第五話 希望を繋ぐモノは──
再び人間狩りと散策を始めて数日。
唯一の収穫は半壊した博物館に飾られていた世界地図だけだった。
たが、奪った記憶を頼りにしても自身がどの大陸にいることぐらいしか分からず、大陸内の性格な位置を知ることは出来なかった。
記憶の一つ一つにはある程度正確な情報はあった。
しかし、それは記憶の持ち主がかつて住んでいた土地であったために、記憶によっては現在地がまちまちになってしまうのだ。
それでもある程度、目指すべき場所を得られたのは大きな収穫だ。
そう、男が目指すべき場所は──
──ここだな……
男は次なる目的地を手で触れた。
そこに書かれていた『空白』の文字を指でなぞる。
この世界地図の中で唯一、何も描かれていない空白。
奪った記憶が残した手がかり。
先年も昔。世が戦火に呑まれた時代。人々の澱みから生まれた『淘汰神』が、純白の神『天神』によって封じられた土地。
淘汰神の呪いか、その森は深い霧に覆われて入ったら最後出ることは叶わない。
そんな呪われた土地だと言う。
千年もの年月語り継がれる歴史。相当強大な戦争だったのだろう。
それもそうだ。二柱の神がぶつかったのだから無理もない。
そして厄災をばら撒いた神はあくまで封印されただけであり、いつ復活するか分からず、それを止められるのももう一柱の神だけ。
いつ訪れるか分からない破滅の鬨に怯えるは無理もない。
だからこそ、千年もの年月が立っても色褪せていないのだ。
こればかりは僅かな情報をも欲している男にとっては嬉しい誤算だった。
最悪の場合、天神に関することが全て無かったかも知れないのだから。
そして他でも無い『天神』こそが、男の探し求める『彼女』なのだ。
ならば、『彼女』の最期となったと言われる土地へ向かうのは必然。
ぽっかりと地図に穴の空いた様なその地点を一度手で触れると、おもむろに踵を返す。
普通の人からすれば得られたとしても絶望的な状況に関係ない情報だが、男にとっては十分するぎるソレを得たことであらゆる思考が彼の頭を駆け巡る。
──昔と何ら変わることはない……
ただ、行動あるのみ。
今ある選択肢の中から最善を選ぶ作業。
当然ながら選択肢を増やす努力はする。
考えうる中の理想的な選択肢を得ようと血反吐を吐く思いもしてきた。
それでも無いものねだりをだところで始まらない。
今出来ることをするのみだ。
──とは言え、行動を起こすのは全てを終わらせてからでもいいだろう……
せめてこの大都市で得られるモノがなくなってからでも遅くはない。
そう判断すると、男は大通りのど真ん中を不自然なほど堂々と歩いて行く。
己自身の身をもって、獲物を釣る餌とするその行為。
それは狂気故の奇行か……はたまた絶対強者故の、揺るがぬ余裕から来るモノなのか──
そうしてもう何度目になるかも分からない散策を繰り返す。
廃墟に彷徨う人間は半数近くを討伐している。
その中で漸く得られたまともな情報にある地下都市。
この巨大都市の地下に広がる空間だ。
しかし、入り口らしき場所など未だに見当たらない。
地上から穴を開ければいいのかも知れないが、当てずっぽうに地面へ攻撃したところで人間に集られるたけだ。
もし仮にうまくいったとしても、後々に問題となるだろうことから、出来ることならそんなことは避けたいと思っていた。
だからこそ、こうして手当たり次第街中を漁っているのだが、いかせん都市が広すぎる。
──致し方ない……
さすがにこれでは諦めざるを得ず、男はかがみ込んで地面に手をつく。
そうして──
──よし、十分だ……
手についた砂を払い落として、再び建物を駆け上がる。
そうして遠く、都市の中心を目指して駆け出した。
道中で鉢合わせる人間の悉くを薙ぎ倒して、漸く目的地へ到着した。と、同時に無駄に高い建物から飛び降り、力ずくで地面を踏み抜く。
周囲の建物が揺れ、地面が陥没するが──
──足りなかったか……
地下空間に達する程ではなかった。
再び踏み抜くために足を持ち上げ、叩き下ろす。
周囲の建物が崩れるほどの衝撃と共に、地面が一段と落ちたのを感じ取る。
だが、それでもまだ足りないようだ。
三度、反対の足を持ち上げ、容赦なく踏み抜く。
さすれば広い範囲で砂や瓦礫が噴き上がり、発生した巨大な衝撃波が大都市に辛うじて残っていた数少ないガラスや鏡を粉々に砕く。
そこまでして漸く、地面から抵抗がなくなった。
重量に従って落ちていけば、すぐに底にぶつかる。
そして一つ手で虚空を薙ぎ払えば、周囲に立ち込めていた砂埃が吹き飛ぶ。
身体にこびり付いた土埃を払いながら周囲を確認すれば、そこには広い、広過ぎる空間が広がっている。
何の光は分からない光源が高い天井に付いていて、それがこの広い空間に最低限の光を与えていた。
そして真上にぽっかりと空いた大穴から日の光が降り注ぐ。
さらに、どうやらこの空間にな瘴気はない様子だった。
大かた周囲の状況を把握できた男がゆっくりと足を前に出す。
薄暗い空間へ足を踏み入れて散策を開始して暫く、地上に比べて生活の跡が濃く出ていた。
地下都市とも言えるこの街は中心に行くにつれて低くなっている。
家々はまだ新しく、地下にあったためか地上ほど時間の影響を感じていないように見えた。
中はどれも小綺麗で人がいないことが不思議にも感じる。
溶け切った蝋燭から、開いたままの本へ視線を移す。
内容は大したことのないような小説だ。
ただし、書かれていることが淘汰神と天神でなければたが──
それを手に取ってパラパラと捲るも、やはり男の期待に答える程のことを書かれている筈もなく……開いていたページを戻して、元ある場所に置いた。
外へ出て最初に意識がいくのは、街の所々に聳え立つ巨大な紫水晶の柱。
それが無秩序に立って天井を支えいる。
そんな柱から意識を外すと、一度止めていた足を再び動かして地下都市の中心部を目指す。
どれぐらい歩き続けただろうか。
少なくとも周囲の景色が変わるぐらいは進んできた。
崩れた建物。
何かの破壊跡。
大量に散った紫水晶の欠片。
明らかに人の手によって行われた破壊の跡を、眼帯越しにどこか遠い目で見つめる。
おもむろに足を踏み出せば、踏みつけた結晶の砕ける音が静か過ぎる地下空間に木霊した。
そうして再び歩き出して暫く、中心部もすぐそこまで来た時……ふとあるモノが目に止まる。
それは開けた場所に置かれた大きなテント。
何故、こんな場所にテントを広げたのか……。
内心疑問符を浮かべながらも、垂れ布を持ち上げて中へ入る。
──あれは、銃剣か……?
