第三話 奪われた記憶
かつて、戦火に巻き込まれたモノが怨嗟と憎悪の果てに蘇った。
人々はそれを奇跡と歓喜し、神々はそれを呪いと嘆いた。
そうして蘇った異形は、人の一部が絡み合った姿から『人間』と呼ばれた。
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目の前に立ち塞がる人間が三体。
背後に迫る人間が四体。
男が一つ、息を吐き出す
周囲に四散した瓦礫が浮き上がる。
小さいモノから大きなモノまで浮き上がった瓦礫が、男の周囲で飛び交う。
直後、人間の一体が動く……と、同時に瓦礫が弾け飛んだ。
無数の瓦礫は石礫となって人間どもを撃ち抜く。
肉の潰れる音が響き渡り、千切れた肉片が地面に四散した。
一度遠くまで飛んでいった瓦礫が再び巻き戻れば……男だけを避けて、それ以外を無差別に突き破る。
更には崩れた数多の建物の瓦礫が加わり、飛び交う礫がその数を増やす。
そうしていく内に硬い肉と瓦礫のぶつかる音が変わっていった。
表面の硬い肉が剥がれ、中の柔らかく脆い肉を礫が食い破る湿った音が響き渡る。
削ぎ落とされた肉片が湿った音を立てて地面にぶつかり、赤い雨が絶え間無く降り注ぐ。そうして気が付ければ、見渡す限りの地面は血と肉に覆われていた。
赤い道の上を男が無造作に歩く。
一歩を踏みしめる度に、砂に混じって湿った足音が響く。
風の音が止んだ廃墟にその音がやけに大きく反響していた。
それだけのことをして尚、男の表情には何の感慨もなかった。
何度目になるか分からない扉を音もなく開け放ち、部屋の中を見渡す。
そうして足元に落ちている本を拾い上げると、砂埃を払って広げる。
ーーやはり、文字は読めぬか……
これでも無駄に長く生きていた男は様々な言語を習得していた。
古の時代に於いては殆ど全ての言語を習得していたと言っていい。
あの時代ではどんな些細な情報を欠いてを生死に繋がってたが為に、嫌でも覚えなくてはならなかったのだ。
そんな彼でもこの本の言語が読めないのは、やはり住んでいる世界が違うが故なのだろう。
このままではまともな収穫は得られないと感じながらも、まだ何かが残っているかも知れないと部屋を見渡すがーー
「…………」
無駄足だと再確認すると手に取った本を横にあった本棚に戻し、踵を返して部屋を出る。
その家から出る直前、ふと気配を感じてドアの前で止まる。
さすれば、その家の前を音もなく人間が通り過ぎた。
自然体のまま待つこと数分。人間がその索敵範囲から出たことを確認すると脆くなったドアノブを回す。
それから暫く寄り道するこなく道なりに進めば、ふと気になる建物が目に映る。
駐車場らしき広場を抜けて、ドアを失ってガラスの割れた入口を抜けた。
一階には得に目ぼしいモノはなく、あるのは医療器具だけだ。
ーー病院だったようだな……
半壊した階段を登り、床の所々に穴の空いた廊下を通り抜ければ、ベットの置かれたいくつもの部屋の前を通り過ぎる。
どのベットの上にあるのは白骨化した遺体のみ。
その直後、またしても人間の気配を感じ取り、窓から見えない位置に移動する。
ーーなんだ……?
