感情を読み取れるようになっていた。
――アルティオは、そう言われることをあまりよく思っていない。
彼が嫌がるのなら、あまり言わないようにしよう、と子供ながらに思っていた。
***
それから、半年という月日が流れた。
ルーシアは相変わらず、アルティオの傍にいる。杖の使い方にも慣れ、家の中の物であれば、見えずとも場所が分かる。
アルティオのおかげで、魔法に関しても精通するようになった。
そこでルーシアは、ある秘薬について知ることになる。
「アルティオ、私の『目を治す』ことができる秘薬って、あるの?」
「不可能ではないだろう。君は、その目を治したいのかい?」
「……治さなくてもいいとは、思っているの。でも、この目が見えるようになったら、見てみたいものがあるわ」
「見てみたいもの?」
「あなたがどんな人なのか、知りたいの」
ルーシアは、アルティオにそう言った。
アルティオは顔に触れられることを嫌がるため、ルーシアは早々に彼に触れようとしなくなった。
いつしか嫌われないようにしよう、追い出されないようにしよう――そう考えて、ルーシアはアルティオから一歩引いた生活をしてきたのだ。
けれど、そんな彼女にも、一緒に生活していればやはり、思うところはある。
アルティオは魔導師として活動しているが、それ以上のことは深く話してはくれない。過去についても、ろくに知らないのだ。
半年も一緒にいるのに、アルティオのことを知らないというのは、どうにもむず痒い。
アルティオは拒絶するだろうか――ルーシアにとってはある意味、賭けのような願いであった。
「私の素顔が見たい、ということかな」
「……ええ、そう。嫌なら、いいんだけれど」
「いや、むしろ――見ない方がいいと、思うのだけれどね」
「どうして?」
「私は人ではないからだ」
「……え?」
それは、あまりに突拍子のない答えで、ルーシアは思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。
「人ではない、って……どういうこと?」
「言葉のままの意味だよ。私はね――『魔族』なんだ」
「っ!」
その言葉に、ルーシアはただ驚いた。
魔族――人が暮らしている地とは違う場所に生きるという。人に近い見た目の者もいるが、多くは魔物に近い姿をしているとも聞く。
――彼らは人を忌み嫌い、共に生活することなど、まず不可能だと、幼い頃に教えられている。
アルティオはそんな魔族だと言うのだ。
だが一方で、ルーシアはそんなアルティオの言葉を聞いても、慌てるようなことはなかった。
「アルティオは、人が嫌いではない?」
「少なくとも、君を嫌う理由はない。まあ、そういう考えだからか、私は魔族からも嫌われてしまったね」
「そうなんだ。なら、わたしはやっぱり――あなたのこと、もっと知りたいな」
ルーシアはアルティオの傍に近寄ると、そっと手を伸ばす。
アルティオはその場から動かずに、ただルーシアの手が触れるのを待っていた。
彼の顔に触れると、少し冷たい感覚があった。
「君は、本当に私の顔を見たいのか?」
「見たくない、と言えば嘘になるけれど、見えなくても構わない。わたしは、あなたと一緒にいられたら、それでいいと思っているから」
「そうか――なら、顔だけならば、見せてやれないこともない」
「え?」
アルティオがそう言うと、そっとルーシアの頭に、彼は手をかざした。
すると、ぼうっと人の顔のようなものが見えてくる。
「……アルティオ、なの?」
「そうだ。蛇のような目に、頬には鱗が見えるだろう? それが私だ。人から見れば、随分と恐ろしく見えるかもしれないが――目の見えない君なら関係ないだろう、と思ってしまった。誰かと一緒にいたいと思ったのは、私の方だったんだ」
初めて、アルティオがそんな言葉を口にした。
だから、私は彼の手を振りほどいて、そのまま彼の胸元に飛び込む。
「ルーシア……?」
「やっぱり、もう目は見えなくたっていいわ」
「それは……」
「アルティオの顔、見られたから。わたしの思った通り、素敵だった」
どんな顔だろうと、どんな見た目だろうと、関係なかった。
ルーシアにとって、アルティオはすでに大切な人で、だから彼のことが知りたかっただけだ。
「その代わり、一つだけお願いを聞いてもらってもいい?」
「なんだい?」
「この先も、ずっと一緒にいてくれる?」
ルーシアにとって、アルティオは唯一の拠り所だ。だから、失いたくはない――口約束でしかないけれど、アルティオから、きちんと言葉にして聞きたかった。
だって、今まではただ一緒にいただけだから。
「それを君が望むのなら、私は君と一緒にいよう」
アルティオはそう答えてくれて、ルーシアを優しく抱き締める。
彼が自分を愛してくれているのだと理解できて、ルーシアは本当に嬉しかった。
その日から、ルーシアはアルティオの話を聞き、アルティオもまた、自分の過去を話してくれた。――二人は本当の家族になったのだ。
好きなお話を短編にしてみました。