中に置かれていたのは様々な兵器。
その内、気になった一つを手に取る。
手榴弾などはまだ分かる。しかし、こんなチャチなモノであの人間と渡り合えるとは思えなかった。
それなのに、ここに置かれた部分は銃の類いが多い。その中でも異色を放っていたのがこの銃剣だったのだ。
普通の人間ならあの化け物に接近することは避けたい筈だ。
ないよりはマシとナイフを持つならまだしも、銃剣のように始めから接近戦も考慮していることが気にかかる。
そもそも、銃弾だって大したダメージなど入らない。
故に、不思議に思った男はこうして銃剣を手に取ったのだ。
そうして注意深く観察して、ふと気がつく。
──これは魔法陣なのか……?
銃剣の一部分に薄っすらと描かれた魔法陣。
その破壊を意味する魔法陣が気にかかり、中に入っている銃弾も取り出した。
──やはり、こっちも……
ライフル弾のような弾にも描かれる魔法陣。
そこに刻まれているのはやはり、破壊を意味する魔法陣。
一度撃ち出せば、その魔弾が撃ち抜いた対象の内側から爆ぜることだろう。
──それなら、他のモノも……
そう思い別の兵器を手に取り、観察すれば浮かび上がる薄い魔法陣。
これなら人間相手とて、遅れを取ることはないだろう。
内心納得しながらも、先程から気になっていたモノへ眼帯越しに視線を走らせる。
想像以上に広いその中で、壁に張り出させた世界地図。
不思議とソレは博物館跡のモノのりも古びていて、それでいながらより原型を止めていた。
そこは刻まれた手書きの文字や赤い線。それらを読み取れば、ここにいた者達が大陸外への脱出を計画していたことが解る。
更にまは地図の前に置かれた机と、その上に山積みになった資料。三秒ほどそれらへ顔を向けていれば、自ずと内容が頭に入った。
その代償は頭が割れるような、神経が焼き切れるような激痛だったが、男は特に気にした様子もなく次の資料へ眼帯越しに視線を向けた。
──正確な現在位置は把握できた……
世界地図に現在位置が示されるお陰で自分がいる場所が正確に把握することができた。
しかしそれでも、更なる不安要素が資料には書かれていたのだ。
瘴気は海へ近づく程濃くなる。
今は魔法で無効化しているが、これが更に濃くなるとなれば、いつか限界が訪れかも知れない。
不死故に瘴気に侵されて肉体が多少損傷しようと活動は可能たが、大きく損傷すればその限りではない。
どれぐらい濃くなるのか、瘴気に侵されるとどうなるのか把握出来ない状態では無闇に突っ込むことも出来ない。
瘴気に侵された後の結果は大体予想出来ているが、絶対ではない。
人間から奪った記憶では、どれも元を辿れば人間であったところで人間になった原因の記憶はなかった。
ただ、意識が暗転してからの記憶が途絶えていたのだ。
そのことから、原因は分からないものの瘴気に侵されればあの化け物になりかねない。
とは言え、不死者の肉体は遅かれ早かれ必ず元に戻る性質がある。
故に肉体破壊や変形によるモノも、飲食物の栄養や毒による変化も受け付けてない。
故に瘴気に侵されても人間になる可能性は限りなくゼロに近い。
それでもじきに戻ると言うだけであり、一時的に人間と化してしまう可能性だって捨てきれなかった。
──いや、無理矢理にでも押し通るべきだな……
色々と考えを巡らせた挙句、辿り着いたのは脳筋さながらの発想だった。
そう、ただのゴリ押しである。
そうしてその後、暫く地下空間を彷徨って更なる情報源がないか探したものの、先程のテントと似たものをいくつか見つけたのみだった。
最後にその中でも一際、心が引かれたのは巨大な一つの戦艦だ。
戦艦に施された飛翔の術式と浄化の術式。
恐らく、資料にも示されていたこの機体はここを出るために残された唯一の希望だったのだろう。そして遂に、その船は飛ぶことはなかったようだ。
動くのに必要な莫大な能源を持つ者はおらず、かと言ってそんなエネルギーはこんな砂漠で生産することも出来なかった。
故に、こんな──
戦艦を一通り見回る。
強力な浄化魔法は海近くの濃い瘴気にも対処する為のモノだろう。
地下都市の中心に置かれた希望の方舟を眼帯越しにどこか遠い目で見つめる。
男ならば動かすことはそう難しくない。
だが、男にとってこの方舟は宝の持ち腐れ。
──せめて、安らな眠りを……
遂に飛ぶことはなかった希望の方舟に背を向けて、男がその場を後にした。