だが、その人間は明らかな異色を放っていた。
声が、聞こえのだ。
ブツブツと呟くような声。
まるで数十人もの人が別々に独り言を呟いているか様な声だった。
それでもある程度規則性があることから、男が分からないだけで、何らかの言語を話しているのだろう。
だが、やはり言葉の分からない男にその内容を知ることは出来ない。
「気が変わった」
直後、そう呟けば窓から駐車場へ飛び降りる。
人間と戦えばその音を聞きつけて次から次へと他のモノ達が現れる。
それが分かってから、男は無駄な戦闘は避けてきた。
しかし、今回は数体の人間を相手にするに値すると感じたのだ。
理由はある考えが頭をよぎったからだ。
ーー脳が無事ならいいが……
その考えは、脳に損傷が無ければそこから記憶を奪うことが出来ることだ。
そうすれば、ここの言語やら文字はもちろん、他のことでも間違いなく今後の役に立つ。
間もなく、巨大な肉塊がその重い身体を引きずって現れた。
ソレが男の姿を捉えると同時に、不規則だった声が一斉に怒鳴り声のようなモノへと変化した。
身体の表面にビッシリと張り付い人面。
負の感情に歪んだそれが白くなった目をカッと開いて、何かを叫んでいる。
その中から男は冷静に物色する。
傷つけて良い部位。そうではない部位。
この人間は何度か戦った経験から、見た目通り人間の部位にそれ相応の臓器もある。
その為、脳があるのは間違いなく人面の所……もっと言ってしまうと頭のある部位だ。
脳の部分はなく、顔だけの人面もあった。
ーー情報は出来るだけ欲しい……
その為にはあの人間が持つ脳を全て取り出すことが理想的だ。
ーーざっと見て五つ、か……
男は先程から眼帯をしたままでも本の文字を読めていた。
故に、人間の中身を覗き見ることなど造作もないこと。
そして不思議なことに、周囲は瘴気が漂っている筈なのに、奴等の身体は腐っていないのだ。
もしかすれば、この瘴気の性質が男の予想しているモノとは些か違うのかも知れない。
ーーそれにしても、人面の数から比較するとだいぶ少ないな……
数十、あるいは数百にもなりそうな人面の割に状態の良さそうな脳は五個だけ。
そのことに内心不満を零しながらも、すぐに臨戦体制を取った。
直後、男の頭を打ち抜かんと振り下ろされた触手を横に跳んで避ければ、先程まで立っていた地面が抉れる。
立て続けに撃ち込まれる触手を全て切り落として攻撃の手段を奪う。
ーー脳がある割に頭は足らぬようだな……
脳があるなら多少なりとも工夫のある攻撃が来ると警戒していたものの、そんなことはなかった。
相変わらず単調な攻撃を捌いていくだけの作業。
ーーまずは、一つ……。
先んずは、最も地面に近い低い位置にあった人面を削ぎ落とす。
脳を損傷させないように頭蓋骨こと切り落とし、それを左手で受け止めると一旦離脱する。
本体から切り離されてエネルギーを失ったのか、その人面は黙ってしまった。
そうなっては時間はない。脳が腐る前にその頭蓋に指を食い込ませる。
そうして脳に指先を突き刺せば、自身の頭の中へと凄まじい勢いでその記憶が流れ込んだ。
自身の脳の神経を焼き切られるような激痛の中、男は満足気に頷く。
ーーうまくいった……
男の術に耐えきれなかった人面の脳が溶け出した。
これが呪術の代償だ。
相手の脳は溶け、自身の脳にも急激に与えられる情報で激痛を伴う。
それでも男は何気ない顔で空っぽになった頭部を投げ捨てる。
ーー運がいい……
ーーこれ一つで、文字も言語も得られた……
思いの外に大きな収穫を得られて男は満足気に刀を構える。
それでも貪欲な彼は次なる獲物へと狙いを定めた。
立て続けに残り四つの頭部を奪い、そこから記憶をむしり取った。
空になった頭蓋を捨て去って地を駆ける。
もう気遣う必要はないために、容赦なく振り下ろされた黒き一閃が人間の巨大な身体を二つに別つ。
立て続けに放たれた横薙ぎの黒炎を纏った一閃。
周囲の建物もろとも切り裂きながら、崩れゆく人間を更に切り裂く。
四つに裂かれた肉塊が地面に落ちるよりも早く、黒炎がその肉体を灰と化す。
風に乗って漂う灰を確認せずに、男はその場を離れた。
背後では崩れた建物が轟音と土煙を立てる。
それを背中で感じながら、新たな人間が集まる前に戦場から遠ざかった。